取引できない人がもたらしたマスコミの動揺

テレビで岩崎隆一容疑者の話を延々としている。テレビ局は明らかに動揺しているようだ。




局によって対応の違いはあった。テレビ朝日は政治的正しさから抜けられないようでどっちつかずになっていたし、フジテレビ(実際にやっていたのは安藤優子さんだったが)は決めつけ報道を行いつつも「あれ、叩きがいがないな」と戸惑いを見せていた。

彼らは解決策を持っていないし解決するつもりもないが、報道というある種のお話の上に乗っているのだから解決策を提示するフリをしなければならない。そこでもがくわけだが、もがけばもがくほど沼にはまってしまう。ここに「何も要求しない人」の恐ろしさがある。日本型のムラは取引関係から抜け出せない閉鎖空間なので、何も要求しない人を処理できない。

社会は忘れ去られた人たちに何の関心も持ってこなかったし、これからも持たないだろう。さらにこうした人たちを抵抗してこない弱者と考えて侮ってきた。今回の件で恐怖を感じた人たちはなんらかの取引を求めるだろうが、その取引はもう叶わない。

彼らは戸惑いつつもなんとか枠を埋めていたのだが、関心は別のところに向かいつつある。ワイドショーの関心はすでに自分の知っている枠に引きこもり始めているのだ。

ちょうどDVを働くお嫁さんを息子が殺し母親が一緒に手伝って埋めたという事件が起こっている。まるでテレビドラマのような事件である。背景にはまるで無関心な父親の存在もある。裁判では当事者の発言が取れるので、叩く材料が継続的に手に入るのである。フジテレビはこちらにシフトし「母親が自分をかばうために嘘をついている」と決めたうえで「彼女をより重い罪にするにはどうしたらいいか」ということを延々と話し合っている。安藤優子の無駄遣いにも思えるし、もともとこういう人だったのかなとも思う。いずれにせよこの問題はワイドショーで扱える。この母親は裁判を通じて社会と取引しようとしているからである。

ワイドショーを見ていると日本人には二つの取引があるのがわかる。一つは恫喝系の取引で、これは「厳罰化」である。今回のもう一つの取引は「包摂系」である。この取引は「いい子にしていたら飴をあげる」か「悪い子にしたら叩く」である。自分で考えてどうすべきか決めなさいという考え方を日本人はしない。

「元エリート銀行員の弥谷鷹仁」の犯罪は「もっと罪を重くしろ」と叫ぶことで裁判をエンターティンメントとして利用している。道徳の遊戯化・娯楽化が見られる。つまり叩くというしつけのための行為を娯楽に利用しているということだ。よくDV加害者が「しつけのつもりで叩いた」ということがある。コーチも指導不足を隠すために運動部員に手をあげる。これと同じことが社会的にもごく日常的に起こるのである。

登戸の事件が「面白くない」のは厳罰化は何の役にも立たないからなのだろう。その人からうばえる最大のものは命だが、それはすでに差し出されてしまったし、何よりも社会参加もできていなかったわけだから社会的に抹殺すべきいわゆる生命もない。彼にはPCや携帯電話もなかったようで、こうなると暴ける内面もない。せいぜい卒業文集を見つけてきて叩くくらいしかできない。

では優しさを見せつけるというアプローチはどうだろうか。いわば包摂系取引なのだがこれはもっと惨めな結果に終わる。社会にそんな余裕がないからである。

日本には最低の生活すら維持できないような給料で働かされている人がたくさんいて、そういう人たちに依存しないと普通の暮らしが成り立たなくなっている。例えばAmazonのような配送に依存する小売形態もコンビニも搾取型労働なしでは成り立たない。つまり「今の経済活動から撤退する」動きを認めてしまうと、奴隷から見えない牢獄を取り払うことになってしまうのである。搾取構造は社会に完全に内包されてしまっていてその癒着を引き剥がすことはもうできそうにない。そんな中他人に優しくしましょうなど無理な話である。

それでも我々はまだ旧来のスキームから抜け出せない。「罰を与える」とか「認めてあげる」とか「社会が用意してあげる」という解決策しか出てこない。ぜんぶ「上から目線」なのである。さらに犯罪そのものにしても「防ぐ」という点ばかりが強調されている。これは「自分たちは変わるつもりはないが相手が変わることに期待する」ということだ。

取引はできないしそれも認められないのだから、やがてこの件は「なかったこと」になるのではないかと思う。

ただ、そのような国は日本だけではない。

安心安全のないアメリカでは、子供を一人にしないというのは法律で決められた親の義務である。アメリカ人はすでに「絶対的な安心安全などない」ということがわかっていて自分たちの行動を変えている。これはかなり窮屈な社会である。日本もそういう社会になってしまったのだと認めるのは辛いことかもしれないのだが、もうそういう前提で動くしかないのではないだろうか。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement



無敵の人と取引不能の世界 – 岩崎隆一が変えてしまったもの

登戸の駅前で通り魔事件があった。将来のある聡明な小学校六年生の女の子と外務省に勤める有能な男性が亡くなった。カトリック系の学校ということで「神様って本当に理不尽なことをするものだな」と思った。




刺された子供達は何も悪いことをしたわけではない。にもかかわらずこんな目にあっていいはずはない。最初に感じるのは怒りだ。では、我々は何に怒るべきなのだろうか。

そう考えながら事件報道を見ていて、番組担当者たちが戸惑っているであろう様子が印象に残った。いつもの「あれ」が全く通じないのである。

事件報道に限らず実名報道は「国民の知る権利を担保するため」ということになっている。日本新聞協会の「実名と報道」というリーフレットによると、報道の自由は民主主義社会を健全に保つためにあるという。

だが、それがもはや単なる「お話」でしかないことを我々は知っている。少なくとも事件報道において、報道の自由は「悪いものを探して勝手に裁くため」にある。報道の自由は「正義の側にいる人たち」がその報酬として間違った人たちを「無制限に叩いく」権利を行使するために事件報道は奉仕しているのである。

報道が気にしたのは「学校に非難が向かないようにする」ということだったようだ。学校はやるべきことはやっていたと繰り返されている。まさにその通りだとは思うのだが、背景には「怒りの矛先が犯人に向かわないので、世論が学校を代理で叩きかねない」という懸念があったからだろう。彼らはそれくらい「怒り」を意識して番組を作っている。うまく使えれば商売のいい焚付けになるが、間違えると自分たちが焼かれかねない。

学校に非難が向きかねないのは、岩崎隆一容疑者が読者や視聴者に「叩きがいのある素材を提供」しなかったからだ。だからこの事件は恐ろしい。

「川崎市在住51歳の岩崎容疑者」は、社会との接点がほとんどなかったようである。職業も今の所わからないし、そもそも働いているかどうかもわからない。さらに家族(親戚だったようだが)彼には興味がない。つまり、住所と名前と年齢を報道することができてもそれ以外の「叩ける」情報がない。今唯一伝えられているのは「近所の家に怒鳴り込んだことがあるらしい」という情報だけであるが、それを叩いたところでインパクトに欠ける。

ではなぜ我々は容疑者や犯人を叩きたがるのか。それはカウンターの意見をみるとわかる。「包摂すれば良い」というものだ。これは全く異なるアプローチのように見えて実は同じことである。恫喝かあるいは懐柔かという取引なのだ。世間は何か問題を起こした人と様々な取引を試みる。そこに後付けで理由をつけるのだが、本質的には「理不尽さが怖いから」だろう。

原因追求をしたいというのは遺族にとっては切実な欲求だろう。ある日突然愛していた家族(娘や父親)を失ったのだ。それは人生で起こり得る最大限の理不尽であり、なんらかの理由付けがなければ受け入れるなど到底不可能である。

だが、それ以外の人々にとっては、原因解明は理不尽さの解消とは何の関係もないことである。包摂が大切だとわかったとしても、彼らは自分たちの隣人に優しくしたりしないだろう。

彼らが報道や裁判を通じて犯人や容疑者の言い分を知りたがるのは、それを否定することで犯人や容疑者を「裁く」ためであり、ある種の取引である。しかも、それを裁いただけでは飽き足らず、犯人や容疑者の社会的生命や生命を奪うことで「全能感」を味わう。

ところが、今回の場合「最初から奪えるものがない」。彼の人生には社会的にはほとんど見るところがなかったようだし、悲しむ家族もいなかった。自殺してしまったので死刑にもできない。なんらかの取引ができないと、我々は「どうしていいかわからない」という感覚を得るのだ。

いわゆる「無敵の人」の恐ろしさはそこにある。逆に「一人で死ぬべきだと発信すべきではない」という意見(藤田孝典)も取引の一種でしかない。残念なのだが「次の凶行を生まないためでもある。」という一文は取引そのものである。

社会が包摂的になるのはテロを防ぐためではない。優しい社会が誰に取っても住みやすいからだ。藤田さんはこれが社会に受け入れられないだろうことを予測してこの文章を書いているのだろう。そして、包摂によってこの種の事件がなくなるのかといえばそうではない。共生型の社会であれば競争に参加することすらなく切り離された人というのが少なく済むはずと思いたくなるが、共生型のノルウェーでも拡大自殺的なノルウェー連続テロ事件が起きている。だったら包摂なんか意味がないと考えるのなら、そもそもそれは包摂型社会ではない。単なる取引である。

岩崎隆一容疑者が提示した問題はそこにある。社会にいる「もはや何の取引も望んでいない人」が理論上の存在ではなく実在しているということだ。そして取引がない以上社会はそれに対処できないのである。

例えば、高齢者が運転する自動車でも同じような理不尽は毎日起きている。誰からの助けも求められない(あるいは求めたくない)人が車に乗って通行人に突進してゆくという社会現象である。こちらは技術的にはいくらでも対応が可能だが、それでもそれをやろうという人はおらず、高齢者や家族が非難されるばかりである。解決が可能な問題でも対処せず取引で済ませようとするのだから、そもそも取引ができない問題に対処することなどできないだろう。

社会はしばらくの間「かつてあった安心・安全が取り上げられた」ことに対して怒りをぶつけられるものを探してなんらかの取引を試みるだろう。だが、現実問題としてはもはや理不尽な危険に対処するしかない。社会は変わってしまったということを我々は受け入れるしかないのではないだろうか。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement



国内政治と連動して複雑化するEU議会

EU議会の投票結果が開いた。当初の予想より極右・EU懐疑派の影響は少なくて済んだ(BloombergReuter)ようだ。だがその内容からは複雑な状況が透けて見える。




イギリスでは保守党が敗北しBrexitを主張する人たちが躍進(Bloomberg)した。表面上は進まないBrexitを加速させたいという意思表示なのだろうが、背景にあるのは保守党に反発する勢力の押さえ込みから数年間も続いている内政の混乱である。EUの連携を加速したいマクロン大統領も国民に離反され、結果的に極右と表現されるルペン氏が躍進(Reuter)した。マクロン大統領は国内では政府の赤字解消・年金改革などを控えているという。また、イタリアはすでに五つ星・同盟が既存政党から政権を奪ってしまっているのだが、同盟が躍進した(日経新聞)そうだ。

どの国も内政への不満が高まっており、それがEU議会選挙に反映した形になっている。共通するのは「緊縮財政」という起点と「悪者探し」という結果である。他罰感情をより刺激したほうが選挙に勝てるという傾向がある。

同盟は反EU・反緊縮を訴えて躍進した。かつては北部をイタリアから分離させようという運動だったそうだ。五つ星運動も同じような政策を掲げていたのだが、イタリアでは「生ぬるい」と思われ離反された(朝日新聞)ようだ。

ギリシャでもチプラス首相がEU議会選挙敗北の責任を取る形で総選挙を前倒しすることを決めた(Reuter)そうである。こちらは極左(急進左派)などと言われることがある。Reuterの記事には「対マケドニアの弱腰」が非難されたとなっている。急進左派にナショナリズムを求めるのはどうかとは思うのだが、国民は実は右でも左でもどちらでも良いと思っているのかもしれない。

ナショナリストたちは極右と呼ばれる反移民政策をとる人たちを支援するのだが、移民の人たちは極左・急進左派と呼ばれる人たちを支持(日本には存在しない欧州の新極左とは。(3) EUの本質や極右等、欧州の今はどうなっているか)しているということらしい。だが、結果的にそれらは同じように見えてしまうのだ。

ところがこうしたポピュリズム的な政権は持続可能性に欠ける。その行く末を示す事例も出てきている。

日経新聞によるとオーストリアでは極右同盟が連立政権を作ったものの分裂し、クルツ首相は不信任決議を可決されてしまった。クルツ氏は汚職などに手を染めた連立相手の自由党シュトラッヘ副首相を切り離して支持を得た。しかしこれに怒った自由党が連立を離脱した。これで野党が騒ぎ出し結局不信任案を提出されてしまったのだという。野党はクルツ批判を支持に繋げたいのだが、EU議会選挙で躍進したところを見ると、人々は却って自由党支持を強めるかもしれない。

民主主義国の国民は根本的な問題解決よりは手近な敵を攻撃する政治リーダーを好むことがわかる。そしてその怒りの原因は「今まで受けられた恩恵を取り上げられる」ことである。ヨーロッパの場合、リーマンショックに端を発した経済不安の後に移民が入ってきたのでこれが混同されているようだ。極右・極左ともに財政規律を強めるEUを批判しているが、財政規律が弱まればギリシャのように破綻する国が出てくる。結局、同じところをくるくると回っているだけなのである。

日本では国債を発行して緊縮財政を避けているのでこうした動きが「怒り」のレベルまでは至らない。野党側は安倍首相のやり方を攻撃するだけで、それよりも敵を作り出してポピュリズム的に有権者の獲得を目指すまでには至っていない。このポピュリストに一番近いところにいるのが政治部外者であった山本太郎だが、東京などの一部地域を越えた支持は広がっていないのではないかと思える。日本にはヨーロッパレベルの「本物の困窮」がないのだろう。

さらに面白いのはアメリカの共和党だ。ヨーロッパなら極右を支持しかねないような人たちをトランプ大統領が取り込んでしまった。共和党はあたかも大衆ポピュリスト的な政党になってはいるが形式的には二大政党のままである。だが、アメリカもポピュリズムを組み入れなければ政権は取れない国になっているのではないだろうか。民主党は急進左派的な人たちを取り込み損ねていて、決め手に欠ける大統領候補しかいない。

ポピュリズムは否定的な含みのある言葉であり、本来は「理性的に克服すべきだ」と書きたくなる。だが、現実を見るとどこもそうなってはいない。99%にやさしい資本主義・議会制民主主義が見つかるまで当面の間、先進国の政治はしばらくポピュリズムからは抜けられないのではないかと思う。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement



憶測を生んだトランプ大統領のツイート

トランプ大統領のツイートが面白かった。

この前段はわかりやすい。貿易交渉をして農業と牛肉が大きな役割を果たすだろうとしている。安倍首相が製造業を守るために農業をアメリカに差し出したのは明白である。問題は後段にある。私が大きな数字達を期待する選挙達と言っており、これが憶測を生んだのだ。




安倍首相が貿易交渉で妥協するだろうという思い込みから「大きな数字達」は妥協のことを意味しているのだろうという意見が多かった。がwhereがついているのは選挙たちである。つまり、選挙に大きな数字達を期待しているというのが素直な読み方だ。まあ、これだけでも立派な内政干渉である。日本の首相が次も共和党が勝つなどと発言すればアメリカで大騒ぎになるだろう。実際にロシアの関与疑惑がなくならないのだから笑えない話である。

テレビなどはこれを「参議院選挙」と訳していた。しかし、選挙はwin a electionかwin the electionになるはずである。これが複数形になっている。これに注目したのが共産党の小池晃議員だった。これは衆議院と参議院のダブル選挙だと言っているのである。こうすると文法的なつじつまは合う。

ただ、これは大問題になる。本来、衆議院の解散は「内閣不信任案を出す」ことが前提になっているはずだった。これは憲法を作った当時のGHQが内閣が解散権を乱用するのを嫌っていたからだと言われている。

だが、当時の議会は脱法的な「馴れ合い解散」を行い、その後解釈による第7条解散が横行することになったそもそも何もないのに衆議院を解散するのは憲法違反である可能性が極めて高い。

加えて、議会対策・選挙対策とはいえ「首相の専権事項」を先に一外国の要人であるはずのアメリカの大統領に漏らしているというのは国会軽視・国民軽視の大問題であると言える。

のちに新聞は各選挙区の選挙をelectionというので選挙全体はelectionsと呼んで構わないのだという記事を出した。それくらい盛り上がった話題だったと言える。

大統領の言葉はとても重いはずだが、トランプ大統領は普段から曖昧で不正確なつぶやきを乱発している。日本もそれに巻き込まれた形である。今回はゴルフ中にもTweetをしていたのではという話が出ており、大統領のSNS中毒ぶりがうかがえる。

ただ、これら一連の報道や反応からわかるのは衆参同一選挙の可能性や通商交渉での妥協だけではない。重要なのは日本人が宗主国を求めているという点だろう。日本人がどれだけ不安になっているのかがよくわかる。

今回、アメリカの大統領はある意味宗主国の代表として報道された。もし宗主国のトップであれば国民より先に解散総選挙について知っていたとしてもなんら不思議はないし、選挙に介入して与党の体制を保証しても問題はない。ある意味日本が昔からやっていたことだ。金印をかざして中国の後ろ盾を誇るというような話なのだ。

だから国民はそれほど安倍接待部長に怒りを向けなかった。テレビはこうした国民の不安を「英語が堪能な両陛下が立派に大統領をもてなしてくれた」という論調で歓迎していた。閉塞感を抱えて不安になっている日本人が世界で一番強くて立派なアメリカに依存したがっているということがよくわかる。

日本人がしがみつけばしがみつくほどアメリカは高く自分たちの保護を売りつけることができる。アメリカにとってはおいしい展開である。トランプ大統領は日本の記者がおずおずと「通商交渉でのアメリカの要求はTPP以上の水準にはならないんですよね」という質問をすると、トランプ大統領は安倍首相を遮るような形で「我々はTPPに縛られない。あれはオバマの失敗だからだ」というような発言をして悦に入っていた。

令和最初の国賓のご接待は、世界第三位の経済大国であり二番目に儲けている日本としては実に情けない形で行われた。多分、明治維新以来の「西洋諸国へのコンプレックス」が色濃く残っているのだろう。150年経っても日本は小さくて弱い国という自己意識から抜けられないのだということがよくわかる。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement



安倍政権はアメリカに見捨てられるのが怖い

米大統領訪日中に通商問題の合意ない見通し=茂木再生相という変な記事を見た。普通なら「合意があり日米が仲良くしている」ことをアピールしたいはずなのに、なぜ合意がないことを盛んに宣伝したがるのだろうかと不思議に思った。




多分、大方の人は日本がアメリカに押し切られるだろうことを見越しているのだろう。軍事的にアメリカに守ってもらっている以上、最初からまともに交渉できるとは思っていないのである。だから「トランプ大統領を接待して機嫌をとり嫌なことを先延ばしにしよう」と考えていて「それができるのは名接待部長の安倍さんしかいない」ということになっている。日本が弱体化していると感じれば感じるほど、自民党にとっては有利に働くのだ。

ところがこれをわかりやすくトランプ大統領がぶち壊しにしてしまった。あまりにもわかりやすいので笑ってしまったくらいだ。

対日貿易交渉で偉大な進展が作られつつある。農業と牛肉は重点項目だ。大きな数字になるだろう7月の総選挙まで待たなければならないが……

このbig numberが何なのかわからないがおそらく自民党が大勝するだろうということを指しているのではないだろうか。

ワシントンポストの記事を読むと、日本側は交渉に慎重でありそれをアメリカ側が押し切ろうとしていることがわかる。トランプ大統領が主に農業牧畜のことを書いているのをみると、日本は自動車や機械部品を取って農業をアメリカに差し出したのかもしれない。

ただ「日本がアメリカに負けたさあ大変だ」と騒ぐのもまたどうかと思う。ワシントンポストの記事の中に貿易収支の図表が出てくるのだが、中国があまりにも目立っていて日本の黒字は小さく見える。やはりアメリカのメインターゲットは中国なのだ。

さらに、前回見た「実は日本は儲けている」という話を加味すると話がちょっと変わってくる。前回見た「日本は儲かっている」は貿易黒字の話ではなく経常黒字の話だった。つまり、日本はアメリカに直接・間接的に投資して儲けているのであって、貿易では負けても構わないのだ。特に農業分野で負けたとしても「国としてはそれほど重要な問題」にはならない。

問題は、安倍首相がそれを隠して国民に言わなかったことだけなのだが、結局おしゃべりなアメリカの友達にSNSを通じて全部バラされてしまった。当然、野党はこれを攻撃材料に使ってくるだろう。

こうした騒ぎは裏腹に、アメリカが日本との間で貿易赤字を解消しても根本的な問題解決はできない。資本という面ではアメリカは利子を払い続ける側の国である。依然としてアメリカは経常収支では大赤字であり、それは隠されたままである。

もちろん、日本も国として「企業が儲けている」ことは隠しておきたい。企業が本業以外で儲かっていることが周知されてしまえば「企業が法人税で応分の負担をすべき」という共産党の声が支持を集めかねない。99%運動は社会主義が挫折した後にできた新しい大衆運動だが、日本では火がついていない。共産党はこれに乗って勝ちかねないのである。

日本が儲けているということを隠し貿易問題に必死になっている姿を見せることで自民党は国民の期待を集め続けることができる。

トランプ大統領も本来は「貿易赤字を多少改善したところで全体的な状況が変わるわけではない」ということはわかっているのだろう。が、資本分野の収支は隠して、製造業と農業の味方であるとアピールし続けたいに違いない。結局重要なのは製造業や農業の人たちの先頭に立って「庶民の味方である」という絵を見せ続けることなのである。共和党は実際には1%のお友達でしかないのだが、大衆に「自分たちの味方だ」と信じ込ませるだけで大衆はやすやすとトランプ大統領を応援してしまう。しかし、こうした演劇に手を染めていない民主党は99%の支持が得られない。

改めて引きの絵で見てみると、資本主義が終局に入った国の民主主義ではこのようにおかしなことが横行するのがわかる。問題が複雑なので権力者たちがいいように切り取ってしまい、マスコミもそれに追随してしまうのだ。

それでも、トップリーダーたちがゴルフをしたり相撲レスラーにトロフィーを渡したりするだけで大衆は安心してしまう。その意味で我々は資本主義が崩れゆく最後の瞬間を目撃しつつあるのかもしれない。我々の社会は複雑になりすぎてしまったのである。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement



実は日本は世界で二番目に儲かっている国である

テレビで面白い解説を見た。日本はドイツについでに番目に儲かっている国なのだが、政府や企業はそれをあまり言いたくないのだという。




自民党は「日本が危機だからこそ自民党が必要だ」という印象を付けておきたいのではないかと解説されていた。企業も「応分の負担を求める」動きが出ることは避けたいだろう。例えば、企業が儲かっていることがわかってしまうと、消費税ではなく法人税でという提案がでかねない。日本は妬みが強く出かねない社会なので儲かっていてもあまりこれ見よがしには宣伝しないのである。

解説者は「どうせ安倍首相は誰かに言われたことを言っているだけなのだろうが、周りの人もこの事実について教えていないのではないか?」と言っていた。もし、周りが「アベノミクスのおかげで企業は空前の儲けをあげている」などと吹き込めば、共産党などは当然「では消費税をやめて法人税増税をしましょう」と言い出すだろうし、自民党からも賛同者が出かねない。知らない人は眠らせておいたほうがいいのだ。

ではこの「儲けている」という話は本当なのだろうか。内情を見てみよう。実際の動きを見てみよう。2018年の経常黒字、4年ぶり減少 : 「輸出で稼ぐ」から「直接投資」に構造変化によると、日本はすでに貿易立国ではなくなり、投資で直接稼ぐ国になっている。日経新聞も海外投資、日本の稼ぎ頭に 経常収支の構図変化という全く同じ論調の記事を書いている。

黒字の額は2つの柱でほぼ説明できる。1つは海外子会社のもうけにあたる直投収益の10兆308億円。もう1つは外国債券の利子などにあたる証券投資収益の9兆8529億円だ。貿易黒字は1兆1877億円にすぎない。

海外投資、日本の稼ぎ頭に 経常収支の構図変化

これが、評判の悪い「内部留保」になっている。海外企業から好調な配当があったとしても、賃金や配当金として国内に還元せず溜めてしまうのである。ダイヤモンドオンラインには日本人の特殊な意識を問題にする文章があった。

なぜ日本企業は内部留保を増加させるのかは、日本企業は突出を嫌い配当を横並びにする傾向があると言っている。儲けを余分に配当するとそれが期待値になり下がった時に文句がでかねない。

よく「狩猟と農耕」という言葉で日本文化を分析することがあるが、狩猟は「獲物がいる時にたくさんもらえる」社会なのだが、農耕は「毎年同じ収入があるのがよいこと」とされる社会だ。こうした違いが日本の企業に知らず知らずのうちに根付いているのかもしれない。

儲けた金を配当できないもう一つの理由は将来への不安かもしれない。足元の業績を見ると稼げていないのだろう。ここから、日本の企業が「老後」に備え始めていることがわかる。本業では稼げなくなり、足もとの消費市場は衰退している。しかし過去に儲けた金はまだ残っていて「老後に備えるためにとっておかなければならない」という社会だ。

ダイヤモンドオンラインの記事を二本見てみたが、10年から20年は大丈夫だろうという記事や2020年代後半には衰退が始まると言っている記事があった。結局のところ誰もいつまでこの状態が続くのかはわからないらしい。

実際には「令和初年度、5社に1社最高益へ」とあるように上向いている企業もある。だが、その動きが全体に広がらない。全体ではやや減益担っているのだという。

将来不安から、企業は儲けがあってもできるだけ外に出さないようにしている。従業員に給料を払わず、正社員を放出し、社会に社会福祉負担を押し付け、税金も支払わないようにする。皮肉なことにこれが「世界で二番目」と言われる企業収益の増加をもたらしているのだが、同時に足元の不安をますます強固なものにしている。

高齢化した市民社会は不安を抱え、現役世代は企業からも社会からの支援を得られていない。だから、まさか企業が史上空前の儲けをあげているとは想像もしない。もし企業が派手に役員報酬をばら撒き日本にこれ見よがしのリッチ層が生まれていれば、反発から99%運動が起こっていた可能性もあるが日本にはそれもない。

日本は世界で二番目に儲けている国になったのだが、その喜びを実感できないという意味では世界一不幸な国なのかもしれない。

なお、世界で一番儲けている国はドイツだそうだ。NHKによると構造改革に成功し、ユーロのために実力よりも低い通貨レートの恩恵を享受できているために、EUでは突出した勝ち組になっているのだという。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement



「日本経済のファンダメンタルズはしっかりしている」ので理屈の上では消費税は増税される

多くの人が2019年10月に消費税増税があるのかを気にしているのではないか。5月24日に答えが出た。理屈の上では消費税は増税される。




2019年1月〜3月のGDPが出た時に各社が一律に「日本のファンダメンタルズはしっかりしている」という言葉を使った。あまりにも揃っているので不自然だなと思った。

どうやらこれは2018年12月に安倍首相が使った言葉らしい。読み返してみると日経も「内閣府幹部の言葉」と扱っている。菅官房長官がそう発言したとする記事もある。茂木さんも同じ言葉を使ったのですり合わせした「正解」になっているのだろう。

ところが、その中身がよくわからない。いつものような雰囲気だけの言葉なのである。このファンダメンタルズの内容がわからないので景気悪化の判断と景気継続の判断が入り混じると色々な憶測が生まれる。

2019年3月の景気動向指数は6年2ヶ月ぶりの「悪化」に転じたそうだ。ダイヤモンドオンラインは1~3月期GDPが景気動向指数と予想外の食い違い、景気の先行きは?と報じる。

ダイヤモンドオンラインの記事はわかりにくい。GDPの方が実際の動向に即しているから景気はそれほど悪くなっていないとしている一方で、次のように結論づけている。今は大丈夫だがこの先はわからないというのである。

稚園や保育園の無償化、キャッシュレス決済のポイント還元など対策は講じられるが、消費税率引き上げは年間で2.5兆円前後の家計負担増をもたらし、個人消費を減少させる方向に働く。消費税増税までに輸出が回復しなければ「19年度後半の日本経済は内外需ともに悪化する恐れがある」(斎藤氏)、つまり景気後退に陥る公算が大きくなるだろう。

1~3月期GDPが景気動向指数と予想外の食い違い、景気の先行きは?

首相らがあまり根拠を示さず「ファンダメンタルズはしっかりしている」と言ってしまったことで「忖度問題」も起きているようだ。ダイヤモンドオンラインの別の記事はエコノミストの忖度問題を伝えている。

ただし、これは必ずしもエコノミストの本心ではないかもしれない。なぜなら、エコノミストの景気判断は、政府の意図を忖度している面があるからだ。

景気拡大の力が「3つの押し上げ効果」で再び強まる

エコノミストは学者ではないので所属する会社の立ち位置によって表現を変える必要があるということなのだろうか。それとも自分だけ外れると格好がつかないのでみんなが書きそうなことを書いているのだろうか。いずれにせよ「政府が景気悪化を認めるまで自分たちも認めるわけには行かない」というような書き方になっている。

ダイヤモンドオンラインの二つの記事だけでも、楽観論と悲観論にわかれている。つまり、本当のことは誰にもわからないということである。

こんな中で月例経済報告がどうなるかということが注目されていたようだ。識者の見方が分かれる中で、これまでの「ファンダメンタルズはしっかりしている」というポジションを崩したら、それはすなわち消費増税を諦めるというサインになるからである。これが出たのが5月24日だった。

総括判断の表現は「輸出や生産の弱さが続いているものの、緩やかに回復している」とした。「緩やかに回復している」との表現は2018年1月以来、1年5カ月連続で踏襲している。

総括判断を下方修正 「緩やかな回復」は据え置く=5月月例経済報告

これで理屈の上では政府は消費税増税を言い出す材料を自らなくしたことになる。ゆえに消費税増税延期を題目にした衆議院解散もなさそうだ。とはいえ安倍政権はなんでもありなので、これがどう転ぶかはもちろんわからない。

一方の野党側は「勝つためには消費税増税延期を言い出した方が良い」とは言っているのだが、そのあとのまとまった提案はない。景気が悪いなら何かをしなければならないが、緊縮財政は有権者には受け入れられないだろう。かといって霞ヶ関に埋蔵金があるという話を信じる人はもう誰もいないに違いない。

野党は内情を知ってしまったので思い切ったことは言えないのだが、院外にいると好き勝手なことが言えてしまう。野党がまとまった政策を出せず10月に入り消費が冷え込めば、さらに極端な声が院外から聞こえてくることになるだろう。ヨーロッパではすでにそういう状態になっているようである。

そう考えると、MMTという禁じ手を叫ぶ議員を幹部がなだめるという与党のお芝居や過激な発言が目立つ維新の党を懐柔する一連の行動にも意味があるのだということがわかる。つまり、過激派を飼っておくことであらかじめ院外から過激な声が出るのを防いでいるのだ。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement



行き詰まるブレグジットと行き詰まるイギリスの議会政治

QUORAの政治のスペースに毎日記事を書いている。ブログと同じくほぼレスポンスがないのだが、なんとなく書くテーマが決まって行き「ポピュリズム」について考えている。




ポピュリズムは議会軽視の中で、極端な主張が受け入れられてゆく政治過程のことである。日本でも丸山穂高のような「けしからん議員」を予備的に排除できないのかという声があることからわかるように、議会や政治家に対する疑念がうっすらと広まっていることがわかる。

ところがイギリスはもっとひどいことになっている。Quoraで聞いたところ「ブレグジット(EUからの離脱)は誰にもどうなるかわからない」のだそうだ。

イギリスについて調べたのはTBSニュースがきっかけだった。ファラージのブレグジット党が保守党や労働党よりも支持を集めているというニ。実際に英語でも調べてみたがそのような話はある(ロイター・英語版)ようである。ただ、これはEUの議員選挙の話だ。

これとは別の動きもある。実は地方選挙ではブレグジット反対派(EU残留派)の自由民主党が躍進したとBBCが伝える。全く真逆の人たちが支持を集めているのだから、既成政党の「穏やかな提案」が人々の飽きられていることがわかる。

イギリスの世論が真っ二つに割れていることから、議会制民主主義がいかに脆いのかということが見えてくる。国民投票で極端な意見が広まりその後始末ができない議会が非難されているのだ。メイ首相の提案は議会をまとめられず、かといってそれに代わる合意案も作れない。そうこうしているうちに「まとめられないからメイ首相が退任するだろう」という観測さえ出始めた。

どうしてこうなったのだろうかということを改めて調べてみた。EU側がキャメロン首相に「馬鹿げた国民投票はするな」と警告していたというBBCの記事が見つかった。

実際にこのEU側の懸念は現実のものとなった。ファラージ率いるブレグジット党がEU議会選挙で躍進すればEU議会にEU懐疑派が入り込み中から暴れ出すだろう。フランス財務・経済大臣は「出てゆくつもりならとっとと出て行け」と言いだした。しかしEU議会選挙ではイギリス以外からもEU懐疑派が躍進することが予想されている。

BBCの記事によると、キャメロン時代の保守党は単独で政権が維持できないので自由民主党と連立していた。国民の支持を集めるために「国民に直接意見を聞く」国民投票を持ちかけたのだという経緯が書かれている。キャメロンが「どうせ議会が反対してくれるだろう」と考えていたという人もいれば、国民投票をやるつもりだったと考えている人もいる。Quoraでの回答もこれを反映した形になっていて「どうせそんなことはできないから国民投票でもやれば反対派が黙るだろうと思われていた」という意見が書かれていた。

いずれにせよ、キャメロンは議会調整と敵対勢力の説得を諦めて、安易な国民投票を選び結果的に失敗した。国民投票をきっかけに世論が二分されてしまい、イギリスではいま政治家にミルクシェイクをぶつけるのが流行っている。議会制民主主義のお手本とされていた国で、議会や政治家に対する権威は失墜してしまったのである。

この件は支持を失いつつある既存政党と国民投票の危険性といういくつもの教訓を我々日本人に伝えている。

ヨーロッパでは既存政党が支持を失いつつあるが、寡占政党制の日本では既存政党が極端な意見を取り込んだ。それが安倍政権だったわけだ。安倍晋三が取り込まなければ別の過激政党ができていたかもしれない。同じ寡占政党のアメリカでそれをやったのはトランプ大統領だ。

安倍政権も現状不安を打破するために憲法改正の国民投票をやろうと呼びかけている。なんとなく閉塞感が拭い去れない現状を「憲法を変えて打破しよう」と考える人は少なくないかもしれない。

しかし、実際の危険は「どう決まるか」ではないのかもしれない。例えば49%が反対だった場合国内で「間違った憲法」の反対運動が再燃する可能性がある。議会調整を諦めたから国民投票に頼るのだし、国民投票をすれば賛成派と反対派の対立は先鋭化される。こうして対立が激化してゆくのだ。実際に大阪では「都構想」の住民投票が一旦否決されたあともこれをめぐるつばぜり合いが続いている。住民投票を巡ってこうした共通パターンを見出すのはさほど難しくない。

日本もすでに議会への疑いの眼差しはで始めており、いつイギリスのような状態になってもおかしくないのかもしれない。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement



PRODUCE X 101 と韓国の競争社会

PRODUCE X 101を見始めた。5月に始まり7月に終わる予定である。一本が2時間ある上に出てくる人が多いので予習復習に忙しく、ワイドショーを見る時間がなくなりつつある。




とはいえ、地上波を見ても小室圭とフォーダム大学のことしかわからないので、モニターを地上波にセットする時間が少なくなりMacMini専用になりつつある。

PRODUCE X 101と日本の地上波を比較してわかるのは、日本が長期停滞社会にあるということだ。

ワイドショーを見ていると誰かを追い落とすことに皆の関心が高まっている様子がわかる。社会の問題を誰かのせいにしたいのかもしれない。

例えば小室圭さん問題の基本は羨望と粗探しである。あれも気に入らない、これも嫌だと言って有資格者を落として行くのだ。皇族の数は減っていて数世代でいなくなってしまうかもしれないのだが、それでも「あれは嫌だ」「これは嫌だ」といい続けている。

過疎の村がますます衰退してゆくのに似ている。村は消えてゆくということがわかっていても新しい住民は受け入れられない。仮に受け入れたとしても「あれが気に入らない」「これが嫌だ」などと言って追い出してしまうというのが今の日本である。ワイドショーには長期停滞だけでなく、過疎化する国としての日本の姿が映し出されている。

さらにAKBグループはもっと悲惨なことになっているようだ。“不適切”動画投稿 NGT加藤美南 研究生へ降格処分 「裏アカ」も認めるという記事を読んだ。なぜかSNSの蔓延がいけないという話になっているが、管理が行き届かず選抜もいい加減なのだろう。もともとAKB48は実力が足りない子を集めてきてそこそこの商売をしようとしたというのが出発点なのでこうなっても何ら不思議はない。日本社会は「お前たちは大したことないんだからせめて愛嬌でも振りまいていろ」と自尊心を低く育てる。その結果が今になって出てきているのだろう。

もともと「そこそこビジネス」なので運営側の関心は人件費の抑制だろう。彼女たちがまともなレッスンを受けているとも思えないので、やがては荒んで行ってしまうのだ。日本は「実力を押さえつけられ集団で我慢する」ことを強いられた国になっている。NGT山口が暴行問題を指摘したことで組織にいられなくなったのはその最も端的な表れだ。そしてこのことがAKB離れにつながっている。隠蔽体質の組織に応援すべき価値はない。

一方、K-POPは輸出拡大が進んでいる高成長分野なので競争原理が働く。こちらは実力よりもやや高めを求められるという成長社会である。

見ていてわかるのは、韓国人がもともとかなりシャイだということだ。その意味では日本人とそれほど変わらない。だが「恥ずかしがっていて」は商品になれない。そこで殻を敗れた人だけがまずスタートラインに立てるということになっている。なので「殻を破」ったり「猛練習」ことがテーマの一つとして取り扱われる。

スタートラインに立ったからといって成功できるとは限らない。今回のプロジェクトではアイドルの出戻り組と数ヶ月しか経験のないほぼ素人が同じ階級にいる。中には一度他分野で成功したのに戻ってくるという人もいるようだ。再挑戦も大きなテーマだ。

少しづつ限界を上げててゆくこと、再挑戦すること、協力することなどが語られるショーになっているのが、日本の少しづつ抑制され、再挑戦がなく、足を引っ張り合うという日本の状況と対になっている。

ステージを見ていると素人から見ても「ああ、これはダメだな」ということがわかる人たちがいる。声が悪ければ歌では成功できないし、さらにルックスだけで上位に行ける人もいるというかなり不公平な社会だ。さらによく考えてみると、やっていることは「かなりチャラチャラした」アイドルというジャンルである。ものすごく無駄に思えることを一生懸命にやっているのだ。

問題も起きている。大手事務所は活動が制限されるPRODUCE X 101には人は出したくない。SM(の音楽部門)はオーディションへの参加者がいなかった。しかしYGは脱落組が参加しており却って「YGってこの程度なのか」という印象を与えた。JYPに至っては過去の素行問題が明らかになり番組から降板する事態になっている。

韓国経済は日本よりも単純な産業構造であり市場規模も大きくない。中国が伸びるとそれにつられて伸びるが中国経済が停滞すると真っ先に影響を受けるという運命にある。韓経:韓国の経済成長率、OECD22カ国中「最下位」という記事があった。このため財閥系企業や芸能界といった限られた分野に人が殺到する苛烈な競争社会になっているのだろう。

さらにリベラルな文在寅政権が最低賃金を上げてしまったことで低所得者が却って仕事をなくすという状況も生まれたようだ。なぜかスポーツソウルが韓国で「最悪」の経済格差が…“所得が低い人”ほど給料も働き口も失うのはなぜ?にまとめている。わずか100円最低賃金をあげただけで最低賃金層が失業してしまうような国なのだ。

日本のテレビがくだらないからと言って日本社会が全て悪いということにはならないのだが、それでもやはりお互いが否定しあい潰し合う様子を見るよりも、協力しながら成長して行く物語の方が見ていて面白い。

いずれにせよ韓国の番組を見ると日本社会のこともよくわかるようになると思うし、それ抜きで見てもショートして面白い。PRODUCE X 101はCS放送とインターネットテレビで視聴することができ、YouTubeの動画を合わせて立体的に楽しむこともできるようにもなっている。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement



参議院議員選挙が終わった瞬間に景気がガタ落ちするかもしれない……

2019年1月〜3月期のGDP速報値が出てきた。輸出・輸入が減ったために形の上で赤字がなくなり、さらに公共事業と住宅投資がGDPを押し上げたことになっている。




もし速報値が悪ければこれを言い訳にして消費税増税延期を言い出したかもしれない。だが、それはできそうにない。一方で、内需はかなり傷んでいるようである。全て政治が悪いとは言わないが、企業は依然として国内市場に賃金を供給しようとはしないし、高齢化が進めばそもそも収入がない人が増える。そこで政府は躍起になって高齢者を経済に動員しようとしているという具合である。

政権に批判的な毎日新聞と東京新聞はネガティブな書き方をしている。東京新聞は「アベノミクスの是非が問われる」と書いているが、東京新聞の読者がアベノミクスに賛成のはずはない。

ここにきて消費税増税の判断に注目が集まっているが、安倍晋三首相が三たびの延期に踏み切るかどうかにかかわらず、はっきりしていることはある。六年以上、大規模な金融緩和と財政出動を繰り返してきたのに、多くの国民が安心、納得して消費税増税を受け入れられるだけの状況をつくり出せなかったということだ。夏の参院選では、アベノミクスの是非が問われることになる。

見かけの成長 下支え欠く GDP速報値

読売新聞は住宅需要が伸びている理由を書いている。消費税増税前の駆け込み需要なのだそうだ。消費が伸び悩んでいるのにもかかわらず住宅が売れているのにはそんな状況があるのだ。この数字も増税後(あるいは延期後)には消えてしまう。

読売新聞はもう少し露骨に公共事業依存を要請するのかと思った。「政府が長期戦略を立てればなんとかなる」ときれいにまとめてしまっている。地方としては「細かいことはどうでもいいから手っ取り早く公共事業をやってほしい」と要請するのではないかと思うのだが、その声は東京には届いていないようだ。

民需が主導する経済の実現にも注力したい。賃上げの継続や先端産業の育成など、長期的な戦略が重要だ。政府は6月にもまとめる「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)などで、実効性ある具体策を示さねばならない。

GDPプラス 内需の弱さに警戒が必要だ

日経新聞は米中貿易摩擦などのニュースが「企業の設備投資を冷え込ませているのではないか」と懸念している。内需も芳しくなく、住宅も消費税増税前の駆け込み効果であり、その上外需も芳しくない。総合して読むと「良いところを見つけるのが大変」というかなり危うい構成になっているのだ。

深刻化する人手不足を踏まえれば、継続的な省力化やIT(情報技術)投資が不可欠のはず。しかし製造業では中国に関連する投資を手控える動きが出ている。

[社説]内需に不安を残した「2%」成長 

こんなお寒い状況なのだが、新聞は最後まで批判ができない。いろいろな新聞を読むと「ファンダメンタルは好調」と書いてある。最近の政府の口癖である。給料は下がっているが人手不足なので完全雇用状態にあり従って経済基調は好調であるという自己催眠をかけているのだ。

総理が力強いリーダーシップで消費税増税を決断するまでは、官邸も友党も何も言えない。菅官房長官は「GDPの速報値は消費税増税に影響しない」と言い続けており、景気が後退局面に入った可能性もあるのに公明党は「回復基調にある」と言い張っている。

麻生副首相はさらに露骨だ。

その一方で麻生副総理は、「今年度予算が執行されるのはこれからであり雇用や企業収益は高水準を維持し、ファンダメンタルズから言えばしっかりしたものが続いている」と述べ、今年度予算の執行などを通じて今後、景気は上向くとの見方を示しました。

1~3月のGDP 内需に弱さも今後は景気上向く 麻生財務相

そもそも駆け込みの住宅投資と公共事業が支えている形なのだが、これからはもっと予算が執行されるから大丈夫だと言っている。これは選挙前のことなのだろうから、選挙の後で消費税が上がった後どうなるかわからないということになる。

これらを素直に読むと、自民党はとにかく参議院議員選挙が終わるまでは公共事業でもなんでもやってGDPをよくしておきたいと思っている可能性がある。つまり10月以降はかなりまずいことになる可能性があるということになる。

が、その後には反動消費減がやってくる。もしその頃米中貿易摩擦が終わっていなければ外需にも期待できないわけで、安倍一強の中で経済停滞というような状況も起こりかねない。

ここで勝ちすぎてしまうとソリューションがないなかで、自民党だけが非難されることになる。関係者たちは密かに「野党にも少しは頑張ってもらわないと」と思っているのではないか。野党の反対で改革が進まないと思わせるためには一定の存在感が必要だからである。

サイト内Google検索


Google Recommendation Advertisement