ざっくり解説 時々深掘り

日本人は何からどのように逃げてきたのか

偽の保守思想についての考察から始まって、日本型のリーダーシップについて考えた。その上で、日本には東洋流の徳治政治も根付かなかったし、かといって人権思想も根付かなかったと結論付けた。日本人は自分を大きく見せるために思想を利用することはあるが、それを信じているわけでも理解しているわけでもない。Twitter上でもそういう人を見かけるが、国レベルでも「日本人は権利を主張せず先生と自民党のいうことだけ聞いて生きて行きなさい」というまがいものの道徳教育が実践されようとしている。

そもそも「なぜ中国では徳治政治が行われたのだろうか」と考えた。念のために東洋哲学入門の本を探してみたが、そんな本は見つからない。図書館にあった小倉紀蔵の「入門朱子学と陽明学」という本を読んでその理由がわかった。儒教は孔子が言ったことやその討論などが記録として残っているが「正解」は書いていないそうである。彼らは古来からずっと宇宙の真理について議論を続けているであり、それが愉しいのだそうである。

小倉先生の専門は朝鮮思想史・哲学史だそうだ。もともと孔子のいた国は政治的にはメインストリームではなかった。またのちに中国は異民族の侵入を許してしまった。そこで「本来ならばこういう政治が行われるべきなのに」というような気分が高まったというようなことが書いてある。小倉先生によればそもそも儒教は政治哲学ではなく「宇宙の原理」について考える学問なので、政治だけを抜き出すのは間違っているのだろうが、儒教は実践的な政治哲学ではなく「徳による政治が行われるべきだ」という思想の温床になっていたという理解ができるのかもしれない。

キリスト教と違って儒教には男系血族中心の集団が秩序を保つべきだという男性優先主義がある上に、宇宙の秩序について考えそれを実践することが高尚とされた。五行思想という科学的観測に基づかない宇宙論もそのまま残った。これらが基本的な道具箱を形成しており、それをもとにして現実について考えるというような体系になったようである。確かに内側で学問に親しんでいる分には奥が深く楽しそうではある。

一方、実務的には国土が広く教育が完全に行き渡らないのだから単純な統治理念を庶民に押し付けることが必要だったことはわかる。だから「長幼秩序」のような単純なルールを抜き出して上から抑えつける必要があったからだろう。政治的には高尚な理念ではなく長幼秩序と不安に対抗する未来予測ツールとしての易の理論などが政治に取り入れられてゆく。こうした秩序がなんらかの理由で失われると「社会秩序」が破壊されて、結果的に徳が失われたから革命が起こったのだと説明されたのではないかと考えられるのだが、中国で徳治政治が行われていたかどうかはよくわからない。

朝鮮半島の村では労働しない男性が支配する儒教的な世界とシャーマニズムが残る女性的な世界が連続して広がっていたそうである。朝鮮は自らの運命を自決できなかったので学術論争が政治の中心課題になり次第に問題解決能力が失われていったものと考えられる。徳による政治は朝鮮半島では実践されていたのだろうが、それはむしろ問題解決を伴わない儀礼的なものだったのかもしれない。

いずれにせよ中国と朝鮮半島は北部から敵が攻めてくるという地理的な構造があった。このため「先祖を同じくする」氏族集団が固まって身の安全を図る必要があったのだろう。「徳」とか「仁」などといってみてもそもそも言葉が通じないのではお話にならないからである。しかし、そpれがいつも起こっているわけではなくので、権力構造は固定されることが多かった。

最終的に味方として頼れるのは序列がはっきりしている同じ血でつながった人たちだけなのだから、常日頃から先祖祭祀を行って誰が見方なのかということを確認しあわなければならない。韓国には未だに氏族制度があり、中国人も家族を様々な国に送り込んで「リスクヘッジをする」のが基本になっており、移民先でも出身地ごとにコミュニティができているという。これはいつか来るかもしれない混乱に備えた行動である。

中国は同じような言語を話すまとまった人口がありったので、固定的な氏族的なネットワークを作ればよかったのだが、ヨーロッパはそれもできなかった。言語がバラバラな人たちが集まっており誰もヘゲモニーが握れないという世界である。バラバラな主張を始めるとたちまち混乱が起こる。そこでヨーロッパは外来の宗教であったキリスト教を入れて「理想によってお互いが結びつく」という形態を作り出して氏族を排除した。神のもとに平等というのは要するに先祖が違っていても同じ人間だという意味である。

ヨーロッパは現実に引き戻されると生き残りをかけた争いが始まってしまい誰かが決定的に世界を支配することができない。人権について観察した時に不思議に思ったのは、なぜヨーロッパ人は絶対に実現しない理想を追い求め、それを他者に押し付けるのかということだった。植民地の解放が経済的に必要だったこともわかるし、民族自決という考え方があったこともわかる。だが、それを先住民族やマイノリティにまで割りあてる「新しい考え方」を持ち出してきたのかという理由がよくわからなかった。

日本人がいつもがっかりさせられるのはそこである。一生懸命に西洋の価値体系を真似して褒めてもらおうと曖昧な微笑みで西洋に近づくと「今度はこれをやりなさい」と言われる。そしてまたそれを実践すると次の課題が与えられるという具合であり、一向に「よくやったね」とか「えらいね」とか褒めてもらえない。しかし、ルールをずらしつづけることにこそ意味があるのかもしれないと考えると納得できる。それがヨーロッパが戦乱を防ぐ方法だからである。

同じようなことが資本主義についても言える。資本主義の理想もどんどん高くなってゆくわけだが「もうここで十分だ」となると資本が蓄積された企業に溜まってしまう。そうなると経済が止まり今の日本のような停滞状態が生まれる。日本人としては戦後に「早く西洋世界にキャッチアップしたい」と考えてきた。しかしいつまでたってもゴールが見えない。これに不安を覚えるのも日本人が「定住」を最終的なゴールにしているからなのだろう。しかし、もともとヨーロッパには安定という概念はないのかもしれない。ヨーロッパでは変化は起こらなければならないが、日本では変化はいつかは終わらなければならないのだ。

日本列島に止まっている限り言葉が通じない人たちに突然攻められることはないし、メンバーが固定されているので隣の人たちが何を考えているのかもなんとなくわかっている。平地さえ確保すれば米は取れるので整然と真面目に稲を植えて水漏れを防いだり雑草を抜いたりしていれば良い。一方で平地から出て行ってもどこにも逃げ場はないので出て行った人たちは放置するし、山に行っても暮らせないのにとお互いに納得し合う。湿気が多く病気は怖いので清潔にだけは気をつけなければならない。

日本人は理想が踏みにじられるという経験をしたことがないので、自分たちの価値体系を突き詰めて精緻化する必要もなかったし血族集団で固まって過ごす必要もなかった。儒教も仏教も民主主義も形式的には取り入れたが、それほど真面目に追求する必要はほとんどなかったはずである。自分たちの居住地を決めてお互いに干渉し合わないようにしていればよかったのである。

大陸型の人たちは普段はバラバラでもよいが、いざ何かあった時にまとまって対処する必要がある。そのために普段から「誰が味方になるか」ということと「誰がリーダーになるか」ということを確認しておく必要がある。日本人は逆で普段は「調和がとれている」ように見せておくことで社会の秩序を保っている。だが、実際にはお互いに必要以上には干渉しない。日本人の調和は「うわべだけ」のことなのだが、それでも構わなかったし、そうあるべきだったのだ。

では日本は外敵のない暮らしやすい土地だったのか。日本人にとって重要なことは二つある。一つは整然と水田を整備することであり、高温多湿な状態でも衛生状態を悪くしないために清潔を保つことである。つまり平時の調和はたんなる理想論ではなく実践的な哲学だったことになる。

日本人にとって最も大きな問題は水害だった。水害を作り出すのは津波と洪水である。水田に依存する日本人は水害から逃れることはできない。ナイル川とか、揚子江・長江の水害は季節的で予測可能なものだが、大きな川のない日本の川は雨水を一気に流すので水害を予測することはできない。昔もできなかったし、今でも時々大規模な水害が起こる。

水害が起きたら同じ方向にみんなで逃げてはいけない。全部が滅びてしまう可能性があるからだ。何か災害が起きた時日本人はバラバラに逃げる。これは中国や韓国とは全く逆である。普段は調和しているが災害の時にはバラバラに逃げる。中国や韓国では敵は絶対にいなくならないが、日本の場合台風が過ぎてしまえば災害は終わる。すると今度はみんなで秩序だって誰に命令されるでもなく復興を始めなければならない。同じ土地でずっと暮らしてゆくのだから復興時に略奪は起こらない。

そう考えると現代の保守の人たちが何をしているかがわかる。彼らは嘘をついて「天賦人権など必要がないというのが日本の伝統的な考え方だった」などと言っているのだが、実際には災害から「自分たちだけで逃げよう」としているのだろう。つまり正確にいえば嘘ではなくパニック時のデタラメということになる。

日本は失われた20年を経験していると言われる。これは日本人から見ると「台風で逃げているだけ」なのにその嵐がいつまでも収まらないことを意味する。緊急時にまとまって行動する行動様式を持たない日本人は強いリーダーを作らずバラバラに逃げる。問題は嵐がいつまでたっても収まらないということである。

問題はこれが一時的な混乱なのか、それとも混乱に見えるものがずっと続くのかという点にあることがわかる。さらにヨーロッパ人が理想を常に前進させて安定を防いでいると考えると、そもそもこれが混乱なのかということも検討しなければならない。ある意味日本人は大陸から逃れてきて以降初めての「大陸体験」をしているのかもしれない。

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