ざっくり解説 時々深掘り

システムによって内部から破壊される日本社会

時々アメリカABCのストリーミングをテレビっぽくしてみている。日本の感覚から見るとかなり極端なものが多い。個人社会なので個人が追い込まれると救いがなくなってしまうようだ。だが、アメリカでは例えばセラピーなどが発達していると聞く。もともと個人社会なので個人がやり直すようなルートも準備されている。

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日本はかつては優しい人工集団の社会だった。中国や韓国のような血族・地縁の集団ではなく、アメリカのような個人社会でもない。似た経験を持つ人があつまる優しい集団の内部では話し合いの必要はない。なんとなくみんなわかりあえるからである。

日本の不具合は終身雇用が失われ地域社会もなくなりこの優しい集団が崩壊しているところから来るのだろうなあなどと思っていた。だが、そこで行き詰ってしまったので、ちょっとどこかに出かけようと思った。

天気が良かったので海に遊びに行こうと思って電車に乗った。海岸線は工事中でちょっとがっかりしたのだが、まあ海を見ることができたのはよかった。

バスはプールに行く人が多く、楽しそうだ。みんなで会話をしながら海岸に向かっている。家族連れと高校生くらいの団体が多い。

ところが帰りの電車の中で「あれ?」と思った。みんな下を向いてスマホを操作しているのである。ボックスシートになっている車両には2人組が座っていてみな荷物を置いて他人がくるのをブロックしている。

システムは機能的に動いているので「日本に不具合がある」などと言っても誰も信じないだろうなあと思った。土着的民主主義について書いたときもレスポンスはあまりなかった。「土着であろうがなんであろうが機能しているならそれでいいじゃないか」という気持ちがあるのだろう。機能しているのであれば憲法が形骸化して表現の自由が無視されても別にそれはそれで構わないと思う。

でもどこかに問題があるんだろうなあということを考えていた。そこでスマホに目を落として会話を拒否している人たちを見て「ああ、目の前の人たちと経験を共有したり合意したりすることはもう日本では起こらないんだ」と思った。

スマホは問題ではないようだ。楽しい共通目的があれば人はスマホをそれほど見ない。問題はそういう楽しい共通目的がない人たちである。自分の好きなものだけを見て生活できるようになっているのだなあと思った。だから自分と意見が違う人たちと対話ができないのだろう。動いているシステムに乗っている分には快適だがそこから外れると途端に苦労を強いられる。融通がまったく効かないからだ。

そんなことを考えていて自分にもそういう側面があるなあと思った。

図書館の分館に行ってみたのだが頼んでいた本はまだ届いていなかった。新しく入ってきたらしい係員が「本が来たらメールでおしらせします」と言ってきたので無視した。実はメールは本が到着してから数時間後にならないと送られてこない。そしてメールが送られるとすぐに図書館は閉まってしまうので取りに行けないのだ。なぜそうなっているかはわからないがとにかくそう設計されている。

普段は改めて次の日に取りに行くのだが明日は休日で分館はやっていない。だから本を手に入れるのはしばらく先になってしまう。ただ、それを説明しても係員は「ふーん」としか思わないだろうし、彼女にはシステムは変えられない。

ただ、こちらも仕組みを知っているのであと30分も待てば仕分け作業が始まり本のコンピュータ登録が終わることがわかっている。ゆえに図書館係員のいうことを無視して自分でシステム通りに人を動かせばいいことになる。実はしばらくそうしているので古くからいる人はそのことを知っている。そして、係員はこちらがシステムに乗っているとそれに従わなければならない。これは、どちらかといえばゲームに近い。そして、実際にこのゲームは毎回成功する。システムに乗っている人が正義だからである。

このシステムが動かせないがそれに従うと人を動かせてしまうという仕組みを念頭におくと今まで説明できなかったことがよくわかる。

これまで憲法改正について、憲法を理解しない人が憲法議論をするのが問題なのだと思っていたのだが、憲法もかつてはうまく機能していたシステムのようなもので、制度設計をし直して合意が結べないことが問題なのだろうなと思った。憲法は基礎設計からやり直さなければならないので法律よりも難易度が高い。法律の設計を官僚に任せている自民党には基礎設計をやる能力はないだろうし、官僚は部分部分しか見ていないので基礎設計はできないだろう。だから日本では憲法が本質的に変えられないのだ。

だから政権側としてはシステムをハックしてうまく動いているように見せたほうが楽だ。今回の対イラン有志連合でもそうするだろう。だが、ハックするとそれが不信感をうむ。だからシステムはさらに動かせなくなる。立憲民主党側はシステムを変更させないゲームをやるだろう。極めて不毛だがシステムを守るべきだという呪縛には根強いものがあり、これは一定程度成功するのではないか。立憲民主党も新しいシステムは作れないが、システムを相手の有利にさせない作戦は成功する。日本人は現状維持バイアスが極めて強いからである。

れいわ新選組も障害者福祉についていろいろ要求してきたが議論の対象にすらしてもらえなかった。政治の仕組みを知っているように見えた(実はもう古い仕組みしか知らないのだが)小沢一郎と組んで見たがそれもうまく行かない。最終的に行き着いたのは自民党が党利党略のために作った仕組みをハックすることだった。一旦国会議員として重度障害者を送り込んでしまえば皆それに従わざるをえなくなるし異論も封じられる。よく考えてみればこの制度ももともとあまり意味のない「県」という制度を温存するために作られたハッキングルールである。

N国は「NHKをぶっ潰す」という絶対にNHKでは放送できないフレーズを国政選挙というルールに乗ることで放送させることに成功した。NHKがスクランブル化されることはほぼ絶対にありえないだろうがシステムを利用してできないことをやったというだけで満足する人は出てくる。

ある時点までうまくいっていたシステムはやがて動かなくなる。だが、ある日突然止まるわけではなく、徐々にそのシステムでは解決できない問題が増えてゆくという形で我々を苦しめる。

ところが日本人はなぜか話し合って設計をし直そうということにはならず、システムのハックと機能強化で乗り切ろうとする。その度に大騒ぎが起こるが人々は根本的なマインドセットを改めない。

システムを変えるための制度設計に着手できない日本人は多分システムを利用した愉快犯に翻弄されることになるだろう。だが、このままではそれを止めることは多分できない。なぜならば隣の人と話し合うということが一切できないからだ。

問題解決にはつながらないがこれがわかってなんだかちょっとすっきりした。海に出かけてよかったと思う。

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