ざっくり解説 時々深掘り

賊反荷杖 – なぜ日本人は韓国人を信頼できないのか

カテゴリー:

韓国がついにGSOMIAを破棄した。ついにここまで来たかという気がする。これについて日本は毅然とした態度を取るべきだろう。背景には韓国の甘えがあるからだ。だがその毅然とした対応というのは今までの「毅然」とは異なるはずだ。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






このところ日韓の関係がなぜ悪化したのかについて考えている。もともと引き金を引いたのは日本側である。安倍政権が選挙期間を前に貿易問題を慰安婦問題とリンクさせた発言をしたのが起点である。支持者向けのうちわの話だったのだろうが、瞬く間に大きくなった。

しかし、文在寅政権側もこれを利用したい思惑があったのだろう。大統領が賊反荷杖(盗人が反対に鞭を振り上げるという意味)という言葉を使い日本を挑発した。韓国を擁護したい人たちはあれは誤訳だといって憤って見せたが「賊」という言葉が入っている以上完全に誤訳とは言えない。

一方で、日本に詳しい韓国人がいうように「それが単なるノリだった」というのも本当のところだと思う。これが今回の一番ややこしいところなのだがちょっと説明しなければわからないのではないかと思う。日本に詳しい韓国人はこのことがわかってはいるが同時に説明が難しいとも思っているのではないだろうか。

最近、この日韓のすれ違いがわかる番組を見た。製作陣が演者に対して「あいつは詐欺師である」と憤っているというシーンだ。盗人呼ばわりしたのはプロデューサーで盗人呼ばわりされたのは俳優である。この二人はこの番組でウマがあったのか、その後いくつものバラエティ番組を一緒に作っている。

以下は「花よりおじいさんスペイン編」のナ・ヨンソクPDと俳優イ・ソジンの会話である。

ナ・ヨンソクPDは立て替えていたお金を返してもらいたい。しかしイ・ソジンはこの先の予算が不安なのでお金を少しでも残しておきたい。ナ・ヨンソクPDは必死になり「イ・ソジンは詐欺師だ」と周りに触れて回るのである。そこでおじいさんたち(往年の名優たちだ)は「事情が分からないから深入りしたくない」とか「イ・ソジンは良家の息子なのだから詐欺師のはずはない」と言って距離を置こうとする。するとナ・ヨンソクPDは「育ちのいい詐欺師だ!」と言い放つ。これが成立するのはナ・ヨンソクがトンセン(弟分)だからなのではないかと思う。

テレビ番組でお金をめぐって詐欺だ泥棒だというのは日本人から考えるととても受け入れがたい気がする。ところが韓国ではこれが成立する。なぜかというと二人の関係をなんとなく視聴者が知っているからである。つまり韓国ではある程度関係ができるとわりとなんでも言って良いことになってしまうようなのだ。

二人の間にはスタッフと演者という上下関係があるが、年齢はイ・ソジンの方がちょっと上でありヒョン(兄)と呼ばれている。イソ・ジンは主演格の有名俳優なのだがここでは「おじいさんたちの荷物持ち」になっている。だが、ニューヨーク大学出身で外国に慣れていてガイドや荷物持ちがとても得意だという側面もある。

PDは演者に失敗してもらいたいので無茶なことをお願いするが、料理がうまいなどといって演者をおだてたりもしている。つまり「詐欺師」というのはじゃれ合っている証拠でもある。だが、イ・ソジンは本気でムッとしており、これが単に洒落や冗談ではないこともわかる。

これは日本のバラエティとは明らかに様子が違っている。日本人は個人的な人間関係よりも社会が作る上下関係を優先する。そして上の立場から下のものを「いじり」下が怒ってきたら「シャレやがな」といって相手にしないというようなことがある。人間関係が問題を吸収できないので問題そのものをなかったことにしてしまう。

予算を減らすにあたって当初イ・ソジンとおじいさんたちはこれまでと同じ予算を交渉で勝ち取るのだが、PD側はお金にうるさいイ・ソジンをわざと1日遅れて到着させ、おじいさんの一人に少ない予算を騙して渡してしまう。韓国人はこれを「面白い」と思うのだろう。

ところが、番組側もホテル代の立て替えや入場料の立て替えをしているし、法人クレジットカードを予約に使わせたりしている。つまり、お金のやり取りは日本よりもかなり雑である。個人と個人の間に線を弾きたがる日本人は絶対にこんなことはしないはずだ。

ここからわかるのは日本人と韓国人は個人の距離の取り方が全く異なっているということである。日本人は個人と個人の間に線が引きたいので交渉を嫌がるのだが、韓国人は親密さを示すために交渉をしたがるのだ。この個人の間の関係性の違いがお互いに信頼できないという印象を作っているのではないかと思う。日本人と韓国人の間では調整が可能だが、社会と社会・国と国となるとどうも距離の取り方が難しくなる。

文在寅政権が日本の戦後処理は間違っていると話を蒸し返すのも、日本人が考えるほど深刻な話ではないかもしれない。今回韓国が特に甘えているのはアメリカである。アメリカに対して「米韓関係は今回のディールとは関係なく健在ですよね」というシグナルを送っている。もちろん個人主義の度合いの高いアメリカがどのような反応を示すのかはわからないのだが、形式上は韓国に基地を置き地域の安全にコミットしている。日本に対して気軽に「賊」という言葉を使ってしまうのも甘えの表れなのかもしれないのだが、相手がどのように受け止めるかはまるで考えていない。

「言いたいことがいい合える」のが親密な人間関係だと韓国人は感じているのだろうが日本人がそれに応える必要はない。ただ、ここで罵ったりするのは実は逆効果である。罵るのは「情がある」証拠だからだ。一度仕組みが分かってしまえばそんなに難しいことではないのだろうが日本はこの先もこの問題を間違え続けるのではないかと思う。あとはアメリカの対応である。アメリカが指導や注意をすれば韓国は「ああ情があるのだな」と考えて安心してしまうであろう。

私はこれからも韓国の番組を好きで見るだろうし韓国人を悪い人たちだとも思わない。だがすべての日本人がそう感じる必要はないし、面倒なら距離をおくべきだと思う。いずれにせよ、文化を知らないことには対応を誤る可能性はある。「日本の政府も韓国のバラエティ番組をみればいいのに」と気軽に閉めようと思っていたのだが、まさかGSOMIA破棄とは思わなかった。

アメリカも世界の警察でいることに意味を見出せなくなっているようなので、この先このほころびはかなり深刻な問題を引き起こすのだろう。だが、こうなったからにはいたずらに相手を非難せず淡々と対応するしかない。このことは最終的には朝鮮半島情勢を軸に組み立てられてきた地域の安全保障環境を変えてしまうように見える。

つまり当時の安全保障情勢を基盤に政権を取ってきた自民党の終わりの始まりの可能性があるということになり、それはすなわち野党の対消滅も意味する。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です