非正規雇用は公害と一緒

今日はわりとわかりやすいが議論に登りにくいことについて考えたいと思う。テーマは非正規雇用と公害問題だ。
公害とは、製造業が本来行うべき処置を行わずに環境に有害物質を垂れ流す行為である。公害問題が蔓延したのは、公害防止策をとればコストがかさみ競争面で劣位に立たされるからだろう。
ではなぜ工場は公害防止策を取るべきなのだろうか。実際の抑止力になったのは環境対策に国費が使われたからではないだろうか。つまり、誰かが支払わなければ誰か別の人が支払うことになる。工場から見るとこれを「費用の外部化」という。費用を外部化すると競争力は増すが、処理費用は個別企業の支出を凌駕し、社会全体の競争力が失われる。
もう一つ大きかったのは機会の平等である。その場にいる人はすべて空気や水といった環境から影響を受ける可能性がある。だから世論の反発があったのだろう。
公害のような市場の失敗を個別企業が企業努力だけで乗り切ることはできないので、国や地方自治体のような「社会」が監視する必要がある。これが政府の役割だ。
さて、ここまで整理したら今度は非正規雇用について考えたい。非正規雇用は必要な時に労働力を確保してあとは「知らない」というやり方だ。企業はコストを削減することができるので、競争力を優位に保つことができる。どこか一つの企業が非正規依存に舵を切れば他の企業も傾かざるをえない。
非正規の人たちにも老後があるし病気をする可能性もある。また子供を育てるのも「余剰のリソース」が必要だ。非正規はこれを外部化しているので、社会の費用負担が増えることになる。つまり、費用の外部化が起きている。
次の論点は費用の外部化が環境を悪化させているかという点にある。第一に消費の落ち込みを通じて市場が痛んでいる。次には人口が減少する。もともとは大学に行かないとまともな職がないという理由から教育費がかさみ、第二子、第三子が育てられないという程度の話だったが、最近では結婚すらできない人も出てきている。費用の外部化が長い時間をかけて社会に害悪をなしているのは間違いがなさそうだ。
さて、公害対策については対策が進んだのに労働者問題については対策が進まないのはなぜだろうか。それは公害と違い労働者問題が「まだら」に進むからである。つまり、労働問題は労働者個人の自己責任だと考えらえやすい。
また、非正規労働者の間にも期待値がなく「失われた」という感覚が生まれにくいようだ。最近ヨーロッパ、韓国、アメリカで見られた民主主義の嵐の起爆力になっている人たちは「失われた」感覚を持っている有権者だが、日本でたいしたデモが起こらないのは日本人が自分たちの能力に自信を持たない縮み志向だからだろう。
非正規の問題に真剣に取り組んでいるのは共産党だけだ。これは非正規雇用の問題が労働者の問題だとされているからだろう。民進党すらまともに取り合わないのは、民進党の支持母体が連合や公務員の団体であり、非正規労働者問題は他人事だからだろう。企業にとっては労働者が分断されていた方がやりやすい。その意味では正社員は統治の道具になっている。ある意味、封建主義化が進んでいる。正規非正規の区分がなくなれば、全体の賃金は減っているので大騒ぎになるはずだ。だが「下」を置くことで転落を恐れた労働者は過労死するまで「自発的に」働くのである。
ただ、実際にも例えば自民党もこの問題の当事者だ。自民党の目的は中国に対抗して地域の覇権国家になることだ。軍事費を増やして対抗しようとしている。しかし、軍事費を拡大するためには足元の経済を拡張する必要がある。その手段は2つしかなく、人数を増やすか生産性をあげるかである。労働者の正規化はこのどちらにも関わっている。
しかしながら、自民党にはマクロな視野がない。このため場当たり的な対策しか打てない。安倍政権がやってきたのは、国内では民主主義や基本的人権を否定しながら、対外的にはアメリカにフリーライドして経済権益圏と軍事同盟を作ることである。前者がTPPで後者は安保ダイヤモンド構想だ。
さらに、自民党は中国の台頭による日本の国力の相対的な低下を解決するために、国家動員を進めようとしている。国民の人権を絞って国の権限を強化することで地域内競争に勝とうという戦略なのだろう。なんとなく正しいように思えるのだが、すでにこの戦略で失敗している国がある。それが党の指導力が強い北朝鮮である。強い中央集権が効率的なのだとしたら、北朝鮮は今頃韓国経済を凌駕していたはずだ。自民党はわざわざ憲法を改正して北朝鮮が70年かけた社会実験を再び繰り返そうとしているのだ。
 

正しい立ち方と4スタンス理論

正しく立てていない。足の土踏まずのあたりをペタペタとついて歩いているらしく、膝が内転する。そこで足の後ろ側に重心を持つと正しく立ったり歩いたりすることができるようだ。

だが、これも一概には「正しい立ち方」とは言えないらしい。4スタンス理論は人間の重心の置き方を4つに分けており、タイプによって正しい立ち方が違う。このタイプを知れば正しい立ち方ができるのだが、タイプは簡単に見分けることができるという。

扇子を手首で扇ぐ人はAタイプで、足のつま先に重心がある。逆に肘で扇ぐ人はBタイプであり、踵側に重心がある。また、コップを持つ時人差し指と中指を使う人は1タイプで、中指と薬指を使う人は2タイプである。つまりA1,A2,B1,B2という4つのタイプがある。

重要なのは軸の使い方で、A1とB2は足と肩の軸が斜めになる。右足が重心の時に軸を作るのは左肩だ。これを「クロス」と呼んでいる。その他のタイプは同じ側に軸ができるということである。

このようにそれぞれの個性がすっきりまとまったように思える4スタンス理論だが、疑問も多い。

前回考えた「正しい立ち方」や「正しい歩き方」は重心を後ろに置いた。前重心で歩いて片脚だけが歪む「変な歩き方」になっていたわけだから「本来とは違う」歩き方をしていたのかもしれない。が、本によると「無理して別タイプの動き方をすると怪我をする」とのことである。自己診断したところA1なので前重心であっている。しかし前重心で歩くと左脚だけが内側に歪むのだ。

また、動きを出す時には前重心だが、どっしりと立つためには後ろ重心の方が都合が良い。一方でポージングで動きを出すためにも、右肩右足を軸にして体全体を曲げたり、逆の肩を使ったりすることがある。ということは4種類を意識するときれいにみえる。特に自分がこれが得意だからこれ以外できないということはない。スポーツときれいな立ち方というのは違っているということなのかもしれないが、これもよくわからない。スポーツが「安定すること」と「力を出すこと」に特化しているからかもしれない。

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UNIQLOでTシャツを自作する

よく、Tシャツのデザインで悩むことがある。好きなデザインを選んでいるうちはよいのだが、胸のラインを強調するための図柄が欲しいなどと思うと、ぴったりとしたデザインが見つからない。微妙な色のジャケットなどと合わせるとなおさらである。形があっても色が合わなかったりするのだ。
ユニクロのUTme!はそんな悩みを解決してくれるサービスである。自分で作ったデザインをそのままプリントしてしまえる。価格は少しお高めの1900円で、他に配送料などがかかる。
具体的な作り方はとても簡単だ。今回はトウガラシをモチーフにした。技術仕様書によるとまず全体の大きさは最大で横35.5cm × 縦40.6cmだそうだ。これを印刷ギリギリレベルの150dpiで作ると2096 x 2398ピクセルになった。これで下地を作っておく。肩などにデザインすることはできないし、全体をボーダーにするというようなこともできない。これで画像サイズは4MB弱だった。まあこれくらいならそれほどスペックが高くないPCでも作業できそうである。

オーガニック柄

素材のトウガラシは白い紙の上で撮影する。画像加工ソフトで背景の白を完全な白(#FFFFFF)にして出来上がりである。白のTシャツの場合、白色は印刷されないので、切り取って使える。陰は薄くしておいた方が加工がやりやすかった。陰が広いと重なってしまうことがあるからだ。
オーガニックを選んだのは、デザインしなくても済むからだ。
0f490d3e-24cd-4cc5-b1ea-c40fa91c7f2c_1_print_llあとはトウガラシを好きなように並べてゆくだけ。これは単純にトウガラシを並べたもの。つまり、そんなに凝ったデザインでなくてもよいのだ。赤がコーディネートの差し色になりそうである。
インクジェットプリンターがそんなにきれいな印刷をしてくれるとも思えないので、輪郭をつけたりしている。
下に余白があるが、1/2程度はパンツの下に隠れるくらいの計算になる。
さて、次はトウガラシをネックレス状に並べてみた。
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これがデザインとして機能するかどうかは全くわからないのだが、思いついたものをいくらでも作って置いておける。
注文していないものは保存できないのだが、カートに保存することができる。元デザインはPCでとっておけばいくらでも作り直しが可能である。

イラスト風のTシャツ

6bf04a6d-3409-4531-b41f-bada4fb17710_1_print_llあとは思いついたことをとりあえずデザインにしておけばよい。ドーナツが好きならドーナツの写真を撮影してイラスト風に加工してから貼り付ければよいだろう。イラスト風にするにはまずポスタライズしてから、輪郭を抽出し、輪郭の彩度をなくしてからレイヤーで重ねればよい。ポップな色合いの写真を撮影しておくと後が楽だが
コツとしては最初に土台となる2096 x 2398ピクセルを準備すること。これは正方形の写真をそのまま持ち込んだので、図柄の調整に苦労した。

鉄道ファン(撮り鉄)向け

84e4d67b-9137-429d-86cd-04fafaba8e6e_1_print_ll撮り鉄なら「これは記念に残しておきたい」という写真があるはずだ。もちろんそのままカラーでデザインを切ってもよいのだが、モノクロにして少しコントラストを派手目にするとアートっぽくなる。
これは外川駅に到着した銚子電鉄。空の色はわざと飛ばしてある。でかでかと「I Love Chiba」などとしても良かったのだが、文字を入れるのは本職でないとなかなか難しい。
趣味のものは色を入れすぎると主張が強くなるのでモノトーンがおすすめである。銚子電鉄はあの朱色がかっこいいので、茶色と赤のDuoみたいにしても良かったかもしれない。

副業にもできるということだが

できたデザインは出展もできるそうだ。1点売れると300円入るという。誰でも簡単にデザインが作れるてしまうので、ただ漫然と待っていても簡単に売れることはないと思うのだが、自分が好きで作ったデザインが友達に売れたというくらいなら良いのではないかと思える。
 
 

オタクこそファッションを研究すべきではないか

現在のオタクたちは政治的圧力にさらされている。経済が行き詰まるにつれて日々のイライラをぶつけるスケープゴートが必要になる。そこで「オタク趣味は性犯罪の温床になる」というようないわれのない非難にさらされることになった。こうした危機感はかなり共有されており、山田太郎候補は落選こそしたものの「表現の自由」の保護を訴えて28万票を獲得した。
かつてのオタクたちは自分たちの世界に耽溺していればよかったのだが、現在では外見を整えて社会的な訴えかけをしなければならなくなった。面倒臭いことこの上ないが、現実は直視しなければならない。
需要は多いが、オタクが使えるファッション情報は少ない。皮肉なことにファッションは「ファッションオタク」たちに牛耳られていて、新規の顧客の参入を拒んでいるからである。ファッションオタクたちが服好きなのはわからなくもないし、否定されるべきでもない。なぜならば彼らは服が好きすぎて1日中洋服のことばかり考えているのである。だが、オタクにはそんな時間はない。なぜならば、そんな時間があったら好きなことに時間とお金を当てたいからである。
だが、実際のファッションは実のところ単なるパターン認識だ。もちろん、深みにハマればいくらでもハマる余地があるのだが、当初はパターンさえ覚えてしまえば、あとはそれを機械的に当てはめるだけなのである。
patterns最初のパターンは色だ。色の組み合わせはそう多くない。実際にはこれに灰色が入るのでちょっとだけ複雑になる。キーになる要素はバランスとラインだ。
まず、バランスを見ておきたい。暗い色ほど重くなるが、明るい色は広く見える。色が重要なのは体型が人によって異なるからである。例えば下半身が太っている人は上半身を引き締めてバランスを取ったりする。これは自分で確かめた方が早い。
もう一つはラインだ。一番下のコーディネートではジャケットがラインを作っている。黒のジャケットに明るい色のインナーとズボンを合わせると、縦長のラインが作られるのだ。
色を使わずに形で整えることもできる。例えば、緩めのズボンを選び、タイト目のジャケットを合わせることもできる。ファッション雑誌は手を替え品を替えこれをやっている。
お腹が出ている場合にはどうすれば良いのだろうか。「痩せろ」というのが最初の答えだ。痩せてユニクロ体型(ユニクロは顧客の体型を決め打ちしている)になれば、あまりこだわらなくてもよくなる。次の答えはバルーンのようなシェイプをつくることだ。白ジャケットの例でいうと、上のインナー(黒い部分)がバルーンの上半分で、下がズボンになる。つまり、上が太く下が細くなっているズボンを探せばいいということになる。こうしたズボンは「テーパード」というわかりにくい名前で売られている。「スタイルアップが図れますよ」などと宣伝されているのはこうしたシェイプが作りやすいからなのである。
服オタクが作るファッション雑誌のワードローブの作り方特集を読むと、キーになるアイテム(人によってジャケットとズボンの組み合わせだったり靴だったりする)を中核にして周辺アイテムを揃えて行くというようなことが書かれている。色の数は制限されており(黒、紺、カーキ色、白程度だ)アイテム数も10〜15といったところだ。ということで、似合うパターンを見つけたら好きなアイテムを探して、ワードローブを組み立てて行く。
一方、SAFARIにもワードローブの組み合わせを提案している特集があった。(Safari(サファリ) 2016年 09 月号)こちらは服ではなく、自分の趣味やキャラと洋服を合わせるべきという提案をしている。
SAFARがこうした提案ができるのは、SAFARIの読者層が自分たちの趣味やキャラが何かを知っているからだ。難点は彼らが考える趣味が車とかサーフィンだったりするところなのだが、コンセプトは応用できる。例えば撮り鉄ならば機能的で動きやすいジャケットスタイルが必然になる。靴は動きやすいスニーカーだろう。これは同年代には真似ができない。耽溺する趣味がないというのが普通だからである。つまり、オタクはファッションに親和性が高いのである。
一方で趣味に耽溺するために服自体はシンプルにするというファッションスタイルもある。最近ではノームコアという名前までついているが、ジョルジョ・アルマーニなども自分の服はシンプルだ。アニメファンは自分の好きな世界に耽溺したいと考えるかもしれない。趣味とファッションを合わせると自身のキャラと乖離してしまう。だから、ファッションはシンプルな方がよいかもしれない。
さて「お店でいろいろ試せない」とか「服に金をかけたくない」という人にも有利な環境が整っている。中古市場が充実してきているのだ。単に在庫を置いてあるだけという店もあるのだが、セレクトショップ並みに手が入っているところもあり、各種のブランドが比較でき、ズボンの価格も300円くらいからあり1万円もあれば失敗込みでシーズンの服が揃えられるだろう。できるだけ同じような色で太いズボンと細いズボン、大きめの上着と小さめの上着を試せば一通りバランスのチェックはできる。
このように見て行くとオタクは実はファッションが得意であるということがわかる。キャラやすきなことが明確にあり、分類やパターン認識が得意だからだ。
 
 
 

萩生田さんの「田舎のプロレス」発言について考える

萩生田さんというオルトライトな国会議員が野党の対応を「田舎のプロレスだ」といったことが話題になっている。テレビとしては「国会を軽視している」という批判があるという伝え方になっているようだ。しかし、この発言にはいろいろと考えるべきところがある。なぜならば、トランプ大統領の誕生を見てもわかるように、政治は明らかに演劇化しているからである。
第一にプロレスとは何だろうか。レスリングは格闘技だがプロレスは格闘技が興行化したものである。このサイトによると日本のプロレスの始まりは、日本人が強そうに見える外国人を打ちのめすという形で発展したとのことである。初期のスターは力道山だが、彼が実は日本人ではないということは厳重に隠蔽されていた。Wikipediaには力道山が国籍の壁から相撲で大関になれずに廃業したという説が紹介されている。つまり、初期のプロレスは相撲のまがい物だと考えられており「まともな人」は参加できなかったのだろう。だが、そうした事情とは関係なくプロレスは大衆には人気があった。プロレスを見ている間だけは日本がアメリカに負けたという事実を忘れることができたからである。
プロレスには正義と悪という明確な構造があり、苦難の末正義が悪を倒すという物語が提供される。この外国人対日本人という形はかなりのちの時代まで受け継がれた末、解体されていった。日本人が直接外国人と触れる機会が増え、外国人が脅威であるというのが実は間違った情報だということが認知されるようになったからかもしれない。
多くの芸能がそうであるように伝統的な形のプロレスも地方では保存されているようだ。中央のプロレスがスポーツ化してしまったのと対照的に、ヒーローが悪を倒すという形の「田舎のプロレス」を見ることができる。萩生田さんは八王子(まあ、十分田舎だと思うが……)出身なので、地方にそれぞれの豊かな文化があるということを知らないのだろう。
さて、プロレスは興行であり演劇であるなどというと、多くのプロレスファンは憤りを覚えるのではないだろうか。あるいは、このように言われても公然とは反論しないかもしれない。それはプロレスが普通の演劇とは違い、常に大怪我の危険があるからである。体を鍛えていないと成り立たないのだ。その意味ではプロレスは演劇でありながら真剣勝負であるという側面を持つ。
プロレスは真剣勝負ではあるのだが、相撲的な伝統も持っていた。炭水化物が多そうなちゃんこ鍋を食べて体を大きくしたというような伝統があったようだ。船木誠勝は当初相撲的な体をしていたが、食生活を改善して筋肉を大きくしようとしたというような話を記憶している。(船木誠勝のハイブリッド肉体改造法)パンクラスはのちにプロレスというカテゴリーを離脱し「総合格闘技」を名乗るようになった。
さて、萩生田さんはなぜ国会をプロレスに見立てたのだろうか。それは国会の構成が固定されていて自民党が提案したことは基本的になんでも通ってしまうからである。英語ではこうした形式的なやりとりを「リチュアル」という。日本語に訳すると「儀式」という意味だ。日本の民主主義は単に国会で何時間議論したら「熟議を尽くした」ということになるという意味では単なる儀式になっている。
そこでこうした決まったやりとりを「プロレス」だと言ったのだろうが力道山が必ずシャープ兄弟に買っていたのははるか昔の話である。あらかじめ勝敗が決まっているという意味ではプロレス的だが、国会の議論には政治的な犠牲はない。つまり、与野党の議員たちは体を張っていないわけでプロレスとは基本的に異なる構造を持っているといえる。さらに、現在の地方のプロレスのように明確な正義と悪という構造を持っているわけでもない。また、八王子以上に都会的な地域はいくつもあり「田舎の」というのを三流のと考えるのも間違っている。
だから、萩生田さんの比喩はいろいろな意味でおかしいのだが、そもそもオルトライトとはそういうものなのだろうし、彼らの考える民主主義感もデタラメなのだろうなあというくらいの感想しかない。
どちらかといえば今の国会は歌舞伎に近い。歌舞伎には予め筋書きがあり、それを盛り立てるための行動様式も「型」として保存されている。国会議員たちはできるだけ自分たちが真剣に戦っているかのように行動する必要があり、型の正確な踏襲が求められる。
野党の国会議員たちは、反対しているという見栄を切っている。実際には負けることがわかっているので、反対は単なるポーズである。役者が見栄を切ると贔屓筋が決まった声がけをするというのも歌舞伎の特徴だ。これは支援者たちの声であるといえる。
国会議員が批判されるとしたら、歌舞伎役者ほど真剣に型を演じないことだろう。そのため、新規の客がつかない。
例えば、トランプ劇場は、日本の昔のプロレスに似ている。荒くれ者の主役が「多様性」とか「政治的正しさ」という敵をぶっ潰す物語だ。背景には現実世界では決してこういう大義名分には勝てないという事情があり、フィクションの世界で勝利するしかなかったのだ。しかし、皮肉なことにこの演劇が現実を凌駕することになった。
一方、日本の野党の攻撃は歌舞伎的であり、決してフィクションの枠をでない。多分、基本的なラインで既得権益層の代表なので、現実を崩すところまではいかない。真剣に歌舞伎をやりすぎて、新しい熱狂的なファンがつくのを避けているのだろう。それは現実を崩す危険性があるからだ。

男性向けファッション雑誌の動向

このところ、男性向けファッションについて調べている。ネットでも情報が集められるわけだが、やはり雑誌だろうと思った。
そこでどの雑誌が売れているのかと思い情報を調べた。情報はすぐに見つかった。雑誌の売れ筋をまとめている人がいるのだ。このまとめによると、最近最も売れている雑誌はSafariらしい。2008年には50000部しか出ていなかったが、最近では20万部近くにまで増えている。一方、若いころに有名だったMen’s Non-noは以前は20万部以上の売り上げを誇っていたが、13万部を割り込んでいる。ラグジュアリ系のLeonは1万部程度増やして8万部近辺を推移している。

Men’s Non-noはなぜ落ち込んだのか

この中でMen’s Non-noの購読者は落ち込んでいる。なぜ落ち込んだのか、いくつかの仮説が立てられる。一つ目の仮説は雑誌が読まれなくなっているのというものだが、Safariは伸びているので必ずしもそうではなさそうだ。次の仮説は若者にはお金がないか、ファッションに興味がないのだという仮説である。必ずしも否定はできないが、実際には「別の経路で情報を得ているから」という仮も立てられる。たとえばWEARなどがアプリで情報発信をしている。こうした情報媒体を使えば無料でいくらでもファッション情報を得ることができる。最後にまだ仮説が発見できていないという可能性もある。

既存の情報経路の再利用で生き残るSarafi

もともとファッションはデパートが紹介した流行を大衆が模倣するという方法で日本に紹介されていた。そのもとになったは海外のセレブたちの流行を海外の仕立屋が形にしたものだ。そのうち、映画を使って流行が作られるようになった。日本のテレビが海外のスタイルを輸入して日本人のスターに着せてから日本に広めるという方法も取られた。総括すると、海外のコミュニティの憧れのライフスタイルを輸入するというのがファッションなのだ。
Safariはこの伝統をうまく使っているのではないかと考えられる。違いは、情報を直接仕入れているというところだ。また、Safariの読者層は過去の習慣から雑誌で情報を取るという経験が残っており、スマホでの効率的な情報収集に慣れていないという可能性も高い。

そもそもファッション雑誌はどれくらいの地位を占めているのか

ファッション情報の入手経路を調べた調査はそれほど多くない。ネットではインターネットで女性に調査したレポートが出回っている。この調査によると依然30%弱が情報収集のために雑誌を購読しているようで、雑誌の地位が落ちているとは言い切れない。しかし、購入の際には何を参考にするかという別の調査によると「ネット」という回答が返ってくるそうだ。普段は漠然と情報収集をしており、買うときにはネットで吟味するという方法がとられていることになる。ただし、こちらはOLに対する調査であり、すべての購買者向けの調査ではない。Safariが健闘しているという点を考慮に入れると「雑誌が滅びた」というのは間違った見方かもしれない。ただ、雑誌が「購買」というのとは別の目的で読まれている可能性はある。

ものへの関心は薄れているかもしれない

一方で面白い視点もある。LINE世代という人たちを研究した結果である。この調査によると、ファッションへの関心は高いものの、洋服に対して興味があるというわけではなく、経験をするための小道具として洋服が利用されているという洞察だ。思い出はパーソナライズされた特別なものでなければならないのだから、当然洋服も特別のものである必要があるということになのだが、シーンの一部なのでコードから外れてはいけない。
テレビからも情報を得ているようなので「テレビは死んだ」ということでもないらしい。面白いのは「雑誌には情報の押し付けがある」という意見だが、イヤだったらフォローを外せるSNS世代ならではの感覚だろう。
Men’s Non-noは伝統的なファッション雑誌なので、主役は洋服だ。そのため、体の線が細いモデルたちが大量に採用されている。こうしたモデルたちはどんな洋服でも着こなすが、何枚も洋服を着て体の線を作らないとビジュアルが成立しない。人間性を排除したのがMen’s Non-noなのだ。人気モデルの坂口健太郎は当初はアスリート体型では撮影に呼ばれず10kgほど減量したのだそうだ。
その裏にいるのが洋服が好きなスタイリストである。毎シーズン市場に出回る服をどのように組み合わせようかということに関心があるのだろう。ワードローブを構成するという企画があるのだが、いろいろなアプローチでワードローブを構築しており、熟読するととても楽しい。つまりMen’s Non-noは服好きのために服好きの人が作る雑誌であると定義できる。これを「押し付けだ」と感じる人もいるだろう。

ものを買う動機は多様化している

一方で、情報取得通路は多様化し、洋服を買う動機も多様化しているようである。これが「ファッション雑誌」の相対的な地位の低下に結びついているのではないかと考えることができる。少しあげただけでも様々な動機が考えられ、それぞれ働き掛けが違うことになる。

  • 自分の体のきれいなところを強調する。人間が主役なので洋服そのものはできるだけシンプルな方が良い。
  • 思い出作りの小道具として利用する。できるだけ安くて見栄えがよい方がよい。みんなから外れているのは良くない。ある期待があるので、相手にも同じような規範(モテコード)を求める。女性にとっては男性も小道具なので個性的過ぎるのは良くない。
  • 作られた製品としてのディテールを楽しむ。モノやデザイン志向になる。
  • 贅沢品を見せびらかす。誰でも知っている高級ブランドであることが求められる。
  • チームであることを強調する。洋服よりもコミュニティの方が大切。
  • 憧れの人を模倣する。インスタグラムなどを使って情報を集める。

ネットが台頭してきているからといって、毎日安売りのクーポンメールを送りつけても誰も見てくれないのは仕方がないことなのかもしれない。
この服に埋没してゆく感覚というのはよく理解できる。たとえばデザイン作業をやっていると、色使いやユーザビリティというものが「絶対」のような気がしてくるわけだが、実はそれを排除してみるということが必要になってくるはずなのである。
その意味では「作る人」と「売る人」は分離していた方がよいのかもしれないし、両方を経験すべきなのかもしれない。対象物に近すぎると視点が限られることになるからだ。

女子受けファッションなんか学んでつまらないオトコになるな

朝早く目が覚めてしまったので、女子受けファッションのサイトを見ていた。全編見ると1時間くらいかかるが、言っていることは比較的シンプルで「失敗するな」というものである。全部読み終わったあたりで長い揺れに襲われた。東北で地震があったようだ。
さて、定番ファッション指南によると、次の三つを守ると失敗しないらしい。

  • 色は基本色のみ(なぜかオリーブっぽいカーキが基本色に入っている)
  • 形は定番のみ
  • ややスリムなシルエットであり腰部を半分だけ隠すような着丈を厳守すること

このサイトを見ていて思ったことはいろいろとある。ディテールが重要だということは参考になった。正解があるかどうかはさておき、数センチの違いで大きな差が出る場合があるらしい。確かに着丈には無頓着だった。恥ずかしいことに、Tシャツの長さがメーカーによって違っているということにも最近気がついた。
ただ、違和感も多い。最初の違和感は「定番シルエット」って国によって違うんだなというものだ。

アメリカでめっちゃ見られている「ファッションの100年史」の最後に最近のアメリカファッションの流行が出てくる。トップスは日本と同じようにタイトだがボトムが違う。特に白人は腿と脛の太さが違うからなのかもしれない。日本人は細い人が多いので定番のボトムも違ってしまうのだろう。しかし「いわゆる日本人の定番」というのは、細身の若者を想定している。だから、30代以降に体ががっちりしてくると、これが必ずしも当てはまらなくなってしまうのだ。20代だと脚は一本の丸い棒に見えるかもしれないが、実際にはそうではないということに気がつくのだ。
さらに定番ファッションの失敗例を見ると、過去のファッションの正解例だったこともわかる。昔はLevi’s 501に代表するような太めのジーンズを腰より上ではいていた。これは現在では(というか見ていたサイトでは)野暮ったくて体型が綺麗に見えないとされている。だから「定番」などというものは実は存在しないのである。
また、女性はファッションを減点方式で見ているということがよく分かる。だから「失敗しない」なのだろう。減点ポイントはいくつもある。

  • シンプルすぎるのは退屈
  • 色や柄が派手だったらダメ
  • アクセサリのつけ方は嫌
  • シャツが少しでもくしゃっとしていたらダメ
  • 私より目立ってはダメ
  • 着丈が少しでも違っていたらダメ
  • 流行を外してはダメ

これが行き着く先って何なんだろうと考えたら、超定番の形ばかりで色もベーシックということになる。これが当てはまるショップが一つだけある。ユニクロだ。
確かに定番を覚えることは重要だと思う。どこに目を向けるべきかということがわかるからである。つまり「着丈というのは重要ですよ」とか「トップスは肩で合わせるんですよ」というようなことを学ぶのは大切だと思うのだが、路上に出る前の講習であって、そのままではみんな同じになってしまう。
だが、実際には余裕がないせいもあって同じような服しか売れていないみたいだ。これではつまらない。欠点はないかもしれないけど、まったく面白みがない人になってしまうと思う。多分、定番ばかり着ていると「減点女子」たちは今度は「大学生みたいで嫌」とか言い出すだろう。
だいたいおしゃれな席で細身の紺無地テーラージャケットだけを着ている30歳以上の男が仲間内から信頼されますか、という話だ。
もし、定番ファッションを真顔で押し付けてくる女がいたら、まったく遊びのないつまらない女だということになる。で、あればそういう人にモテても仕方がないように思える。だから「モテたければモテファッションは忘れろ」ということになるだろう。
最後に、女子が相互に監視し合うと悲惨なことになるんだろうなと思った。定番ファッションだけを押し付けてくる女は、つまりモードなどを知らない女性だということになる。つまり、経験量が少ないから許容範囲が狭く減点も激しくなるということだ。
さらに、みんなが同じようになってしまうので競争の余地がない。にもかかわらず、群れでの優劣をつけなければならない。となると、減点を見つけてゆくしかないわけで、自分は絶対に失敗せず、相手の一挙手一投足にケチをつけることになるだろう。
背景にはリソースの少なさと多様性のなさというものがあると思うのだが「新しいことを発見しない」ということはこうした閉塞感につながるのだろう。

安倍外交の崩壊の足音

安倍外交はかなりやばい状態にあるのではないかと思う。ロシアとの外交を見ていてそう思った。安倍首相はプーチン大統領と直接会談したあと険しい表情で「平和条約は難しい」と会見した。この表情をみて「それ見たことか」などと言い立てるつもりはないし、記者たちも「やっぱそうだよね」くらいの感想を持ったのではないかと思う。
問題なのは、安倍首相を含む官邸側がなぜ「ロシアは平和条約を結ぶ用意がある」などと思い込んだかということだ。安倍首相が岸首相の足跡をトレースし「なんとしてでもやり遂げなければ」と思った可能性もあるのだが、周りにいる人が希望的観測を吹き込んだ可能性がある。
外務省はすでに「クリントンでいける」と吹き込んで官邸を混乱された前科がある。さらにロシアでの失点ということになれば、官邸は外務省を信頼しなくなるだろう。そこで党による独自外交という線が出てくるわけだが、独自外交とは結局利権に預かりたい人たちが安倍首相にすり寄ってくるということだ。
対ロシアでの利権を狙う鈴木宗男氏が「二島ならいける」と繰り返せば、プーチン大統領にその気がなくても「ひょっとしたらいけるのではないか」という希望的観測が生まれる。実際には経済制裁覚悟でクリミアを獲得するほど領土への執着心が強い大統領が、自国の領土を手放すはずなどないのではないかなどとは思わなくなるのだろう。
もちろん背景には安倍政権の弛緩があるのだろう。強い敵もおらず、長期政権という目的を達成してしまったので、あとはレガシー作りにしか興味がない。また、安倍政権は政権マネジメントには興味がなさそうなので成果を出した人を褒賞するという仕組みがないのだろう。そもそも目的がないので、成果の測りようがないということがあるかもしれない。真面目なことを言っている人がやる気をなくし、山っ気を持った人たちばかりが寄ってくるという図式ができていることになる。
外務省はまともな提案をしないで、官邸に耳障りのいいことをだけをインプットしつづけた可能性がある。あるいは官邸側が話を聞かないで希望的観測だけをインプットしてしまった可能性もあるだろう。いわゆる集団思考だがこれに輪をかけているのが昨今の秘密主義だ。南スーダンの報告書は黒塗りされた状態で公開された。すでに「嫌な情報はなかったことにする」というマインドセットが出来上がっているようだ。実は情報公開とはリスクヘッジなのだが、それがわからないのが今の政権なのだ。
日頃から「好調の中にある崩壊の足音」というものに興味がある。陽が満ちるとそこに陰が差し込むからだ。ただ、残念なことにこれでもっとも被害を受けるのは有権者を含む国民だ。
すでに新興国からの資金の引き上げが始まっている。ドルの独歩高になり、新興国通貨が下落しているのだ。輸入食料品の価格などが上がり、開発資金が滞ることになる。いわゆる「トランプショック」である。ここで起こるのは世界的な経済の混乱で、日本は大きな影響を受けることになるだろう。これを官僚たちは「想定外だった」と伝えることになるのではないかと思われる。

トランプ大統領と演劇的空間

NHKの番組に高田延彦が出ていた。トランプ大統領の誕生を予期できなかったマスコミは何を間違えたのかというテーマがあり、制作者たちは、トランプはプロレスから学んだというような仮説を持っているようで、得意げに「プロレスはヒールが物語をコントロールしている」などと言っていた。
演劇の視点からはこの説にはかなりの無理があるように思えた。そもそも西洋の演劇類型は悲劇と喜劇の2つある。悲劇が扱うのは運命なのだが、主人公は最終的に運命に負けてることになる。それ以外の事象を扱うのは全て喜劇である。
実際の神話には、主人公が敵に勝つという物語がある。これも運命に勝つという物語であり、運命対人間という図式には違いがない。悪役というのは主人公が対峙する運命を具現化しているだけなので、受け手の心理的な投影の対象にはなりえない。
人々が演劇に求めるのはカタルシスだ。閉鎖された空間で他人の悲劇的状況を見ることで、普段の生活で抱えている様々な感情を解放するのである。だから、政治が演劇であるという前提そのものに大きな問題がある。有権者は大統領選挙を閉鎖空間の出来事だと捉えていることになってしまうからだ。実際には明日からの生活に影響があるわけで、これは有権者の誤認だと分析されるべきだろう。
いずれにせよ、運命そのものに投影しているということは、つまり物語そのものが解体するのを喜んでいるということになってしまう。するとヒールが破壊しているのは、主人公ではなく物語世界そのものだ。
一つ思い当たるのはアメリカの映画が、運命に打ち勝つだけでなく、主人公が成長することが前提になっているという点だ。だが、アメリカにも成長したくないという人はいるわけで、そういう人たちが成長を否認する演劇世界がプロレスだという仮説が立てられる。プロレスは、成長物語を信じているテレビや新聞が「下に見ている」人たちのための娯楽空間なのだ。
髙田延彦は、演劇の素人たちから「プロレスってヒールが物語をコントロールしてるんですよね」などと言われて、曖昧な笑顔を浮かべていた。プロレスが持っている物語の構造についてきちんと語るべきだったのではないかと思う。と同時に「プロレスはスポーツだ」と思っている人もおり、そのために遠慮があったのかもしれない。あるいは、政治報道のアウトサイダーが「きちんとした場所にお呼ばれした」という意識があったということも考えられる。
オバマは理想を語ったけど、結局成長したのはオバマだけであり、受け手には関係がなかった。であれば、そんな理想が完膚なきまでに破壊されるのを見てカタルシスを得たほうがいいということになる。
橋下徹が「今回の選挙ではインテリが敗退した」と言っている。これはインテリがヒールだという意味なのだと思っていた。だが、トランプ分析を受け入れてしまうと、そもそも政治の持っている物語世界の解体を意識しているのかもしれないと思えてくる。あるいはその闘争自体が、一つの物語かもしれないなどと考えてしまうと、構造は無限に複雑化する。
本来考えたかったのは、受け手はどうやってヒールとベビーフェイスを分けているのかということだ。例えば小池劇場では、内田さんがヒールであり、小池百合子はベビーフェイスである。しかし、国政では安倍晋三がベビーフェイスであり、蓮舫がヒールになっている。
蓮舫代表はベビーフェイス顔なのだが、きつすぎてヒール顔になってしまった。だが、構造がわからないので何がヒールを決めているのかが分析できない。その上、受け手が物語の解体そのものを願うようになると、もはや誰がヒールなのかという分析そのものが無効化するだろう。
何が物語の解体を望むのか(言い換えれば日本人はなぜ物語の崩壊を望まないのか)という点についても「よくわからない」としか言いようがない。スケールとしては日本が一番進んでいるように思える。正義と悪の対立が民主主義とは切断していて自民党の内部構造が担っている(例えば、小池百合子は自民党員だ)からだ。アメリカがこの中間にあり、もっとも遅れているのは韓国だ。正義の味方が現れては、堕落して消えてゆくという悲劇を延々と繰り返している。これは韓国に民主主義の歴史がほとんどないからだろう。ただ、このスケールだと一番進んでいる国は中国だということになる。共産党王朝なので民主主義が介在する余地が革命しかない。
しかし、物語の解体には持続性がないのだから、プロレスが興行としてヒールがベビーフェイスを破壊するという構造が永続するとは思えない。これは興行としては成り立たないわけで、ヒールがぶつかるというのは余興であるか、ベビーフェイスが勝つための途中経過なのではないかと考えられるべきなのではないだろうか。高田さんにはそのあたりを解説していただきたかった。
もちろん、政治を興行として扱うことはあまりにも不謹慎だ。政治は困っている人を助けたりして実感を取り戻すべきであるなどと書きたいのは山々なのだが、それが信じられない程度には政治家は堕落している。

ファッションモデルを目指して美しく立つ

実に大胆なタイトルだと思う。実際のファッションモデルと呼ばれる人たちはかなり特殊なプロポーションを持っているので、一般人がファッションモデルになることはできない。だが、一般人も自分が持っているポテンシャルを十分に生かしているとはいいきれない。ここで「目指す」としたのは、このためだ。
普通の人がキレイに立つという需要は増している。SNSが発達しているからちょっとでも見栄えのよい写真が欲しいし、ショップ店員がモデルになり売り上げに直結するということも多いだろう。

まず立ってみる

standingmanまず、正しく立ってみたい。ネットで拾った映像を加工したものを準備した。よく、背中とお尻と踵が壁に着くように立ちなさいと言われるが、横から見るとこういう姿勢になっている。
背中に注目すると後ろに湾曲している。つまり後ろに倒れそうになるような感覚がある。裏返すと姿勢が悪い人はいつも前かがみになっているということなのだ。と同時に腰を曲げるような感覚がある。背中を後ろに傾けることで重い頭を支えているという説がある。だから「まっすぐ立て」と言われたら、まっすぐ立ってはいけないのだ。
よく骨盤を立ててとか仙骨を立ててというフレーズが出てくる。正しく立つことができれば骨盤は自然に立つ。
普通の人はこれでよいと思うのだが、太っているとお腹が大きく出てしまう。ということである程度のエクササイズが必要になる。

お腹を引き締める

rollbackお腹を引き締めるためにはドローインというテクニックを使う。ドローインを解説した本はいくつもあり、普通は「インナーマッスルを使う」とされている。
と、同時にこれはファッションモデルっぽく立つためには重要なテクニックになる。いわゆる体幹と呼ばれる部分は常に緊張しているのだ。体幹は背中の筋肉、中の筋肉、腹筋から構成される胴体の下側を指す。モデル立ちしている時には、ここを常に緊張させる。実際にファッション雑誌をみるとわかるのだが、動いているのは脚と胸肩であって体幹はまっすぐになっている場合が多い。脚部が右に傾いていれば、肩は左に傾いているということになり、これでS字を構成しているのだ。
体幹がしっかっりしており柔軟性があると後ろに反り返ることができる。これはGarret Neffという人のポーズで実際にファッション雑誌に使われている。同じようにやってみたが膝が屈曲してしまった。

動ける・動けないということ

お腹を緊張させると動けなくなりそうだが、ドローインをすると腰は自由に動くようになる。ボディービルなどでは危ないので逆にお腹を膨らませて体幹を安定させるそうである。この時点では脚は緊張しているはずなのだが、これでは動けない。脚の緊張を解くことを考えなければならない。実際には片足ずつ緊張させているようだ。
体幹を緊張させると肩も緊張させたくなる。しかしそれではかっこ悪いので肩を回したりして緊張を解かなければならない。さらに胸も張り気味になるので肩を前後左右に動かして緊張を解く。しかし、体幹は緊張させたままだ。
古武道のビデオなどを見ると(YouTubeで幾つか出回っている)昔の日本人はこんな立ち方はしていなかったそうで、もっと「自由に動けていた」という。今のような立ち方が「美しい」とされるようになったのは、明治期以降だということなので、今回の立ち方だけが正解とは思わないほうがよい。

緊張と緩和

diesel
これはDIESELのキャンペーン写真から持ってきたもの。覚えている人もいるかもしれない。男性らしさを表現するとこのような感じになる。脚は大きく開き尻の外側から太ももに緊張が走っている。脚の筋肉は外側から始まって膝のほうに抜けている。決してまっすぐにはなっていない。これは「歩き方」を考える上で非常に重要だろう。なぜ、まっすぐ歩くと脚が内傾しているように見えるのだろうかという問いにつながるからだ。
足を踏みしめるためには土踏まずの外の部分を使う必要がある。この感覚は歩いたり立ったりするときにはとても重要で、これができないと全てが台無しになる。
ただし、実際のポージングにおいては両足を踏みしめていることは少ない。マネキンを見るとわかるが実際に支えているのは片足だけだ。「動ける」というのは重要な感覚で、ダンス、武道、格闘技などで違っているようだが、脚の動かし方にそれぞれのセオリーがあるようだ。かっこいいポーズは動きの表現なので、脚の使い方がとても重要になってくる。
前に見たように背中は反り気味で体幹は緊張している。そして肩もいかりぎみであり、首はしまっている。

で、肩はどうする?

実際にビデオを撮ってみるとわかる。正しく立った状態で、背中を広げると(体幹ではなく広背筋の部分になる)肩甲骨がちょっと浮いたような状態になる。これが「正しい」背中のポジションらしい。なぜ、このようなことを書くかというと、中には「肩甲骨を寄せる」と書いているものがあるからだ。寄せると肩甲骨は閉じられてしまう。それだけ可動域が広いからなのだが、これは正しい姿勢とは言えない。
肩は可動域の多いセクションなのだが、肩こりの人は動きが悪くなっていることがあるという。肩甲骨周りの体操の情報はたくさん出ている。うまく行けば肩こりが治るそうなので取り入れてみるとよいかもしれない。

3秒で小顔を作るには

さて、足から肩まで見てきたのだが、どこか忘れている。それは首である。立ち方を勉強し始めた時、わからなかったのが「糸で釣られたような」という表現である。なぜこれがわからなかったのかといえば、実際には糸なんかないからだ。
実際に写真を撮ってみると頭が小さく見えるものと大きく見えるものがあり、コーディネートのせいなのだと思っていた。全身を緊張させて立って状況は変わらない。成功率が高いのは後ろに反り返ってみたときだった。だが、やがて元に戻ってしまう。これが「首」によるものだとわかるまでかなりの時間がかかった。
実際にやってみるとわかると思う。鏡の前で普通に立ってみる。次に首を伸ばしてみて立つ。それだけで顔の大きさの1/2くらいが稼げる。つまり6頭身の人は6+1/2頭身くらいになれるわけである。これは3秒でできる。
よく考えて見ると首の骨が伸びるはずはないので、前に倒れているものが上に伸びているだけなのだとは思う。だが、いったん首が伸びるとしばらくはそのままなので、実際にある程度伸びているのかもしれない。肩から首にかけてはかなり複雑な構造になっているので、わかりやすい表現がないのだろう。これをわかりやすく伝えようとして「糸の例え」が出てくるのだとは思うのだが、実際にはあまりわかりやすい例えとは言えないと思う。スタイルに大きな影響を与えるので、小顔を目指して首を前後左右に動かしてみるとよいのではないだろうか。

実際のポージング

まず首まで伸ばして立ってみる。男性の場合、肩幅に開きつま先は開き気味になるのが正しいポジションだ。体幹は緊張させたまま肩は力を抜く。片足は力を入れたまま(尻の外側から太ももに緊張が入る)片足は自由にする。肩は自由にして動かすようにすると変化を出すことができる。ここまでできるようになると、S字ポーズの作り方自体はいろいろな情報が出ている。
さて、ここまでいろいろと書いてきたのだが、実際のファッション雑誌のポーズは参考にならないものがある。これはMens Non-noのモデル高橋義明のもの。足が長く頭も小さい。このために、普段は足の細さが目立たないように錯覚を利用したり、わざと猫背にしたりしているようだ。これが雰囲気があってかっこいいということになっているわけだが、普通体型の人がやると怪我をする。
同じく中田圭祐のページ。ああこの人「頭小さいなあ」と思えるものがあるが、普通に見えるものもある。立ち方一つでバランスは大きく変わるのだ。
もちろんコーディネートによってもスタイルは違って見える。顔の近くにVゾーンを作ると顔との対比で小顔に見えたり、ヘルムホルツ錯視などを使ってラインを作ったりすることができる。
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ただ、若者向けの男性雑誌のモデルが全てダメということはないらしい。たいていの人はモデル事務所に所属していて、正しいポーズを身につけてからリラックスの姿勢を覚えるようだ。一方、ストリート系の雑誌には素人を使っているところも多い。