前回はインドについて調べた。「インドはヒンズー教徒が多数を占める国でマイノリティとしてイスラム教徒がいる」と書きたくなるのだが、どうやらそんな単純なものでもないらしい。インドは多様な言語を話す人々が暮らしている多神教社会で「ヒンズー神」という統一された神様がいるわけではない。
この点は日本にとても似ている。日本にも神道という統一された宗教は実はない。つまりすべての神道が天照大神を信仰しているわけでは実はない。
インドと日本の決定的な違いは言語環境にある。北部と南部は人種的にも異なっている。そもそも、ムガル帝国以前は南部と北部は別の国だったようである。ヒンズー教はもともと北部の宗教(バラモン教とも)が土俗化したものようだ。だがこの北部の宗教もヴェーダという経典はあってもまとまった宗教ではなかったようである。実に複雑で多様な宗教なのだ。
おそらくはアラブ世界も同じような社会だった。アラブ人という統一された民族集団があったわけではなく多神教社会だった。カアバ神殿も多神教寺院が元になっているという。
アラブ世界はイスラム教によって統一され、エジプト人など周辺の民族を巻き込んで「アラブ語を話す人々」としてのアラブ人が生まれる。日本人が信仰してきた宗教の総体が神道だったとすれば、イスラム教を信じる人たちがアラブ人を作ったという真逆のことが起きている。ヨーロッパが全てラテン語を話し「ローマ人」などと呼ばれる感覚だ。ちなみにローマ+分割統治で検索するとローマ帝国は領域を分割統治したらしい。権限を分けてお互いに差別感情を与えたようだ。だから現在のヨーロッパには多様な民族集団がいる。
イスラム教が統一するまでの時代は「ジャーヒリーヤ」と呼ばれており、統一された政治勢力はなかったという。またエジプトなどはアラブ世界ではなかったわけだから、エジプト以西の北アフリカは後からイスラム教が広まることによってアラビア語を受け入れてアラブ人に同化したことになる。
アラブ世界は多神教を捨ててイスラム教に統一されたのだがインドはそうではなかったと書きたくなるのだが、それも間違っている。例えばイギリス統治の直前にはムガル(モンゴル)帝国がありその宗教はペルシャ経由でもたらされたイスラム教だったようだ。ムガル帝国はインドを統一して支配したのでインド世界はイスラム世界だった。そして支配者はモンゴル人だった。もともとチンギス・ハンの次男チャガタイの後裔が作った国なのだそうだが、ペルシャ化してインドを支配することになる。
ムガル帝国は配下にいる非イスラム教徒を同化しなかったようである。外来勢力なので現地の勢力と仲良くする必要があった。例えばアクバルは寛容な宗教政策で知られている。そのあとのアウラングゼーブは厳しい同化政策で知られているそうだが、その頃から内部崩壊が始まった。完全に消え去ってイスラム化する前に支配者たちが崩れてしまったのである。それに目をつけたのがイギリス人だ。
イギリスもインドのキリスト教化を進めず分割統治した。少数派に転落したイスラム教徒やヒンズーの諸勢力と個別に連携することでお互いに協力できないようにしてしまったのである。現在でもこの火種が残っていて、今回の騒動につながっている。
ヒンズーが一つでないならすべての勢力がモディ首相を支持しているわけではないのかもしれないなあと思ったのだが、別の記事を見つけた。
NHKはモディ首相が反イスラムを煽っているという様子を紹介している。ヒンズー教の寺院を立ててやりたいが野党が反対していると言って煽っているのだそうだ。安倍首相が国家神道という本来は存在しない新興宗教的な神道に後援されているのに似ている。つまり「寺院を立ててやりたい」ということは、彼らはすでに伝統的なヒンズー教から切り離されているということを意味しているわけだ。ちょうど日本でも日本の伝統から切り離された人たちがネット保守のいう「国体」に吸い寄せられているのと同じような図式である。彼らの神殿は靖国だ。
多神教が変化に弱く一神教的な宗教に移行する途中経過といえるのかもしれない。そしてそれを促進するのが国家という装置なのだ。だが、かつての一神教国家が宗教の統一を意識的に加速したのと違い、インドでも日本でもその動きは無自覚で不完全なものである。
いずれにせよ、でっち上げた敵とでっち上げた伝統を使って政治的に無知な人たちを惹きつけるというのは以外と昔からあるよくある手法なのかもしれない。人は伝統から切り離されても何かに頼りたいものなのだ。
インドの状況を見ていると一神教的な理念を受容しないままに民主主主義世界に編入されてしまった国がこれまでの伝統に回帰することもできずかといって一神教的な民主主義(つまり天賦人権というのはキリスト教の後継宗教なのだ)も理解できないというような構図が見えてくる。おそらく日本ももう少し穏やかな形ではあるが似たようなことが起きているのかもしれない。