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消費税と衆愚政治

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消費税増税はいつまでだったら止められますか」という質問があって頭を抱えた。衆愚政治の恐ろしさを象徴していると思ったからだ。

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そもそも消費税増税は「取り方」に関する議論であり「使い道」の議論ではない。だがいつの間にか使い道の議論になっている。今これに足を取られているのが山本太郎参議院議員だ。

山本議員は「消費税は福祉目的には使われていないらしい」と言っているようだがそれは当たり前である。もし目的税ならそのための箱を作ってそこに限って会計を切らなければならない。そんな会計はないのだし、そんなものを作れば利権の温床になるに決まっている。消費税とは間接税を政治利権構造から切り離し単純化するための施策だったはずだったのに、いつのまにか当初の目的は失われている。

安倍政権も半分この嘘の説明を信じ込んでいるらしい。「新しい税金が入る」となるとウキウキしてその使い道を考えてしまうのだろう。竹下内閣はふるさと創生と言って各自治体に1億円ずつばらまいたが、安倍政権も教育無償化の原資だと言って憲法改正にまでつなげようとしているのだ。これが衆愚型民主主義の限界点である。安倍首相は我々衆愚の代表なので、戒めの意味も込めて衆議院を衆愚院に名称変更すべきだろう。

議論が混乱するのは、わかっていない人がわかっていない人を攻撃するからだ。財務省の役人も頭を抱えているかもしれない。官僚はやる気を失っているようで、経産省の役人はついに覚醒剤に手を出して省内で使っていたそうだ。

山本さんのような議員さんが一定いるのは仕方がないとして、政権中枢もかなりおかしなことなっている。実は2019年度予算はもう執行されているのだが、5月に入るまで幼保無償化の根拠となる法律改正がなされていなかった。つまり使い道だけ決めたが、その使い道を正当化する法律がなかったということになる。さらに使い道を決めたのに今更やめたいと言っている人たちを抑えきれていないのである。

このようになったのは参議院選挙が予定されていたからである。本来ならば新予算執行に合わせて消費税増税を決めればいいのだが、それはやらなかった。半年先に延ばしたのだ。するとそれを当て込んだ(と説明している)幼保無償化の財源がなくなるので、幼保無償化も時期をずらし途中執行とした。選挙を前提に全てを計画しているので手続きがぐちゃぐちゃになる。

改めて思い返すと、そもそも最初の説明が「嘘」であり、そのつじつまを合わせていろいろ説明しているだけなのだが、それに選挙を重ねてしまったために、何がなんだかわからなくなっている。

衆愚院が暴走したらそれを抑えるのが参議院の仕事だ。だが、参議様(天皇の輔弼をして長期的視野に立って物事を考えるという元の意味がある)は「デッドボールくらい投げないとダメなんだよ」などと言い出しており、もういったい何の議論をしているのかがさっぱりわからない。

だが、こうした複雑な理論構成(とはいえ元々の目的と議論内容がずれていますよねという程度の話だが)がわからなくても、消費税が8%から10%になると税金が上がることは誰にでもわかる。これは単純な算数だからだ。なので、「普通の人たち」が多く政治に参加するようになると、消費税増税に反対する人が増える。しかも彼らはその他の能力から自分の政治認識を過剰に評価する傾向がある。これをダニング・クルーガー効果というそうだ。衆愚と参議が場内乱闘・場外乱闘を始めると、自分は政治について詳しいだろうという大衆を巻き込んでわけのわからない議論が延々と続くことになるのだ。

ただ、わけのわからない議論とはいえ主権者様の要望なので、要請が強くなれば政権は消費税増税を止めざるをえなくなる。そして止めるのは9月30日でも構わない。すると予算に穴が空くので「国債でなんとかしろ」と財務省にネジ込むことになるだろう。権限上官僚側はそれを拒めないが、官僚は最終責任も取らない。

なぜこうなってしまうのか。それは官僚と政治家が別のコミュニティ(村)に分離してしまっているからだろう。もともと一つの村が「なんとなくつじつまが合うように」話を作ってから、民衆に提示して気分良く「イエス」と言わせていた。ところが、これが成り立たなくなると「政治家だけ」がストーリーを作るようになる。村構造は明示されない構造体なので、元の形が壊れると再現ができないのである。

つまり、問題は、我々民衆が衆愚であるということではなく、日本の政治が実際にはどのようなやり方で統治されていたのかということを認識していなかった点にあると思う。日本人は集団指導体制の社会でありその意思疎通は細かな日々の接触や長期的な人材交流によって成り立っていた。我々は政治指導の名の下にそれを切り刻んでしまいもとに戻せない。ちょうど家電の仕組みがわからないのにとにかくバラバラにしてしまった子供に似ている。これを解体して民主主義社会になるのか、それとも民主主義の皮を被った人治主義に戻るべきなのかはわからないが、いずれにせよ今のままでは日本は漂流し続けるだけになるのではないだろうか。

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