この記事は3,500文字程度ある。読了に20分弱かかるということなので「読みたい人だけ読んでくれればいい」記事になっている。概念モデルの転換について書いているのでそもそも理解できない人と簡単に理解できる人に別れる話でもある。
マイナ健康保険証について書いたところ「そんなものは導入すべきではない」と全否定するコメントを貰った。たまたま病院のオペレーションを観察する機会があり(待ち時間で暇なせいもあって)このコメントについて考えていたのだが、なんとなく思考がまとまってきた。
タイムリーにもOpenAIがOperatorというサービスをリリースしたのでこれについてもまとめ、最後に老害について分析するという構成になっている。
OpenAIが新しいサービスを出したことで「生産性向上」のための概念モデルが大きく変わりそうなのだが日本の高齢化はこれを阻害する可能性がある。だが高齢化そのものが悪いわけでない。高齢化によって使わなかった能力が衰えてゆくことが問題なのだ。
OpenAIがOperatorというサービスをリリースした。アメリカ版のプロサービス向けで月額利用料金は200ドル(3万円程度)ほど。日本でのリリースは未定。ウェブサイトを操作してレストランやチケットの予約をしてくれる。3万円で雇える個人秘書で、文章のまとめ、下調べ、ちょっとした買い物、旅行の手配などやってくれる。今後iPhoneなどにも組込まれてゆくだろう。
理論的にはすべてのサービスで使えるはずだがブロックする動きも出ているそうだ。今でもボットと人間を区別するウェブサイトは多い。自動操作によりトラフィックが増加することを懸念するサービスも存在するだろうとは思う。
これまではユーザーが機械を呼び出していたが、今後はこの作業がバックエンドで自動化されユーザーが呼び出されることになる。ユーザーは要所要所を監督する「マネージャー」になるのである。これが生産性向上の概念を大きく転換させる。
当ブログの議論の起点は「高齢者が多い病院で自動化などとんでもない」というものだった。たまたま病院について観察する機会があったので高齢者がどんな挙動をするかを見てみた。
高齢者と言っても個人差が非常に大きい。普段から自律的に動いている人とそうでない人の落差が激しいのだ。目立つのが「自分が何をすべきか」が理解できない人だ。指示されたとおりの場所に出向くのだが自分が何をしに来たのかが他人に説明できない。このため窓口は老人の解析に非常に苦労している。
ここから考えると日本で必要な医療サービスは工場の自動化のようなものになる。オートメーションで流れてくる患者にタグをつけておく。窓口がICタグを「ピッ」と読み取ると次に行うべき作業がわかるというモデルだ。マイナンバーカードはそのICタグとして利用できる。
しかし現在のICカードは暗証番号を打ち込んだり顔認証システムを採用しており高齢者には難易度が高い。おそらく「ここに手のひらを当ててくださいね」などといって静脈パターンを読み込み本人確認するような平易な仕組みだろう。これはコメント欄の別の人との議論の中ででてきたアイディアである。
ただこの「システムの中を流れてゆく高齢者」はOpenAIのOperatorは使えない。そもそも何を指示していいかがわからないからだ。
だが高齢者の類形はこれだけではない。他人の間違いが許容できなくなる高齢者が一定数いる。これがクレーマーになる。
今回ご紹介したプレゼンテーションの中にも懸念が表明されている。日本人はとにかく間違いを嫌うという問題だ。今回ChatGPTにOperatorについて聞いたのだが最初は「そんなサービスはない」と言い張っていた。「いやあるはずだ」と聞いたところChatGPTは「そうですね、ありました」と主張を変えた。おそらく別のところから情報を持ってきたのだろう。
若いマネージャーはある程度の柔軟性を持っているが高齢になると自分の望む方向にマイクロマネジメントを始める人がいる。おそらくは複数の選択肢から最適解を探す能力と対話する能力が落ちるのだろう。優秀な人ほどこの傾向が強い。
つまり、高齢化は
- 自分の考えに固執する人
- 自分が何をやりたいかわからない人、またはその意思がない人
の2つの問題ある類形を生み出し、どちらもOpenAIの新システムには向かない。つまり新しく生まれつつある生産性の高い社会に移行するためには「適宜判断する能力」を衰えさせないようにうまく年を取る必要があるということになる。常に自分が何をやりたいかを考え、なおかつシステムや他人の思考を理解し間違いを修正してゆく能力だ。これさえ維持できていれば肉体の衰えは機械やサービスによって補完することができる「便利な世の中」を享受できる。
さて、議論はここから急展開する。これまで概念モデル転換について理解できず「具体例」を求めていた人はこのあたりでドロップアウトしたほうが良い。
小野寺五典政調会長が「強い日本」というモデルが国家指針であるべきだと主張した。
強い日本とは旧帝国陸軍式の軍隊モデルだろう。つまり一人の優秀な司令官がいてその下にその命令を着実に実行するその他大勢がいるという図式である。戦後にも引き継がれた。重工業分野では成功しやすいモデルだったためだ。
ではなぜ「強い軍隊モデル」は崩壊したのか。OpenAIの掲げる成功モデルは分散型マネジメントモデルである。一人ひとりが・雑でも良いから・概念モデルを組み立てて・それを簡単に実行できるというモデルである。
ところが「強い軍隊モデル」でこれをやると統率が崩壊する。バラバラに・雑で・あやふやな概念モデルを・安易にこなすと変質してしまうだろう。
強い軍隊モデルは弊害を生み出す。
- リーダーに新しい情報が届かなくなりかつての成功モデルが陳腐化する
- 部下は自分で考えなくなる
この弊害は安倍派でもフジテレビでも見られた。安倍派は安倍晋三氏がなくなったことで集団無責任体制に移行した。またフジテレビでは強すぎる日枝久相談役が「楽しくなければテレビではない」というかつての成功体験に固執し結果的に現代の価値観にあった番組を提供できなくなった。両者とも副作用として倫理の崩壊が起きる。
ここから老害で抽出したモデルは「かつて優秀だったリーダーの末路」と「決まり切ったパターンに従っていればよかった人の末路」ということになる。
このモデルが破綻したことが理解できないと、死んだ魚のような目で具体論もなく「強い日本」と主張する小野寺五典政調会長や、同じく死んだ魚のような目で「もう強い日本など無理だ」と主張する石破茂総理を生み出す。
もちろん、アメリカ合衆国のモデルが万能というわけではない。アメリカ合衆国はたくさんある雑で未完成のモデルを競わせて成功例を抽出してゆく社会だ。結果的に失敗者を多く生み出す。この失敗した人たちが反乱を起こしているのがトランプ政権だ。
一方で日本はもう成功しなくなった社会モデルに固執している。社会が破綻しかけているが代わりになるものがないので精神論ばかりが声高に叫ばれている。
ここからOpenAIのOperatorは一人ひとりが試行錯誤を繰り返して成功を掴む行動を支援するためのシステムであるということがわかる。
今回は高齢者を事例にしたために「年齢差別だ」と考える人も多くいるだろう。
だが、実際に日本のシステムは「指示待ち高齢者予備軍」を今も増やし続けている。
マクドナルドに行ってみるとわかるが、みな機械の指示に従ってボタンを操作し注文をする。さらに注文を受ける側も時間に追われながら機械の指示に従って何かを作り続けている。最近の自動機械は最後に「ポテトもいかがですか?」と質問してくる。日本のサービス産業が受け身のママで「生産性」を向上させると最終的にはこのような形態に行き着く。OpenAIのOperatorでユーザーは機械を監督するが日本は食事をするにしても機械に指示される大人を大勢生み出している。
おそらく日本の課題はすでに生まれてしまった大量の指示待ち型の人間をどのように「捌くか」という点にあるのだろう。その意味では工場のようなオートメーション化が必要だろう。だが、これは社会のお荷物を量産するだけで生産性の向上は望めない。
また社会全体がある日突然生産性の向上に目覚めてマインドセットを転換することも考えにくい。一人ひとりがそこから脱却するしかないのである。
コメントを残す