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リベラルとは何か

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Twitterを見ていて、リベラルについての定義が意外と曖昧なことに気がついた。というよりかなり混乱している。だが、考えてみると平成生まれの人たちにとっては混乱している状態が当たり前なのかもしれないなと思った。
そこでおじさんが説明してやろうという気になったのだが、意外と定義がわからない。知らずになんとなく使っているのである。
もともとLiberalはラテン語に由来する言葉である。日本語で言うと漢語に当たる。元の意味は解放だそうだ。固有語はFreeだが、こちらも「〜がない」状態を意味する(グルテンがないものをグルテンフリーという)。Liberはそのかっこいい言い方なのである。
これも「リベラルは〜の解放という意味だが、フリーにはそのような意味はない」と書いている人もいるし、全く逆のことを書いている人もいる。いずれにせよ概念としては何か支配するものがあるという前提がある。
日本語の自由は「自らによる」というような意味なのだと思うが、この「〜の」が抜けている。
ということでフリーダムとは誰にも支配されていない状態を指す。リベラルというのも概ね同じような意味で「支配されていない」という意味だ。何に支配されていないかというと政府である。だからもともとの意味のリベラリズムとは政府に支配されていない状態を示している。経済政策が何もなく、年金などのセーフティーネットもないのがリベラルなのだ。これを自由放任(レッセフェール)と呼ぶ。これが成り立つのは、自然に任せておけば神様がなんとかしてくれるからである。これを「見えざる手」と呼ぶ。
しかし、日本人はリベラルをそうは捉えていないのではないだろうか。リベラルというと社会主義のことを指しているように思える。リベラルという言葉がおかしな使われ方をしているなあと考えた時、説明できないのがこの点だった。なぜ、政府の介入を前提にした人たちがリベラリストを自認するのだろう。
どうやら、自由主義というものがあり、それはあまりにも行き過ぎたので、社会主義的な補正を加えようという運動をソーシャルリベラリズムと呼んだらしい。社会主義者がこのような言い方を再発明したのは、ソ連が存在したためではないだろうか。つまり、共産主義の途中経過としての社会主義が否定的な意味合いを持ったために、このような再定義が必要だったのだ。日本でこの用語を使い出したのが誰なのかはわからないが、共産党との区別のためだったのではないかと思う。
ここで話がややこしくなる。ずいぶん長い間「革新=リベラル」だと思っていた。だが、革新はリフォームの訳語なのだそうだ。Wikipediaによると保守合同に対抗した社会党勢力が使い始めたそうである。その後、美濃部都政(革新都政と呼ばれた)で有名になったが、その後行き詰まり革新という言葉は下火になっていった。1950年代から1960年代の後半頃の話だ。
社会党は社会を変革するのだという意味で革新を使っていたが、これが行き詰まりリベラルを自認するようになったというのが順番のようだ。つまり、リベラル=新しいという意味はなかったということになる。アメリカでは小さな政府主義者をリベラルと呼ぶ。そこで日米で真逆の主張をする人たちが同じリベラルということになり混乱が生じたのだ。
混乱が生じたのだから、もともとの意味に沿って再定義すればよいという気もするのだが、日本にリベラルな政党はない。もともと年金システムは国家社会主義体制の産物であり(ややこしいことに、これを推進した人たちは革新官僚と呼ばれた)本来はリベラルな政党であるはずの自民党がこれを継承したという歴史がある。社会党から支持者をひきはがすための政策だったと考えられてるそうだ。
一方、社会党は再分配政策が政党の柱になっており、大きな政府派なのでリベラルとは呼べない。これを引き継いだ民進党も再配分政党である。
「経済に対する介入は最低限に止めるが市場の失敗は監視する」というのが本来のリベラルなのだが、年金受給者が多いので、今の日本でそれをやると多分政権は潰れてしまうだろう。だから日本にはリベラル政党は存在しえない。それを望む人がいないからだ。
ここまででもややこしいのに最近では他の要素も加わり混乱しているようである。この文章を書くのにいろいろな解釈を見て回ったが、いちばん混乱していたのは次のような図式だった。

  • 右派=愛国者=保守主義者
  • 左派=売国奴=社会主義者=中国・韓国=リベラル=革新

どうも中国が悪の帝国に見えているようなのだが、民進党への非難を見ているとこれが一般的な見方なのかもしれないなあと思える。
中国はもともと共産主義国家だったのだが、実質的に資本主義に転換した。しかし完全な市場経済は受け入れずに共産党がコントロールする形になっている。ある程度の年齢の人たちは、西側(自由主義経済)・東側(共産主義経済)みたいな印象があり、さらに、自由主義は旧態依然としているのだが、共産主義は未だに実現していない理想を追求する途中過程だったのだということをなんとなく理解している。だが、今の人たちには中国=理想を追求する国という図式は成り立たないはずだ。ちなみに北朝鮮の憲法を読むと多くの日本人が喜びそうなことが書いてある。理想を追求している(だが実際には全く破綻してしまっている)のが北朝鮮なのだ。
しかも、現在の日本共産党の支持者の人たちは高齢者ばかりで守旧派である。共産主義そのものも遥か昔に否定されており革新には見えない。マルクス教の信者なのですというのが正しい見方なのかもしれない。
現在の日本で一番リベラルに近い人たちは維新だと言える。基本的に自由主義者で国家が市場に介入するのを嫌っている。彼らは英語で言うと「リフォームパーティー」なのだが、革新という言葉が左派的な色彩を帯びているので、その言葉を避けて維新と言っているのだろう。さらに彼らの政策が維新なのは、実は日本が社会主義化した国だからなのだ。
一方、大きな政府を支持している(地方への国の関与などが主な政策である)ように思える人たちは自由党を名乗っている。
自民党にいたってはやっていることがめちゃくちゃでよくわからない。プラグマティックな政党なので利権の保持を軸にしているからなのではないかと思うが、それだけでもないように思える。混乱の原因は「公益」という概念で国家事業を意識しているからだろう。家族という集団を使って人を国家に組み入れようという思想は、明治政府が国防を国家事業と捉えていたからだが、一方で社会主義的な保証を切り捨てて自由主義経済を導入しようともしている。彼らにとって国家事業とは何なのだろうかと問うてみても答えは得られそうにない。

  • 小さな政府:年金医療の縮小、TPPの導入、農協の改革
  • 大きな政府:年金社会保障政策の維持、農家への保証

そう考えると、日本人はなんとなく格好良く見える言葉を選んで適当に使っているというのが正しいのかもしれない。ただ、政治家の中には真面目に考えて自分の名前を決めている人もいるようなので「全部でたらめなんだろう」という前提でお話をすると痛い目にあうかもしれない。一応、来歴を知った上で使いたい。

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