アフター・コロナが安倍総理では乗り切れないたった一つの理由

本日は「アフターコロナは安倍総理では乗り切れないのではないか」ということを書く。こう書くと「では誰がいいのか」ということになるだろうし、そもそもアフター・コロナやポスト・コロナとはどのような世界なのだろうかと思う人もいるだろう。

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中国が尊敬されない理由

香港の国家安全法が全人代で決められた。香港市民の頭越しだったそうだ。香港市民はこれに反発しアングロサクソンの国を中心に抗議声明も出された。これに対して中国人からは「香港には中国支配を歓迎する人もいる」と反発する声も上がる。確かにそうかもしれない。であればなぜ香港の問題はこれほど世界から反発されるのか。それは中国人が持っている民主主義観によるものだろう。ではそれはどんな特徴を持っていて日本人はそこから何を学べるのだろうか。

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マスクはなぜ値崩れを起こしたのか

本日はマスクはなぜ値崩れを起こしたのかということを考える。これが重要だと思うのは日本ではなぜハイパーインフレが起きないのかということを考えるきっかけになると思うからである。背景には二つの事情がある。裁定取引だけを狙う中間業社と消費者の防衛意識だ。おそらく二つがあってはじめてこの現象が起こるのだろう。

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持続化給付金は困っている人ではなく総理のお友達に確実にお金を届ける仕組みだった

持続化給付金について取り上げたところメールやコメントでレスポンスをいただいた。システムがかなり杜撰なようだ。この杜撰な仕組みづくりを見ていると持続化給付金というのが困っている人ではなく一部のお友達を助けるための装置でしかないことがわかる。ただ、以前ならマスコミに隠蔽されていたであろう問題もSNS・個人ブログ・週刊誌などの組み合わせによって暴かれることが増えてきた。鍵になるのはメディアリテラシーだ。メディアリテラシーのない人は騙され続けるという世の中になってきているのである。

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スーパーシティ構想という無能なクーデターが監視社会批判につながるまでの絶望的な顛末

前回は、スーパーシティ構想が無能なクーデターだと書いた。こういう決めつけ的なフレーズは本質を表していなくてもTwitterで受けることがある。ただ、この話は何というかそれだけで終わらせるのは惜しいところがある。日本人が集団で無脳化している様子がよくわかるのだ。

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テラスハウスの出演者が亡くなったという話

テラスハウス(Netflix)に出演していた木村花というプロレスラーが亡くなった。死因は発表されていないが自殺だと考えられているようだ。ネットには「SNSでの誹謗中傷はやめるべきである」という声が多数寄せられているようだが、おそらくこの種の事件はなくならないだろうと思う。極めて日本的な村の構造に立脚しているからである。

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持続化給付金をめぐるシステムトラブルとそれを伝えないマスコミ

どうやら日本はITという面では後進国になってしまったようだ。今回はその原因を考える。日本の「老害」を排除しないとこの問題は解決しないのではないかと思った。日本が旧式のシステムで頑張っているのは例えて言えば東ドイツがトラバントで満足しているような状態である。このせいで日本の生産性は著しく毀損しているが、遅れにさえ気がつくことすらできなくなっているのではないだろうか。

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実は単なる思いつきにすぎない9月入学論が亡霊のように復活した

新型コロナでいろいろややこしい話がいくつも出ている中、突然政治的に浮上した話題が二つある。一つは黒川検事長の定年延長問題に始まる一連の議論で、もう一つが9月入学議論である。黒川さんの話は割と狙いがあけすけだったがが、この9月入学説がどこから出てきたのかがよくわからない。調べてみるとかなり筋が悪い話のようだ。もともとは単なる思いつきなのである。

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黒川弘務の最後 政治は妬み嫉みで動く

黒川検事長が辞任を決めた。最後の決め手は三権分立でも安倍総理の政治決断でもなく「賭け麻雀」だった。昔から好きだったそうだ。「元記者」が参加した朝日新聞は早々に認めたが産経新聞は取材の一環だからお答えできないとしている。いずれにせよ政治は論理では動かず周りの状況に合わせて水のように流れてゆく。この話も後に何も残らない。黒川さんがどの程度の賭け麻雀をやっていたのかはわからずじまいかもしれない。政府の処分はちょっと注意するという意味の「訓告」だからである。おそらく黒川さんが諸政権との間でどんな役割を果たしていたのかもわからずじまいだろう。民主党政権にも探られたくない事情はあるはずである。

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