クリエイティブな脳の作り方

日々、検索キーワードを眺めていると、いろいろ面白いものがある。今回は「クリエイティブな脳の作り方 本」というのがあった。クリエイティブってなんだよ、とひとしきり毒づいたあとで、気を取り直してこのテーマについて考えてみることにする。
「クリエイティブってなんだよ」と毒づくのは「ネットでクリエイティブって検索して、すぐに見つかるほど甘いもんじゃないよ」という気持ちがあるからだ。多分、検索して1時間くらい本を読んだら「クリエイティブになれる」くらいの安直なものを探しているのだろうなどと思ってしまう。
ところが、世の中にはそうした人たちに向けて書かれた本というのが実際に存在する。『リファクタリング・ウェットウェア – 達人プログラマーの思考法と学習法』の「ウェットウェア」とはつまり脳の事である。著者は「本書で紹介するテクニックを実践すれば、読者の学習スキルおよび思考スキルは向上、日々の生産性を20%から30%改善できる」と主張している。
この手の本はいくつも存在する。しかし、本が指南するのは生産性を上げる方法であって、それが「必ずしもクリエイティブであるか」とは限らない。
そもそもクリエイティブってどういうことなのだという問題は残されたままである。
次の本はウォートンビジネススクールが出版した『インポッシブル・シンキング 最新脳科学が教える固定観念を打ち砕く技法』という本だ。この本は「メンタルモデル」について書いている。
メンタルモデルとはいわば「固定概念」や「思い込み」の事だ。メンタルモデルを持つ事自体は悪い事ではない。メンタルモデルがあるおかげで人は様々な情報を知識として理解することができる。
しかし古くなったモデルは様々な問題を引き起こす。そこでモデルそのものを疑ってみる事で、新しいアイディアを得ようとするのがこの本のアプローチである。
この本の優れた所は「固定概念はいけないことだ」との断定を避けている点だ。逆に古いモデルを完全に捨ててしまうことで起こる不具合というものも存在する。また、新しいモデルを他人に受け入れてもらうためにはどうしたらいいのかという点 – いわゆるチェンジマネジメント – についても言及している。新しいアイディアを考えても、現実に受け入れられなければ意味がないという姿勢が見える。
最初の本『リファクタリング・ウェットウェア』は、自分の与えられている職務の範囲でのクリエイティビティを扱っていた。ゴールそのものには意義を差し挟まない。ところが、ビジネススクールは経営を扱っているので、チーム全体が生き残れるように最適なモデルを提供する必要がある。
同じ「クリエイティブ」でも、そのレイヤーによって違いがあるらしい。だんだんと「クリエイティブ」が何を意味するかということも明確になってきた。
次の本は名著『天才はいかにうつをてなずけたか』である。Amazonの書評は辛い。実際にうつ状態にある人が解決策を見つけようとして、この本を買うらしい。ところがこの本は「うつを克服する」方法には触れていない。「どう、てなずけるか」というのは「うつ状態」が持つ役割について理解する、折り合いをつけるということだ。
いっけん、クリエイティビティとは関係がなさそうだが、人間の創造性の破壊的な側面について書いてあるともいえる。創造力というのは、現在にないコンセプトやメンタルモデルを作り上げるということだ。
心理学、政治、物理学などの課題にまじめに取り組んでいると、革新的なアイディアに行き当たることがある。『インポッシブル・シンキング』と用語を揃えると、こうした「メンタルモデルの変更」は人生やキャリアそのものを大きく脅かすことがある。
しかしながら、それを乗り越えた所に偉大な業績がうまれることがあるのもまた事実だ。チャーチル、カフカ、ニュートン、ユングなどの事例を紹介しつつ、彼らの「創造性」について考察している。
このレベルの創造性は「社会的な常識との折り合い」が付けにくい。人が一生をかけて身を投じるレベルの「創造性」だ。また「創造的になろう」と思ってこのような境地に至ったということですらなさそうである。
多分「ネットでクリエイティブについて検索してやろう」と考えている人は、このようなレベルのクリエイティビティを求めているわけではないと思う。例えば、日々CMを作っている「クリエイティブなディレクタ」が、全く創造的な映像表現手法を思いついたとする。それは高い確率で「お茶の間にはそのまま流せない」ような映像のはずだ。この考えに取り憑かれたディレクタが、その後も仕事を続けたければ、その思いつきをきれいさっぱり忘れてしまう必要がある。
いずれにしても、クリエイティブであるということは、オリジナルであるということと同じ意味らしい。そのためにはキャリアの最初に「ただひたすら作る」とか「経験を積む」というスキルを伸ばす時期が必要だ。
今回、ご紹介した本は、例えば「オリジナリティのある帽子を作りたい」というような人には向かないかもしれない。しかし、考えてみれば専門学校を卒業した時点で何の蓄積もなく「オリジナルでクリエイティブな帽子」が作れるはずはない。もし、若くしてオリジナルな何かが作れるとしたら、それはその人が持っている特性とか経験や物の見方に根ざした何かがあるからだろう。また「クリエイティブな帽子」が出てきた背景には、なんらかのマインドセットの変更があるはずだ。
ことさらに「クリエイティブ」になろうと思わなくても、人間の脳には「クリエイティビティを指向する回路」というものが組み込まれているのではないかと思う。でなければ、人生が台無しになる危険を冒してまで創造性に生きようという人が出てくる理由が説明できない。

ユングとクンダリニーヨーガ

ちょっとしたスケベ心もあり、ユングがクンダリーニについて言及している本(クンダリニー・ヨーガの心理学)を読んだ。ユングの4回のレクチャーに、付録と解説がついている。ちなみに、この本にはスケベ心を満足させるようなことは一切書いていない。主に人が個人の根源的な欲求から出発して、これを昇華させるまでの様子を西洋と東洋を比較しながら解説している。しかし、その態度は「実践はお薦めできない」というようなもので、理論を遠巻きに観察するという様子だ。一方、クンダリニーヨーガの神髄は実践にある。暴走の危険性もあるので、既にプロセスをマスターした師匠について学ぶべきだと考えられている。
西洋人は金融恐慌と「はじめての」世界大戦を経験していた。その時代になって「無意識」が「発見」される。ユングは少し進んでこの中から「個人を越える心理的な状態」というものを発見しつつあった。ところがインドの体系では、既に無意識や個人を越える心理的な状態というものは当たり前のように実践されていた。レクチャーにはカトリック教会が果たした役割について言及されている。キリスト教は「善」と「悪」を教会が分別するという方法を取った。このため、無意識下の働きのうち教会が悪だと考えたものは予め抑圧されてしまう。ユングは「悪い無意識」として否定されていたものに対して、新しい評価を与えようとしていたと考えられる。
ユングは晩年になって自分が作った体系を異質なものとかけあわせることによってリファレンスしようとしていたように思える。例えばこの本の中には例の「夜の航海」が出てくる。これはヨーガの修行の中では比較的低位のプロセスと関連して言及されている。いったん、情動に飲み込まれてしまう状態だ。双方に関連するキーワードは水で、人は「水に飲み込まれて溺れる」ような状態に陥るというのである。現代的にいうと「コラボ」だが、パウリと共同して物理学と心理学の「コラボ」も試みている。
日本人にとって興味深いのは、我々が可能性としてはインドに代表される東洋的な体系と、(ここでは)ユングが代表している西洋的な体系の両方を実感できるポジションにあるということだ。今回の考察で見て来たように、私たちは自明の事として「集団と個人を分けない」社会観を持っている。と、同時に「自分らしくあらなければならない」とか「それは自己責任だ」というように、西洋流の自分観を取り入れている。こうした見方の違いが子育てで抜き差しならない不調を事もあるし、ファッションに新しい価値を与えたりもするのだった。場合によっては気がつかないうちに「両方を使いこなす」必要にせまられるかもしれない。
インドの体系は仏教を通じて日本に流れ込んでいる。仏陀のレクチャーをまとめたものから出発した仏教は、中期に入ってヒンズー教との競争にさらされる。この過程で呪術的なものを取り入れる。中国人のフィルターを通じて日本に流れ込んで来たのが「密教」の体系だ。普段の言葉遣いにも仏教系の用語が豊富に含まれる。本の中には鈴木大拙の十牛図についての解釈が出てくる。いったん意識的に捕まえてしまえば「探索は意味を失う」というようなことだ。だから追いかけていた牛(牛だけではなく全てが消えてしまうのだが)は一度消えて、探索者は日常生活の中に戻るのだ。つまり、私たちは一度知っていたことを忘れてしまっただけかもしれない。
ユングは東洋の体系をそのまま理解することはできず、枠組みを見ているのだが、私たちは両方を理解しつつ、人が本来持っている意識、無意識、個人、集団といったものについて考察することができるわけである。
さて、この本のおもしろさは別のところにもある。議論の様子を読むので、その場の活気がなんとなく伝わってくる。ユングのレクチャーは人気が高かったようだ。参加者も熱心に無意識の問題について取り組んでいるのだが、質問を受けたユングは、辞典などを使わないで即座に世界のシンボルをリファレンスしながら質問に答えている。話がおもしろく、活気もあり、これは人気が出るだろうなあと思う。時代が体験した不調を出発点にして、人の心理構造について、より詳しく学ぼうという気運が高まった時期なのではないかと思う。

赤の書

いつも、すぐに役立つ情報を集め、実用的な言葉を発信しようなどと考えてしまう。ところが、世の中には誰にも見せるつもりがないのに、後世に残る作品を作り上げてしまう人もいるらしい。
その情熱はいったいどこから来るのだろう。
図書館でC.G.ユングの赤の書 – The“Red Book”を借りた。週刊誌で紹介されているからか後続には予約も入っていた。じっくり読めば一生かかりそうで、精読するのは諦めた。
まず原文が目に入る。一瞬「しまった、ドイツ語は読めない!」と思う。全て手書き。図表や絵が入っている。ユングの研究書を読むと、これは「芸術作品だから」という女性の説得を拒絶するエピソードが出てくる。なるほど助成の、このいうことも分かる。なぜか最後は筆記体になっていて、途中で終っている。文字には意味ありげに色がついていたりする。
この壮麗な本はどうやら公表するつもりもなかったらしい。まるで自分の聖書を自分のためだけに編纂しようとしているようだと、僕には思えた。
日本語訳はそのあとに続く。精読しないようにしようと思うのだが、時折あるエピソードに引き込まれる。ところどころが物語風だ。そして解釈が入る。もし隣のおじさんが電車の中で同じような話をはじめたら、キチガイだと思うだろう。ユングはこのように湧き出てくる妄想をおさえきれず、かといって現実との区別が曖昧になることもなかった。キリスト教を逸脱した妄想に罪悪感も持っていたようだ。
翻訳はハードワークだっただろうなと思う。もはや本は売れない。だからこの本も大して語られることはなく、いままでと同じように一部の人たちの聖典として扱われるのだろう。でも翻訳せずにはいられない人がいたに違いない。冒頭の第一次世界大戦の予知的な「妄想」の部分はまたじっくり読んでみたいなと思う。
この本を一本のエントリーで語り尽くせるとは思えない。ただ、このエントリーを書いておきたいなあと思ったのは「内面的な妄想」の重要さを感じたからだ。彼は自分自身の想像と向かい合った。この妄想が「外的な影響を受けていない」(つまり、根源的なものである)ということにかなりのこだわりを持っているようだ。
オリジナルがどの程度重要かということは、21世紀の現在にはまた別の解釈がありそうだ。20世紀の活動を経てリミックス、再編集、コラージュも芸術として受け入れられているからである。
とにかく、公表するつもりがなかったことから「外的な評価のために書いているのではない」という点が重要なのだろう。芸術ではないのである。よく「内向的な性格」というが、気軽に使ってくれるなよと思う。凄まじい内向である。
この壮麗なページ作りなどを見ていると「作品集」のように見えるのだが、彼はそのためにグラフィックデザインの知識、分かりやすい文章の書き方などの研究をすることはなかった。多分「物語の書き方」のような本も読んでいないだろう。ただ、内面と向かい合い、それに形を与え、最後に体系化することに成功したわけである。しかしでき上がったものは結果的に「美的な構造」を持っている。職業的なデザイナーは一度目を通してみるといいのではないかと思うくらいだ。
ユングの世界は、後世の創造物に影響を与えた。心理学としてのユングを知らなくても、スターウォーズなどのユングの影響を受けた作品を見た事がある人は多い。
何かを書くときに「どうしてこれを書くのか」「どう役に立つのだろう」などと雑念を持って向かい合う事が多い。絵がうまい人は、出来合いのキャラクターを真似た「作品」を作り出してしまう。それを褒められたりすると、創作物は徐々に内面から乖離してゆく。
一方「何かを書かずにいられないのだが、何のために書いているのか全く分からないし、発表するあてもない」という人もいるはずだ。外的世界に当てはまるものがないから書き続けているわけだから、外的世界と逸脱している事に悩み、評価される当てがないことに悩む。
しかし、内的な妄想も突き詰めて行くと、一つの時代や学派を作る可能性がある。これが今回言いたいことである。だから諦めてたり、疑問を持ったりせずに、進んでみるべきだと僕は思う。囚われてしまったことは不幸かもしれないが、その作業は無意味ではないだろう。
さて、この文章を書いたのにはもう一つ理由があるかもしれない。街を歩いているときに目の前がぐらぐらとした。鉄柱の多い街なのだが、鉄柱がきしきしと音を立てて揺れ、目の前でアスファルトにひび割れが入った。そして帰り着いたころに、いま来た方向から火の手があがり、どかーんという爆発音がしたのである。(どうやら化学工場が爆発したらしい)そんな中、普段は他人同士の人々はお互いに声をかけ情報を交換しあっていた。確実に存在すると思っていた地面が実は動いていて、私たちが思う程確かではないと実感したからであろう。
うすらぼんやりと思ったのである。こんな風にユングの地面は常に揺れ続けていたのだろうな、と。彼がこの本に取り組んでいた期間を考えると少なくとも十数年はそんな状態だったに違いない。だから彼は何かを書かずにいられなかったのだろう。
(2013/1/7:書き直し)

中年の危機とその意義

中年期には余裕がない

「厄年」と呼ばれる年齢に達すると、自分の人生はこのままではいけないのではないかという漠然とした違和感を感じる。しかし、この年齢の人たちは社会的な責任と義務を抱えてる。会社では役職が付き、支えるべき家庭もある。さらに、家のローンも残っている。
迷っている場合ではない…と感じるのが当たり前だ。
ところが、このちょっとした違和感は単なる気の迷いではないかもしれない。それどころか、社会を変革するための重要な原動力になる可能性もある。また、中年の危機を見過ごすのは、個人ではなく社会にとって大きな損失になり得る。

なぜ中年の危機が起こるのか

そもそも、中年の危機はどうして起こるのだろうか。
ユングは社会的な目標人格の縮小という犠牲なしには追求できないと考えた。つまり、人は好き勝手に生きて行くことはできず、必ず社会の要請に従って生きて行くのである。しかし、縮小された人格はそのままでは収まらない。必ず無意識の補償作用が起きている。抑えられたものはどこかにはけ口を求めるのだ。
これが精神的な不調につながる。この不調が顕著だと、40歳頃に抑鬱状態が起こることがある。そして50歳くらいになるとついに耐えきれなくなる。問題がここまで放置されると、かつて持っていた目標は色あせてしまい、ひどい場合には回復しないこともある。
人格は対立しかねない複数の要素から成り立っている。対立構造は人によって異なる。これを一つに統合して行くのが人生の目標だ。この統合過程を個性化と呼ぶのだが、社会的に発展させているのはその内のほんの一部なのである。自分の人格が何であるかとは関係なく社会に要請された役割を演じているだけの人もいるだろう。

深刻な対立を統合するためにはどうすればよいのか

複数の人格的な要素を統合するにはどうすればよいのだろうか。
対立は「どちらか一方を採用する」ことでは解決できない。しかし、何が対立しているのかを意識すると「過大成長」とも呼べるような新しい成長が起こる。すると、対立は過去のものになる。ユングは成長に頼る解決方法が害をなす可能性を指摘する。35歳以前には成長のための準備ができてないし、対立に捉えられてしまうしまう場合もある。

危機の修復は自発的な作業だ

対立を乗り越える作業は自主的に行われなければならない。内面と環境から解決のヒントを得て、自分で乗り越えて行く。医師は側にいて手伝いをするだけだ。その人の内側に何があるかを知るためには、その人が生み出すファンタジーや無意識が反映する夢を考察するのが「ユング流」のやり方だ。
赤の書 – The“Red Book”』はユング自身が書いた壮大なワークブックだ。ベストセラーを目指して書かれた訳ではないし、そもそも公開することすら目標になっていない。他人が読んでも意味はよく分からない。多分、買って読むような本ではないが、一度は眺めてみる価値がある。
さて、中年の危機が必ず厄年(数えで42歳)で起きるとは限らない。違和感を得たときが、この「過大成長」のチャンスかもしれない。社会は個人の集合体なのだから、個人の成長は社会の成長につながるだろう。
一方で、生産性の低下というコストを支払う必要がある。この時期に大幅な目標の再設定が起こるからだ。つまりこの時期は生産期ではなく、新しい成長へ向けての休眠期だということがいえる。人によってはこれを人生からの落伍失敗だと捉えるのではないかと思う。
日本ではこの時期を男性の厄年と位置づける。プレイヤーから貢献者や見届け人といった、地域の「役」に就く年齢に当てられる。厄年が「役年」だと言われる所以である。ユングのいう個人化のプロセスとは異なるのだが、その人の役割が大きく変化するという意味では似通っている。
現代の日本社会はこの厄年という「非生産性」に割くコストが捻出できなくなっている。この時期は会社では出世競争の最終段階だ。主流ポストに就けるかという瀬戸際なのだ。この結果、多くの人が青年期に設定したゴールをなんとか抱えながら定年期を迎えることになる。選択肢の幅は狭い。また、地域には果たすべき「役」もない。
現代と同じく、ユングの時代もこうした違和感を「個人の不調だ」と考えた。
日本社会には根強い正解の文化がある。製造業の強い社会らしく、社会が正解を設定し、不良品をはじいて行くという仕組みができ上がっている。正解からの逸脱は、不良品として扱われるリスクでしかない。

不調がもたらす壊滅的な破壊

高度経済成長が終わってから、男性の自殺率が上がっているといわれる。主な理由は経済の不調だ。経済の不調はその人の社会的人格の全否定につながる。同時に健康を損ね、家族を失ってしまう場合もあるようだ。逆に、健康を損ねて経済活動を維持できなくなり、それが経済の不調につながることもある。
正解から外れたことを理由に死を選ぶ人もいる。みずからベルトコンベアから降りてしまう)のが日本の現状だ。
しかし、人格の発展は、必ずしもいまある社会を肯定するとは限らない。人によっては社会を根本から破壊することもあるだろうし、そもそも、正解のない個人的な作業だから、それが「善」か「悪」かは分からない。

私達は中年の危機に対峙するべきか

個性化プロセスを完成させる事ができる人は、内側の声に気づき、因習の代わりに個性を発展させることを決意し、孤独に耐えつつ、新しい目標を設定できる人だということになる。まるで修業のようだ。ユングは夜の海を行くようだとする。また別の文章では人格の追求は道(タオ)を追求するのに似ていると考察する。
さて、我々は、社会善になるかどうかも分からなければ、生産性を改善するために役に立つかどうかが分からない事柄に対して、真剣に取り組む必要があるのだろうか。ある意味「道の追求」は、内面から何か役割を与えられるようなものだ。やり過ごすことができるのであればやり過ごしても構わないだろう。
しかし中年の危機に捉えられた人は、この事を自分だけの問題だと考えずに、同じ問題に対面している人の為に何ができるかを考えてみるとよいかもしれない。自分自身の危機を解決することによって、似たような問題を抱えている人の手助けになる可能性もあるからだ。
また、人の問題を社会のために解決してやろうとは思わない方がいいように思える。結果として、自分の問題を棚上げにして、他人の問題のための奔走することになりかねない。

変革は個人の成長が主導すべきだ

様々な行き詰まりを目の前にして、フォロワーは英雄を待望している。我々がまだ気がついていないやり方でたちどころにこの閉塞感を打開してくれることを期待する。しかし彼らの辛抱は半年ほどしか続かない。当初の期待が失望に変わる。
我々は「変革」を期待しつつ、自分たちが変わることは望んではいない。しかし社会が一夜にして、全ての人を満足させるように変わることはあり得ない。結局溜まった力は制御不能になってはじめて我々の社会を変える力を生み出すことになるのかもしれない。それはとても不幸なことだ。
暴力を排除しつつ社会的な変革を目指すためには、個人が少しづつ変わって行く事が必要である。そのためには、違和感を大切にしたうえで、個人個人が自分が何をしたいのかを自分自身の言葉で考察できるような意識を持たなければならない
このようにして、個人の中年の危機は社会変革に大きく関わっている。私達は中年の危機を単なる個人の不調と捉えるのではなく、内面的な違和感が持っている社会的な意義を再評価すべきだ。
2013年2月4日:書き直し

タイプ論と補償

昨日までの文章をもとに、エセンシャル・ユング―ユングが語るユング心理学を読み直した。タイプ論は、ユングの臨床的経験から演繹的に導き出されたようだ。つまり、いろいろな臨床経験をまとめ、それを体系化した。体系化する上で単純化も起こっているだろうから、これを「私はこのタイプ」というように、人を分類するために使うべきではないと言っている。単純に内向性感覚型という人はなく、バリエーションが存在するから
である。後に成長に関する議論が出てくる。このプロセスを個性化というのだが、もはや個別のタイプについて言及されることはない。ここで重要なのは、偏った態度が別の態度によって「補償される」つまり心はバランスを取るだろうという自己調整に関する仮説だ。なぜ、補償されるかは良くわからない。ただ、そう考えると臨床的な現象が説明できる、というように記述される。
心の態度には「対立」が観察される。一方を優等とするなら、もう一方は劣等機能だ。これを同時に満たす事はできないように思える。しかし地上にいると対立するように見えるものが、上空から見ると一つの景色を形成していることがある。こうして、人格を一つのものとして見る事ができたとき、両方をバランスよく扱うことができるわけだ。
ここまでは個人の問題だ。ここから先に「善・悪」と言ったような問題や「社会が因習に支配されているのに、自分なりの道を歩み始めた孤独な人格者」というような問題が出てくる。社会が意識されるようになるわけだが、次第に共時性(シンクロニシティ)や宗教との関わりが出てくる。ユングの興味深く、同時にオカルトめいた分野だといえるだろう。
さて、タイプ論に話を戻す。このエセンシャルユングには詳細なタイプ論は出てこない。ほとんどが内向外向について言及されており、思考・感情、直感・感覚については短く触れられているのみだ。

  • 思考:それが何を意味するものかを教える。
  • 感情:その価値を確認する。
  • 直感:どこから来て、どこへ行くのかを推測する。
  • 感覚:存在するものを確認する。

ユングはこうまとめる。
あまり考えすぎると、自分がどう思っているのかが分からなくなる。故に極度に考える癖を持っている人は感情を疎かにするようになるだろう。この人にとって感情は劣等機能だ。同じように直感はアウトラインを掴む機能なので、細かなことは覚えていられない。「赤いつやのある口紅をして、髪には緑の髪飾りがあって素材はシフォンだった」と考える人は、却って全体像を良く覚えていないものである。
こうした態度の違いを「性格」と呼んだりする。MBTIテストではこうした違いを把握して、コミュニケーションの円滑化にいかそうとする。性格テストのよい所は、手軽に人の癖を把握できるところだろう。しかし、実際には問題はこれほど単純ではない。
タイプ論の中に45歳のアメリカ人実業家の事例が出てくる。この人は若くして成功し、莫大な事業を築き上げた。そして引退して贅沢な生活を送ることにする。乗馬、自動車、ゴルフ、テニス、パーティーなどなどである。しかしそうした贅沢なトロフィーは彼の人生にとって全く無意味だということに気がつく。怒りに任せて行動するようになる。不安に襲われ、死にたいと考える。で、あればと考えて仕事に復帰したのだが、彼は仕事がもはや彼を満足させないことに気がついてしまっていた。
ユングはこの人が「ほとんど廃人になってしまった」と書いている。結局、仕事に邁進したのは「もう死んでしまった母親への注意を引きつけるため」の置き換えだった。思考優位で生きて来た間に、彼の身体感情はなおざりにされていた。生活環境が変化したのをきっかけにこの「劣等」の何ものかが表出したということなのだろう。
ユングは、抑鬱と心気症的幻覚が示す方向へ従い、そうした状態から生じるファンタジーを意識化できれば救済への道になるだろうといっている。内側に浸れということだろう。また同時に、ここまで状況が悪化してしまったらあとは死だけがこの問題を解決するだろうといっている。
中年の危機の恐ろしい側面が描かれている。この人の場合、人生の初期に母親との関係と仕事の間にある種のバランスと「取引関係」が生じている。それが一応の完成をみる(もちろん、「リストラ」などの挫折という形で終わるかもしれない)のだが、完成を見たが故に、いままで劣等だった部分がてなずけられない形で顕現する。するとその人はその劣等の側面に支配されてしまうのである。
現代であれば、この問題はどう解決されるのだろうか。心理学や精神医学は格段の進歩を見せている。脳内のセロトニンの問題だと見なされるかもしれない。鬱病と診断され投薬治療されて終わりになる可能性もある。精神医療は「心の奥底で起こっていることは、うかがい知ることができないのだから」という理由で、あまりこういった無意識の領域には立ち入らない。
確かに、我々は意識のレベルでこうした無意識の問題をはっきり認知することはできない。できるとしたら想像や夢の中に隠されているだろう声にならないメッセージを汲み取ろうとすることだけである。しかし、投薬が有効だとしても、過度に投薬治療に頼ることでこうした内に向かい合う機会が奪われることもあり得る。
現状の維持に力を注げば注ぐ程、それが破綻したときのエネルギーは大きいものになる。これは多分、個人も社会全体も変わらないだろう。社会にも特性があり、それに即した発展をしている。しかし内面が変化したり、環境的な変化に直面すると、劣等だった機能が我々の社会を苦しめることになるだろう。
ユングの心理学を読んでみても、どうして個人が個性化や成長を目指す(あるいは目指さざるを得なくなるの)は書かれていない。とにかくそこを目指してしまうものなのだとされる。人はバランスを取るように進んで行くというのだ。しかし、それはどこに向かうのか分からない経験だ。もしかしたら、社会を変える活力になるかもしれないのだが、社会を破壊してしまう恐ろしい経験になることもあり得るだろう。

ユングのタイプ論と補償

エセンシャル・ユング―ユングが語るユング心理学を読み直した。タイプ論は、ユングの臨床的経験から導き出されたようだ。つまり、いろいろな臨床経験をまとめ体系化したのだ。体系化する上で単純化も起こっているだろうから、これを「私はこのタイプ」というように、人を分類するために使うべきではないと言っている。
単純に内向性感覚型という人はなく、バリエーションが存在するからである。後に成長に関する議論が出てくる。このプロセスを個性化というのだが、もはや個別のタイプについて言及されることはない。ここで重要なのは、偏った態度が別の態度によって「補償される」つまり心はバランスを取るだろうという自己調整に関する仮説だ。なぜ、補償されるかは良くわからない。ただ、そう考えると臨床的な現象が説明できる、と説明される。
心の態度には「対立」が観察される。一方を優等とするなら、もう一方は劣等機能だ。これを同時に満たす事はできないように思える。しかし、地上にいると対立するように見えるものが、上空から見ると一つの景色を形成していることがある。こうして、人格を一つのものとして見る事ができたとき、両方をバランスよく扱うことができるわけだ。
ここまでは個人の問題だ。ここから先に「善・悪」と言ったような問題や「社会が因習に支配されているのに、自分なりの道を歩み始めた孤独な人格者」というような問題が出てくる。社会が意識されるようになるわけだが、次第に共時性(シンクロニシティ)や宗教との関わりが出てくる。
さて、タイプ論に話を戻す。このエセンシャルユングには詳細なタイプ論は出てこない。ほとんどが内向外向について言及されており、思考・感情、直感・感覚については短く触れられているのみだ。

  • 思考:それが何を意味するものかを教える。
  • 感情:その価値を確認する。
  • 直感:どこから来て、どこへ行くのかを推測する。
  • 感覚:存在するものを確認する。

ユングはこうまとめる。
あまり考えすぎると、自分がどう思っているのかが分からなくなる。故に極度に考える癖を持っている人は感情を疎かにするようになるだろう。この人にとって感情は劣等機能だ。
同じように直感はアウトラインを掴む機能なので、細かなことは覚えていられない。「赤いつやのある口紅をして、髪には緑の髪飾りがあって素材はシフォンだった」と考える人は、却って全体像を良く覚えていないものである。
感覚型の人は、直感型の人と折り合わないかもしれない。マーケターとウェブプロデューサが「派手な感じで作っておいて」という脇で、ウェブデザイナーは、このバナー部分にはどんな画像を入れて、赤はどの赤を使おうかと悩む訳である。1日ディテールを逡巡した挙げ句、プロデューサに持ち込むと、パッとみただけで「何となく違うんだよね」と言われて終わりになる。プロデューサの直感が正しくないとは言えない。しかしデザイナーから見るとこの人は「大雑把でちゃんと指示をくれない」人ということになる。
こうした態度の違いを「性格」と呼んだりする。MBTIテストではこうした違いを把握して、コミュニケーションの円滑化にいかそうとする。性格テストのよい所は、手軽に人の癖を把握できるところだろう。しかし、実際には問題はこれほど単純ではない。
タイプ論の中に45歳のアメリカ人実業家の事例が出てくる。この人は若くして成功し、莫大な事業を築き上げた。そして引退して贅沢な生活を送ることにする。乗馬、自動車、ゴルフ、テニス、パーティーなどなどである。しかしそうした贅沢なトロフィーは彼の人生にとって全く無意味だということに気がつく。怒りに任せて行動するようになる。不安に襲われ、死にたいと考える。で、あればと考えて仕事に復帰したのだが、彼は仕事がもはや彼を満足させないことに気がついてしまっていた。
ユングはこの人が「ほとんど廃人になってしまった」と書いている。結局、仕事に邁進したのは「もう死んでしまった母親への注意を引きつけるため」の置き換えだった。思考優位で生きて来た間に、彼の身体感情はなおざりにされていた。生活環境が変化したのをきっかけにこの「劣等」の何ものかが表出したということなのだろう。
ユングは、抑鬱と心気症的幻覚が示す方向へ従い、そうした状態から生じるファンタジーを意識化できれば救済への道になるだろうといっている。内側に浸れということだろう。また同時に、ここまで状況が悪化してしまったらあとは死だけがこの問題を解決するだろうといっている。
中年の危機の恐ろしい側面が描かれている。この人の場合、人生の初期に母親との関係と仕事の間にある種のバランスと「取引関係」が生じている。それが一応の完成をみる(もちろん、「リストラ」などの挫折という形で終わるかもしれない)のだが、完成を見たが故に、いままで劣等だった部分がてなずけられない形で顕現する。するとその人はその劣等の側面に支配されてしまうのである。
現代であれば、この問題はどう解決されるのだろうか。心理学や精神医学は格段の進歩を見せている。鬱病と診断され投薬治療されて終わりになる可能性もある。精神医療は「心の奥底で起こっていることは、うかがい知ることができないのだから」という理由で、あまりこういった無意識の領域には立ち入らない。
確かに、我々は意識のレベルでこうした無意識の問題をはっきり認知することはできない。できるとしたら想像や夢の中に隠されているだろう声にならないメッセージを汲み取ろうとすることだけである。しかし、投薬が有効だとしても、過度に投薬治療に頼ることでこうした内に向かい合う機会が奪われることもあり得る。
もう一つの問題は、彼の体調の問題が、彼の個人的な問題だということになってしまうところにあるように思われる。私たちの社会は利益や安全といった問題について社会的に団結しているように見える。しかし、その内側をよく観察してみると、そこに向かう心の問題は顧みられないことが多い。個人は健全であることが求められる。
ここでいう健全とは、社会の目標に向かって全力で立ち向かえるような強さを持っているということである。その準備をしておくのは個人の責任だ。そこからはずれてしまうと、生産性に向けて回復するまでの道のりは「自己責任」ということになる。
社会の側からは「生産的」「非生産的」という分類がされる。つまりそこから逸脱することは「不正解」であり「役に立たないことだ」ということになる。逸脱は特に最初の段階では、後に役に立つのか(つまり生産性に寄与することになるのか)そうならないのかが分からない。生産性を優先して、非生産的な逸脱を抑圧してしまう。それが現れたとしても投薬で抑制する事もある。
現状の維持に力を注げば注ぐ程、それが破綻したときのエネルギーは大きいものになる。これは多分、個人も社会全体も変わらないだろう。社会にも特性があり、それに即した発展をしている。しかし内面が変化したり、環境的な変化に直面すると、劣等だった機能が我々の社会を苦しめることになるだろう。
ユングの心理学を読んでみても、どうして個人が個性化や成長を目指す(あるいは目指さざるを得なくなるの)は書かれていない。とにかくそこを目指してしまうものなのだとされる。人はバランスを取るように進んで行くというのだ。しかし、それはどこに向かうのか分からない経験だ。もしかしたら、社会を変える活力になるかもしれないのだが、社会を破壊してしまう恐ろしい経験になることもあり得るだろう。

カール・グスタフ・ユングの時代

カール・グスタフ・ユングは1875年にスイスで産まれた。父親はプロテスタントの牧師だった。Wikipediaには触れられていないが、母方には心霊術的なバックグラウンドを持つ人たちがいた。
カトリックは教会が一つの家族のようになっている。故に神父は家族を持つことはない。修道女も同じく結婚しない。しかしプロテスタントは必ずしも聖職者の結婚が許されていないわけではない。
改革派はカルバンによってはじめられ、主にスイスで発展したのだそうだ。カトリックとの違いは地域のことを地域で決めるという政治形態だ。また、産まれたときに洗礼を受けても、成人時に改めて信仰告白をする必要がある。
カトリックは、教皇を中心とした権威が聖書の解釈を決めている。トップダウンの政治形態を持つ。一方、改革派のキリスト教徒は、長老と呼ばれる人たちによって管理され、常に信仰告白(ドクトリンと呼ぶそうだ)を通じて、自らをリフォームすることになっている。
ユングは、この父親からあまり影響を受けなかった。ユングが聞く聖書の解釈にあまり自信がなく「決まっているからそうなんだ」というような姿勢に落胆していたようだ。父親は生活の為に牧師になったとも言われていて、生活のために宗教があるような状態だったのかもしれない。一方、母親には優しい表の側面となにかしら怖い裏の側面を見ていた。母親が心霊的なバックグラウンドを持っていたこともあり、ユングの最初の論文は「夢遊症と霊媒現象」を持つ少女の研究だった。
そのころの北ドイツはプロイセンを中心にプロテスタントドイツ圏が統一されつつあった。1866年にはオーストリアとの間で戦争がある。1867年には北ドイツは統一され、1870年にかけてドイツ帝国が成立する。次の統一対象は南部ドイツだった。こちらはカトリックが中心だったので「ドイツ語」を話す人たちを、ドイツ人と定義した民族主義が「発明」された。
しかし、ドイツ語を話すが、多民族国家だったオーストリアは枠組みから排除された。だから、ドイツ民族にとっては、自分たちは何者であるかということは一筋縄で片付けられる問題ではなかった。そこには、言語(ドイツ語)、民族(ドイツ人というより、ゲルマン人という意識が芽生え始めていたようだ)、国家(ドイツ、スイス、オーストリア)、宗教(カトリック、プロテスタント)という事情が絡み合っていたのだ。オーストリアは、1867年にハンガリーを含む多民族国家を成立させる。
このドイツの民族主義は次第に周辺各国とぶつかり合うようになる。ユングはある夢を見るのだが、ヨーロッパには緊張が高まっていた。このときユングはオーストリア人のフロイトに接近する。ユダヤ系だったフロイトは、ゲルマン人だったフロイトを自らの学派の後継者と見なしていたのだ。
ユングの心理学とフロイトの心理学はちょうど鏡合わせの位置にあるように思える。フロイトは心理学にエネルギーや力学といった科学的な要素を組み込んだ。実際に実験で証明できないので、純粋に科学とはなり得ないのだが、これは当時としては画期的なことだっただろう。ユングも統計を使って言葉に対する反応速度を探る科学的な手法を考案するのだが、一方では心霊のような証明できない事象も排除しなかった。
フロイトは幼少時のトラウマ(母親の愛情不足や父親の抑圧的な態度)が生涯の性格を決めると考えていたのだが、ユングは必ずしも全てを幼少時の性的な体験に結びつけるべきではないのではないかと考えていた。幼少時の父親との関係も違っていた。フロイトの意識は外を向いていたのだが、フロイトは自分の内面を見つめる(つまり内向いている)という違いもある。
最大の違いは、内面にある意識が及ばない領域に対する扱いの違いだろう。フロイトにとって無意識は人々を苦しめかねない存在だった。しかし、ユングにとってそれは成長しつづける、創造性の源泉になっている。フロイトにとって精神的な病は、幼児期に原因があり、治療すべき異常な状態だ。しかしユングは、人が成長する上である種、精神的にアンバランスになることがあり得るのだと考える。
1914年までヨーロッパは、ドイツ、フランス、ロシアなどの各国がお互いの緊張状態を利用しつつ、結果的に均衡を保つという危うい状態を維持していた。結局、オーストリア=ハンガリーの皇太子がセルビアで暗殺されるという事件をきっかけに戦争状態に突入した。この戦争は1919年まで続き、第一次世界大戦と呼ばれるようになる。1916年にユングはフロイトと決別する。結局、ドイツは敗戦し共和制に移行した。これがユングの40代だった。
ドイツは、この第一次世界大戦の敗戦から立ち直る過程で、民族意識を過剰に高揚させてゆく。使える理論は全て使い、一つの方向に向かって邁進した。ヒトラーは1889年生まれのオーストリア人だった。しかしなぜかドイツに流れ込み、1933年に首相になり1939年にポーランドに攻め込んだ。そしてこれが、第二次世界大戦のきっかけになった。
この時代を説明するものはいろいろある。中産階級が台頭して、小さな君主国家の枠組みが崩れさったこと。そうした諸邦を統一するのに言語に着目した「民族」という意識が産まれたこと。宗教権威が崩れつつあり、代わりに「科学」が台頭しつつあったことなどだ。新しい枠組みが作られつつあったのだが、まだその秩序がどのようなものになるかという形は全く見えていなかった。
一方、オーストリアは多民族国家を成立させた。この事が多様性を生む。たとえばイノベーションで知られる、ヨーゼフ・シュンペータは1883年生まれのオーストリア人だ。シュンペーターの理論は、均衡を停滞と捉え、均衡が何者かによって崩されることで市場全体の活気が保たれるという理論で、これを創造的破壊と呼ぶ。つまり一定の枠組みのもとで、動的に動いているのが「活気」の源だと考えられていたわけだ。
ヨーロッパにはもはや、領主やカトリック教会の元で秩序ある暮らしをするというような状態にはなかった。枠組みは常に崩されており、対立関係が至るところに見られた。こんな中で「個人がどう時代に対応するか」ということはとても大切なテーマだったに違いない。マネジメントの父と呼ばれることになるピーター・ドラッカーは少し遅れて1909年にウィーンで産まれる。この人もユダヤ人だ。ドラッカーはユダヤ人迫害を怖れてアメリカに逃れる。社会の一方の極を支配しはじめていたのが「企業」と「アメリカ」だった。
オーストリアにはいまのグローバリズムに似た状態があった。混乱と多様性が、経済学と心理学を生み出したのである。

暗い夜の海を行く

このブログの人気のあるエントリーに「中年の危機」がある。Googleで上位に上がっていることもあるのだろうが、エセンシャル・ユング―ユングが語るユング心理学をアフィリエイト経由で買って行く人もいる。今回は、この「中年の危機」について考えたい。
「中年の危機」という言葉にはネガティブな含みがある。そもそも「中年」はもう若くないということだし、スーツを着て定年までの日々を数えるサラリーマンといったイメージがある。理想の40代といえば、いつも若々しく、シゴトはできるのだが、失敗も怖れないというイメージだ。一般的には、中年を迎えずにいつまでも若々しくいることができる人が成功した人だと考えられている。
近年自殺が増えている。Chikirinの日記「自殺に見る男女格差」によると近年増えた自殺のほとんどは男性のものなのだそうだ。そして自殺原因のほとんどは「経済・勤務」の問題である。健康問題も自殺の大きな原因なのだが、病気をしてしまうと経済的にも行き詰まるのだから、日本は男性がお金の問題で周囲に助けを求めずに死んでしまう社会だといえるだろう。
一般的に、勤務先や仕事はその人のよりどころ(つまりアイデンティティ)になっていて、周囲に助けを求めることは女々しいことだと考えられている。リストラされる、あるいは経営していた会社を失うということは、拠り所を失ってしまうということだ。
ここで、これが果たして挫折なのかという疑問が湧く。規範は変わって行くものだし、変えて行くこともできる。
たとえば、大昔には殺人は「悪」ではなかった。殺さなければ殺されてしまう可能性があったからだ。また、奴隷制も悪ではない時代があった。女性に参政権がないのも当たり前のことだった。社会に合わなくなったということは、その人が失敗してしまったということにはならない。しかし黒人系の南アフリカ人がパスを持たないと逮捕されてしまう時代には、パスを燃やす事は「社会への反逆者」になることを意味した。20年以上も刑務所に入れられても文句が言えないほどの重罪だったのだ。
エッセンシャル・ユングによると、ユングは社会的な目標は人格の縮小という犠牲を払うことのみによって達成されるといっている。ユングは「その人らしくあること」と「社会に適合してゆくこと」はお互いに相容れないと考えている。社会的な目標(たとえば、会社の社長として尊敬されたい)がその人を一生満足させる目標足り得るかどうかは分からない。
当時の臨床経験からユングが大切だと考えたのが40歳くらいの年齢だ。日本ではちょうど厄年にあたる。うまく成熟が進むと、このあたりの年齢で違和感を感じ始める。そしてその違和感を無視したまま50歳を迎えると、さまざまな支障を来す事がある。エッセンシャルユングには、それまで熱心に教会活動を行っていた人が、ある日「自分のやっている事は、本当に下らないどうでもいいようなことだった」と考え、無気力に落ちいるという例がでてくる。それまで彼を支えていた正義が音を立てて崩れてしまうのだ。
この経験を「失敗」と捉えるのか、それとも「成長」と捉えるかで見えてくる風景はだいぶん違ってくる。22歳くらいで働き始めるとして、20年も働いてくれば社会がどいうい仕組みで動いているのかということが分かるようになる。若い時がピークで、あとは衰えて行くのだと考えると、残りの人生では勝ち得たものをできるだけ失わないように生きて行こうと考えることになるだろう。若いときに得たような好条件はもう二度と現れないからだ。
一方、人間はその後も成長してゆくのだと考えると、社会の仕組みが自分に合わなくなるということもあり得ないことではない。前者では人間を消耗品として扱っている。若くて消耗が少ないことがよいことだ。一方後者では経験は蓄積である。この違いがつもると「新しい経験」に対する態度の差となって現れる。前者は新しい経験に対して抑圧的で、後者は変化を促進する。
リストラで職を失ったり、病気で退職を余儀なくされた人が、家や病院に取り残される。するとアイデンティティを喪失し「自分が何者か」が分からなくなる。これは大変なストレスだ。経済的な見通しが経たなくなり、人によっては家族も失う。
一方、留まる人たちも「明日は我が身」として脱落した人を意識する。ある種、彼らとは鏡の関係にある。この人たちも「成功の中に引きこもらざるを得なくなる」わけである。こうした人たちは不得意なことはやらないだろうし、変わることは難しい。
加えて成功者には別の試練もある。「私はうまく立ち回ったから、成功することができた」と考えると、何が正しい事なのか分からなくなってしまう。組織によっては正常な判断力を失い自壊してしまったりする。ある種の傲慢さだが、他人を追い落とすから悪なのではなく、自らを滅ぼしてしまうから悪なのだといえる。
中年の危機は、成長から来る産まれ直しだ。人間はまず0歳で「産まれる」。そのあと、親、学校、社会の価値観を刷り込まれつつ20歳くらいで独立し、社会に産まれる。40歳の誕生はだれも「産んではくれない」という意味でそれまでとは異なっている。一人で価値観を選び、自分で自分自身を産むという体験をしなければならない。このことが孤独を生む。しかし、この産まれ直しの経験をすることで、社会規範と自分が合わなくなったときに、どう変化して行けばいいかということを経験できる。これ故、中年の危機は「夜の航海」に例えられる。
(2012.11.26:リライト)

中年の危機

ユングは、40歳前後に多くの人が社会的な目標というものが人格の縮小という犠牲を払うことによってのみ達成される、という本質的な事実を見逃してしまう」ことがある可能性を指摘する。これをそのままにしておくと、50歳前後に狂気となってしまう時期が訪れることがある、という。
この「人格」という言葉は注意深く捉える必要がある。これは必ずしも社会的に立派な人ということを意味しない。人は社会生活を円滑に行なうためにある種の仮面を身につけている。それはペルソナと呼ばれる。外面(そとづら)と呼んでも良い。このペルソナがその人そのものと同一であればよいのだが、たいていの場合そうはいかない。中年期に入ると人格のずれが顕著になる。ずれに気がつかないまま過ごすと、取り返しのつかないことになる可能性があるだろう。
ユングは、多くの治療体験に自らの体験を加えてこの結論に達する。38歳の時に自らの信じる道を行くために、フロイトと決別した。同時にアカデミズムとも遠ざかり、引きこもりの期間に多くのものを失うことになる。この引きこもりが心理学の「ユング派」の源流になった。
本の中に45歳のビジネスマンの事例が出てくる。彼は立派な業績を残して引退した。しかし隠居生活に入った時から精神的な苦痛を感じだした。やがてビジネスの世界に戻るのだが、仕事への情熱は戻ってこなかった。精神病の治療というと元の状態に戻ることを意味しそうなものだが、この人の場合はそうではなかった。それでは、一体それは何なのか。

それは、意識が異常な段階にまで高揚し、そのため無意識から大きく離れすぎてしまった場合にのみ有効である。[中略] このような発展の道を歩むのは、人生の半ば(普通は35歳から40歳くらいの間)より前ではほとんど意味がない。もし、あまりに早く踏み出したとすると、決定的な害を被ることもある。

ユングはこの高揚を過大成長と名付け意識の新しい水準であると結論づけた。別の箇所では治療が終わり「創造的可能性」を発展させるとも記述する。創造性を扱った人は多くいるのだが、崩壊や危機に見える状態が創造の萌芽だと考えるひとはそう多くないかもしれない。
新しい水準の向かう先が「個性化」である。

個性化という用語を、それによって人が心理学的な意味での「個人」になる過程、すなわち単独で、それ以上には分割し得ない統一体、あるいは全体になる過程を意味するために使用する。

ここで、この言葉を鵜呑みにすることを避けると次のような疑問が浮かんでくる。

  • そもそも、人は生きる意思や目標を自明のものとして持っているのだろうか。
  • 果たして、人間は一律に個性化を目指すべきなのか。社会的に適応している状態の方が幸せなのではないか。
  • それはあらゆる対価を払っても価値のある目標なのだろうか。

まだ若い状態から「生きる意味がわからない」と言っている人たちがいる以上、これらの疑問は注意深く取り扱われるべきだろう。また、ペルソナと折り合いをつけながら、だましだまし死を迎えるという生き方もあるはずである。(それが、テレビの前で「昔は良かった。今の若い奴らは…」という姿勢であったとしても、だ。)ただ、やむにやまれず、個性化の過程に向かう人もいるはずだ。それには「治療」や「原状回復」以上の何かがある。
この個性化の過程は「夜の航海」とも例えられる。指標になるものがなく、どれくらいかかるか、どこに向かうかもわからないからだ。それは喜ばしいものではなく、ひどい時には精神的な危機として表出する場合も多い。人が生まれるときに生命の危険があるのと同じように、苦しみの多い「生まれ直し」であるともいえるだろう。
この「夜の航海」が、社会全体にとってどう有益なのかはわからないのだが、人によってはこの道を通らざるを得ない。「やむにやまれぬ」という言葉で言いたかったのは、そういうことである。