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香港とれいわ新選組 – 気に入らない政治決定に従わないのはズルいのか

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香港のプロテスターが170万人を超えたそうだ。イギリスでは香港人にイギリス市民権を発行すべきだという議論があるそうである。ガーディアンが伝えており、日本語でも補足記事が出ている。

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もし香港にイギリス人がいるということになればイギリスは保護名目で香港に干渉できるようになる。だがこれはクリミア半島にロシア人を送り込んで「住民の意思でロシア帰属を決めさせた」というのと同じことである。ハワイも同じような理屈でハワイ王国から独立した。本土から白人が大勢押しかけてルールを変えて「民主的に」ハワイを独立させたのである。つまり、また「いつもと同じやり口」新たな国際紛争が生まれることになる。

とはいえ、香港を全く見過ごすわけには行かない。彼らは民主主義・自由主義という新しい宗教に触れたいわば自由主義社会の同士である。自由主義社会は信仰告白の意味も込めて、なんらかの連帯を示す必要があると考えて当然である。

原因になっているのが中国的な限定的民主主義であることは明らかだ。香港にも普通選挙制度はあるそうだが親中国的な職能団体によって「補正」されてしまう。だからいつまでたっても不信感がおさまらない。ゆえにこの問題を根本的に解決するためには香港に完全な自治権を与えなければならないことになる。「逃亡犯条例はもうやりませんよ」などといくら言っても無駄なのである。

この件について「香港のデモは一部住民のわがままである」という論評が聞かれる。日本は体制維持派と体制不満派がいつまでも折り合わないという勢力図が長い間固定されている。このため不満派に対する蔑視感情があるのだろう。不満派といっても実際には日本の経済体制には組み込まれていた。彼らは正社員であり組合を組織することができていたからである。

普通選挙には住民を結果にコミットさせることにより暴動を抑えるという役割を持っている。権力者目線に立つと「主権者的な満足感を演出しつつうまく管理する」ことが重要になるわけだ。

日本では普通選挙が実施されているのだから、本来的には国民が主権者である。だから、国民は結果が気に入らなくても結果責任を受け入れなければならない。内政の場合は経済政策の失敗を受け入れなければならず、日本が他国に対して加害者になった場合も加害者責任を問われる。そして責任を問われるのは政府ではなく国民である。

日本の場合第二次世界大戦の総括をしておらず、戦前の主権者である天皇は責任をとらなかった。このため主権者というものがどのような存在なのかということは議論されておらず、主権者意識は薄い。それでも本来的には選挙に行かなかったからといって主権者の責任からは逃れられない。よく「難しいことはわからないから選挙には行かない」という話がさも当然のように語られるが、そんな理屈は通らないはずなのだ。

ところが日本では面白い現象が起きている。れいわ新選組の支持率が共産党と並んだそうだ。投票率が50%を取った選挙というのは「この政治には関わりたくない」という人が半数を超えているということである。彼らは選択肢がないと諦めていたが選挙後にれいわ新選組を見て新しいソリューションを見つけたことになる。

理屈上主権者責任を問われるとはいえ、小選挙区制のもとでは選択肢は限られている。そしてほとんどは結果が決まった出来レースである。政治家も土着的理解で民主主義を扱っているが、有権者も土着的に「そんなの関係ない」と思っている。だが、正社員中心の経済構造が崩れるに従って足元から「出来レース的な政治」が溶け始めている。

れいわ新選組によって「永田町プロレス」が通じなくなるというところに惹かれるインテリ層も多いようだ。それくらい潜在的な破壊願望が強いのだが、どういうわけか日本人はシステムを内側から簒奪して欲しいと考えるようだ。つまり、正規のプロセスに従って政治を撹乱してもらいたがっているのである。ただ、選挙中にTwitterでみたレスポンスは「目からうろこが落ちた」とか「涙が出た」など感情的なものが多かった。実は感情的な反応なのだが合理的な演出を好むというところに日本人らしさがあるように思える。

選挙の前にはれいわ新選組がほとんど語られることはなかったのだが、選挙後露出が増えたので初めて認知したという人も多いのだろう。実際はともかく山本太郎代表のパリッとしたスーツ姿をみて「意外と筋が通っている」と感じた人も多かったのかもしれない。あれだけで支持率が二倍になるということが起きてしまったのだ。

有権者が政治に興味を持たずかといって表立って抗議もしないという状況下、二大政党制で選択肢を限るのは永田町にとっては都合が良い制度のはずだった。だがそれは「普通選挙制度」そのものを危うくしているのかもしれない。有権者は建前通りには動いてくれない。実質的には香港と同じような状態が生まれつつある。いつまでも政治に納得しない層が出始めているのである。

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