トランプ大統領の治世下でトランプ大統領を支えてきた人たちの景気が悪くなっているという。ITと金融は絶好調だそうだがエネルギーと製造業(製鉄や自動車)などは落ちているという。日経新聞が伝えている。
これが何を意味するのかはよくわからない。ジリ貧の産業がトランプ大統領に頼ったとも言えるし、トランプ大統領の保護主義的な政策がうまく行かなかったんだとも考えられる。つまり単純にトランプがかかわったから悪くなったとは言えない。因果関係は明らかでないがおそらくは「動的に」相関しているという感じである。
この構図は日本でも見られる。日本では地方ほど自民党を応援してきたが地方振興策はうまく行かず一極集中が続いている。「自民党を応援しなければ賃金が上がるかもしれない」という層の人たちが熱心に支持しているということもある。つまり、政治が評価できない人ほど政治に依存し、依存すればするほど経済は悪くなる。だが依存を始めた経済はそのままその政治にしがみつき説得を試みる人たちを攻撃し始める。
こういう人たちが使う手法が論点のすり替えである。日本ではブーメランと言われる手法だ。
日本経済のみならず経済は高いところから低いところに水が流れるように動いていると考えてみよう。この流れは国際的なものであり、おそらく国単位の政治では変えることはできないのだろう。日本では東京でありアメリカではITと金融に当たる。構造が変えられないとすれば、我々ができることは実は水の流れに逆らわずに泳ぐことだけなのかもしれない。
トランプ政権は「その水の流れを変えられる」と言っている。安倍政権はすでに変えたと主張した。だが、おそらくそれは本当ではない。
では、対抗勢力はどうなのだろうか。対抗勢力なら水の流れは変えられるのか。アメリカの民主党は金融とITに制限をかけると言っているそうだ。
一方、野党・民主党の左派候補は巨大IT企業の解体や、銀行・証券の分離など金融規制強化を迫る。現在は好調なハイテク・金融業だが、政治と無縁ではいられない。
「失速」トランプ4業種 保護政策でも雇用・利益減少
さらに色々考えてみて「政治=浮き輪論」というのを思いついた。
長い間泳いでくると疲れて溺れそうになってくる人が出てくる。それを助けるのは政治の使命である。ところが政治は浮き輪を選択的に投げる。つまり受け取れる人と受け取れない人が出てくる。だから人々は政治をちらちらと眺めている。浮き輪を受け取った人は岸に泳ぎ着いたら休んで再び泳がなければならない。だが実際には浮き輪に捕まって泳ぎ方を忘れてしまう。政治は泳ぐ力を奪っている。だが「浮き輪」が悪い訳ではない。単に使い方が間違っているのだ。
だが、アメリカ民主党の方は「順調に泳いでいる人がいるから、彼らの重りを乗っけよう」と言っている。つまりみんなで溺れようと言っているのである。さらに候補者が乱立して罵り合っている。日本の民主党はさらにひどい。党内が分裂して政党が消えてしまった。
ただ「浮き輪のたとえ」では細かなところがよくわからない。さらにアメリカの製造業が置かれている状況を見てみよう。かつて花形だった航空機産業である。
例えば最近ボーイング社が生産停止を発表した。当然工場は閉鎖され仕事を失う人が出てくる。ボーイング737MAXが事故を起こしたが、そのあとの対応ができなかったらしい。2019年4月には生産体制がずさんになっていたという記事も出ていた。業績を優先するあまり製造現場の管理がずさんになる。だがその被害を受けるのは結局製造部門の人たちである。
ボーイング社がなぜ競争力を落としたのかはわからないが、おそらくトランプ大統領のせいではない。経営陣も製造現場の人たちも政治に依存するのだろうがそれは一時しのぎにしかならない。お互いに協力も自助努力をしなくなった業態は価値を生み出せなくなりますます落ちてゆくことになる。
最近トランプ大統領は宇宙軍を立ち上げた。実際の脅威にはなっていないのだが、おそらく航空機産業を助ける効果はあるに違いない。そしてそれは端的に言って税金の無駄遣いでもある。
一方のロッキード・マーチン社も政治に頼っている。最近F35が問題になっている。政治力に頼って日本に割高の戦闘機を買わせているようだが「多少競争力がなくても政治が買ってくれる」と考えれば彼らは自助努力をしなくなるだろう。
日本でどのようなことが起きているのかはわからないが、日本でもおそらくは様々な業態の人たちがお互いに話し合うのをやめて「魔法のような解決策」を政治に期待するようになるのだろう。ただ、それが何なのかということは近すぎてよくわからない。
政治に頼って泳ぎ方を忘れた人たちは、明らかに無理とわかる解決策に頼ることになる。するとその浮き輪を巡って不毛な議論が盛んになる。
主要英語辞書が今年の言葉を発表した。環その中にwhataboutismというものがあった。日本語で検索すると、批判を受けた人が「別の問題を持ち出して」「お前こそどうなんだ!」と非難することをwhataboutismというそうである。日本でも政権が批判されると「ブーメランだ」と攻撃仕返し、結局何も解決しないことがあるが、アメリカでは最近トランプ支持の人たちが使うようになったそうである。現実を見たくないしみられないという人が増えているのである。
そういえば日本でも「ご飯論法」というのが流行った年があった。解決策を見つけられなかった人たちがお互いを罵りつつ浮き輪を奪い合うということが、おそらく日本でもアメリカでも起きているのだろう。