Whataboutism(お前はどうなんだ主義)とアメリカ

トランプ大統領の治世下でトランプ大統領を支えてきた人たちの景気が悪くなっているという。ITと金融は絶好調だそうだがエネルギーと製造業(製鉄や自動車)などは落ちているという。日経新聞が伝えている。






これが何を意味するのかはよくわからない。ジリ貧の産業がトランプ大統領に頼ったとも言えるし、トランプ大統領の保護主義的な政策がうまく行かなかったんだとも考えられる。つまり単純にトランプがかかわったから悪くなったとは言えない。因果関係は明らかでないがおそらくは「動的に」相関しているという感じである。

この構図は日本でも見られる。日本では地方ほど自民党を応援してきたが地方振興策はうまく行かず一極集中が続いている。「自民党を応援しなければ賃金が上がるかもしれない」という層の人たちが熱心に支持しているということもある。つまり、政治が評価できない人ほど政治に依存し、依存すればするほど経済は悪くなる。だが依存を始めた経済はそのままその政治にしがみつき説得を試みる人たちを攻撃し始める。

こういう人たちが使う手法が論点のすり替えである。日本ではブーメランと言われる手法だ。

日本経済のみならず経済は高いところから低いところに水が流れるように動いていると考えてみよう。この流れは国際的なものであり、おそらく国単位の政治では変えることはできないのだろう。日本では東京でありアメリカではITと金融に当たる。構造が変えられないとすれば、我々ができることは実は水の流れに逆らわずに泳ぐことだけなのかもしれない。

トランプ政権は「その水の流れを変えられる」と言っている。安倍政権はすでに変えたと主張した。だが、おそらくそれは本当ではない。

では、対抗勢力はどうなのだろうか。対抗勢力なら水の流れは変えられるのか。アメリカの民主党は金融とITに制限をかけると言っているそうだ。

一方、野党・民主党の左派候補は巨大IT企業の解体や、銀行・証券の分離など金融規制強化を迫る。現在は好調なハイテク・金融業だが、政治と無縁ではいられない。

「失速」トランプ4業種 保護政策でも雇用・利益減少

さらに色々考えてみて「政治=浮き輪論」というのを思いついた。

長い間泳いでくると疲れて溺れそうになってくる人が出てくる。それを助けるのは政治の使命である。ところが政治は浮き輪を選択的に投げる。つまり受け取れる人と受け取れない人が出てくる。だから人々は政治をちらちらと眺めている。浮き輪を受け取った人は岸に泳ぎ着いたら休んで再び泳がなければならない。だが実際には浮き輪に捕まって泳ぎ方を忘れてしまう。政治は泳ぐ力を奪っている。だが「浮き輪」が悪い訳ではない。単に使い方が間違っているのだ。

だが、アメリカ民主党の方は「順調に泳いでいる人がいるから、彼らの重りを乗っけよう」と言っている。つまりみんなで溺れようと言っているのである。さらに候補者が乱立して罵り合っている。日本の民主党はさらにひどい。党内が分裂して政党が消えてしまった。

ただ「浮き輪のたとえ」では細かなところがよくわからない。さらにアメリカの製造業が置かれている状況を見てみよう。かつて花形だった航空機産業である。

例えば最近ボーイング社が生産停止を発表した。当然工場は閉鎖され仕事を失う人が出てくる。ボーイング737MAXが事故を起こしたが、そのあとの対応ができなかったらしい。2019年4月には生産体制がずさんになっていたという記事も出ていた。業績を優先するあまり製造現場の管理がずさんになる。だがその被害を受けるのは結局製造部門の人たちである。

ボーイング社がなぜ競争力を落としたのかはわからないが、おそらくトランプ大統領のせいではない。経営陣も製造現場の人たちも政治に依存するのだろうがそれは一時しのぎにしかならない。お互いに協力も自助努力をしなくなった業態は価値を生み出せなくなりますます落ちてゆくことになる。

最近トランプ大統領は宇宙軍を立ち上げた。実際の脅威にはなっていないのだが、おそらく航空機産業を助ける効果はあるに違いない。そしてそれは端的に言って税金の無駄遣いでもある。

一方のロッキード・マーチン社も政治に頼っている。最近F35が問題になっている。政治力に頼って日本に割高の戦闘機を買わせているようだが「多少競争力がなくても政治が買ってくれる」と考えれば彼らは自助努力をしなくなるだろう。

日本でどのようなことが起きているのかはわからないが、日本でもおそらくは様々な業態の人たちがお互いに話し合うのをやめて「魔法のような解決策」を政治に期待するようになるのだろう。ただ、それが何なのかということは近すぎてよくわからない。

政治に頼って泳ぎ方を忘れた人たちは、明らかに無理とわかる解決策に頼ることになる。するとその浮き輪を巡って不毛な議論が盛んになる。

主要英語辞書が今年の言葉を発表した。環その中にwhataboutismというものがあった。日本語で検索すると、批判を受けた人が「別の問題を持ち出して」「お前こそどうなんだ!」と非難することをwhataboutismというそうである。日本でも政権が批判されると「ブーメランだ」と攻撃仕返し、結局何も解決しないことがあるが、アメリカでは最近トランプ支持の人たちが使うようになったそうである。現実を見たくないしみられないという人が増えているのである。

そういえば日本でも「ご飯論法」というのが流行った年があった。解決策を見つけられなかった人たちがお互いを罵りつつ浮き輪を奪い合うということが、おそらく日本でもアメリカでも起きているのだろう。

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安倍政権批判でページビューが稼げなくなった2019年

最近安倍政権の批判ものを書いてもあまりページビューが伸びなくなった。かといって野党に書いてもそもそも反応がない。これはどういうことなんだろうか?と考えた。






もともとこのブログは読んだ本の感想などを書いていた。今でもその名残が残ってていて初期の頃は食パンなどについての記事が残っている。最初は「日本が成長を目指すためにはイノベーションを加速すべきだ」などということを書いていたのだがさっぱり読まれなかった。権威がある人の正解しか読まれないのだろうと思っていたのだが、おそらくは成長やイノベーションそのものに需要がないのだろう。そのうち「政治」について書くとページビューが伸びることがわかった。この間に数年経っている。

この時点でわかったのは「キレイゴト」を信じている人はいなくて、ひたすら誰かを非難したい人が多いということだった。食パンの記事が2008年のことであるが、エントリーを見返してみたら、政治について書くようになった時にはすでに民主党政権は終わっていた。民主党政権の失敗で語られることがない側面だが今の日本人はおそらく成長や変革には興味がない。つまり民主党のいう改革には需要がなかったのだ。

ところが安倍政権がこうした鬱屈を総括しないまま政権に返り咲いたことで政権への反発心に需要が生まれる。結局、矛盾や将来不安を民主党政権に転嫁しただけだったからだ。

安倍政権は改革の失敗の後に生まれた政権である。本質的には日本は何も変わらなかったのだが、民主党の改革を非難することで安倍政権に関する批判をかわした。

最初にデタラメが露呈したのはアベノミクスの三本の矢だったのだが、集団的自衛権に関する議論ではさらなるデタラメが横行した。これがだいたい2014年のことである。アメリカの要求に対して自国の立場を説明するのに疲れた安倍政権が勝手に憲法解釈を変えてしまったのである。

さらにアベノミクスも総括されないままでデタラメがエスカレートしてゆく。単に日銀に国債を引き受けさせることを経済政策と言っていたのだが成長戦略は不発なままだった。ところがそれを反省しないで新三本の矢と言いだした。これが2015年である。これは企業・消費戦略(という名のバラマキ)を医療・子育てなどの福祉に拡大させますよというものだった。のちにこれが消費税論議と結びつけられ高等教育の無償化につながってゆく。

2016年には森友学園問題が露呈した。首相夫人と親密な関係にあった学校法人が2013年頃から国有地の価格について法外な要求をしていたことが明るみに出たという事件だった。これが露見すると政府は野党側にまともな説明をしなくなった。2017年になると首相と親密な関係にあるお友達だけに戦略特区を使って新しい獣医学部を作ってあげようとしたということがわかり国会審議が滞った。

もともとデタラメな経済政策でバラマキの原資を増やし問題を先送りにし、デタラメな憲法解釈で国会を翻弄し、そのあと身内優遇が露呈すると今度はまともな説明をしなくなった。次第に官僚の資料や記憶がなくなったりすることが増えていった。だが国民は怒らなかった。

国民が民主党政権に期待したのは自分たちが変わらずとも官僚の悪事が暴きだされれば問題が解決すると民主党が約束したからだ。安倍政権が支持されたのは「民主党が言っていたことは全部嘘で問題などなかった」と言ってくれたからである。

この間、割と安倍政権について文句を言っていればそれなりにページビューを稼ぐことができた。人々の間に「かつて機能していた政治」という記憶がありそれがあからさまに否定されてきて腹を立てたのだろうと思っていた。だが、おそらくそれは違っていたのではないかと思う。厳しい言い方をすれば偽りの改革心を持っていたことも認めたくないし、それが破綻したことも認めたくなかったのだろう。だが心配することはない。誰も自分では動きたくない。その姿勢は一貫している。

安倍政権のデタラメぶりはますますひどくなっている。だが、それは有権者の期待に全力で答えているだけの話である。つまり誰も変わりたくないのだが衰退は現実なので、誰かがごまかさざるをえない。安倍政権とはつまりそういう現象である。

今回のIRの件などを見ているとさらに利権獲得のためにはなりふり構わぬ権力闘争が起こっているのだということがわかる。だが安倍政権に対する怒りは収まりつつあるようだ。つまり国民は「政治がこの程度にデタラメでも自分たちの暮らしに影響はない」と知ってしまったのだろう。

だが皮肉なことに安倍政権は内部から崩れつつある。選挙で負けるかもしれないという恐怖心だけが自民党を一つにしていた。その重しはないとなると政治家たちは好きなように権力闘争を始めるのだ。

ということで次のネタを探さなければならないのだが、おそらく鍵は「正解」にあるのだろう。安倍政権に7年間怒り続けてきた人たちは政治には正解がありそれが安倍政権によって乱されたことに怒っていた。だが次第に正解がないことはわかりつつある。つまりもともと政治というのはデタラメなものなのである。人々が自分たちの正解を模索しようということにはならないだろうからしばらくはこのデタラメな情報をどう読んで行くかという指針が求められるはずである。

おそらく人々が自身の正解を模索し始めるのはそのあとになるのではないかと考えられる。

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IR関連の逮捕劇は安倍後を見据えた与野党再編の闘争の始まりである

IR関連で秋元司議員が逮捕された。現職国会議員が逮捕されたのは10年ぶりだなどと言っていた。このニュースを聞いているといろいろわからないことが出てくる。そこで陰謀論を導入してみることにした。こういう根拠のないことは普通の政治系コラムではできないだろうという自信はある。陰謀論を検討すると見えてくることがある。それは中国の力を利用して政権を取りたいという人たちの影である。つまりIRは実は本質ではないのである。






陰謀論に入る前に、IRの認識を確認しておきたい。やはり多くの政治家には「ギャンブル」と捉えられている。政治家たちは「日本が成長するには合理的な判断を狂わせてお金を搾り取るしかないと考えているのだ。だから日本の成長戦略の柱は資源でも製造業でもない。人を育てて科学技術立国でやってゆくなどと思っている政治家はいない。だからIRが政治闘争を生み出すきっかけになる。オリンピックで偽りの一体感を演出した後は賭け事で搾り取りたい。まさに「売国的退廃思考」であるという印象を持つ。

安倍政権が仕掛けた派閥闘争である

秋元司議員は二階派である。ここでこれが自民党の派閥争いなのではないかという仮説が成り立つ。だが相関図がわからない。二階派は安倍+菅派と東京都で小池百合子都知事の擁立を巡って対立関係にある。安倍+菅派は岸田派と広島で対立していて、二階派・岸田派・安倍+菅派は福岡で麻生派と対立しているところもある。地方で内戦状態になっていると言える。

安倍政権が仕掛けたというシナリオもいったん崩れたかに見えた。秋元さんが逮捕されてから別の議員の関係先にも捜索が入ったからだ。勝沼栄明前議員はもともと中国との関係を重視する二階派だが。白須賀貴樹議員は細田派でありつまり安倍首相のお膝元である。つまり、派閥抗争であれば二階派だけが捜索され細田派は無傷でなければならない。

窪田順生さんという人がダイヤモンドオンライン上で、安倍・麻生派閥が菅・二階派閥に対して仕掛けたという説を「噂だけどね」と唱えている。窪田さんはもともと写真週刊誌のライターさんのようだ。つまり、ここでは官邸に安倍さんに近い人たちと菅さんに近い人たちが別々に存在するということになっている。田崎史郎さんはなぜか自信ありげに「秋元さんはいかにもやりそうな人だったが細田派の議員は歯医者さんでお金には困っていない」と言っていた。

実際に秋元さんの時には入念に情報が出ていたが、今回の捜索は突然だった。「一応改めたが何も出てこなかった」という儀式かもしれない。今後の展開が注目される。

中国とアメリカという図式

これとは別の見方がある。それは中国企業に日本政府からお金が渡るのを阻止したい人たちがいるのではないかという見方だ。

東京地検特捜部が出てくると「脊髄反射的に」アメリカとの関係が噂される。

東京地検特捜部がよく知られているのが田中角栄元議員の「粛清」である。もともとロッキード事件はアメリカの議会で暴露された話からはじまっているが東京地検はロッキード社を捜査することはできなかった。田中角栄は「サウジアラビアと直接交渉しようとした」ことでアメリカの虎の尾を踏んだといわれたそうである。これもダイヤモンドオンラインで窪田順生さんが書いている。窪田さんは陰謀論の類が好きなのかもしれないし、他に書ける人がいないのかもしれない。

東京地検特捜部の前身は隠匿退蔵物資事件捜査部だそうだ。戦争で儲けた資金が政界に流れるのをGHQが止めた。そしてGHQは自分たちの息がかかった人に資金提供し現在の政治体制が作られている。東京地検特捜部は最初から政治的な存在だったのである。

最近では西松建設事件などが記憶に新しい。この時は二階ルート(自民党側)・小沢ルート(民主党側)などと言われた。この時も「特捜部が動いたということは彼らがアメリカに潰されたのだろう」などと噂された。

安倍後を見据えた与野党再編

この話をノンフィクションライターの空想だろうと一蹴できない情報がある。野党側を中村喜四郎がつないでいるという。中村喜四郎さんといえば建設大臣当時に逮捕された事件が記憶に残る。この事件は、金丸信自民党副総裁の疑惑が発端になっていて、建設大臣・茨城県知事・宮城県知事・仙台市長が逮捕されたそうである。中村さんは建設大臣だった。

自民党を離党したまま二階派に所属していたのだが、なぜかここを離れて野党の一員になっている。そこで共産党を巻き込んで野党共闘に動いていたという。この動きはウィキペディアに書いてあるのだがなぜ二階派を離れて野党に行ったのか合理的な説明はない。

ここに「二階さんが中国利権を背景に野党を巻き込んで親米自民党に対抗する勢力を作ろうとしている」のだという陰謀論を導入するとすらすらとよみとけてしまう。つまり、野党再編は中国の影響力を背景にした自民党の権力闘争だと読み解けばいいのだ。中村さんが「本当の意思を隠して共産党を含む野党に接近している」と置けば面白いスパイ物が作れる。

安倍政権は中国との関係を重視していて中国の国家主席を国賓として招く予定である。これは明らかに自民党の中にいる「親中国派」への気配りだろう。中国も安倍さんが気に入っていて今回の成都での会談の際も文在寅大統領と格の違いをつけて(文在寅さんは大統領なので本来は首相よりずっと格上だ)厚遇したそうだ。この関係を橋渡ししたのが誰かはわからないが、親中国派の人たちの国内での活動は一定の成果を見せていると見ていいだろう。

だが自民党の中にこれが気に入らない人たちもいる。「ネットで活躍の人たち」が抗議文を送るのはまあ可愛い活動だが「ガチな」人たちもいる。つまり対日工作だというのだ。

IR利権の一部を中国に渡すとなれば、アメリカの人たちの機嫌を損ねるのに十分な条件が整っているということになる。中村さんの動きと合わせて考えると、与野党再編を背景にして「二階さんと小沢さん」という組み合わせも考えられる。つまりアメリカを背景にした人たちと中国を背景にした人たちの争いである。

今回の件で習近平さんへのお土産は一つ減ったと見ていいだろう。

長期停滞という環境で安倍政権は少なくなった利権を分け合おうとしてきた。ところがカジノという(彼らにとっては本物の)利権が出てきたことで本来の性質が覚醒したのかもしれない。安倍政権は意外と危ない橋を渡っているといえる。

このことから政治家の人たちは権力闘争というギャンブル要素が強い世界を生きているのだということがわかる。賭けに使われているのは我々の生活で、彼らがチップのようにやりとりしているのは有権者一人ひとりの票なのだ。

やはりIRは中止したほうがいいと思う。

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「安倍政治の終わり」が長引く理由

安倍政権を見てきて「末期症状が出てきたなあ」と思うのだがそれが何なのかよくわからない。つまりなんとなく終わりの始まりのような気がするのだがそれがどんな終わり方をするのかわからないのだ。おそらくキーになるのは国民の主体者意識だと思う。






インドについて観察していて「分割統治」というコンセプトを見つけた。これは安倍政権にも使えるなあと思った。安倍政権は大臣ポストを一気に握ることで派閥の分割統治をしていたと言える。

  • 派閥に一年ごとの利権としてのポストを配布する。ポストは一年ごとなので植民地は作れない。
  • 官邸主導という名目で官僚の人事権を召し上げる。これにより官僚に新しい植民地を作らせないようにして官邸の方を向かせる。

意図してこの方法に向かったとも思えないのだが常に官邸に目を向けさせるというのはよいやり方だったのだろう。だが、おそらくはこれが機能しなくなっているのではないだろうか。それは安倍政権には統治能力と意欲がないということがバレてしまったからである。おそらく安倍首相にはもうやりたいことがない。単に首相をやめるにやめられなくなっているだけである。

そして安倍後の自民党は大混乱するだろう。

ことの発端は加計学園である。加計学園は「獣医学部を新しく作る」という許認可権をめぐる問題だった。官僚が握っていた許認可を政治が直接やろうとしたのだ。官僚は国会に対して説明責任を追わないので今までこれが政治問題化することはなかったのだが、官邸と内閣府が主導(学校は文部科学省の管轄であり獣医は農林水産省だが特区は内閣府の特区担当大臣が主管する)したことで政治問題化した。

ここから話が複雑化する。これまではポストという名誉だったのだが、これからは利権という札束の話になる。日本人は実体があるものに強く反応する。そして歯止めが利かなくなる。

カジノリゾート(一般にIRなどと言われる)はおそらく総合保養値地域整備法(リゾート法)の失敗を念頭にして利権を限ったのだろう。獲得した人たちは今後建設利権がもらえるし、うまく行けばそのあとも儲けられるかもしれない。儲からなければ損は公共に押し付ければいい。

だが、IRはポストのように入れ替えはできない。つまり派閥に勝者と敗者が固定してしまうのだ。さらには二階派の議員が獲得の見込みもないのに中国企業と組んで検察沙汰を起こす事態にも発展した。

さらに文部科学行政でも問題が起きていることがわかった。文部科学省は利権のない行政だと思われていたが、どうやら下村博文さんの元で入試が利権化が進んでいたようだ。公明党の都政での協力を当て込んで便宜供与まがいのことが行われていた可能性もある。官僚から利権を奪って官邸で管理しているはずがいつの間にか管理不能になっていた。

さらに東京都知事の問題でも揺れている。安倍官邸は小池百合子を嫌っているが、二階幹事長はこれ見よがしに小池さんと会ってみた。安倍さんが小池さんを容認したという噂まで流したらしい。安倍さんが「自民党都連は勝てる候補を見つけられないらしい」と二階さんに言われて曖昧に笑っただけなのだが、それを「事実上の容認だ」と騒ぎ立てたのである。テレビやスポーツ紙が面白おかしく記事に仕立てている。

このことは「そういえば別の場所では菅さんと二階さんが対立していたなあ」とか「岸田さんと菅さんも対立していたなあ」とか「麻生さんも地元の福岡で誰かともめていなかったっけ?」という記憶を呼び覚ます。どうやら地方を舞台に統治不能な状況が加速しているようである。

このことには二つの意味があると思う。

一つは自民党が「単なる大臣ポストだけでは満足せず実際の旨味を求めはじめてる」ということである。つまり地方の飢餓を背景に欲求が拡大している。今まで我慢していた分なんでも食べたくなってしまうのだ。小池さんの話からわかるのは、おそらく安倍首相は統治意欲をなくしているのだろうということだ。「官邸」という軛から解放された人たちは利権獲得に向けてなりふりかまわず走り出す。

もう一つわかることがある。特に地方が国の救済(つまり利権)なしに立ち行かなくなっているということだ。利権化の対象になっているものを見ると次のようになる。

  • オリンピックや万博などのイベント
  • 震災復興(これは被災者の救済には当てられず公共事業の言い訳に使われている)
  • ギャンブルを含む「リゾート」
  • 教育

これを素直に見ると日本からまともな産業(製造業やサービス業)が消えているのだろうなあということが予測できる。この中では教育だけが全国規模なのだが、これに手をつけたのは(以前にも書いたが)種籾に手をつけたという意味でとても危険である。日本人は未来のことが考えられなくなっている。今お腹いっぱいになればいいし、いくら食べても食べ足りない。裏返すとアベノミクスの掛け声の裏側で地方はお腹を空かせて我慢してきたのである。これから先その反動が「財政出動」という名前でやってくる。

政治家に監督されていた官僚は自分で利権領域の拡大はできない。このため自分が獲得した利権領域と長く関わる必要があり搾取して弱らせることまではしなかった。寄宿者ではあっても比較的悪い寄宿ではなかったのだ。

さらに悪いことに安倍官邸自体が「もう管理は不可能だろう」と諦めている様子もわかる。二階幹事長が「小池さんで行きましょう」と詰め寄ってもノーと言えない。とはいえ東京都連も決定打になるような候補者を連れてくることができない。しかしこれは氷山の一角でしかない。地方でも同じようなことが起きていて「バトルロワイヤル」状態だ。

政治家は本質的に価値の創造はできない。つまりどこかで誰かが作ったものを奪ってきて別の人に配るということになる。価値の創造をすると奪われる可能性があるが、政治家と仲良くすれば分配してもらえるかもしれないとなると、誰も価値の創造をしなくなるだろう。そして政治家は党派争いに夢中になっていて、目の前にあるものを全て食べてしまう。

実はこの話はテストとしてQuoraで下書きしたのだが、そこでは書かなかった文章がある。やみくもに増殖してやがて寄宿先を弱らせて行くものをよく「ガン細胞化している」という。つまり政治はガン細胞化しているのである。

免疫は有権者の常識的な判断だが、おそらく日本人の政治的免疫力は相当落ちているのだろう。こうなると日本の将来は暗い。つまり長期的に衰退してゆくしかなくなってしまうのである。

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国民民主党は何に負けたのか

国民民主党が共産党との協業を模索しているという。安倍政権を打倒するために協力するというのだ。それに関連して「玉木代表と志位党委員長がピアノで協業した」というニュースが入ってきた。玉木さんは演歌を演奏したようだが志位さんはショパンだったという。浮世離れした感じだなあと思った。この協業は失敗するだろう。浮動票を掴めないからだ。浮動票とはつまり大衆のことだ。






調べてみたら志位さんには実業経験がない。純粋培養の共産人なのである。四街道の出身で千葉高校から東大に進み、東大でオルグされそのまま共産党に入ったという。Wikipediaでは国会議員の前職は「党職員」と書いてあった。共産党のような左翼は労働組合の人たちが中心に運営していると思っていた。「ショパン好き」というところからインテリゲンチュア(知識階層)という言葉が浮かんだ。つまり上層部の人たちはおそらく世間を知らない。

ちなみにSNSでも活躍している小池晃さんは医者で職業経験がある。小池さんはナンバーツーの書記局長だそうである。患者と接した経験があればSNSでもそれなりの説得力のある発言ができるだろう。

政治家の貴族主義というと自民党のことがよく頭に浮かぶ。典型的なのは麻生太郎さんである。祖父が偉大な宰相吉田茂であり天皇家の外戚でもある。アメリカ英語が汚いということでイギリスに「転校させられた」というセレブっぽい逸話も有名だ。ちなみに麻生さんは職業経験があるが、実際には経営者として家業を継いでいるだけであり世間一般のいう職業経験ではない。このため麻生さんは「経営経験ない政治記者よりも経済がわかっている」という自負があるようだが、実際には家業に過ぎない。それが彼の独特の「浮世離れ感」につながっている。ラーメンの価格が分からなかったという逸話が有名である。麻生さんは自らの経歴に負けて首相の座から引き摺り下ろされた。

面白いことに共産党というのは自民党と同じ「純粋培養の方がえらい」という自民党の「反世界」のようだ。副委員長まで調べてみたが「職業経験」がある人がほとんどいない。ほとんどがなんらかの団体の職員出身なのである。

民主党は珍しく職業経験のある人が多い政党だった。自民党のように既存の利権集団に支えられてもおらず、かといって公明党のように宗教が支えているわけでもない。そうなると自分で稼いで生計を維持する必要があるということなのだろう。枝野さんや菅さんのような市民運動上がりの人が主流になっている。全体をつかんでいるわけではないのだろうが、一応市民社会とのパイプがある。

ところが、国民民主党の代表と代表代行までを見るとこれがない。三人のうち二人が財務省出身である。大塚さんだけが日銀出身であり「やや実務経験」がある。副代表まで見ると鉄鋼会社や新聞記者の経験のある人がいる。意外と労働組合の出身者がいないんだなあと思った。支援団体を持っておらずなおかつ実業経験がある人も多くないということがわかる。少なくとも彼らが地方組織を持っているとは思えない。つまり、彼らは支持基盤がないがゆえに別の寄宿先を探さざるをえなかった人たちなのである。共産党は自前で新聞を売っており寄宿先にはなり得る。だが先行きはあまり明るくなさそうだ。高齢化していて新しい共産主義者を獲得・開発できていないからだ。

おそらく、国民民主党議員が最初に見つけた寄宿先は大規模企業・公務員・教員の労働組合だったんだろうなあと思う。だが、そうした人たちとどういうわけか折り合うことができず、かといって利権集団と妥協もできなかった。そうして最後に相手にしてくれたのが赤旗という基盤を持っている共産党だったことになる。だが実際の共産党は大衆にアピールしようとしてショパンを弾いてしまうような浮世離れした人たちだった。国民民主党は枯れてゆく運命なのだろうなあと思う。あとは自前でYouTubeファンを獲得するしかないが、官僚出身の人が無理して大衆派を気どるチャンネルは見ていて痛々しい。

ちなみにこういう時は自民党出身の重鎮に頼れば良いと思い小沢一郎さんの履歴を調べてみたのだが、大学卒業後弁護士を目指して院に進みそのまま父親の急逝で地盤を継いでいる。山本太郎は民衆と話ができるので外に出てしまった。おそらくそれは正解だったのだろう。

もっとも政治家たちが世間とのつながりがないというのは悪いことばかりではない。下手に実業経験がある人の中には大衆扇動の才能を発揮する人が出てくる。政治家がほとんど浮世離れしているので我々は政治家に扇動されにくいのだ。

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原理主義化する多神教社会 – 日本とインドの共通点

前回はインドについて調べた。「インドはヒンズー教徒が多数を占める国でマイノリティとしてイスラム教徒がいる」と書きたくなるのだが、どうやらそんな単純なものでもないらしい。インドは多様な言語を話す人々が暮らしている多神教社会で「ヒンズー神」という統一された神様がいるわけではない。






この点は日本にとても似ている。日本にも神道という統一された宗教は実はない。つまりすべての神道が天照大神を信仰しているわけでは実はない。

インドと日本の決定的な違いは言語環境にある。北部と南部は人種的にも異なっている。そもそも、ムガル帝国以前は南部と北部は別の国だったようである。ヒンズー教はもともと北部の宗教(バラモン教とも)が土俗化したものようだ。だがこの北部の宗教もヴェーダという経典はあってもまとまった宗教ではなかったようである。実に複雑で多様な宗教なのだ。

おそらくはアラブ世界も同じような社会だった。アラブ人という統一された民族集団があったわけではなく多神教社会だった。カアバ神殿も多神教寺院が元になっているという。

アラブ世界はイスラム教によって統一され、エジプト人など周辺の民族を巻き込んで「アラブ語を話す人々」としてのアラブ人が生まれる。日本人が信仰してきた宗教の総体が神道だったとすれば、イスラム教を信じる人たちがアラブ人を作ったという真逆のことが起きている。ヨーロッパが全てラテン語を話し「ローマ人」などと呼ばれる感覚だ。ちなみにローマ+分割統治で検索するとローマ帝国は領域を分割統治したらしい。権限を分けてお互いに差別感情を与えたようだ。だから現在のヨーロッパには多様な民族集団がいる。

イスラム教が統一するまでの時代は「ジャーヒリーヤ」と呼ばれており、統一された政治勢力はなかったという。またエジプトなどはアラブ世界ではなかったわけだから、エジプト以西の北アフリカは後からイスラム教が広まることによってアラビア語を受け入れてアラブ人に同化したことになる。

アラブ世界は多神教を捨ててイスラム教に統一されたのだがインドはそうではなかったと書きたくなるのだが、それも間違っている。例えばイギリス統治の直前にはムガル(モンゴル)帝国がありその宗教はペルシャ経由でもたらされたイスラム教だったようだ。ムガル帝国はインドを統一して支配したのでインド世界はイスラム世界だった。そして支配者はモンゴル人だった。もともとチンギス・ハンの次男チャガタイの後裔が作った国なのだそうだが、ペルシャ化してインドを支配することになる。

ムガル帝国は配下にいる非イスラム教徒を同化しなかったようである。外来勢力なので現地の勢力と仲良くする必要があった。例えばアクバルは寛容な宗教政策で知られている。そのあとのアウラングゼーブは厳しい同化政策で知られているそうだが、その頃から内部崩壊が始まった。完全に消え去ってイスラム化する前に支配者たちが崩れてしまったのである。それに目をつけたのがイギリス人だ。

イギリスもインドのキリスト教化を進めず分割統治した。少数派に転落したイスラム教徒やヒンズーの諸勢力と個別に連携することでお互いに協力できないようにしてしまったのである。現在でもこの火種が残っていて、今回の騒動につながっている。

ヒンズーが一つでないならすべての勢力がモディ首相を支持しているわけではないのかもしれないなあと思ったのだが、別の記事を見つけた。

NHKはモディ首相が反イスラムを煽っているという様子を紹介している。ヒンズー教の寺院を立ててやりたいが野党が反対していると言って煽っているのだそうだ。安倍首相が国家神道という本来は存在しない新興宗教的な神道に後援されているのに似ている。つまり「寺院を立ててやりたい」ということは、彼らはすでに伝統的なヒンズー教から切り離されているということを意味しているわけだ。ちょうど日本でも日本の伝統から切り離された人たちがネット保守のいう「国体」に吸い寄せられているのと同じような図式である。彼らの神殿は靖国だ。

多神教が変化に弱く一神教的な宗教に移行する途中経過といえるのかもしれない。そしてそれを促進するのが国家という装置なのだ。だが、かつての一神教国家が宗教の統一を意識的に加速したのと違い、インドでも日本でもその動きは無自覚で不完全なものである。

いずれにせよ、でっち上げた敵とでっち上げた伝統を使って政治的に無知な人たちを惹きつけるというのは以外と昔からあるよくある手法なのかもしれない。人は伝統から切り離されても何かに頼りたいものなのだ。

インドの状況を見ていると一神教的な理念を受容しないままに民主主主義世界に編入されてしまった国がこれまでの伝統に回帰することもできずかといって一神教的な民主主義(つまり天賦人権というのはキリスト教の後継宗教なのだ)も理解できないというような構図が見えてくる。おそらく日本ももう少し穏やかな形ではあるが似たようなことが起きているのかもしれない。

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日本人はなぜニュースが読めないのか – インドのニュースを例に挙げて考える

今回考えるトピックは「なぜ日本人がニュースを読めないか」である。読んでいただくとインドの政治混乱についてもわかるという一粒で二度美味しい仕上がりになっていると感じる人もいるだろうし、ラインが二本あって複雑だと感る人もいるかもしれない。






インドのデモで警官の発砲による死者が出た。Quoraの政治スペースでは解説記事が二本出たのだがなんとなくわかりにくかった。そこでそれを書き直したのだが、その過程で前の二人がわからなかったのが何なのかが見えてきた。

このニュースではいくつかのことが起きている。だがこれだけを見ても実はよく意味がつかめない。

情報が足りない上に思い込みもある。Quoraには中国と民主党系の野党(あるいはリベラル一般)が嫌いな人たちが一定層いる。そこで香港のデモへの関心が極めて高い。リベラルは香港のニュース学生紛争の影を見ている。これが天安門事件への視点を作り、香港につながっている。そして多くの日本人はリベラルが主導するマスコミへの敵対心がある。リベラルがマスコミを支配しているという思いがあるからだ。そこで彼らはマスコミが香港の民主派に肩入れするのを苦々しく思っているのだ。

マスコミを敵視する人たちはSNSという舞台で自分たちの歌を歌いたい。また最近では中国人の参加者も増えており中国を非民主的で遅れた国であると指弾する日本人に一泡吹かせてやりたいい人たちが出てきている。彼らに取ってもSNSは主戦場である。香港デモを敵視する人は中国も嫌いなので、今度はウィグルの話を持ち出して中国人を怒らせる。こうして議論は新しい視点を提供しないままたいてい泥沼に陥る。昔から日本の政治議論に見られる「朝生シンドローム」である。

彼らは例えば「インドでも警官とデモ隊がぶつかって死者が出ているのになぜ国際社会はそれを非難しないのか」とか「イスラム教徒が暴徒になっても問題は解決しないから民主的に議会で混乱を収めるべきである」という主張をしたい。だが、インドのデモはそれだけでは語れない難しい面がある。

  • インドは中国と対立しており、つまりアメリカや日本などとは潜在的な同盟国である。インドは中国と違って民主主義国のはずだ。
  • 政府がネットを遮断してまで民衆を鎮圧するという政府のやり方にも抵抗を感じる。それは中国と同じやり方に見える。

よく森の思考・砂漠の思考などと言われるが、日本は森の中から木々や山の位置を頼りに情報を処理している。おそらく多くの人は一生を同じ森で過ごし、同じ森を見ている人たちとだけ暮らす。森を一生出ないので風景が変わると情報が読み取れなくなってしまうのである。インドのニュースはもう「お手上げ」である。

情報が混乱して見えるようで関連ニュースを探してみようというところにまでは行き着かないらしいが、実はこんなことが起きている。

  1. インドでは国民会議に対抗するヒンズー至上主義のインド人民党を率いるモディ首相が2014年に政権を取った。国民会議はガンジーの子孫がリーダーになり、成長の恩恵を受けない地方の票を奪還しようとしたがなぜか成功していない。
  2. 最近になってジャム・カシミール州(イスラム教徒も多い)の自治が剥奪され、東部のアッサム州でもイスラム教徒を中心に190万人の市民権が剥奪されようとしている。イスラム教徒は民主主義的な手続きで弾圧されている。
  3. 最近近隣三ヶ国(パキスタン・バングラディシュ・アフガニスタン)から流れてくる非イスラム教の人たちの市民権を取りやすくする改定が行われた。これは直接の原因ではなく実はきっかけだった。ここで反発が表面化し暴徒を伴ったデモに発展した。

ここまでくると一応の流れが理解できる。ここでは森を出て高いところに登って新しく情報を探っている。ニュースの場合は「経緯」だし社会学だと「仮説」になる。だが「山に登って全体を見てやろう」と思わない人たちは再びわかっているところ(政局だったり韓国や中国への蔑視だったり)に戻ってしまう。地図は事実ではなく情報を処理するための共有の視点に過ぎないのだが、森の人たちは事実と地図の区別がつかない。だから、森にとじ込もって地図のない議論を再び始めてしまうのである。

一度地図を持つとあとは検索エンジンが解決してくれる。情報はいくらでもあるのだ。

例えば、BBCはインド政府のファクトチェックをやっている。パキスタンやバングラディシュで非イスラム教徒が迫害されているというような事実はないそうだ。つまり、モディ首相らが「イスラム教徒は邪悪」というプロパガンダを展開している可能性が高い。

ここから「なぜインド政府はそんな首相をしなければならなかったのか」ということを想像してみると、おそらく国民会議派との間でヒンズー教徒の取り合いが起きているのではないかという仮説が立てられる。

この仮説はアメリカの民主党と共和党の対立から持ってきた。今のところはトランプ大統領が「Make America Great Again」という単純なフレーズで白人層を魅了している。また保守党と労働党もイギリス人の誇りを取り戻したいという人たちを取り込むためにBrexit住民投票を行った。インドでも全く同じ構造が見られるわけだ。民主主義が最後に頼るのは単純な道徳感情とマジョリティの差別意識だ。

ところが今回の件はこれでは終わらなかった。別の方からコメントをいただいた。アタル・ビハーリー・ヴァージペーイーが首相時代の1990年代に一度インドとパキスタンの間の緊張感が高まり国内でも社会不和が起きていたそうである。コメントを元に調べてみると「アヨーディヤ判決」という記事が見つかった。国内がかなり荒れたようだし、国民会議派は現実的な解決策を示せなかった。

ヒンズー至上主義者に危険を感じたインドでは国民会議でもヒンズー至上主義者でもないシク教徒の首相が出たりしてバランスを取ってきたのだが、今また至上主義者のモディ首相が政権を取り、案の定国内不和を引き起こしたということがわかる。

インドは一般的にカーストと呼ばれる職業集団や人種集団が入り混じったグループが複雑に分かれておりこれを一枚岩に仕立てておくのがとても難しい。コメントをくれた人が指摘していたのは「民主主義が導入されるはるか以前からの社会的構造が背景にある」というインド独特の難しさである。インドでは西洋流の民主主義が成り立たない。中流市民階層が存在しないからだ。

だが、こうしたコメントが出てくるのは「ある程度の歴史観」を提示した後である。つまり、概念的な整理をして地図のようなものを作る人はいないのだが、情報を付け加えたい人はたくさんいるということになる。彼らは彼らで「自分の森からでないまま間違った歴史認識を押し付けてくる人」たちを嫌っている。だから自分の知識を披瀝することがほとんどないようである。別の視点を提示しても受け入れてもらえないからだろう。

日本人がニュースを読めないのは情報がないからでも知識のある人がいないからでもない。おそらくは共有のために地図を作ってみようという発想がない。それができない理由も簡単だ。実はお互いが別の森に住んでいるという認識そのものが持てないのだろう。

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特捜部は官邸と話をしているのかしていないのか

自民党の秋元司議員の事務所に捜索が入ったというニュースをやっていた。現代ビジネスによると現職の国会議員が操作されるのは実に17年ぶりなのだそうだ。これについて「政権の終わり」を予想する人は多くないだろう。そこで「官邸は特捜部と話をしているのでは」と予想して記事を読んでみた。つまり予断を持って記事を読んだわけだ。






この話は実はかなり入念に練られていることがわかる。まずは元秘書のところに捜索が入ったのだが、これが朝日新聞系のインターネットでも紹介されている。この中に「大手紙の記者」という記述がある。この大手紙はおそらく朝日新聞なのだろうが、朝日は書けなかったのだろう。

こんな一節が出てくる。

「特捜部はすでに関係者への事情聴取を行っていましたが、ここ数カ月は動きが止まっていました。それが、9日の臨時国会の会期末を狙ったかのように家宅捜索が行われたとの報道が出て、事件化されるかに注目が集まっています」

自民議員関連先に特捜部が家宅捜索報道の謎 渦中の秋元司氏が会見「私は把握していない」

立ち位置としては大手紙の新聞記者というよりも特捜部の広報である。「事件化されるかに注目が集まっています」と書かれているのだが、これは事件化されますので注目して欲しいということだろう。日本語は主語が曖昧にできるのでこういう書き方ができてしまうわけである。責任を曖昧にしつつ空気を醸成するという日本らしいやり方である。そして「朝日新聞も使いよう」というわけである。いつも政権に反対するようなことばかり書いているので批判に信憑性があるように見える。

なんとなく「噂」という体裁で雰囲気を作って「この人何かやっている」という感じにしてから事務所捜索に踏み切ったわけで、それはそれで恐ろしいなあという気がする。検察にはこういう入念さがあるので、おそらく官邸にも話がついているのだろうなあと思ってしまうわけだ。おそらく誰かが主導しているというよりは「ふんわりと」連携が取れているのだろう。

この話は組織の事情を忖度しつつ、いろいろなものをうまく避けている。例えば秋元さんはもう内閣の一員ではないので政権が説明責任を果たす必要はない。また日本人が怖がっているアメリカ絡みの案件ではなく中国の案件である。テレビでは沖縄も北海道もオンゴーイングの案件ではないので「内閣の一員が役職を濫用した」ところまではいかないだろうと言っていた。ある意味安心してみていられる。もはや「the 官邸代理人」にしか見えない田崎史郎さんが久々に出てきてそう説明していたので、おそらくそうなるのだろう。そして、もちろん国会会期中ではないので野党がデモンストレーション的に政権批判に使ったりもできない。

例えば、北海道はIR誘致断念がほぼ決まっている。「北海道がIRの誘致見送り、成長シナリオに暗雲」という日経新聞の記事がある。北海道知事が議会で「断念しましょう」と提案したらしい。これについてはQuoraで聞いてみたが地元でもよくわからない感じだったらしい。環境や地元への反発を恐れた政治家たちが「厄介な判断を若い道知事に任せたのだろう」という観測がついただけだった。後から考えれば「実は中国企業でありバックについている政治家も大物ではない」というのが政治的に難しい案件だったのかもしれないなあと思ってしまう。憲法改正に協力してもいいと言っている維新が地元の大阪と菅さんの地元の横浜がメインの候補と言われているので沖縄と北海道というのは目障りだった可能性さえある。つまり審査は机の下で既に終わっていたということだ。

そこまで読むとこの時事通信も怪しく思えてくる。「カジノ推進への影響懸念 秋元氏捜査めぐり 政府・自民」政権が動揺しているというのである。これだけを見ると「政権もちょっとは堪えているのでは」という気分になるのだが、これも「震えるふりをしているが実は裏で全部が整ってしまっているのではないか」と勘ぐってしまう。

もちろん特捜部と官邸が緊密に連絡を取っているかということは証明のしようもないし、表向きは「官邸が関与しているかどうか」などどうでも良いことである。悪いことをしているのであれば裁かれてしかるべきだからだ。

だが、やはり懸念はある。

安倍政権がある程度コントロールして特区利権や教育利権を分配している分にはあくまでも合法である。しかし、その枠からはみ出して利権の追求をやり出せば収拾がつかなくなる。見せしめのために秋元さんを晒したとしても同じようなことを考える自民党議員は大勢出てくるだろう。劇場型の懲罰は本質的な抑止策にはならない。

「上が美味しい思いをしている」のに「俺たちはいつまでも雑巾がけなのか」とは誰も思わないものなのだろうか。いったんタガが外れてしまえば一気に問題が噴出することになるのではないかと思った。

日本は何となく推進者がいないままで物事があうんの呼吸で進んで行くのだが、裏返すと何か面倒なことが起きた時誰も止められなくなるということを意味している。そうならないことを願うばかりである。

IRだけでなく多くの地方振興策でこれからおそらく同じようなことが起こるのだろう。特区による完全私物化が失敗した今加計学園でやったような「露骨な事前排除」はできない。そうするとそれに乗ってうまいことやってやろうという政治家が出てくるのである。その意味では加計学園の件をきちんと処理しなかったことが問題の発端と言えるわけだ。

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これから頻発する不祥事を安倍政権打倒と結び付けない方が良い理由

今日はこれから安倍政権下で「不祥事」が頻発するだろうがそれを政権打倒と結び付けて期待を抱かない方がいいということを書く。






アメリカでトランプ大統領弾劾の採決の前に討論が行われた。討論といっても対話ではない。議員が一人ひとり採決に賛成するのか反対するのかを表明することを討論と言っているのだ。議員は「個人として仲間に協力を呼びかけ」「自分が考える理想のアメリカについて語る」という二つのことをやる。そしてこれが延々と続いた。

日本人から見るとこれはすべて無駄に見える。明らかに弾劾決議が出ることは決まっているからだ。日本の識者の中には「民主党がバイデン氏を見限って相打ちになってもいいからトランプを攻撃してやろうと仕掛けた」と解説する人もいた。民主党という集団が「自分の利益が最大化するためにバイデン氏という個人を差し出した」と捉えるわけだ。

だがアメリカ人にとっての集団は個人の集合台であり「党派の利益のために行動している」と見られることも嫌う。だからみんなが見ている前で個人の資格で「説明」をしたがるのである。党派のためにやっていると見られると離反が起きる。あくまでも政治家一人ひとりがみなさんに訴えているという体裁を取りたい。これが集団主義とされる日本人と個人主義のアメリカの決定的な違いである。

このことから、まず日本人は集団の利益を念頭に入れて行動することがわかる。そしてその交渉は裏でなされる。例えて言えばカラスが食べ物を高いところに持ち帰ってこっそりと食べるようなものである。日本人は公共を信じない。カラスが道端で餌をついばまないのと同じである。表で議論すれば誰かにとられかねないという警戒心が日本人にはある。そして実際に何かの理屈をつけて横取りしても構わないという文化なのだ。だから日本人はそもそも個人の説明など信じないし、同じ集団に属さない人が自分の利益のために行動するとは考えない。

では日本人は仲間内では信頼し合うのか。どうもそうではないらしい。つまり、日本人は集団主義でもないようだ。日本人にとって集団とは何かというのが次の考察点になる。

おそらく今自民党の内部で起きているのは派閥内での潰し合いと領地獲得合戦である。入試改革の失敗を見ると派閥の中でも利権の奪い合いが起きているのだろうなということがわかる。日本人にとって派閥集団は便宜上あるだけであり、実際にはその中にも信頼関係はない。日本人にとっての「和」は表向きの儚い概念だ。

日本人は他人を信じることができないので縛りあいに頼ることになる。縛りあいには三つのメリットがある。第一に便宜供与を持ちかけ縛りをといてもらおうとして取引に出てくる可能性がある。第二に相手が勝たなければ自分が失う分が少なくて済む。第三に協力を促進できる。「裏切り」に懲罰を与える行為そのものがシグナルになっていて、フリーライドを抑制するのである。

これを踏まえると、日本の政治がよくわかる。「官僚が得をしている」という理由で自民党は官僚を懲罰して政治主導を掲げて選挙に勝った。しかし一向に政治改革が進まず消費税議論が進行すると、今度は「公共事業で自民党議員が得をしている」という理由で野党に票が向かう。ある程度反対勢力に勝たせはするが圧倒的な議席は与えない。なぜならば相手を勝たせると今度は相手が「好き放題にする」ことを許してしまう可能性があるからだ。

例社会党が勝ちそうで勝たないという状況は有権者には都合がよかった。自民党を抑制できたからだ。しかし民主党が勝ってしまうと今度は民主党が好き勝手にする可能性が出てきた。案の定彼らは失敗し「国がめちゃくちゃに」なりかけた。すると今度は安倍政権に票が移動する。安倍政権長期化の背景には「下手したら民主党が勝ってしまうかもしれない」という恐怖心があったのだろう。

ところが、民主党はもうしばらく政権を取りそうにないということがわかってきた。これだけ安倍政権が好き勝手やっても民主党系の野党の支持はまったく伸びない。これは一度消費税の件で裏切った民主党(具体的には野田佳彦さんなのだが)を国民が絶対に許さないからである。民主党はブレーキとしては使えないという事を有権者は学んだのだ。

例えばIR誘致は党派同士の争いになっている。おそらくお気に入りの企業があり、それをどこかの地域と結びつけることで「領地」を作ることができる。それを阻止するためには内部通報をして検察に敵を売ればいい。

マスコミには検察を恫喝する人たちがいる。「もう解体してしまえ」というのが脅しになる。これに潜在的な脅威を感じた特捜部は「アメリカや安倍政権に関係ない政治悪を潰そう」としている。現代ビジネスは東京の特捜部が政治案件を扱うのは17年ぶりだと書いている。すでに現職閣僚ではないので政権に被害はない。そして有権者もある程度は満足するだろう。結局は潰し合い・縛りあいなのである。

入試改革が潰される経緯を見ていると、同じ派閥・同じ地元であっても「持って行き方」によっては領地を奪うことができてしまうということがわかった。下村さんがやってきた事を後継の萩生田さんが引き取るという手法である。野党は支持されていないし、有権者も入試改革の中身にはさほど興味がなさそうだ。そして下村さんも動きが取れない。こうなるとやらない理由がない。

我々日本人はこうした裏事情がわかってもさほど驚かない。集団がある以上その存続のためには何をやってもいいのだと思うからだろう。とやかく言ってもしょうがないと我々は考える。

だが、それが自分の身に降りかかってくるとなると全く別の話になる。Quoraで政治議論をしていると「公平公正」なふりをしている分には問題は起きないのだが、どちらかの陣営に特になりそうだと相手が感知した瞬間に無意識にアラームが鳴り響くようである。

海外在住の日本人は政治的ポジションを持つことに慣れており、ある程度は自分の意見が主張できるので流される心配がない。だからこうしたアラームは働かないようだ。しかし日本人は集団2は従わなければらないので流されてしまう危険性があり「ここで下手に同調したら絡め取られてしまうかもしれない」という脅威を感じるようである。

このアラームは「すべての人はきっと何らかの陣営に属していて自分を裏切ろうとしているのだろう」という確信の表れなのだろう。この呪いのためにドメスティックな日本人には絶対に「縛りあい」という一線は越えられない。

現代日本人にとって安倍政権が倒れることは「誰か他の人の利益のために黙って協力させられた」ことを意味している。だからそれはできない。かといって安倍政権にも美味しい思いはしてもらいたくない。理想の環境はお互いが縛りあい誰も身動きが取れなくなることなのである。

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種籾を食べ始めた安倍政権と自民党

政府が記述式テストを見送ることに決めたらしい。「まずはよかったなあ」と思う一方で、この人たちは「種籾を食べ始めたんだなあ」と思った。この話は政権批判と接続して語られることが多いと思うのだが、問題はあるいはそれ以上かもしれない。そもそも「この人たち」が誰なのかということと併せて考えたい。






最初に「この人たち」とは公明党のことなんだろうと思っていた。だがいろいろ調べると「ああ、そうでもないんだなあ」と思った。そうなると残る可能性は公明党に擦り寄りたい人たちである。証明しようもないことだが、この観測が当たっていたとしたら実に卑しい人たちだ。

世間ではベネッセが標的になって攻撃されているようだ。多くの人が「安泰で大きな会社だ」と思っているのではないかと思う。大企業がますます太ろうというのかという疑念を持つ人は多いだろう。もともとベネッセは住民票のデータをもらってきてダイレクトメールを送り、その情報を太らせてゆくことで儲けていた会社である。だが、住民情報の扱いが慎重になると収益に陰りが出てきた。そこからベネッセの苦難が始まる。

まず、外部から原田社長を雇い入れて体質改善を図ったがうまく行かなかった。そればかりか情報流出事件なども起こり、結局原田社長は涙ながらに退任した。2016年のことだった。

一方で入試改革を行ったのは2013年にできた安倍首相の諮問機関である「教育再生会議」だそうだ。下村博文さんがキーマンになっている。もともと東京都議会出身だが、清和会のいささか「右寄りの人たち」に訴えかけ「自虐史観排除」という名目で教育改革を自分の領地にしたようだ。

教育改革再生会議は教育現場を無視して作られたという経緯があるようで、産業界の意向ばかりを汲んでいるというような批判はこれまでも見られてきた。しかしここにきて「実体のないペーパーカンパニーが記述式評価を受注した」という野党系議員の指摘が見られるようになった。情けなさはあっても自民族の誇りは感じられない。

ベネッセもこれをすっぱり否定してくれればいいのだが、J-CASTニュースの取材に関して次のように答えている。

「学力評価研究機構は、採点業務を専門的に行っている会社であり、業務の性質上、セキュリティと情報管理の観点から、外部への情報公開を一定以上、制限させていただいております」と回答で説明し、このことを理由に「社員数については公開を控えております。また、電話番号につきましても、お取引先や関係者のみにお伝えさせていただいております。看板は出しておりません」とした。

ベネッセ「ペーパーカンパニーではございません」 記述式採点会社めぐる「疑惑」に反論

「セキュリティ」とか「個人情報保護」というのは、後ろ暗いことがある企業や政治家の常套句になっている。そしてこういう言い訳もあとで「ずさんな管理」によってどんどん剥落してゆくだろう。そして表に立って非難されるのは下村さんではなくベネッセである。

そもそもベネッセコーポレーションはコーポレートロゴの配色を見てもわかるように、ある宗教集団との結びつきが噂される企業である。これまでは儲けていたので政治と関わらなくて済んでいたのかもしれないが、やはり困ってくると最終的には政治に頼らざるをえなくなるのではないかなあなどと思えてくる。「落ちるところまで落ちた」というわけだ。

だが、最終的に「記述式は無理です」と自民党に引導を渡したのはどうやら公明党らしい。「記述式見送り、公明が主導 政権に痛手、野党追及へ―大学入試改革」という記事が見つかった。さらに教育改革の道筋はベネッセ再建と同じ時期に行われていて、再建に失敗したから政治に頼ったというわけでもなさそうである。

文部科学省が「安心してもらえる体制を作れないことがわかった」と実施前に急転直下で実施を見送ったことからもともと無理があったことがわかる。NHKに萩生田文部科学大臣の発表の動画がアップされているがマスコミが歴代の文部科学大臣の関与や導入までの検討経緯を聞くことはなかった。おそらく何があったかが国民に開示されることはないだろ。だから、ベネッセには弁明の機会は与えられない。

ベネッセの子会社はNHKの取材に対して次のように言っている。「巻き込まれた」という感じもする。

記述式問題の採点業務を委託されていたベネッセの関連会社「学力評価研究機構」は「ここまで一生懸命準備を進めてこられた受験生の皆様やご家族、学校の先生方が困惑されることを思うと誠に残念のひと言です。適正な採点の実行に向け予定どおり丁寧に準備を進めてきましたが、決定を受けて今後の対応を速やかに大学入試センターと協議します」というコメントを出しました。

記述式問題 導入見送り発表 萩生田文科相

では巻き込んだのは誰なのか。

面白いのは下村博文さんと萩生田光一さんの関係である。下村さんは教育改革を自分の領地にしてそれを利権化したかったのではと思える。おそらくその証拠はでてこないのかもしれない。それを奪ったのは萩生田発言であり、結果的に萩生田さんが「自分の元で諮問機関を作って一から作り直す」と言っている。つまりこれは萩生田さんの「領地占領宣言」である。

野党は「萩生田さんが下村さんの領地を奪う」手伝いをしただけである。萩生田さんが公明党と関係の深い企業にベネフィットを与えれば、東京都議会において公明党との選挙協力がやりやすくなると考えたのかもしれない。そして、萩生田さんも下村さんも東京出身の清和会議員である。結局我々は与党対野党ではなく「自民党派閥内部」の戦を見ているだけなのである。

野党が支持を得られずおそらく政権も取れないということがわかった今、自民党の関心事は領地争いになってゆくのだろう。領地とは予算と利権であり足元の地方議員への影響力である。今回の件はそれが派閥間ではなく「清和会内部」で起きているところにポイントがあるのだと思う。

もちろん他の派閥でも問題は起きているようだ。特捜部がIR関連で秋元司議員を調べたそうだが、IRも「新領地獲得合戦」である。3兆円構想だと書き立てるマスコミもある。ちなみに秋元さんは二階派だそうだ。

単なる領地争いなら勝手にやってくれと言いたくなるが、彼らが扱っているのは教育という未来の種籾を育てる仕事だ。稲作の伝統を持っている日本人にとって種籾は最後の一線だろう。保守というお題目を唱えつつ彼らはついに種籾に目をつけて、最後の一線を越えたことになる。

我々は本当に冬を越せないかもしれない。次の春に蒔くものがないからだ。日本の保守思想家はそれでも平気なのだろうか?と思うのだが、あるいはそんな人たちはとうの昔に絶滅しているのかもしれない。自民党は自虐史観を乗り越えるどころか暗い歴史を自らで作りつつあると言えるだろう。

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