上野厚労政務官の辞任 – 自民党はたぶん内側から崩壊する

上野厚労政務官の辞任というニュースが飛び込んできた。いわゆる「文春砲」で秘書があっせん収賄を匂わせる音声記録を文春に持ち込んだというケースである。内閣や政党の崩壊は中から進むんだろうなあと思った。






まず、この件について野党の追求が世論の支持を集めることはなさそうだ。官邸側も慣れっこになっているようで田崎史郎さんにテレビで説明をさせていた。官邸側が「政府と切り離してさえしまえばあとはどうとでもなる」と考えていることがわかる。

田崎さんは実際には大量の口利きなどできるはずはないから斡旋はなかったのではないかと言っていた。田崎さんがこう言っているということは取材が終わっていて官邸も大筋で了承しているということなのだろう。あとは厚生労働省側が「そんな話はない」といって資料を破棄してしまえばそれで終わってしまう。あったかなかったかはわからないがとにかく話としては終わってしまうのだ。

あと残るのは詐欺の可能性であるが、政権の立場からみると「政治家が説明責任を果たすべき」で終わってしまう。これで切り離し完了である。

そこで気になるのは上野さんのポジションである。上野さんは清和研(現在の主流派)なのだが「外様」なのだ。そして選挙に強くない。コマとして活躍できなければ切り捨てられてしまう人なのである。

官僚出身の上野さんは代議士の娘と結婚する。代議士はみんなの党から出馬しようとしたが公認されなかった。そのため娘婿である上野さんが名前を継いで立候補した。当時の読売新聞の記事の引用がところどころに残っている。渡辺喜美さんは名前も継いでよかったねというようなことを言っていたそうである。

ところが上野さんはあまり選挙には強くなったようで比例代表でなければ選挙に受からないという状態に陥った。比例頼みということは大きな政党に所属していなければ生き残れないので維新の党(渡辺喜美さんについて行ったのかもしれない)に移籍し、最終的に自民党町村派に所属することになった。家督を継ぐために養子をとり藩を渡り歩くというようなことが現代の日本でも時々起きているらしい。

TBSで見た田崎さんのストーリーでは上野さんはお金と支持者に困っていたのではないかということになっていた。「自民党は新規会員を集めなれけばならないノルマがあり」そのために「少額づつお金を集めようとしたのではないか」という説明だった。

町村派にいると言っても出自からして数合わせのための存在に過ぎないのだろう。自民党はライバルがいないので候補者を集めてこなければならない。そしてこういう基盤の弱い人は自分たちがかかえ込むに限る。ただし、何かあった時に面倒を見たり庇ったりすることはない。つまり安倍政権の強固さを背景にした冷たい関係が成立しているのである。

田崎説に従うと支持基盤のない上野さんは200万円の金と新規党員獲得に困っていたようだ。そして困窮しているのは多分上野さんだけではないだろう。つまりこうした人たちがいろいろな「創意工夫」で暴走している可能性は大いにある。そして上野さんの例でわかるように露見しても議員辞職はしなくて良い。だから、こうした行為は病気のように自民党内で蔓延するだろう。政策に強いいわゆる「保守本流」や石破さんたちの新派閥ではこんなことは起こりそうにない。ある程度倫理力がないと組織が保たないからである。

野党は「あっせん収賄の疑いがある」と騒いでいるのだが、あっせん収賄が証明できなかった場合のプランBについては考えていないようだ。つまり騒ぐだけ騒いで終わりになって「ああまたか」と思われる可能性が高い。そして野党が何か決定的なことを見つけないとマスコミは乗らないし有権者は騒がない。裏を返せば「野党が騒ぎマスコミが揺れる」ところまでは問題は膨らむということである。もちろんどれくらいの時間がかかるかはわからないのだが、ブレーキがないのだからそれは確実に進行するだろう。

上野宏史氏は東大を出てハーバード大学にも留学している。官僚になったこともありかなり頭が良い人なのだということがわかる。ただ、有権者は政策ではなく「上野さんの家の娘婿だ」という理由で票を入れている。あのお家のことはよく知っているから何かあれば面倒を見てくれるのではと思っている人が多いのかもしれないし、そこまで深く考えずに票を入れている人も多いのだろう。そして上野さんが政策で重用される可能性はない。武闘派の保守傍流は政策など気にしない。だから上野さんの才能が活きることはない。極めて残酷な話である。

そして、有権者は「なんとなく安心だから」という理由で票は入れてくれるが「保守の敵陣営に勝たなければならない」という動機はないし、政策も気にしない。つまり、上野さんは地元からも経済的支援も政策への理解も得られない。勝ちすぎた自民党にはそういう人がたくさんいるはずだ。ある意味才能の墓場と言える。トップである安倍首相の考える「ボクの政策」を支持するためのコマに過ぎないのだ。こんななか倫理観が働くはずはない。個人の論理では動けないから、良し悪しの判断を個人でしなくなってしまうからである。そ

経済的な困窮とブレーキのなさが合わさると内側から崩れるのが早まるのかなと思う。その時に野党の受け皿はできていないわけだからかなり大変なことになるだろう。小選挙区制度を導入し党の権限も強化したはずなのに昭和末期から平成にかけての政界再編騒ぎみたいなことがまた起こるだろうということになる。

日本の政党政治にはなんらかの欠陥がありそれが修正されていないのだろう。多分欠陥とは個人の考えを擦り合わせた上で社会化するというプロセスそのものだ。そう考えると自民党が破壊される前に議会制民主主義そのものが野党も巻き込んで壊れてしまうのかもしれない。

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自民党の迷走する入試改革

安倍政権の政策の進め方がどんどん雑になっている。どうしてこうなったのか?と思うのだがカウンターになる選択肢がないためタガが外れているのかもしれない。今度は入試改革だ。受験生が各地で政治家や官僚に直訴するという事例が増えているという。だがお恥ずかしいことに全く知らなかった。






このニュースを知ったきっかけは柴山大臣が炎上しているというスポーツ紙の記事だった。表現の自由で問題になる発言をされたらしい。選挙演説でヤジってくる観衆を力づくで押さえつけたというのである。

ただこれもテレビではニュースとしては扱われておらずTwitterで知ったことをきっかけに何が起きているのかを調べる必要があった。

テレビはパンとサーカス状態になっている。面倒なことから目をそらし誰かを犠牲にして庶民の憂さ晴らしの材料を提供しているだけである。この日は防災情報そっちのけで韓国の政治スキャンダルについて長々と扱っていた。日本人は誰も傷つかないから安心して叩けるのだろうなあと思うが電波の無駄遣いでしかない。

まず見つけたのが英語の民間試験をやめてほしいというものだった。民間の試験を使って実用的な英語を覚えるという目的はそれほど悪いものではないと思う。TOEFLを勉強すればアメリカの学校に通える英語力がつく。そしてその英語はアカデミックイングリッシュと呼ばれる実際に役に立つ英語である。改革の趣旨は良かった。だが、そのやり方は乱暴極まりない。

記事を読むと都道府県によっては受けられないテストもあるらしい。民間の試験会場に行ってくださいというものだからである。これでは学生が躊躇するのも当たり前だろう。さらに選択肢が複数ある。大学側からするとお互いに英語の実力が比べられない状態になるわけで混乱するのは当たり前だ。

テレビがちゃんと扱わないからこんなことになるのだと思ったのだが、野党側が火をつけようとした形跡はある。Quoraで調べたところ6月にこんな回答が出ていた。「反対運動は起きているがどこの団体が主催したものかわからない」とするものがあった。野党側がいろいろ仕掛けたものの一つなのかもしれないなあと思う。これまで有権者を切り捨て続けてきた野党には炎上騒ぎを起こす以外に国民に訴える選択肢はない。そして炎上しない案件はすべて忘れ去られてしまうのだろう。結局当事者たちが混乱の最中に放り出されることになる。

そうなると当事者たちは直接声をあげるしかないのだが、日本では声をあげた人をルールブレーカーとして叩いていいという社会的風習がある。「真面目な庶民」の憂さ晴らしの道具になってしまうのである。

こんななかとんでもないことが起きた。柴山文部科学大臣に民間試験の廃止を訴える野次を飛ばした男性が取り押さえられたというのである。政府に反対の立場を取ることが多いい東京新聞はどんな野次だったのかを伝えているが、NHKは野次の内容や相手側の言い分は伝えず柴山大臣のコメントだけを報道した。そしてそれがとても恐ろしい内容である。

自民党の代議士がうっすらと信じている「自分たちは支配者でありどこまでの人権がお前らにふさわしいのかは俺たちが決める」という本音が見え隠れする。つまり天賦人権などこの国では単なる建前だと言っており、それをNHKは無批判で流している。入試改革も「俺たちが決めてやったんだから黙って従え」ということなのだろう。

柴山文部科学大臣は閣議のあとの記者会見で、今月24日に選挙応援のために行った街頭演説の際、「大声でどなる声が響いてきた」としたうえで、「表現の自由は、最大限保障されなければいけないが、権利として保障されているとは言えないのではないか」と述べました。

街頭演説でどなる声 柴山文科相「大声出す権利 保障されない」

表現の自由は誰かが保障する類のものではないし権力者が勝手に決めて良いものではない。特に権力にあるものが自身への批判についてコメントする場合には、かならずどんな批判だったのかを伝えるのが民主主義国家のジャーナリズムの基本だろう。しかしNHKはそのことが分かっておらず、またこれを受け取った視聴者たちもきっと何が問題だったのかを認識しないはずである。日本では民主主義は建前に過ぎないということになる。

柴山大臣は「大集団になるまで黙っていろというのか?」と反論しているが

そもそもそれが集会の自由である。大集団になっても権力がそれを差し止めるべきではない。民主主義には極めて戦闘的な一面がある。つまり「殺し合い」や「財産の奪い合い」はしないが、言論では闘争的になる可能性があるということである。

しかも日刊ゲンダイをみると野次を飛ばしたのは慶応大学の学生であったそうだ。その声に賛同をする高校生もいるが柴山大臣はそれを「威力業務妨害にならないように」と脅しているそうである。権力には黙って従え、さもなくば懲罰が降るぞと言っているのだが、それがそのまま問題視されないところまで我々の国は来てしまっている。

もちろん心情として対立を嫌う日本人が闘争的民主主義を全て受け入れる必要はないだろう。フランスや韓国など激しい民主主義の形を嫌う人たちは多いだろう。だが、少なくとも権力にいる人たちが「これを言ってはおしまい」だし、本音と建前を分けてしまうと何が問題なのかがわからなくなってしまう。

ただ、一歩引いた目で見るとちょっと違った景色が見えてくる。性急な改革の裏には「配下の国会議員を喰わせるためにはなりふり構っていられない」という事情もあるのだろう。もう利益誘導を隠していられる余裕はないのである。暴走寸前なのだが自制心は働かないだろう。民主主義は建前だから破っても良いと思っている人を止めてくれるブレーキはどこにもないのだ。

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トランプ大統領 – 気に入らないものは全部壊してやる!

G7が大混乱したようだ。混乱を引き起こしたのはトランプ大統領である。事前に共同声明が出せないことが問題になっていたが実際の混乱ぶりはそれ以上だったようだ。特に目立ったのがアメリカとヨーロッパの対立である。






まず、イランのザリフ外務大臣がフランスを訪問しマクロン大統領らと会談した。ヨーロッパの高官たちと会談したことからヨーロッパがアメリカとイランが緊張関係になることを望んでいないことがわかる。この訪問は一部の関係者にしか知らされていなかったようだ。なぜマクロン大統領がこのような行動に出たかを書いている記事は見つからなかったのだが、トランプに敵対的と思われるブルームバーグはこう書いている。

Zarif is a lightning rod for the Trump administration, which sanctioned him personally just recently and heavily restricted his movements during a recent visit to New York. Macron had wanted to shake up the summit, and he has already angered the American side, which accused him of trying to manipulate the agenda to embarrass Trump.

Macron Invites Iran’s Zarif to G-7 Sidelines, Risks U.S. Outrage

トランプ政権はザリフ外相がアメリカに入国できないようにしており、ザリフ外相は国連で外交に参加できない。マクロン大統領はこのことを知っていてトランプ政権を揺るがそうとしたのではないかという観測である。

記事が言っているようにアメリカ側は「G7を使ってトランプ大統領をはずかしめようとしている」と考えて当然だろう。さらにマクロン大統領は共同声明が出せない無能なリーダーであるという印象を払拭したかったのかもしれない。朝日新聞はイランとアメリカが対話するきっかけを作れたというマクロン大統領の総括を紹介している。マクロン大統領がトランプ大統領に苛立っている様子はわかるし、民主主義国のリーダーが政権維持のためになりふり構わなくなっている様子もわかる。

意趣返しとしてトランプ大統領はロシアを復帰させてはと提案したようである。クリミアをめぐってロシアとヨーロッパは対立しているので、これは嫌がらせになる。ヨーロッパはこの問題で絶対に折り合えないからだ。結局この問題は最後まで対立が続いた。

初日はトランプ氏が、ウクライナ南部クリミア半島併合を機に2014年に追放されたロシアのサミット復帰を提起。欧州側は「時期尚早」との立場で、公式発表はないものの、双方が主張をぶつけ合ったとみられる。

景気下振れ回避へ協調=ロシア復帰を協議-イラン核保有認めず・G7開幕

もともとイランの権益は英米のものだったので、今回のイラン封じ込めに熱心なのはこの2カ国である。残りのヨーロッパの国々はなんとか調停しようとしたのだろうが、イタリアもドイツも政権が崩壊途上にあるために調停に参加できない。フランスとしてはリーダーシップを示せるチャンスだったのだろう。

日本ではこれから「欧米の間を取り持って安倍首相が調整役を買って出た」というお話が流布されることになるのだろう。実際には欧米の間で右往左往しつつ自分たちの国益も満足に守れなかったことが浮き彫りになった。菅官房長官は、国の自動車関税の撤廃が見送られたことについて「米国側に押し切られたという指摘は全く当たらない」と述べ苦い表情を浮かべた。幸いなことにこれは大きな問題にはならないだろう。日本人は韓国叩きに夢中なようで内閣支持率は上がっているそうだ。

菅官房長官が苦い顔を隠さないことからわかるように、日米の会談でもかなりいろいろな問題があったようだ。まず安倍首相は朝鮮民主主義人民共和国のミサイル問題でアメリカの理解が得られなかった。今後いろいろ取り繕うことになるだろうが、トランプ大統領が地域の安全保障に興味がないということは明らかだ。日本のテレビはこれはやらないだろうと思ったのだがTBSでは恵俊彰がトランプ大統領に怒っていた。要するにアメリカは「日本の問題なんだから勝手にやれば?」と言ったのである。

首相はすぐに「常にトランプ氏とは緊密に連携している」と力説。トランプ氏は「日本の首相がどう感じるかは理解できる。シンゾーと私が首脳である限り、日米はいつも同じ考えだ」と気配りを示した。しかし、両首脳の「考え方の違い」(米側記者団)は誰の目にも明らかだ。

対北朝鮮で温度差鮮明=遠のく日米韓修復-協定破棄、議題とならず・日米首脳会談

さらに、日米貿易交渉もアメリカに妥協する形で合意がなされそうである。日本側は妥協していないように見えるために工夫しようとしたようだが、アメリカは「いいことなのですぐに発表しよう」として日本側の記者がいない中で会見を強行したようだ。自動車関税の撤廃を諦めたことを記者たちに突っ込まれないようにしたのかもしれないなどと思ってしまう。

日本が米国に要請してきた工業品の関税引き下げでは自動車本体の関税撤廃を先送りする。今回の貿易交渉とは別に、今後も協議を続ける。米国は離脱したTPPで「自動車関税を25年で撤廃する」と合意した経緯がある。

日米首脳、貿易交渉で基本合意 9月下旬に署名へ

さらに、トランプ大統領は「日米貿易交渉とは別に日本がトウモロコシを買ってくれる」と表明した。G7で何もお土産をもたせてもらえなかったトランプ大統領は日本のトウモロコシ買い付けだけを喧伝するのではないか。しかし、最近の言動からわかるように安倍首相は便利な道具扱いでトランプ大統領のパートナーと見なされることはないだろう。ネタニヤフ・イスラエル首相と違って安倍首相が選挙の集票に役に立つことはないからである。

いいところがなかった安倍首相は内閣改造を打ち出した。これは新聞・テレビにとってみれば生肉みたいなものだ。つまり、それを追っている間は内閣批判は起こらず、トウモロコシや自動車関税の件は都合よく忘れられてしまうのだ。

G7に出席中のトランプ大統領が中国に対して圧力をさらに強めたというのがABCニュースのトップニュースだった。結果的に株価が下落し円が1円69銭も高くなっている。G7は先進国の対立と経済摩擦の激化を浮き彫りにしただけだった。誰の目にも役割は終わったことがはっきりしたのではないだろうか。

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長期的国際戦略が立てられなくなったアメリカとグリーンランド買収騒ぎ

トランプ大統領がデンマーク訪問を取りやめた。すでにいくつも分析が出ているのだが、「グリーンランドが買えなくなったからだ」と言われているそうだ。実際にはデンマークの女性首相に「馬鹿げている」と言われて腹を立てたのではないかと言う観測がある。「嫌な奴(ナスティ)」と応酬したという。






このことは日本ではあまりニュースにならなかった。だが、GSOMIAの件と絡めて「アメリカは長期的な視野で安保戦略を組み立てられなくなっているのだろうなあ」と思った。デンマークは小国とはいえNATOの一員である。アメリカは同盟国を重視しなくなっているのである。というよりデンマークがアメリカの同盟国であるということをトランプ大統領はわからなかったのかもしれない。個人的なつながりが重要なトランプ大統領にとっては北朝鮮の方が近しい国なのかもしれないのである。

さらにトランプ大統領はNATOをそれほど重視していないようだ。予算を削減しようとドイツなどに圧力をかけているし、INFからも離脱してしまった。自分たちは自分たちで守ればいいという考えなのだろう。

それでも大統領の無知は看過しがたい。そもそもグリーンランドはデンマークの自治領である。自分たちの頭越しにデンマークとアメリカの間で「買収計画」が進むことなどありえない。

とはいえデンマーク政府は怒ったりしなかった。どちらかといえば大人の対応を取ったといえるだろう。笑ってごまかそうとしたのだ。すると相手にされなかったとしてトランプ大統領は逆ギレし「ナスティ」と相手側首相を名指しした。ナスティとは「ムカつく」くらいの意味である。普通の外交儀礼では出てこない言葉だ。

このニュースを聞いてまず思ったのは「グリーンランドが買いたい」というのが誰の思いつきなのかということだった。不動産屋らしい発言ではあるがあまりにも突拍子がない。さらに、これを誰も止めなかったんだなと思った。つまり、止められる人が政権内部にいないのだ。

この話はここで落ち着いたと思っていたのだが、トランプ大統領がグリーンランドにトランプタワーを建てるコラ画像を流したところで「ああ、ムカついているんだろうなあ」と思った。さらに、デンマーク行きをキャンセルしたというニュースを聞いた時「ああ、大統領の暴走を誰も止められなくなっているのだろう」という気持ちが確信に変わった。安保だけでなく外交もできなくなっているのだ。

日本ではこのニュースが流れなかったが、これを聞いたヨーロッパの人たちは多分「アメリカはもう当分あてにならないのだろうなあ」と思ったに違いない。

ところがアジアはまだアメリカを信じきっている。韓国は今回GSOMIAを離脱するにあたり「米韓同盟があるから大丈夫だ」というような説明をしたようだ。巷にはアメリカのメンツを潰したという分析をしている人がいるが、文在寅大統領はアメリカに甘えたのだと思う。

しかし、実際のトランプ大統領は思いつきで金正恩と会談し韓国まで届くミサイルを撃っても「厳密にいえば国連安保理決議違反だがみんなやっているんだからいいじゃないか」ということを言っている。全てが場当たり的である。これはトランプ大統領が朝鮮半島情勢に大した興味を持っていないということを意味しており、同時に長期的戦略ではなく個人の経験や勘に頼りきっていることがわかる。

日本のマスコミは日韓関係に夢中になっており、政府もアメリカの調停力に期待もしているのだろう。アメリカは今でも東アジア情勢に関心を持ってくれているであろうという暗黙の期待が背景にあるのかもしれない。

ご存知のように日米同盟は在韓米軍の後方基地であるというのが暗黙の前提になっている。保守の人たちは口が裂けても言わないだろうが在日米軍の存在価値はそこにあり、アメリカに付随して動く自衛隊もその枠組みの中にある。今の政府が集団的自衛権の議論にこだわっていたのは、日米同盟(日本の領域が枠組みになった集団的自衛体制だ)を徐々に朝鮮半島からインド洋にまで広げたかったからだろう。

つまり、アメリカが朝鮮半島に興味を失うということは日米同盟にも興味を失うということだし、今ある自衛隊の改憲議論も土台から崩れるということを意味する。つまり、ここから先、保守の人たちはこのことをうすうす感じつつ表向きは絶対にそれを認めないという立ち位置に立つことになる。左派は自分たちが国内世論から見捨てられていることを知って護憲にしがみついたが、右派もこれからそうなるだろうということだ。

保守の人たちはアメリカがあてにならないということがわかっていつつアメリカを前提にした議論を続けようとするだろうし、いわゆるリベラルという人たちもその議論に依存しており反対を続けるのだろう。彼らがどちらとも「1mmも妥協できない」と主張するのは実は議論の土台がもはや有効でないということを知っているからなのかもしれない。そして残りの人たちはその無駄な議論に付き合わされることになるだろう。

こうなったら、この状況を前提に一度改憲議論をしてみればいいと思う。つまり、実際に議論が破綻するまで彼らはそれを認めようとしないだろうからだ。

トランプ大統領が長期的視野を持てなくなっているのは嘆かわしいことなのだが、よく考えてみればアメリカの国際戦略は対共産党シフトだった。経済圏としての共産圏は消えてしまったのだからもはや意味がないシフトなのだ。アメリカが国内や中南米の共産化を防ぎたかった気持ちはわかるが、なぜアジアまで面倒を見なければならないと思い込んでしまったのか、改めて考えてみるとよくわからない。

贅沢を言えばアメリカにはソフトランディングしてほしかったがトランプ大統領のような破壊者が現れるのは時間の問題だったのかもしれない。

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賊反荷杖 – なぜ日本人は韓国人を信頼できないのか

韓国がついにGSOMIAを破棄した。ついにここまで来たかという気がする。これについて日本は毅然とした態度を取るべきだろう。背景には韓国の甘えがあるからだ。だがその毅然とした対応というのは今までの「毅然」とは異なるはずだ。






このところ日韓の関係がなぜ悪化したのかについて考えている。もともと引き金を引いたのは日本側である。安倍政権が選挙期間を前に貿易問題を慰安婦問題とリンクさせた発言をしたのが起点である。支持者向けのうちわの話だったのだろうが、瞬く間に大きくなった。

しかし、文在寅政権側もこれを利用したい思惑があったのだろう。大統領が賊反荷杖(盗人が反対に鞭を振り上げるという意味)という言葉を使い日本を挑発した。韓国を擁護したい人たちはあれは誤訳だといって憤って見せたが「賊」という言葉が入っている以上完全に誤訳とは言えない。

一方で、日本に詳しい韓国人がいうように「それが単なるノリだった」というのも本当のところだと思う。これが今回の一番ややこしいところなのだがちょっと説明しなければわからないのではないかと思う。日本に詳しい韓国人はこのことがわかってはいるが同時に説明が難しいとも思っているのではないだろうか。

最近、この日韓のすれ違いがわかる番組を見た。製作陣が演者に対して「あいつは詐欺師である」と憤っているというシーンだ。盗人呼ばわりしたのはプロデューサーで盗人呼ばわりされたのは俳優である。この二人はこの番組でウマがあったのか、その後いくつものバラエティ番組を一緒に作っている。

以下は「花よりおじいさんスペイン編」のナ・ヨンソクPDと俳優イ・ソジンの会話である。

ナ・ヨンソクPDは立て替えていたお金を返してもらいたい。しかしイ・ソジンはこの先の予算が不安なのでお金を少しでも残しておきたい。ナ・ヨンソクPDは必死になり「イ・ソジンは詐欺師だ」と周りに触れて回るのである。そこでおじいさんたち(往年の名優たちだ)は「事情が分からないから深入りしたくない」とか「イ・ソジンは良家の息子なのだから詐欺師のはずはない」と言って距離を置こうとする。するとナ・ヨンソクPDは「育ちのいい詐欺師だ!」と言い放つ。これが成立するのはナ・ヨンソクがトンセン(弟分)だからなのではないかと思う。

テレビ番組でお金をめぐって詐欺だ泥棒だというのは日本人から考えるととても受け入れがたい気がする。ところが韓国ではこれが成立する。なぜかというと二人の関係をなんとなく視聴者が知っているからである。つまり韓国ではある程度関係ができるとわりとなんでも言って良いことになってしまうようなのだ。

二人の間にはスタッフと演者という上下関係があるが、年齢はイ・ソジンの方がちょっと上でありヒョン(兄)と呼ばれている。イソ・ジンは主演格の有名俳優なのだがここでは「おじいさんたちの荷物持ち」になっている。だが、ニューヨーク大学出身で外国に慣れていてガイドや荷物持ちがとても得意だという側面もある。

PDは演者に失敗してもらいたいので無茶なことをお願いするが、料理がうまいなどといって演者をおだてたりもしている。つまり「詐欺師」というのはじゃれ合っている証拠でもある。だが、イ・ソジンは本気でムッとしており、これが単に洒落や冗談ではないこともわかる。

これは日本のバラエティとは明らかに様子が違っている。日本人は個人的な人間関係よりも社会が作る上下関係を優先する。そして上の立場から下のものを「いじり」下が怒ってきたら「シャレやがな」といって相手にしないというようなことがある。人間関係が問題を吸収できないので問題そのものをなかったことにしてしまう。

予算を減らすにあたって当初イ・ソジンとおじいさんたちはこれまでと同じ予算を交渉で勝ち取るのだが、PD側はお金にうるさいイ・ソジンをわざと1日遅れて到着させ、おじいさんの一人に少ない予算を騙して渡してしまう。韓国人はこれを「面白い」と思うのだろう。

ところが、番組側もホテル代の立て替えや入場料の立て替えをしているし、法人クレジットカードを予約に使わせたりしている。つまり、お金のやり取りは日本よりもかなり雑である。個人と個人の間に線を弾きたがる日本人は絶対にこんなことはしないはずだ。

ここからわかるのは日本人と韓国人は個人の距離の取り方が全く異なっているということである。日本人は個人と個人の間に線が引きたいので交渉を嫌がるのだが、韓国人は親密さを示すために交渉をしたがるのだ。この個人の間の関係性の違いがお互いに信頼できないという印象を作っているのではないかと思う。日本人と韓国人の間では調整が可能だが、社会と社会・国と国となるとどうも距離の取り方が難しくなる。

文在寅政権が日本の戦後処理は間違っていると話を蒸し返すのも、日本人が考えるほど深刻な話ではないかもしれない。今回韓国が特に甘えているのはアメリカである。アメリカに対して「米韓関係は今回のディールとは関係なく健在ですよね」というシグナルを送っている。もちろん個人主義の度合いの高いアメリカがどのような反応を示すのかはわからないのだが、形式上は韓国に基地を置き地域の安全にコミットしている。日本に対して気軽に「賊」という言葉を使ってしまうのも甘えの表れなのかもしれないのだが、相手がどのように受け止めるかはまるで考えていない。

「言いたいことがいい合える」のが親密な人間関係だと韓国人は感じているのだろうが日本人がそれに応える必要はない。ただ、ここで罵ったりするのは実は逆効果である。罵るのは「情がある」証拠だからだ。一度仕組みが分かってしまえばそんなに難しいことではないのだろうが日本はこの先もこの問題を間違え続けるのではないかと思う。あとはアメリカの対応である。アメリカが指導や注意をすれば韓国は「ああ情があるのだな」と考えて安心してしまうであろう。

私はこれからも韓国の番組を好きで見るだろうし韓国人を悪い人たちだとも思わない。だがすべての日本人がそう感じる必要はないし、面倒なら距離をおくべきだと思う。いずれにせよ、文化を知らないことには対応を誤る可能性はある。「日本の政府も韓国のバラエティ番組をみればいいのに」と気軽に閉めようと思っていたのだが、まさかGSOMIA破棄とは思わなかった。

アメリカも世界の警察でいることに意味を見出せなくなっているようなので、この先このほころびはかなり深刻な問題を引き起こすのだろう。だが、こうなったからにはいたずらに相手を非難せず淡々と対応するしかない。このことは最終的には朝鮮半島情勢を軸に組み立てられてきた地域の安全保障環境を変えてしまうように見える。

つまり当時の安全保障情勢を基盤に政権を取ってきた自民党の終わりの始まりの可能性があるということになり、それはすなわち野党の対消滅も意味する。

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貧弱な歴史教育の犠牲者としての私たち日本人

日韓関係を見ていて「俺が全て悪いのか」という心理状態に着地した。つまり一つ謝ってしまうとどこまでも謝らなければならないという恐怖心があり謝罪を難しくしているのではないかという仮説を作ったことになる。






しかし、この仮説で一つ疑問に思ったことがある。植民地支配の歴史を紐解くと、日本だけが特別悪辣なことをしているわけでもない。なのになぜ日本人はそれに気がつかないのだろうという疑問である。

謝罪において重要なのは「相手のペースで謝らない」という点のようだ。特に植民地支配のような力で力を支配するというような関係の場合、相手が大きくなってくるとそのうち力では抑えられなくなることが予想される。そこで「恨まれないように手放すか」が重要になる。自らを解放者であり援助者であるというように位置づけをし直すというのがヨーロッパのやり方だ。もちろん経済移民の流入という対価はそれなりに大きいが、多分戦略としてはある程度成功したのだろう。

ここでやり方を間違えて第三者の介入を許してしまったのが日本である。敗戦後の清算は歴史解釈を勝者に任せるという意味では圧倒的に不利だ。ただ、ここでも実は歴史は日本の味方をしている。欧州列強は行きがかり上でも列強に入ったお友達を見捨てることはなかったのである。だから日本もそれに従っていればよかった。実際に日本はそのあとG7に加えられ「国際貢献する側」の国としてそれなりに丁重に扱われてきた。

中華民国(今の台湾だ)は戦後秩序の構築に加えてもらったが、朝鮮半島はそれができなかった。朝鮮半島からしてみると自分たちが知らないところで勝手に決着がつけられたことになる。しかし、それは日本がうまくマネージすべき問題だった。他の欧米各国もそれなりに事情は抱えていて、それなりにうまくやっている。

ここで「単に日本だけが悪者だったのではない」と言っただけでホッとする人が多いのは、そもそも外国人に非難されるという経験がないからだろう。「外国も似たようなことをしていますよ」というだけでホッとして状況を冷静に見ることができるようになるのだ。

では、日本人はなぜ歴史の解釈や意味づけがうまくできないのだろうと考えた。どうやら歴史教育に問題があるのではないかと思う。いろいろ考えたところ、日本史と世界史がリンクしていないことが問題なのではないかと思った。日本人は世界の歴史と自国の歴史をバラバラに学ぶのだ。このため鉄を求めて朝鮮半島経営に関わっていた時代と近現代のことがうまく理解できない。日本だけが悪いものというわけではないが、やはり周辺諸国に迷惑をかけたのも事実である。これが理解できないのである。

世界ではどうなっているのだろうと思いQuoraでも質問をしてみたが回答はつかなかった。アメリカの事例を調べたところ面白いことがわかった。そもそもアメリカには国定の教科書はなく「アメリカ史」「中南米史」「ヨーロッパ史」などとバラバラに教わるようだ。そしていくつか単位をとって卒業する。さらに高校になるとディスカッション形式で「なぜそれが起きたのか」を研究するようになっているのだという。日本のようにひたすら出来事を暗記することはないようだ。

日本で歴史を学ぶとそれぞれの出来事がバラバラに記憶され相互連携が取れない。そのためその出来事の意味づけがわからないままで卒業を迎えることになる。そして普通の人はそれ以降歴史を勉強しないし、勉強しても出来事を覚えるだけで相互の関係性についてはあまり考えない。これでは「その出来事がいいことなのか悪いことなのか」というような評価を個々に下すことしかできなくなってしまうだろう。

そう考えてみると、例えば「南京大虐殺はなかった」という人が個別のデータにやたらにこだわる理由がわかる。彼らは結論が先にあり都合の良いデータを集めるのだが、それはそもそも歴史を通じた意味づけや他の事例について知識と興味がないからなのかもしれない。

つまり、多くの日本人にとって歴史というのはデータの集まりであって情報ではない。単に無秩序の出来事の集合体であり、なおかつ自国の歴史と世界史がどう連携しているのかということも全くわからない。そこで韓国や中国から「歴史を見ないものは」などと言われると、もうどうしていいかわからなくなるのだろう。

そう考えると、反省までいかないにしても過去を見ないことがいかに愚かなことなのかがわかる。ある意味反省する力を機会を取り上げられたまま無意識の罪悪感と緊張を強いられているとも言える。我々は貧弱な歴史教育の犠牲者だと言えるのかもしれない。

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なぜ日本の戦争責任の議論はぐちゃぐちゃになるのか

先日、第二次世界大戦は侵略戦争だったのかという議論に回答した。回答していて「納得感は得られないだろうなあ」と思った。日本人が考えているオトシマエのつけ方と世界の考え方があまりにも違うからである。






そこで別の立場から回答を書いたところ高評価をたくさんもらった。これはこれで勘違いされているんだろうなあと思う。日本だけが悪いわけではないという回答なのだが、日本だけが悪いわけではないのだから反省しなくてもいいというように捉えられるのではないかと思ったのだ。この辺りが「空気が支配する社会」の難しさだ。集団圧力ですべてが決まってしまうので、内省・総括が起こりにくいという特性があるようだ。

日本人は多分この議論で「侵略戦争は悪いことだから謝罪してしまうと近隣国に頭が上がらなくなる」と考えているのではないかと思う。日本人は一度間違えた人はとことん叩いてもいいことになっている。それが次の掟破りの唯一の抑止力になっているのである。善悪の基準を内部に作らないので、結果的に騒ぎになったことが再び起こらないように抑止力が働くのだろう。そして、侵略戦争は悪いことに決まっているのでありそんなことをする人は悪い人なのだということになると、侵略事実そのものが認められない。

ところが欧米ではそうは考えない。例えばイギリスはインドを独立させてあげたことになっていて賠償はしていない。アメリカが独立した時も経済的な問題は話し合っていないそうだ。アメリカの場合は複雑で、実際に独立した人たちは白人であり征服者だった。つまり謝罪は現地にいた人たちになされなければならない。

例えば、アメリカ人はハワイ王国で革命を起こし最終的にハワイを併合してしまっている。勝手にルールを決めてアジア系とハワイ系の投票権を奪ってから「民主的に」王を追い込んだのだそうである。後になって謝罪はしたが補償はしていないようだ。つまりごめんなさいとは言ったが経済的な責任は取らなかった。決議は「今後もよく話し合ってくださいね」というだけである。同じようなあいまいな決着は本土のネイティブアメリカンとの間にも結ばれているようだ。

大陸欧州も同じようなことをしている。

ベルギーはコンゴを支配してかなりひどいことをした。最初は王様の私的なプロジェクトでありのちにあまりにもひどすぎるということになった。しかしベルギーはコンゴに経済的な補償はしていないはずである。フランスはハイチが独立した時に経済封鎖をしてハイチに賠償金を支払わせている。「奴隷所有者の権利を侵害したから所有者に賠償しろ」というのだ。ハイチは経済封鎖されており貿易ができなかった。だから山林を切り開いて木材を売ったそうだ。そのため今でもハイチは極貧国であり山は禿山になっているそうだ。やっていることがメチャクチャなのだ。

共通点は「その場その場で交渉をしてケリをつけている」という点である。そのため条約を結んで講和を確定してしまう。そして交渉が完全でなければ過去に遡って謝罪はするのだが経済的な賠償までは認めない。

「侵略戦争が悪い」となったのは、植民地獲得戦争に収拾がつかなくなり戦線がヨーロッパに拡張した上に非白人国家(つまり日本のことだ)まで参入してしまったからだろう。ヨーロッパの名誉クラブだった主権国家が非白人国に波及すれば収拾がつかなくなる。各地の植民地が賠償を求めて主権国家として戦争を起こせば多額の賠償も要求されかねない。そこで「植民地獲得は悪いことだったからみんなでやめましょう」という空気を作り、植民地を解放して「あげた」ことにした。

この時、東京裁判では旧植民地(インドとフィリピンが入っている)にコミットさせた上で、日本は悪いことをしたと断罪した。だが賠償責任だけは負わせなかった。日本は「なんだか助かった」と思ったのかもしれないが、そんなことをすればヨーロッパの国々は旧植民地からの訴訟リスクにさらされることになる。つまり、日本は自分たちが犠牲になってヨーロッパの総括・清算にお付き合いしたという事情がある。

つまり、ヨーロッパは自ら解放してあげたのだから賠償してあげなくてもいいが、日本はその機会を奪われたことになる。その上欧米は「日本からアジアを解放してあげた」ということにもなっている。

歴史を調べるのは楽しかったのだが、こんなことをいくら調べても日本人には響かないだろうなあと思った。例示したら例示したで「植民地賠償しないというのが国際法上正解なのだ」と言い出す人が出てきそうだ。つまり日本は悪くないという議論が展開されるのだろう。日本人はどこまでも「何が正解で、どっちが良くてどっちが悪いんだ」ということを知りたがる。

実際には日本だけでなくどの国も植民地に多かれ少なかれひどいことをしている。日本の場合は植民地と呼ぶのは感じが悪いからそう呼ぶのはやめておこうという配慮もあったようで朝鮮半島など「外地」の扱いなどがかなりあいまいになっている。だがそれも内向きの理屈であり非支配地には意味のない話だ。

欧米先進国は「その場その場で状況を確定させつつ、利権も確保しつつ、後で蒸し返されないようにいろいろ協力してあげる」というようなことをしている。つまり、旧植民地との関係をマネジメントしつつ現在の主権国家体制を維持している。

日本も本来なら過去にやったことは間違っていたと謝罪した上で、経済問題はきっちりと線引きをすべきだった。だが、このあいまいさに日本人自身が耐えられなかったのだろう。政権内部にも「全部悪くなかった」などと言い出す人が出てきた。すると「日本は全然反省していないではないか」とこれを利用する人たちが出てくる。

日本は行きがかり上列強になってしまったという歴史がある。だがこの事実が消えるわけではない。今からでも冷静に歴史を学び直してより良いご近所付き合いの方法を学ぶ必要がある。そのためには「全面的にいい国も悪い国もない」ということから認識をあらたにすべきではないだろうか。

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香港とれいわ新選組 – 気に入らない政治決定に従わないのはズルいのか

香港のプロテスターが170万人を超えたそうだ。イギリスでは香港人にイギリス市民権を発行すべきだという議論があるそうである。ガーディアンが伝えており、日本語でも補足記事が出ている。






もし香港にイギリス人がいるということになればイギリスは保護名目で香港に干渉できるようになる。だがこれはクリミア半島にロシア人を送り込んで「住民の意思でロシア帰属を決めさせた」というのと同じことである。ハワイも同じような理屈でハワイ王国から独立した。本土から白人が大勢押しかけてルールを変えて「民主的に」ハワイを独立させたのである。つまり、また「いつもと同じやり口」新たな国際紛争が生まれることになる。

とはいえ、香港を全く見過ごすわけには行かない。彼らは民主主義・自由主義という新しい宗教に触れたいわば自由主義社会の同士である。自由主義社会は信仰告白の意味も込めて、なんらかの連帯を示す必要があると考えて当然である。

原因になっているのが中国的な限定的民主主義であることは明らかだ。香港にも普通選挙制度はあるそうだが親中国的な職能団体によって「補正」されてしまう。だからいつまでたっても不信感がおさまらない。ゆえにこの問題を根本的に解決するためには香港に完全な自治権を与えなければならないことになる。「逃亡犯条例はもうやりませんよ」などといくら言っても無駄なのである。

この件について「香港のデモは一部住民のわがままである」という論評が聞かれる。日本は体制維持派と体制不満派がいつまでも折り合わないという勢力図が長い間固定されている。このため不満派に対する蔑視感情があるのだろう。不満派といっても実際には日本の経済体制には組み込まれていた。彼らは正社員であり組合を組織することができていたからである。

普通選挙には住民を結果にコミットさせることにより暴動を抑えるという役割を持っている。権力者目線に立つと「主権者的な満足感を演出しつつうまく管理する」ことが重要になるわけだ。

日本では普通選挙が実施されているのだから、本来的には国民が主権者である。だから、国民は結果が気に入らなくても結果責任を受け入れなければならない。内政の場合は経済政策の失敗を受け入れなければならず、日本が他国に対して加害者になった場合も加害者責任を問われる。そして責任を問われるのは政府ではなく国民である。

日本の場合第二次世界大戦の総括をしておらず、戦前の主権者である天皇は責任をとらなかった。このため主権者というものがどのような存在なのかということは議論されておらず、主権者意識は薄い。それでも本来的には選挙に行かなかったからといって主権者の責任からは逃れられない。よく「難しいことはわからないから選挙には行かない」という話がさも当然のように語られるが、そんな理屈は通らないはずなのだ。

ところが日本では面白い現象が起きている。れいわ新選組の支持率が共産党と並んだそうだ。投票率が50%を取った選挙というのは「この政治には関わりたくない」という人が半数を超えているということである。彼らは選択肢がないと諦めていたが選挙後にれいわ新選組を見て新しいソリューションを見つけたことになる。

理屈上主権者責任を問われるとはいえ、小選挙区制のもとでは選択肢は限られている。そしてほとんどは結果が決まった出来レースである。政治家も土着的理解で民主主義を扱っているが、有権者も土着的に「そんなの関係ない」と思っている。だが、正社員中心の経済構造が崩れるに従って足元から「出来レース的な政治」が溶け始めている。

れいわ新選組によって「永田町プロレス」が通じなくなるというところに惹かれるインテリ層も多いようだ。それくらい潜在的な破壊願望が強いのだが、どういうわけか日本人はシステムを内側から簒奪して欲しいと考えるようだ。つまり、正規のプロセスに従って政治を撹乱してもらいたがっているのである。ただ、選挙中にTwitterでみたレスポンスは「目からうろこが落ちた」とか「涙が出た」など感情的なものが多かった。実は感情的な反応なのだが合理的な演出を好むというところに日本人らしさがあるように思える。

選挙の前にはれいわ新選組がほとんど語られることはなかったのだが、選挙後露出が増えたので初めて認知したという人も多いのだろう。実際はともかく山本太郎代表のパリッとしたスーツ姿をみて「意外と筋が通っている」と感じた人も多かったのかもしれない。あれだけで支持率が二倍になるということが起きてしまったのだ。

有権者が政治に興味を持たずかといって表立って抗議もしないという状況下、二大政党制で選択肢を限るのは永田町にとっては都合が良い制度のはずだった。だがそれは「普通選挙制度」そのものを危うくしているのかもしれない。有権者は建前通りには動いてくれない。実質的には香港と同じような状態が生まれつつある。いつまでも政治に納得しない層が出始めているのである。

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天皇でさえ逆らえなかった「空気」と主権者意識

昭和天皇は何を語ったのか ~初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」~を見た。時節柄問題が多いなあと思ったのだが、Twitterではそれほど評判にはならなかったようだ。






筋自体は単純である。宮内庁初代長官の残していた記録を元に昭和天皇が自身の戦争責任について国民に訴えかけようとしたが、それを吉田茂に止められたというものである。これだけを見ると「昭和天皇は戦争について反省したがっていたのに吉田に邪魔されてかわいそう」という像が得られる。つまり吉田が悪いということになる。

どうしても時節柄NHKはこの問題を利用してどう世論操作をしようとしているのだろうなどと思ってしまう。すると全てが疑わしく見える。吉田は経済を優先しアメリカの防衛力を「利用しようとしていた」と得意げに語る場面がインサートされている。一方、昭和天皇は改憲・再軍備派であり吉田にそのことを言った方がいいのではないかとして長官らに制止されている。象徴なので政治的発言はできませんよということである。

この憲法改正の件は「反省を制止された」という筋とは直接関係がないので、逆にこれを言いたかったのでは?などと思ってしまった。つまり、天皇は改憲派だったのだから改憲すべきだという主張に読めるのだ。

NHKがなぜこのような構成にしたのかはわからない。安倍政権に忖度したのかもしれないが、逆に護憲派に利用されるのを防ぎたかったからなのかもしれないとも思える。

番組は、戦争を止められなかったのは軍が下克上で天皇の意に沿わなかったからという筋立てになっている。つまり、軍というのは暴走するから憲法第9条は改正すべきではないという護憲派に「政治的に利用される」可能性がある。番組では軍が悪いわけではなく軍閥が悪いというような言い方になっている。現行憲法は内閣が責任を持ち自衛隊には権限がないのでこの点はクリアになる。

なぜ、NHKが特定の人たちの政治的宣伝のために作ったのではないと思える部分もある。保守に評判が悪い東京裁判史観がそのまま入っており、これは保守の人たちにとっては攻撃材料になるだろう。南京大虐殺は所与の事実として扱われて、天皇はそれに憤っている。

ではなぜ天皇は戦争を止められなかったのか。権限の上では大権がありなんでもできたはずだった。昭和天皇はこれを「勢の赴くところ」と言っている。つまり「そういう空気ができていて誰も逆らえなかった」というのだ。さらに、開戦時にも今や不幸にして米英両国と釁端(きんたん)を開くに至る。洵(まこと)に已むを得ざるものあり。豈朕が志ならんや。」と言っているそうだ。不幸にして戦争になっちゃったが仕方がなかったのでありこれが私の志であるはずがあろうか?という意味だそうだ。

番組の中では、開戦の時に「仕方ないけど本意じゃなかった」と言っているから再独立時にも「反省している」と言えばわかってもらえるんじゃないかというようなことが延々と話し合っている。そして、最終的には「本意じゃなかったかもしれないけど、ハンコを押しちゃったんだから仕方ないですよね」と決着する。長官は民間出身でありの契約という概念を理解していたが戦前の宮中にはそれがなかったということになる。

繰り返しになるが、天皇は唯一の主権者であり何者にも制約を受けない存在だった。その天皇が「そういう空気があったから仕方なく戦争に突入した」と言っているわけだ。

主権というのは自己決定権の事を意味するらしい。唯一の主権者であった天皇すら国家の命運についての自己決定ができなかったことになる。党派を越えて冷静な意見を持った元老を失ったという背景もあるのだろうが、当時の日本は勢いと集団圧力が実質的な主権者になっているということがわかる。

昭和天皇はこれを国民と一緒に反省する機会を奪われた。つまり主権者が勢いに飲まれて戦争加害者になりまた国内では戦争被害者になったということを総括しなかったということになる。そして吉田茂は「もう終わっちゃったんだし暗いことはナシナシ」とばかりにそれを忘れ去ろうとした。

次に戦争が起こり日本が加害者になれば、それを決めたのは我々ということになる。日本では国民一人ひとりが主権者だからである。当時の天皇が置かれていた状況と今の状況は似ている。党派対立ばかりが激化し冷静な判断力を持ったカウンセラーのような人がいない。いずれにせよ次に「それ」があった時にも我々は「勢いに乗って決めたわけで我々のせいではない」というだろう。

仮に「やむをえない戦争」というものがあったと仮定する。その戦争は犠牲者を生むだろうからその責は意思決定者が負わなければならない。結果に責任を持つといわないと周囲から信頼してもらえないからだ。だから、先の大戦において主権者の責任が曖昧なまま放置されたことは、多分日本の再軍備議論が進まない一因になっていると思う。それは「これからも我々が我々の意思決定に責任を持つかどうかはわかりませんよ」と言っているのと同じことだからである。

例えば参議院で政党を禁止して党派性のない人たちを選ぶというような解決策を取れば、少なくとも党派対立によって勢いで物事と決めるということはなくなるだろう。つまり、反省も適切に行えば(つまり指差し合戦に終わらなければ)多分解決策はいくらでも出てくるのだ。

その意味では「憲法を変えたって別に何も変わりませんよ」と言っているあの言葉がいかに重大なものなのかということはよく考えたほうがよさそうだ。何かを変えるということはそれなりの責任を負うということだからであるが、そんなことはないから気軽に決めてくださいと言っているからである。

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東京湾の水質汚染 – 日本人はどうにもならないものを前にどう取り繕うのか

パラリンピックテスト大会のスイムが中止になったそうだ。大腸菌の濃度が二倍だったという。そもそもよくそんなところで大会を開こうと思ったなと感じた。






不思議だなあと思ったのはこれが元環境大臣が都知事を務める東京で起こったということである。小池都知事のTwitterを見てみたがこの件については取り上げられていなかった。多分興味がないのだろう。実行側も「想定内だった」と言っているので数値以下だったら汚くとも強行しようとしていたんだろうなあと思う。選手というのは兵隊と同じでイベントのためのコマなんだなと思った。

前回はマラソンスイムのテスト大会で「水が臭い」という文句がでていたというがなんとか取り繕った。これについては東京都もIOCも問題を把握していたという記事が出ている。都市排水と下水が一緒になっているので雨水と汚水が一緒に溢れ出してしまうのだそうだ。日本は一度公害問題を克服した国なのだが、もはやそれは過去の話なのかもしれない。だが、パラリンピックの記事を見ると「これから原因を突き止める」と言っている。つじつまが合わないので「知らなかった」と言って逃げているんだろうなあなどと考えてしまう。

この件について謎のウェブサイトがTwitterに上がってきた。ある港区議員のウェブサイトの情報をもとに構成されていて「対策ができていない」という内容になっている。

しかしその議員(榎本茂)の公式ウェブサイトを見ると「自分が当選するまで問題は放置されていたがもう大丈夫」と書かれている。人口が急増したために下水処理施設が間に合わず処理能力以上の汚水はそのまま流しているというところまでは一緒だが「対策はしているから大丈夫だ」というのである。ところがいつ完成するかは書かれていない。つまり、オリンピックまでには間に合わないだろうということである。

榎本議員はどうやら選挙で小池百合子陣営と協力体制にあるらしく都政に批判的なことは書かれていない。一方、Facebookには「対策を要請した」というページが見つかった。ただここでは「屋形船のせい」ということになっていて、都市の排水問題の根本二ついての対策は書かれていない。言い方は悪いが屋形船を引き合いに出して「やっている感」を出そうとしているのだろう。だが、この人は港区の区議なのだからできることは限られている。

小池都知事を筆頭に、この件について直接的に責任を取ろうという人はいないようだ。オリンピックはやらなければならないという大枠の空気はできていて、それを選挙に勝ったという背景を持つ知事が支えている。小池百合子さんという個人を超えて「そのときの選挙の空気」がその後の数年間を支配するという構造である。「私は空気とルールに従ってちゃんとやっています」という日本型土着民主主義だ。

オリンピックはその都市がようやく先進国としてオリンピックが開催できるようになったということを宣伝する装置として機能してきた。今回のオリンピックは日本はもはやそのようなプロジェクトを遂行する力はないのだということを内外に知らしめるための装置として働くのだろう。

かといって誰も責任は取らない。「だって仕方がない」からである。仕方がないとはつまり自分はリーダーシップを取るつもりはないということなので、リーダーシップの不在とも思えるが下手に手を出したら「あいつに才覚がないからできなかった」と非難されかねない。問題解決が難しくなったとき火中の栗を拾う人はいない。

中には東北沖の魚は放射能汚染されているとして輸入規制をしている国もあるそうだ。東京を離れて太平洋岸のどこかで大会を開催するという代替案も考えられなくはないが、今後は安倍首相のいった「アンダーコントロール」は東アジアでは信頼されていない。福島県によると今でも規制している国は中国・台湾・韓国などアジアの国が多いようだ。

日本人が「だって仕方がないじゃないか」と考えるのは「まあ仕方がないなあ」と周りの国も思っているのだろう。だったら自分たちは日本を排除して粛々とやって行こうと考えているのかもしれないなあと思う。

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