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志のある国会議員ほどすり減ってしまう 共同親権の問題で寺田学議員が奮戦

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苛立った人たちを宥めようと親切心を起こすと返ってその人達から恨まれることがある。対策は簡単なのだがなかなかそれに気がつかない。

先日の記事で共同親権法案が「離婚禁止法案だ」とみなされるまでについての経緯について書いた。政治が意見を聞いてくれないと疲弊して政治嫌いになる人が増えると生産性が失われ人口も減ってゆくだろうという筋にした。ただ、この過程で別の問題に気がついた。おそらく志のある議員ほどこの状況に耐えられなくなり潰れてしまうだろう。

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共同親権の問題はもともとは外圧がきっかけになっている。ところが法務省が日本が抱える戸籍(世帯・イエ)と住民登録(個人)」の関係を整理しないまま安易に「外国から言われているのだから対応しましょう」と議論を始めてしまったことで話が混乱している。現在のイエは結婚によって創始される個人のつながりということになってしまっているため結婚の役割が過大評価されてしまうのだ。

さらに議論の途中でおそらくサイレントマジョリティを意識した「できるだけ離婚が難しい制度にすべき」という無責任な議員の言動も悪影響を与えた。離婚後の円滑な枠組みについて話し合っているのに、なぜか離婚を難しくしろというのだ。

この時には取り上げなかったが「DVにも耐えられるものがある」と語った議員もいるようでこちらも問題視されているようだ。

いずれにせよこういう議員たちは発言にさほど責任は感じておらず従って全く疲弊しない。杉田水脈議員が同じような発言を繰り返しても全く堪えていないのと同じ理屈であろう。無責任な人たちほど生き残る可能性が高い。

ところがここで非常に興味深い現象が起きている。「女性は差別されているが社会が全くそれに気がついてくれない」と苛立つ当事者たちの気持ちはささくれ立っている。既にこの界隈では情報バブルが形成されており少しでもそれに逆らうようなことを言ってしまうと攻撃されかねない状況だ。普通の人は「近づきたくない」と考えるだろう。

実は普段から政治課題についてモデレーションしているとこの手のことは珍しくない。「良かれと思って」個人で対処しようとすると、救済対象からバッシングを受ける。彼らが抱えているのは「私たちはこんなに疲れているのに世間は何も変わらない」という苛立ちなので、少しでも「聞いてくれる」人を見つけると代理で攻撃されてしまう。理不尽だが日本ではよく起きる。

さらにこういう「イライラさん」が増えると普通の人たちは政治議論に興味を持たなくなる。外から見ていてしんどいからである。

今回の場合寺田学議員がそれに引っ掛かっているのが、そのありふれた理不尽さだ。

仮に寺田氏が慣れていれば問題はないだろう。が、そうでない議員達も多いはずである。心優しい人ほど「せっかく丁寧な説明を心がけているのに返って誤解された」と疲弊しもうこういう活動はやめようと考えるようになるだろう。議員個人の問題ではなく構造の問題として「丁寧な説明を心がければ心がけるほど気持ちが折れてしまう」状況がある。

日本型ポピュリズムである「キモチ民主主義」の弊害だ。

ではこれにどう対応すればいいのか。対応策はそれほど難しくない。日本人は周囲の空気に影響され流されてしまう。バブルが苛立っているのは同じ意見(我々は無視されている)という気持ちが徐々に濃縮してゆくからに過ぎない。だから問題を真剣に考えている「別のみんなもいる」ということを示し、その「みんな」が具体的に行動していると説明すればいい。ただそれだけだ。日本人は個人を信頼しない。「みんな」がどこかにいないと不安を感じてしまうのである。あとはその「みんな」をどう演出するのかというテクニカルな問題になる。

開かれたオンラインのコミュニティがあり「議論は落ち着いてやるべきものである」という空気があると議論のトーンが変わる。これまで攻撃性高めのバブルにいた人もふと冷静になり「怒鳴ってばかりいては周りから人が離れてゆくばかりである」と気がつく。SNSにはこうしたスペースがいくつもある。また自前でオンライン・コミュニティを立ち上げるのもそれほど難しくない。さらにネットメディアで取り上げてもらうように働きかけてもいい。発言者や参加者はそれほど多くないだろう。観衆の方が多数になる。だが効果はある。

現在の政治言論の一番の問題は囲い込みである。政党は自分達の支持者を囲い込み自分達の教義を広めようとする傾向にある。こうしたクローズドな空間では参加者はお客さんになってしまい自分達のニーズを語らなくなってしまう。また「みんな」ではなく「あの人たち」と捉えられてしまうのも難点だ。

今回の件で政治に興味を持った人やこれまで興味を持ってきた人たちが「潜在顧客」であることは間違いがない。別のエントリーで乙武洋匡氏と国民民主党の関係について触れるが、現在の有権者は政策よりも人柄に影響を受けやすい傾向にある。

一方で現在バブルにいる人たちは少なくともなんらかの政策に興味を持っている。

こうした人たちを囲い込まずに緩やかにつながることができれば問題解決はさほど難しくない。日本人は流されやすいとばかり嘆いていても仕方がない。それを利用してなんとかやってゆくしかない。

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