日韓関係が悪くなっているようだ。もともと仕掛けたのは日本だが、韓国が喧嘩を買ってしまい「民族で団結するのだ!」と言いだした。
専門家によると今までのように落とし所がないのが特徴のようである。日本側も「喧嘩を売られたら買え」とばかりに大変なことになっている。国交断絶という声まで自民党から出ているという。アメリカは朝鮮半島問題で日本の協力を当てにしているだろうからそんなことはできるはずもない。それくらい頭に血が上っているのか、あるいはそれが受けると思っているかどちらかなのだろう。背景にはまとまりを見出せなくなった社会が「日本人」という最後のつながりに頼らざるをえないという事情がある。
これだけをみていると「日韓関係の問題」でしかないが、このところ二国間対立は強まっている。実は同じようなことがいろいろなところで起きているのだ。ついに香港のデモは人民解放軍投入が噂され始めた。Newsweekの記事には天安門事件やウィグル弾圧といったワードが並んでいる。
記事の中に「エスノナショナリズム」という言葉が出てくる。記事は「中国のエスノナショナリズム的暴力」という表現で中華人民共和国を批判しているが、実際には香港人の間にも民主主義・中国人という大陸とは違ったアイデンティティがある。中国から見ると台湾と香港が結びつきかねないという状況である。
多民族化に耐えかねた国家が民族単位に揺り戻すというような現象である。インドではカシミール地方の自治権が剥奪されたという。ここはヒンズー教とイスラム教の対立の前線になっている。
モディ首相の与党インド人民党(BJP)はヒンズー至上主義を掲げており、全国で唯一イスラム教徒が多い同州の自治権の剥奪を主張してきた。
カシミールの自治権剥奪 印パ対立激化も
アメリカが白人主義を掲げた大統領の元に結束しつつあるように、実はインドにもヒンズーナショナリズムが起きていることになる。日本では情報が少なく何が起きているのかがわからない。AFPは軍隊が投入され、政治家が拘束され、集会の自由も認められなくなったという記事を配信している。
アメリカのニュースは週末大量殺人事件について繰り返し報道していた。トランプ大統領が掲げる白人主義が生んだ悲劇であるという非難が行われている。しかし、一旦始まった対立はなかなか収まりそうにない。ここにも「できるだけ多くのメキシコ人を撃ちたかった」という不吉な発言がある。移民国家として成立したアメリカの中に「白人国家」を作ろうという動きが出てきてもおかしくないような状況になっているのかもしれない。
アメリカは別の緊張も抱える。株価が急落したというのである。FRBが金利を下げたからだろと思っていたのだが中国との関係が緊張しているのだと日経新聞は伝えている。きっかけになったのはトランプ大統領の発令した追加関税だという。その報復として人民元を切り下げたのだろうというのだ。トランプ大統領は為替操作国中国がアメリカから仕事と金を奪った!と憤っている。他国を泥棒呼ばわりしているのだが、これがアメリカの中華系の人たちにどのような影響が出るのかという点が気になる。これも経済問題のように見えるが「ナショナリズム」を背景とした対立である。
Based on the historic currency manipulation by China, it is now even more obvious to everyone that Americans are not paying for the Tariffs – they are being paid for compliments of China, and the U.S. is taking in tens of Billions of Dollars! China has always….
— Donald J. Trump (@realDonaldTrump) August 5, 2019
そういえば、韓国の文在寅大統領も日本を賊呼ばわりした。日本を名指しして賊反荷杖だと憤ったのである。泥棒(賊)が反対に鞭を振り上げることをいうそうで、これを「盗人猛々しい」と訳したのが適切かと議論になった。ただ、これが「居直り」という意味であっても、日本を賊指定したという事実は消えない。この言葉を検索すると竹島問題の時に韓国の高官が使ったという記事が検索できた。だが、公の場で一国を名指しして「賊」扱いするというのはなんともいただけない話である。だが、文在寅大統領はこれを北側との融和路線と結びつけようとしている。他民族は賊と一緒というのも実はエスのナショナリズムなのだ。
津田大介さんのあいちトリエンナーレの話をした時に「話し合える雰囲気ではなくなっている」ということを書いたのだが、実は国際世論も含めてどうやら世界全体が浮き足立っているようである。特徴的なのは「調停」が全くないという点だ。人々が違いを問題だと考えるようになったとき、調停者は誰もいなくなる。だからこそ国連が作られ世界は多様性を目指すことになった。その記憶が薄れ去り、かつてと同じ間違いが繰り返されるかもしれない。
こうした事態がいつまで続くのかはわからないのだが、調停者がいない以上理性的な話し合いはできない。背景には経済の行き詰まりがあると思うのだが、状況が発火してしまうと合理的な分析は全く役に立たない。ただただ身を低くして嵐が収まるのを待つしかないのかもしれない。これが戦争状態の恐ろしさである。