日本人は何からどのように逃げてきたのか

偽の保守思想についての考察から始まって、日本型のリーダーシップについて考えた。その上で、日本には東洋流の徳治政治も根付かなかったし、かといって人権思想も根付かなかったと結論付けた。日本人は自分を大きく見せるために思想を利用することはあるが、それを信じているわけでも理解しているわけでもない。Twitter上でもそういう人を見かけるが、国レベルでも「日本人は権利を主張せず先生と自民党のいうことだけ聞いて生きて行きなさい」というまがいものの道徳教育が実践されようとしている。

そもそも「なぜ中国では徳治政治が行われたのだろうか」と考えた。念のために東洋哲学入門の本を探してみたが、そんな本は見つからない。図書館にあった小倉紀蔵の「入門朱子学と陽明学」という本を読んでその理由がわかった。儒教は孔子が言ったことやその討論などが記録として残っているが「正解」は書いていないそうである。彼らは古来からずっと宇宙の真理について議論を続けているであり、それが愉しいのだそうである。

小倉先生の専門は朝鮮思想史・哲学史だそうだ。もともと孔子のいた国は政治的にはメインストリームではなかった。またのちに中国は異民族の侵入を許してしまった。そこで「本来ならばこういう政治が行われるべきなのに」というような気分が高まったというようなことが書いてある。小倉先生によればそもそも儒教は政治哲学ではなく「宇宙の原理」について考える学問なので、政治だけを抜き出すのは間違っているのだろうが、儒教は実践的な政治哲学ではなく「徳による政治が行われるべきだ」という思想の温床になっていたという理解ができるのかもしれない。

キリスト教と違って儒教には男系血族中心の集団が秩序を保つべきだという男性優先主義がある上に、宇宙の秩序について考えそれを実践することが高尚とされた。五行思想という科学的観測に基づかない宇宙論もそのまま残った。これらが基本的な道具箱を形成しており、それをもとにして現実について考えるというような体系になったようである。確かに内側で学問に親しんでいる分には奥が深く楽しそうではある。

一方、実務的には国土が広く教育が完全に行き渡らないのだから単純な統治理念を庶民に押し付けることが必要だったことはわかる。だから「長幼秩序」のような単純なルールを抜き出して上から抑えつける必要があったからだろう。政治的には高尚な理念ではなく長幼秩序と不安に対抗する未来予測ツールとしての易の理論などが政治に取り入れられてゆく。こうした秩序がなんらかの理由で失われると「社会秩序」が破壊されて、結果的に徳が失われたから革命が起こったのだと説明されたのではないかと考えられるのだが、中国で徳治政治が行われていたかどうかはよくわからない。

朝鮮半島の村では労働しない男性が支配する儒教的な世界とシャーマニズムが残る女性的な世界が連続して広がっていたそうである。朝鮮は自らの運命を自決できなかったので学術論争が政治の中心課題になり次第に問題解決能力が失われていったものと考えられる。徳による政治は朝鮮半島では実践されていたのだろうが、それはむしろ問題解決を伴わない儀礼的なものだったのかもしれない。

いずれにせよ中国と朝鮮半島は北部から敵が攻めてくるという地理的な構造があった。このため「先祖を同じくする」氏族集団が固まって身の安全を図る必要があったのだろう。「徳」とか「仁」などといってみてもそもそも言葉が通じないのではお話にならないからである。しかし、そpれがいつも起こっているわけではなくので、権力構造は固定されることが多かった。

最終的に味方として頼れるのは序列がはっきりしている同じ血でつながった人たちだけなのだから、常日頃から先祖祭祀を行って誰が見方なのかということを確認しあわなければならない。韓国には未だに氏族制度があり、中国人も家族を様々な国に送り込んで「リスクヘッジをする」のが基本になっており、移民先でも出身地ごとにコミュニティができているという。これはいつか来るかもしれない混乱に備えた行動である。

中国は同じような言語を話すまとまった人口がありったので、固定的な氏族的なネットワークを作ればよかったのだが、ヨーロッパはそれもできなかった。言語がバラバラな人たちが集まっており誰もヘゲモニーが握れないという世界である。バラバラな主張を始めるとたちまち混乱が起こる。そこでヨーロッパは外来の宗教であったキリスト教を入れて「理想によってお互いが結びつく」という形態を作り出して氏族を排除した。神のもとに平等というのは要するに先祖が違っていても同じ人間だという意味である。

ヨーロッパは現実に引き戻されると生き残りをかけた争いが始まってしまい誰かが決定的に世界を支配することができない。人権について観察した時に不思議に思ったのは、なぜヨーロッパ人は絶対に実現しない理想を追い求め、それを他者に押し付けるのかということだった。植民地の解放が経済的に必要だったこともわかるし、民族自決という考え方があったこともわかる。だが、それを先住民族やマイノリティにまで割りあてる「新しい考え方」を持ち出してきたのかという理由がよくわからなかった。

日本人がいつもがっかりさせられるのはそこである。一生懸命に西洋の価値体系を真似して褒めてもらおうと曖昧な微笑みで西洋に近づくと「今度はこれをやりなさい」と言われる。そしてまたそれを実践すると次の課題が与えられるという具合であり、一向に「よくやったね」とか「えらいね」とか褒めてもらえない。しかし、ルールをずらしつづけることにこそ意味があるのかもしれないと考えると納得できる。それがヨーロッパが戦乱を防ぐ方法だからである。

同じようなことが資本主義についても言える。資本主義の理想もどんどん高くなってゆくわけだが「もうここで十分だ」となると資本が蓄積された企業に溜まってしまう。そうなると経済が止まり今の日本のような停滞状態が生まれる。日本人としては戦後に「早く西洋世界にキャッチアップしたい」と考えてきた。しかしいつまでたってもゴールが見えない。これに不安を覚えるのも日本人が「定住」を最終的なゴールにしているからなのだろう。しかし、もともとヨーロッパには安定という概念はないのかもしれない。ヨーロッパでは変化は起こらなければならないが、日本では変化はいつかは終わらなければならないのだ。

日本列島に止まっている限り言葉が通じない人たちに突然攻められることはないし、メンバーが固定されているので隣の人たちが何を考えているのかもなんとなくわかっている。平地さえ確保すれば米は取れるので整然と真面目に稲を植えて水漏れを防いだり雑草を抜いたりしていれば良い。一方で平地から出て行ってもどこにも逃げ場はないので出て行った人たちは放置するし、山に行っても暮らせないのにとお互いに納得し合う。湿気が多く病気は怖いので清潔にだけは気をつけなければならない。

日本人は理想が踏みにじられるという経験をしたことがないので、自分たちの価値体系を突き詰めて精緻化する必要もなかったし血族集団で固まって過ごす必要もなかった。儒教も仏教も民主主義も形式的には取り入れたが、それほど真面目に追求する必要はほとんどなかったはずである。自分たちの居住地を決めてお互いに干渉し合わないようにしていればよかったのである。

大陸型の人たちは普段はバラバラでもよいが、いざ何かあった時にまとまって対処する必要がある。そのために普段から「誰が味方になるか」ということと「誰がリーダーになるか」ということを確認しておく必要がある。日本人は逆で普段は「調和がとれている」ように見せておくことで社会の秩序を保っている。だが、実際にはお互いに必要以上には干渉しない。日本人の調和は「うわべだけ」のことなのだが、それでも構わなかったし、そうあるべきだったのだ。

では日本は外敵のない暮らしやすい土地だったのか。日本人にとって重要なことは二つある。一つは整然と水田を整備することであり、高温多湿な状態でも衛生状態を悪くしないために清潔を保つことである。つまり平時の調和はたんなる理想論ではなく実践的な哲学だったことになる。

日本人にとって最も大きな問題は水害だった。水害を作り出すのは津波と洪水である。水田に依存する日本人は水害から逃れることはできない。ナイル川とか、揚子江・長江の水害は季節的で予測可能なものだが、大きな川のない日本の川は雨水を一気に流すので水害を予測することはできない。昔もできなかったし、今でも時々大規模な水害が起こる。

水害が起きたら同じ方向にみんなで逃げてはいけない。全部が滅びてしまう可能性があるからだ。何か災害が起きた時日本人はバラバラに逃げる。これは中国や韓国とは全く逆である。普段は調和しているが災害の時にはバラバラに逃げる。中国や韓国では敵は絶対にいなくならないが、日本の場合台風が過ぎてしまえば災害は終わる。すると今度はみんなで秩序だって誰に命令されるでもなく復興を始めなければならない。同じ土地でずっと暮らしてゆくのだから復興時に略奪は起こらない。

そう考えると現代の保守の人たちが何をしているかがわかる。彼らは嘘をついて「天賦人権など必要がないというのが日本の伝統的な考え方だった」などと言っているのだが、実際には災害から「自分たちだけで逃げよう」としているのだろう。つまり正確にいえば嘘ではなくパニック時のデタラメということになる。

日本は失われた20年を経験していると言われる。これは日本人から見ると「台風で逃げているだけ」なのにその嵐がいつまでも収まらないことを意味する。緊急時にまとまって行動する行動様式を持たない日本人は強いリーダーを作らずバラバラに逃げる。問題は嵐がいつまでたっても収まらないということである。

問題はこれが一時的な混乱なのか、それとも混乱に見えるものがずっと続くのかという点にあることがわかる。さらにヨーロッパ人が理想を常に前進させて安定を防いでいると考えると、そもそもこれが混乱なのかということも検討しなければならない。ある意味日本人は大陸から逃れてきて以降初めての「大陸体験」をしているのかもしれない。

安倍首相はなぜ空洞の国で独裁者と呼ばれるのか

Twitterで安倍首相は独裁者だというタグを見つけた。これを見てちょっとした違和感を覚えた。日本は基本的に強いリーダーシップを好まず、安倍首相にも強いリーダーシップは感じられないからである。

安倍首相が独裁者と呼ばれる理由を考えると、背景にある現在の日本のマインドセットがわかる。ここで「日本人」のと書かなかったのは、このマインドセットが変化するからである。どのように変化するのかということを観察すると「ここから抜け出すにはどうしたらいいか」や「それが適切な戦略なのか」が見えてくる。これまで民主主義と東洋思想という観点から国の統治について考えてきたのだが、いったん答えが見えるとこうした思想体系についての分析はあまり意味を持たなくなる。

実際に日本人は原理原則にはあまりこだわりがない。このブログの閲覧履歴を見ると、ニュースのディテールをまとめた記事は熱心に読まれるが、東洋的な長幼の序について書かれた記事はあまり読み込まれなかった。日本人は、周りがどう行動しているかは気にするが、原理原則にはあまり関心を持たないのである。どう逃げるかが重要であり誰と逃げるかは重要ではない社会なのだ。

これはこれまでの観察とも合致する。日本には個人の良心に基づく民主主義も、中国の哲学をもとにした保守政治も存在しない。東洋的な保守政治は強いリーダーが徳を持って政治をするのが伝統なのだが、そもそも日本には強いリーダーシップはない上に、いわゆる保守という人たちも「天賦人権はおかしい」というばかりでそれに代わるリーダーシップを提示しないことからそれがよくわかる。保守を名乗る人はそう言っておけばこの状況から自分だけは逃げ切れると考えているにすぎない。

実際に日本が1000年の歴史をもっていようが、100年の歴史をもっていようが、自称保守の人たちにとってはどうでもよいことなのである。だから彼らは科学的根拠の全くない神話を持ち出して「日本には長い歴史があるのだから個人には意味がない」というばかりである。彼らはどうやったら自分だけが逃げ切れるかということを熱心に考えているにすぎない。

この状態で東洋思想や西洋哲学について調べてみてもあまり意味はない。実際にやってみると「自分は博識である」と披瀝したい人が熱心に「自分が知っていること」を語りだす人が少なからず出てくる。これも彼らの世界観を投影して他人に押し付けていてマウンティングしようとしているだけで、実際には哲学や思想について語っているわけではない。「価値観が共有されない」ことに苛立ちを覚える人はおらず、自分だけが知っていると語りたがることから、問題解決ではなくマウンティングが主目的であるということがわかる。

今回の北海道の地震と台風21号の事後処理で、安倍首相が力強いリーダーシップを発揮して復旧に全力を尽くすように見える絵作りが行われている。しかし、安倍首相が最も関心を寄せているのは総裁選挙である。安倍首相は細かいことには興味がないが地位には強いこだわりを持っている。やりたいことはないがなりたいものはあるという人である。

これを見た一部の人たちは、NHKを独裁国家の国営放送のようだと非難しているのだが、やりたいことがないのに独裁者になれるはずはない。だから独裁者というのは周囲が作り出した幻想にすぎないのだ。中にはなりたいものがあるのだからやりたいこともあるのだろうと思う人もいるかもしれないが、もしやりたいことがあればもう実現しているはずである。

安倍首相の像が作られたものであるということは役割分担を見てもわかる。例えば関西空港が止まったことに対して謝るのは関西空港の人たちだが再開を発表したのは安倍首相である。つまり成果を安倍首相に集めることで「力強いリーダーシップ」を偽装しているのだ。産経新聞社は高らかに「安倍首相が死者は16名である」と語ったと報道しているのだが、実際には間違いだった。しかしこれを謝罪するのは菅官房長官である。「ぼーっと生きている」普通の日本人は安倍首相に任せておけば日本は大丈夫だと考え、それがごまかしである(実際に嘘のつきかたはかなりあけすけだ)と考えている人には嘘つきの独裁者に見えるのだ。

安倍首相の嘘は大勢の人たちに支えられており、それ自体が嘘である。何もやりたいことのない嘘つきを中心に据えることで、自分たちは責任を追求されなくて済むと考える人が多いのだろう。逆に周りの人たちは「議論」が起きて抜本的な解決策を模索されると困る。議論をすると課題に向き合わなければならなくなるからだ。この点、石破茂は危険である。内閣を中心に会議体を作って経済政策を行おうとしているのだという。ロイターから引用する。

経済戦争や金融市場の不安定化に対応するため日本版NEC(国家経済会議)を創設するとした。地方創生のため、「創生推進機構」を設立し、官庁や企業の地方への人材移転を掲げた。専任大臣を置く形での防災省の設置も盛り込んだ。

乱立している会議体を整理すると公言しているのだが、会議体が乱立しているのは関係者たちを満足させて責任の所在を曖昧にすることが目的である。問題解決ではなく利権の確保が問題なのだから「余計なことはしないでくれ」と思うのも当たり前なのではないだろうか。

特に小池百合子の乱を経験した東京出身の自民党関係者は石破の「危険性」をよく知っているはずだ。東京自民党は小池百合子に既得権益層であると名指しされて壊滅させられたという苦い経験をしている。そして、こうした「名指し」が単なるパフォーマンスであり問題を解決しないこともわかっている。

小池百合子はよそ者で女性というアウトサイダーであるがゆえに、既得権を攻撃して世論を味方につけるしかなかった。一方で、東京都民は彼女が「総裁選にも出た保守本流の政治家」に見えたのだろう。よそ者が権力を握るためにはインサイダーであり破壊者というイメージを持たれるしかないのだが、これは以外と狭い道である。小池はそれをやってのけたという意味では稀有な戦略家だった。

だが、これは彼女が得意とするイメージにすぎず、実際には自民党が持っているはずの政策ブレーンなどは利用できなかった。「小池党(たしか名前があったはずだが忘れてしまった)」が増えても政治経験がなく、ブレーンも怪しい人のようだ。つまり、彼らが実際に会議体などを作ってしまうと、利権が攻撃されて「めちゃくちゃ」になってしまう上に、新しくできた会議体も結局は何もできない。これで大きくこけたのが民主党政権である。素人が政治に手を出した上に未曾有の災害も起きてしまったので収拾がつかなくなり改革は3年で頓挫した。民主党政権はイメージから実務の党になろうとして破綻したが、小池都政は「政治は所詮イメージ」という徹底した思想に貫かれており未だに破綻していない。破綻が起こるのは実際に何かをしてしまった時である。オリンピックの期限が迫り、豊洲市場が運用を開始すれば問題が噴出するはずなので、そこで彼女の4年間が何だったかがわかるだろう。

逆に安倍首相は「やりたいことがない」からこそ、利権集団のまとめ役として「利用しがいがある」ということになるだろう。安倍首相には日本を統治する意欲はないので「憲法というおもちゃ」を与えて、強いリーダーであるというイメージに酔わせておけばよい。適当にやり過ごして3年が過ぎれは、その時のことはその時考えればよいということになる。もっとも利権集団が憲法を「おもちゃ」と考えているのは、書かれているものはいかようにでも解釈すればよいから実質的な意味はない考えているからだ。これが本当にそうなのかは誰にもわからないが、少なくとも平和憲法はそのように運用されてきた。

いずれにせよ、日本には細かな利権集団がたくさんあり「力強いリーダー」を祭り上げることによって外から干渉されることを防いでいる。これが日本が和を強調する国に見える基本的な原理だ。そして本当に強いリーダーシップが登場すれば、協力しない(あるいは表面的に協力する)ことで干しあげて潰してしまうのである。

だから安倍首相が周りの協力で強いリーダーに見えるとしたら、それはすなわち安倍首相がリーダーにはとてもなれないということが共通認識としてあるということを意味する。石破茂の人当たりがよいのはあまり人望がない(ゆえに周りに取り込まれていない)人が権力を奪取するために人当たりをよく見せているということを意味する。石破はその意味ではリーダーだが、多分類型としては「小池型」のリーダーだということが言えるのではないだろうか。

高齢者に席を譲らなければならないのはなぜか

QUORAに「高齢者に席を譲らなければならないのはなぜか」という質問が掲載されていた。たいていの人はお年寄りは弱者なので席を譲らなければならないと書いていた。なんとなく当たり前に感じられるかもしれないのだが、実は違うのではないかと思った。

先日来保守思想について書いている。東洋の思想体系で高齢者を敬わなければならないのは長幼の序が社会秩序の基礎になっており、上司に忠義をつくして親には孝行しなければならないからである。目上を尊重するというイデオロギーを徹底させて社会の安定を図るのが東洋的な統治システムの根幹なのである。東洋で高齢者に席を譲らなければらないのは、高齢者が弱いからではなく敬われるべき存在だからだということになる。だから本来は優先席でなくても高齢者や先輩に席を譲るべきなのだということになるだろう。

よく考えてみると西洋の電車に優先席があるのは全員参加型の社会を目指しているからである。主に障害を持った人が利用することが前提になっているようなのだが、「個人がそれぞれにあったやり方で社会貢献ができる」ような社会の実現が優先席設置の目的であり、かわいそうな障害者に憐れみと施しをするために席が作られているわけではない。日本型の優先席の議論からは「普通ではないかわいそうな人に施してやる」という日本的な考え方が、誰かが教えたわけでもないのに社会に浸透していることがわかる。

ただ改めて調べてみて(とはいえ原典に当たるのも面倒なのでWikipediaを見ただけなのだが)意外なことも分かった。忠孝という概念とは別に孝悌という概念がある。孝行は親にたいして行うべきものであり年長者一般を敬うことをといって区別するらしい。基本になっているのはあくまでも忠孝である。どちらも固定的な社会集団に対する序列を前提としており、社会という広い概念はあまり考慮に入れられていない。西洋のダイナミックな社会とはまた違った集団についての概念があることがわかる。

Wikipediaの関連項目を見ていて、この忠孝・孝悌という考え方は現在の日本ではかなり否定的に扱われているようだと思った。年長者に尽くす義務はあるのだが、年長者には何の義務もない片務的なものとして扱われおり、搾取という印象が強いようである。考えてみると老人は既得権益にしがみつき権利ばかりを主張している。電車の例えでいうと、高齢者は尊重されなければならないと威張り散らして2/3を優先席にして若者を排除した上で威張って座っているようなものだ。床では子供達が「疲れたよ」と泣き叫んでいても「自己責任だ」と切断したり「うるさいから黙らせろ」と恫喝するようなことがまかり通っているということになる。このような状態で高齢者に席を譲れなどいっても炎上するのがオチだろう。

年功序列を前提にすると「公平」という概念を使えないので別の原理で説明するしかないのだが、子供達が泣き叫ぶ電車が正常な状態であるとは思えない。

東洋哲学位は「仁」や「徳」という考え方がある。特に政治には徳がなければならないとされている。徳は自発的に持つもので誰かから強制されるものではなく、したがって徳がなかったとしても罰則はない。ただし君主が徳を失うと天命が改まって革命が起こるというような考え方はある。誰からも管理されないということは保護も得られないということなので滅ぼされても文句は言えないのである。

いずれにせよ子供達が疲れてぐずっていれば「席を譲ってあげなさい」と年長者が「指導する」というのが東洋的な社会のあり方なのだということになる。そのためには年長者には徳のある謙虚な振る舞いが求められる。

韓国のバラエティ番組をみると長幼の序はかなり厳格に守られている。弟や妹は年長者のいうことをよく聞き尊敬もしている。これは視聴者がそのような価値観を肯定しているからなのだろう。だが、年長者もただ威張っているだけではダメで兄弟を代表して交渉を行ったり、心配りをして弟・妹たちが困らないようにしてやるといった配慮が必要であるばかりではなく、優れた技量を持って尊敬されなければならないといったような一定のプレッシャーがあるようだ。つまり、忠孝も孝悌もは片務的な概念ではないのである。

もちろん、財閥の娘や息子たちが従業員にパワハラを繰り返して最終的に訴えられるというようなニュースも聞かれるので、やはり忠孝に仁徳で応えなければという理想論がかならずしも守られているわけではないということはわかる。だがやはり理想とされるのはお互いに尊敬されるという徳のある社会である。

だがこの「徳」が何を示しているのかがよくわからない。東洋哲学では信頼が通貨になっておりこれが保たれた状態を「社会に徳がある状態だ」と考えているところまではわかる。西洋はそもそもこのような信頼がなくても世の中が成り立つことを理想としている。だからこそお互いに契約をしてそれを適時見直す「説明責任」という言葉が存在する。そして「徳のない社会」がどんなものかもわかる。

現在の安倍政権は資料を提示せず、嘘をつき、話をごまかして正面から答えない。すなわち「徳を失っている状態だ」と考えられる。彼らがそのように傲慢に振る舞えるのは「徳を失うと天から追放される」という切実さを忘れており、もともと選ばれた人間だからどのように振舞っても良いのだと考えているからなのだろう。

いずれにせよ東洋的な価値観を遵守するつもりは彼らにはないようだ。にもかかわらず「日本では西洋型の人権はふさわしくない」と言っており、同時に「ルールは俺たちが決める」とも言っている。ある意味とても無邪気に振舞っている。この無邪気さの裏には日本型の権力構造の曖昧さや優しさがあるのだろう。

日本には個人が社会全体の責任を取るという強いリーダーシップは生まれなかった。外敵が少なかったので外からの強い敵に対峙する必要がなかったからだろう。このため中心には空洞があったとする説が幾つか見られる。

徳川幕府中心の体制だとは言っても実経済の担い手は「藩」であって、権威の中心である天皇には実権がなかった。いったい誰が責任者になっているのかが極めてわかりにくい状態である。状況は明治維新期に入ってからも変わらなかった。昭和天皇には戦争を始めたりする権限はなく、原爆を落とされて初めて「戦争をやめたい」と意思表明することになった。基本的には集団統治であり、誰か一人が責任をとることが巧妙に避けられている。

現代の保守がいう「日本に天賦人権という考えは馴染まない」という言い方は東洋的なイデオロギーである徳治政治を持ち出せば正当化できないことはない。だがこれには「徳の実践」という義務が伴う。実際に戦前から戦後すぐの政治家たちは東洋哲学に詳しい学者と親交があり徳についても学んでいたようだ。戦後公職追放された安岡正篤は吉田茂に陽明学を基礎とした帝王学を教えていたという。陽明学は孔子などの中国古典を再認識した学問体系なのだそうである。だが、吉田茂らは孫の世代にはこれを引き継がなかったようだ。孫の世代は新しい民主主義という価値観を学ぶだろうと思ったのかもしれないが、彼らはそうしなかった。

前回「現在の保守には核がない」と書いた。では核は何かというと「信頼をもとにした社会作りの理論化と実践」である。それがなくなるときに天は怒り狂って権力者を放逐してしまうのだが、実際に起こることは自己保身からそれぞれが好き勝手なことを始めるというガバナンスの崩壊である。今回は概念だけなので具体的なことには触れないが、政治やスポーツの世界ではこのガバナンスの崩壊が起きており問題になっている。

現在の保守と呼ばれる人たちは切断による自己保身を目指しているだけであり、基底には社会を変えられなかったという「諦め」があるので、徳という概念を使って社会建設をリードするという気概を持ちにくいのだろう。そして、それは革命という形で一気に噴出する場合もあれば、日本のようにそれぞれがバラバラに振る舞いだして収拾がつかなくなるというような見え方もする。信頼という通貨もなく契約も信用できない社会ではそれぞれが「自己責任」で保身を図るしかないからである。

核なき保守思想にいかに対峙すべきか

まさかこのブログで保守思想について書こう日がくるとは思わなかった。そもそも哲学や思想が苦手でそういうものは避けてきたからだ。

最初は現在の保守というのは切断を意味するというような定義の話をしようと思ったのだが、たいして面白くならなかった。そこでそもそも保守には核がないので相手にする必要はないという結論にした。

一晩考えてもっと単純な例えを思い出した。例えばある人が優れている場合「他人と比べてこういうことが得意」というのが特徴になる。例えば歌がうまい人というのは、大勢に歌わせてみて「ああ、この人の歌は違うな」ということがわかる。だが、歌のコンテストに出たことがない人は「自分の歌は凄いに違いない」という妄想を抱く。そして「唯一絶対無二である」と考えるだろう。しかし、この人はコンテストに出て歌を歌うことはできなくなるはずだ。そこで他人の歌を聞いて「あれは違う」などと言い出す。現在の保守には「問題を切断して現状維持を目指す」という側面があり、内向きにはそれで用が足りてしまうのだが、本当の問題は外と向き合えなくなっていることなのではないかと思う。

保守という考え方を規定するためにはまず「自分たち」が何なのかということを規定しなければならない。つまり守るべきものの範囲が確定してはじめてそれをどう守るのかという議論ができるからである。

ところが日本人は自分たちが何者なのかという自己規定ができなかった。文明の衝突(文庫上巻文庫下巻)では日本は中華圏から独立した独自の文化圏とされる。日本語も琉球語を方言とみなせば一系統一言語であり近縁の言語がない。さらに統一的な政権が早くできたことから国としてもまとまってしまっており、神道を一つの宗教とみなせば宗教圏としても単一である。他者がいないので自分たちが何ものなのか規定しなくても済んだといえるしできなかったと考えることもできる。

小熊英二の「単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜」には海外を模倣して帝国期に入った日本が朝鮮のように大きな社会を飲み込みながらも帝国としてどのように自己を再構成するのかという議論に失敗したことが書かれている。

よく「歴史が長くて日本は独特でユニークな国だ」といって喜んでいる人がいる。確かにその通りなのだが、裏を返せば自分たちが何者なのかを他者を通して規定する機会がなかったということを示している。歴史が長いことやたまたま円錐形のきれいな火山を持っていることしか誇れることがないということになる。

それでも日本が外に拡張しているときにはこのことは大した問題にはならなかった。戦前、中国大陸に向けて拡張するときに朝鮮人を割当制度なしで受け入れたところをみると「朝鮮人が入ってきて国が乗っ取られてしまうかもしれない」などという心配はしなかったのだろう。選挙権を与えてハングルによる投票まで許していたのである。さらに戦後になっても経済的に拡張している間は、日本人が自分たちが何者なのかということを考える必要はなかった。せいぜい日本が気にしたのは外国人からみて日本がどう見えるかという日本人論だったが、これも内側から問題を指摘するよりも外圧を利用したほうが意識改革がしやすかったという程度の日本人論だった。日本人がユダヤ人になりすまして書いた「日本人とユダヤ人」には、だからそれほどの危機感は見られない。

日本人が「保守」を気にするようになったのはバブルが崩壊して経済の先行きが見えなくなって以降なのだが、最初はサブカルチャ的な位置付けだった。ゴーマニズム宣言が最初に書かれたのは1992年だが、この頃にはバブル崩壊はよくある周期的な不況の一つだろうと考えられていた。しかし状況は変わらず、人々の不満は徐々に旧弊な自民党政権へと向かって行く。全体として「日本は改革できるはず」という期待があったからこそ逆張りも可能だったということになる。ゴーマニズム宣言は初期の段階では「ゴーマンなことを敢えて言える俺たちはカッコイイ」と言えたのである。

自民党に代わる政権は状況を打開することができず、内紛によって離合集散を繰り返す。民主党政権時にピークに達して崩壊した。「やってもダメだったじゃないか」というわけである。そしてゴーマンな逆張りは期せずして「安倍時代」の主流のイデオロギーになってしまった。

安倍時代のイデオロギーの特徴は幾つかある。まとめると先送りと切断ということになる。これまでの政権は構造的な分析を提示しないままに「どうにかしないと日本は大変なことになる」といい続けていた。ところが安倍政権は「みんなが変わらなくても日本はもう大丈夫」という言い方で「改革の呪縛」から日本人を解放した。ブクブクと太っていてダイエットができなかった人が「鏡と体重計を変えればいいじゃない」と気がついたのである。そして新しい保守思想のもとで日本人は鏡が見られなくなった。

ただ、これが嘘であるということに人々はうすうす気がついている。だから、保守の人たちはなにかというと反日という言葉を持ち出す。安倍政権に逆らう人たちはすべて反日である。社会党や共産党は中国をスポンサーにした反日だと言っていたのだが、最近では自民党内の石破茂も反日であり、天皇陛下も「反日認定」されることがある。自分たちが理解できないものをすべて「反日」と規定することで自分たちは変わる必要がないと自分たちに言い聞かせ続けているのである。

だから、現在の新しい保守思想に語るべき価値はない。そもそもサブカルチャ的な「ゴーマン」を許していた頃には本流の保守思想は消えていたと思わざるをえない。

確かに「レイプされた女性には問題がある」とか「日本人には天賦人権は似合わないから取り上げるべきだ」とか「北海道には先住民族はおらずすべてはなりすましだ」などと言われると腹が経つのだが、もともと「敢えて世の中に逆らってみる」のがかっこいいという程度の話なので、それに反発してもあまり意味はなさそうだ。問題なのはそういう「外に逆らって見るのがかっこいい」と思っているのが、一般庶民だけではないという点である。政権そのものが嘘を擁護するようになっている。

なぜそうなってしまったのかはよくわからないが、結局頑張っても変われなかったという諦めが現在の停滞につながっているとしたら「それではいけない」と思っている人が自らのリーダーシップで新しい一歩を踏み出すべきなのではないかと思う。

改めて現代の保守とは何かと考えると、それは諦めからくる欺瞞と切断による自己保身の別名なのだと言えるだろう。

保守思想と先住民族とDNA

先日Twitterである投稿を見た。アイヌ民族について連続して発言しているアカウントである。なぜかアイヌ民族などいなかったと主張したがる人たちがおり彼らに反発しているようなのだが「アイヌ人などいない」とか「和人の方が先にいたから先住民族ではない」などという人たちが後を絶たないようだ。彼らは今回は遺伝子を引き合いに出して「アイヌは先住民族でなかった」とか「いまアイヌを自称している人はなりすましだ」などと言っている。ただ、それに反対する側も遺伝子を引き合いにだして「遺伝的にある傾向があるはずだ」と主張していた。

これは問題だなと思ったのだが、誰にとってどんな問題なのかを考えるとこれがなかなか一言では言えない。アイヌ系の日本人への人権侵害や中傷であることは確かなのだが、実はヤマト系の日本人にとっての問題を方が切実である。特に真面目に本邦の保守思想を考えたことがある人にとっては、自己規定というのは大問題のはずなのだが、未だに民族をDNAで規定できると考えているということは、おそらく真面目に考えたことがない人たちが大手を振って「自分たちは保守思想家でございます」と言っているというのが空恐ろしい。

日本人は実は民族について真面目に学校で教わることがない。これは教育の不備というよりも国の事情による。あまり他者と触れ合ってこなかったので自己規定が必要なかったのである。この点においては平和主義の議論と似たところがある。日本は大規模な戦争に直面してこなかったのであまり平和について突き詰めて考えることがない。憲法の平和主義を理解し擁護するためには当時の国際状況と現在の国際状況を見なければならないのだが、護憲派も改憲派も第二次世界大戦直後の状況認識が変形したものを抱えたままで論争を続けている。

民族についても同じことが起きている。先住民の権利保護は比較的新しい考え方なので、歴史的な経緯を踏まえないと「なぜ先住民の権利を保護すべきなのか」という論拠が立てられないのである。

まず、民族という概念からおさらいしてみよう。

韓国人と日本人を比べた時に「純粋な韓国人」という遺伝的マーカーも遺伝子の組み合わせもない。日本はなぜかチベットと同じ遺伝傾向(ハプロタイプD)を持った人たちが多く暮らしており、アイヌ系の中にも同じ遺伝傾向を共有する人たちが多数いる。一方で日本にはハプロタイプOという朝鮮半島と同じ系統の人たちもいる。だがハプロタイプDの人は韓国にはあまりいない。

だからハプロタイプOの人を連れてきて遺伝子解析してもこの人が韓国人なのか日本人なのかということはわからない。ハプロタイプDの人はおそらく韓国人ではないだろうが、この人が日本人なのか、日本に同化したアイヌなのか、アイヌなのかということもわからないのである。つまり、遺伝子と民族性というのは関係がないことはないが、遺伝子で民族は特定できないことがわかる。

にもかかわらず日本人は民族性と遺伝子が関係していると思い込んでいる人が多い。おそらくは多民族と接したことがないので「民族性というのは血によって決まるのだ」と漠然と信じているからではないかと思う。韓国は半島国家なので少し状況が違っていて「氏族」が自分たちがどこから来たのかということを伝承して書き残している。古く中国からきたと自認する人もいれば、最近アメリカ人と韓国人のハーフが創立した新しい氏族もある。

天皇中心の世の中ではもともと渡来系の家系と在来系の人たちを明確に区別しており、天孫と呼ばれるおそらく古い外来系の人と渡来系の人も分かれていた。だが、日本が武士の時代になると氏族の乗り換えが起こるようになった。例えば徳川将軍家はもともと藤原を自称していたが将軍家は源から出るということで源に変わり、最終的に徳川という氏族を創設したことになっている。

外敵がいないので氏族について考える必要がなかった日本人だが、明治維新期に日本人という枠組みが作られて、国語という概念もできてゆく。主権国家には領域という概念があるのでロシアとの国境画定を急ぐ中で「系統の明らかに異なるアイヌ人をどう扱うか」という問題が起きた。しかし日本政府はこれを棚上げしたままで「なかったこと」にして領域の確定だけを急いだ。数が少なかったのであまり問題にならなかったのだろうが、本州以南の習俗や社会を押し付けたという意味では侵略と一緒である。

もっと大きな問題が起きたのは台湾と朝鮮を併合した時だった。急激に大きな人口を飲み込んだでしまったからだ。この時日本にはいくつかの選択肢があった。日本を多民族国家として朝鮮人や台湾人を固有のグループとして扱う道、日本を単一民族国家として規定し朝鮮人や台湾人を同化する道、さらに植民地として切り離して本土とは区別するという道だった。だが、優柔不断な日本人は一つに決めることができなかった。内地にきた朝鮮人には日本人と同等の選挙権が認められ衆議院委員も出た。植民地としては破格で寛大な待遇と言える。一方で東洋拓殖という会社を使って農地を収奪して日本人の植民も計画した。これは後々大いに現地の恨みを買うことになる。

この裏返しとして日本人の自己規定の問題がある。自らの国家についてまともな議論ができなかったのである。政党同士の小競り合いから天皇機関説が糾弾されると議論そのものが萎縮してしまい、日本はどのような人たちからなるどんな国家なのかという議論ができなくなってしまった。

実はこの文章を書く時に「日本民族」とか「日本人」という言葉を使って良いのか迷いながら書いている。例えばヤマト系と書くと他の原住民族や外来の人たちを認めることになるのだが、政府として「ヤマト系」の定義はないはずだ。だからアイヌ系日本人という言葉もないし、帰化した朝鮮系の人たちを朝鮮系日本人とか新渡来人などと呼称することもない。つまり、よく考えてこなかったから学校でも教えられないのだ。実はアイヌ系が誰なのか規定できないということはヤマト系の人たちが規定できないということなのだが、この文章を読んで「ああ、そうだな」などと思う人はいないだろう。

このように日本人は曖昧に周縁に拡張してきたので「他民族を侵略した」という意識が持ちにくい。故意に隠蔽している側面もあるだろうし、意識していないのでよくわからないという側面もあるのだろう。

次に、先住民を保護すべきという機運はどのようにして生まれたのかということを考えたい。

調べてみると1970年代から議論が始まり1980年代に固まった新しい権利のようである。まず最初に日欧米の主権国家とそれ以外の地域があり主権国家はそれ以外の地域を植民地化してもよいことになっていた。これが破綻して植民地域にも主権国家という扱いをすべきだということになる。これができたのが1945年である。この時に自決権の塊として人工的にに定義されたのが「民族」という概念だった。民族という概念は帝国が崩れたときに国家の構成主体として考えられた「アイデンティティを同一にする一団」のことである。

これが落ち着いて「国家格を持っていた人たちにも権利を拡張しよう」と考えられるようになったのが1970年代なのではないかと思われる。つまり、歴史的に国家格を持ってこなかった人たちにも自決権を認めようという流れである。アメリカの事例を見ると黒人の主権を認めてゆく公民権運動の影響を受けてアメリカ原住民の権利を認めて行こうという動きもあったようだ。

つまり、固定的な領域概念だとされていた「民族」や「国家」に移動の概念が取り入れられていることがわかる。日本やアメリカ合衆国のように周辺に伸びてゆくときにもともといた人たちの権利が蹂躙されるということもあるだろうし、アフリカから連れてきた黒人の人権をどのように守るかということでもある。

この時にぶつかった壁が「民族とは何か」という問題である。世界には様々な民族集団がいる。例えば言語をとってみても「方言なのか言語なのか」という問題があり民族が自明に見えるヨーロッパでは一部で独立運動も起きている。また遺伝的には同じ集団でも「イスラム教を受け入れた」という理由で異なった民族を自認する人たちもいる。もっとも極端なケースとしてヨーロッパ人が勝手に見た目で割り振ってIDカードを使って固定したケースもある。ソビエトが人工的に民族を規定した中央アジアでは歴史的な民族の呼称と今の人たちの遺伝的傾向が異なっていたり、一つの民族概念に異なる人たちが含まれる国もある。例えばウズベク人の中にはトルコ系の人とペルシャ系の言語を話す人たちが含まれるそうだ。

「民族とは何か」とという概念もないのだから、そもそも先住民族とは何かという定義ができない。アムネスティですら「定義はない」と言っている。

世界には、およそ3億人の先住民族が暮らしていますが、彼らの暮らしや文化、社会はさまざまです。そのため、国際的に決まった先住民族の定義は存在しないという指摘もあります。

そもそも定義がないのだから、遺伝情報を取り出して勝手に「ある」とか「ない」などと議論しても全く意味はない。アムネスティは次のように続ける。

先住民族とは、自らの伝統的な土地や暮らしを引き継ぎ、社会の多数派とは異なる自分たちの社会や文化を次世代に伝えようとしている人びとである、という定義もあります(ILO169号条約、国連コーボ報告書など)。

つまり自認が大切だというのである。

ところが自らの自己決定をあまり信じずに他人からの承認を重んじる日本人にはこの「自己決定権」という概念がそもそもよくわからないのかもしれない。だから「みんながないと言い出せばなかったことにできるのではないか」と思ったり、逆に「なんとかして科学的な民族の証を求めよう」という話になる。要するに民族を意識するかしないかにかかわらず固有の社会集団としての歴史があり、なおかつそれを今後も存続させたいという集団がいるとき、その人たちは「民族として扱われる」ということである。

現在の保守を定義すると「問題を先送りしたり切断したりすることで自己保身を図る」というものだと思う。だから自分と主義主張が異なる人を「反日」として切断したり「在日認定」して切り捨ててしまうことになる。安倍政権もこれまでのお友達を「あの人たちのことは実は最初から信頼していなかった」などといって切断し、最近では石破茂までも「安倍政権に反旗を翻すから反日だ」と言われる。中には天皇陛下を反日と呼ぶ人もいるそうだ。もともとの定義を考えると不思議な話だが、保守の本質を切断処理だと考えれば特に不思議に思うことはない。

だが、これはタマネギやキャベツの皮を向いたら何も残りませんでしたというのに似ている。