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朝日新聞の凋落と維新の会の躍進

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先日来、Quoraはまだあいちトリエンナーレの件で盛り上がっている。これを見ているうちになぜ彼らは執拗にこの件に固執するのかがわからなくなってきた。そして橋下徹さんのTweetをみて疑問が氷解した。

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橋下さんは天皇の肖像画が燃やされた件を「あなたたちへの攻撃」と付け替えている。つまり天皇は自分たちの先祖だと置き換えた上で「お前らの先祖」を焼いて見せるべきだというのである。橋下さんがとても上手だなと思うのは「津田ら」の先祖を焼いてみろと言っているという点だ。非論理的に津田らを「我々」から除外している。道徳心・「我々のフレーミング操作」なのでポピュリズム手法ということになるだろう。

ただ、橋下さんがこれを意図的にやっているとは思えない。これが橋下さんの強みなのではないかと思う。彼は大衆が何を望むのかということをよく知っているのである。そしてこのことからポピュリズムが必ずしも悪のレッテルでないということもわかる。ポピュリズム自体は単なる動員力であり、問題はその背景だ。

維新の弱みはこれが産業振興などに結びつかないところである。大衆動員が産業と結びつけば豊かさの再創出につながるはずだが、大阪はこれに成功しなかった。このため大阪は家電や繊維産業の後継になる企業誘致ができていない。だが彼らは官製イベントを導入したり敵を見つけて戦ったりして、ある程度の満足感を大阪府民・市民に与えている。

慰安婦少女像の要点は、旧日本陸軍の行為に対する批判から我々への批判に付け替えたところなのだろう。慰安婦少女像に怒っている人たちはどうやら韓国人が日本人を屈辱していると置き換えているようだ。Quoraでは慰安婦少女像の代わりにコーランを燃やしてもいいのかと質問する人もいたが、慰安婦少女像は我々の振興の対象ではないと書いたところで彼らは聞き入れないだろう。いったん心象が出来上がると日本人はそこから出てくることはできない。

Quoraでは韓国人を主語にした質問が繰り返し上がっている。実際に韓国人全部が反日教育で日本攻撃に動員されているという事実はないので、却ってそれを証明しようとして躍起になるのだろう。ただ、この軋轢はだんだん大きくなってきており7月から8月にかけてのニュースをみると実際に「日本製品を買ったりするのは控えなければならないのではないか」という空気が生まれているようである。ただ運動が加熱しすぎると困るのでテレビのニュースではどこまでが合法かという情報まで流していた。

維新は大阪では人気があるようだが、それ以外の地域には広がっていない。今回動員できた人たちは「自分たちこそが主流派なのだ」と信じているので、立憲民主党に代表される左派リベラルからの引き剝がしには成功したものの、維新へは向かわず自民党を信仰するようになってしまった。維新の元気の良いやり方は自民党の穏健層を離反させるので自民党と一体化することもできない。

SPAとSAPIOのようなバブル崩壊後日本に民族主義をもたらした雑誌も商業的には成功しなかったようだ。SPAは扶桑社という産経系でSAPIOは小学館だそうだ。彼らが攻撃対象にしたのは商売敵である朝日・インテリリベラル層だった。朝日新聞は「反日新聞だ」と思わせるところまでは成功したようだが、雑誌を応援する人も現れず無料で読めるネット情報に流れたのだろう。

維新が目をつけたのは「インテリリベラルへの反発」である。ではインテリリベラルとは何だったのだろうか。

早稲田大学のような例外はあるが、東京の有名大学にはフランス法学校系やキリスト教系のリベラルな学校が多い。関西もそうだろう。つまり西洋にキャッチアップする過程で西洋を精神的な理想にした学校が多かったのだ。だが、その背後には数で勝る日大のような大学がある。日大はフランス法学校系の大学への対抗上作られた国学という伝統を持っているそうだがが、戦後急速に大衆化した。これといった思想的背景はなく社会の実務層を支える人材を輩出した学校である。

つまり日本の社会は、官僚を輩出する東大・京大/西洋型インテリリベラル/思想的背景を持たないその他大学という三重構造があると言える。キャッチアップ型をマネージャーレベルで支えたのがインテリリベラル層だった。つまりキャッチアップの必要性がなくなったのでインテリリベラル層も消えてしまったのだ。残ったのは現状維持欲求が強い実務者層だ。

日本の言論界は官僚にはなれないが理想主義を持ったインテリリベラルが政治家や実務系の人たちを少し「下に見る」という時代が長かった。例えば、新聞では朝日新聞、テレビではTBSなどがそれにあたる。だが朝日新聞に代表されるインテリリベラルは社会改革には熱心ではなかった。やはりその点では既得権者だったことになるだろう。恵まれた立ち位置から社会を嘆いていただけだったと見なされた。

日本の成長に陰りが見え始めた時、インテリリベラルに蔑まれてきた「普通の人たち」が雑誌によってもたらされた「自分たちこそが正当な日本という国の担い手なのだ」という価値観に影響を受けるようになる。ただ、プレ民主党の時代、雑誌系保守思想と自民党は結びついていなかった。

結局、理想主義の結果として出てきた民主党が2009年の政権交代に失敗してしまいインテリリベラルの息の根は止められてしまう。結局「既存の空論ばかりで何もできなかったではないか」というわけである。

そこでインテリこそが守旧派であり改革を阻害しているという付け替えが行われるようになった。それが維新という言葉である。自分たちが実務派でありインテリは言葉ばかりで何もしてくれないというイメージ作りだ。ただ彼らは自分たちでは理論構築ができなかったので理論そのものは別のところから輸入した。

維新という言葉はもともと大前研一が作り出した用語である。維新勢力は大前に接近するがのちに大前を「口だけインテリである」と批判するようになる。そして、地方自治と維新という言葉の正当な後継者は自分たちであると宣言した。これは2012年に安倍政権が政権を奪還してから3年後の2015年のTweetだ。

維新のような野党には実際の分配はできないのだから「絶え間ない戦い」を継続するために支持者たちを鼓舞し続ける必要がある。今回の表現の自由騒ぎもその燃料の一つとして利用されたのだろう。この議論が何かを解決することはないだろうが、支持者たちに自分たちこそが正当な社会の担い手であるという印象と満足感を与えることはできる。

ただ、そのためには社会の異物が必要だ。その異物は戦前には非国民と呼ばれ、現在では反日と呼ばれる。多様性の排除はヨーロッパやアメリカにも見られる「ありふれた」現象だが各地で危険な軋轢を引き起こしている。今回の騒ぎはそのプレビューのようなものなのかもしれない。

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