民主党と維新(偽)の公約は何が間違っているのか

日経新聞が民主党と維新の党(大阪系と区別するために、以降維新(偽)と書く)の共同公約をすっぱ抜いた。公約とは「公務員の給与を2割削減し」「国会議員の定員を減らし」「消費税増税は堅持する」というものだ。あまりにもひどいので、何かの陰謀ではないかと思ったくらいだ。
2009年の選挙では麻生首相が消費税増税を仄めかしたのに対して、民主党は「官僚を叩けば無駄が省けるので消費税を増税しなくても良い」と主張して大きな支持を集めた。有権者は官僚叩きに反応したのではなく、自分たちの損(つまり消費税増税)が回避されることに反応したのだ。一方、今回は「何が得になるか」分からないので、有権者は反応しないだろう。
無党派層が官僚を叩きたがるのは確かだ。しかし、無意味に叩いているのではないく、それなりに合理化している。それは「官僚がおいしい思いをすれば、自分たちの分配がなくなる」という世界観かもしれないし「日本の経済が悪化したのは官僚が無能なせいだ」という理屈づけかもしれない。「官僚の能力がない故に給与が下がる」のであれば、人々はそれを「正当な取引だ」と感じて応援するかもしれない。橋下徹大阪市長がやろうとしているのは、つまりそういうことだ。
「合理化」は必ずしも正しくないが非常に重要だ。例えば、大正期の米騒動でも人々は闇雲に米問屋を襲ったのではなかった。人々は「米は不当に高く売られていると感じており」「お願いすることで」「米を安く売ってもらおうとした」ことが分かっている。暴徒たちにとってみれば、あれば「正当な取引」のつもりだったのだ。
もし合理化がなければ人々はどのように感じるだろう。人々は「民主と維新(偽)が」「公務員を犠牲にすることで」「票を不正に買おうとしている」と合理化するだろう。つまりこの2政党は「フリーライダーだ」と見なされることになる。有権者は民主党が「官僚を叩けば財源が出てくる」と主張したのを覚えている。これは詐欺だと認識されているが、村落共同体では最も嫌われる行為だ。詐欺によるフリーライダーはそれ相応のペナルティを負わなければならない。
もう一つのシグナルは「民主と維新(偽)」が経済をよく分かっていないというものだ。国家公務員(約64万人)と地方公務員(約277万人)合わせて約340万人の給与が2割下がるということは、それだけGDPが落ち込むということを意味する。この節約分を誰かが使うわなければ、単に経済を縮小させてしまうのだ。
現在、デフレ脱却を目指した政策が進行中だ。金融緩和と財政出動をアクセルだとすれば、緊縮財政と増税はブレーキに当たる。なぜ、この時点でブレーキを踏まなければならないのかを説明しないと「二党は単に経済が分かっていない」という印象を与えかねない。
いつまで待っても民主党からは経済政策や成長戦略が聞こえてこない。これらを<合理的に>つなぎ合わせた結論は「民主と維新(偽)には有効な経済政策がないので、官僚を叩いてお茶を濁しているのだろう」というものになるだろう。結局は票が欲しいから安保や官僚叩きを利用しているだけなのだという印象を与える。
こうした印象がどれくらい当たっているのかは分からない。しかし、共産党が先制して連合政権構想をまとめたときも民主党は後手に回った。今回も日経新聞に単純なメッセージを流されて、多くの反発を買った。広告宣伝に疎いのは確かだろう。
民主や維新(偽)が勝手に自滅するのは構わないと思うのだが、これで自民党の独走を許せば、次にやってくるのはあの忌まわしい憲法改正案である。この2党は分かってやっているのだろうか、という怒りに似た気持ちが湧く。二党にはもうちょっと真面目にやってもらいたい。

日本が共産主義国になる日

安保法案の成立を受けて、共産党が民主党などの野党に向けて「選挙協力」を訴えた。国民連合政府を作るのだと言う。これが実現し、国民の支持を得る事ができれば、日本ではじめて共産党が政権党になることになる。共産党は今でも共産主義の実現を目指しているので、政権が根付けば日本は共産主義の国になるかもしれない。戦後、資本主義の先進国が共産化した事例ははない。
これを受けてTwitter上には様々な声が上がった。安保法案に反対していた人たちの中には期待する声が多い一方で、ジャーナリストの江川紹子さんは「本気でやるなら水面下で交渉していただろう」と指摘している。
安保法案は早くも民主党にとっての鬼門になりつつある。「戦争は良い事ですか、悪い事ですか」と聞かれれば、大抵の国民が「悪い事だ」と言うに決まっている。ところが「地域を活性化します」と約束する政党と「戦争法案を廃止します」という約束する政党が並んだら、有権者はどのような反応を示すだろうか。「有権者の利益を放ったらかしにして、安保法案か」と思うに決まっている。経済でよい政策を出せないから、安保法案を言い続けているのだろうと考える人も多いかもしれない。
加えて自民党寄りの思想信条を持つ議員は動揺し、一部は離反するだろう。Twitter上では既に動揺している議員もいる。
一方で、共産党との共闘を断れば「民主党は、やはり自分たちの支持拡大の為に安保法案を利用していただけだ」という印象を与えるだろう。反対派は「運動に本気を示した」共産党を支持する事になる。選挙区では勝てないだろうが、比例区では躍進できる。
さて、この状況は結果的に自民党を利する事になる。自民党は利益誘導型の選挙活動を続けるだろう。特に地方の有権者は「自民党が地域に利益をもたらしてくれる」と感謝すらするかもしれない。この原資の半分は国債由来で原資の多くは国民の預貯金だ。つまり、国民は「自分の預貯金をばらまいてくれてありがとう」と言っているのである。私有財産を国家が召し上げて(あるいは一時的に借りて)国有化しているのと同じことで、社会主義的な考え方なのだ。
安倍首相の祖父である岸信介は日本を社会主義化した「革新官僚」だった。戦争で資源が逼迫したために、国家総動員態勢を構築する必要があったのだ。革新官僚はソ連の計画経済をモデルとしたので共産主義的だと非難された。その体制は戦後も引き継がれ、現在でも劣化したまま残っている。安倍首相は「給与を上げるように」と企業に指示した。自由主義経済の国ではあり得ないことだが、日本ではこれを批判する人はいない。
また、電波行政でも社会主義的な体制が残っている。携帯電話やテレビなどの電波は国家からの割当制になっているそうだ。外資が参入するのを嫌がっているのだと指摘する人もいる。しかし、競合がなくなり携帯電話料金が高止まりしたので、首相自ら「携帯電話料金を下げるように」と指示し、通信各社の株価は下落した。私企業の経営を妨害するのは、資本主義国ではタブーだが、日本ではこれを非難する人は誰もいなかった。
日本が共産党政権を支持して共産主義国が成立する見込みはほとんどないと言ってよい。利益誘導型の政治に慣れた有権者は、民主党が安保法案にこだわればこだわるほど離れて行くだろう。だから、政権を取るつもりのある野党は早くこの問題から離れるべきだ。一方で、利益誘導型の政治は持続可能性が低いことを有権者に分からせないと、私有財産は国有化されて返って来ないかもしれない。
自由主義を標榜した共産主義国家が憲法改正なしに成立する可能性もある。共産主義を標榜しつつ格差を拡大させて世界第二位の資本主義国になった中国と並ぶという不思議な光景が東アジアに並ぶかもしれない。

戦前の二大政党制は、崩壊した生徒会に似ていた

民主党と維新の党の一部に「解党して出直し」という声がある。党内の複雑さを解決できない人たちが、組み合わせを変えたらなぜ国民の支持を得られると思うのか、全く理解できない。目的は単に「二大政党制の一翼を担う」ということだ。つまり政権を取ることが自己目的化しているのだ。しかも、再編に自信がないらしく、一部の議員はTwitterで仄めかすような呟きを送り続けている。
過去にも大正時代から昭和の初期まで二大政党制が実現した時代があった。イギリスやアメリカの政治状況を模範とし「一つの内閣が失敗した対立する政党が政権を担えば良い」という仕組みだった。二大政党同士が次第に相手の足の引っ張り合あうことになり、国民の信頼を失った。代わりに国民の期待を集めたのが「実行力のある」軍部だった。
日本で政党政治が根付かなかった理由には諸説あるようだ。理由の一つとして挙げられるのは調停者の存在だ。主権者は天皇なのだが、実際は天皇の側近(元老や内大臣)が調停して首相を決めていた。議会には決定権がなく、首相は議員でなくてもよかった。
つまり、戦前の政党政治は生徒会に似ていた。生徒は自治をしているようだが、実際に権限を持っているのは先生だ。生徒会に二つの異なる意見を持った派閥が対立に陥っても、生徒は妥協する必要はない。最終的には先生が出てきて「仲良くしなさい」と言ってくれるからである。
戦前の政府が扱った問題は不況だったが、内閣は有効な対策を打つ事ができなかった。これを打開するために中国に進出するかどうかで揉めることになる。そこで軍人が「暴走」して既成事実を作り、不況が解決した。
総理大臣には大臣を解任する権限がなかった。そこで意見の違い(閣内不一致)が起きると、内閣が瓦解するという仕組みだった。形式上は天皇という強いリーダーがいたために、総理大臣が強い権限を持つことは許されなかった。「みんな仲良く」が原則だったのだ。
実際には天皇が強いリーダーシップを発揮して最終的な決断をすることはなかったし、総理大臣をアポイントしていた重臣たちが行政に対する責任を取る訳でもなかった。責任を問われるのは内閣だが、強い権限はなかった。
これは先生が学級内の対立に対して見て見ぬ振りをするのに似ている。生徒たちも自分たちで問題を解決すするつもりはなく(あるいは解決する能力がなく)問題はエスカレートするばかりだ。先生が介入しない理由は簡単だ。介入して問題解決に失敗すれば、先生の威厳に傷がつくからだ。そもそも、先生は自分で問題を解決するスタッフを抱えているわけではないので、主導権を持って動くことはできなかっただろう。
日本は誰も問題が解決できずに、戦争という画期的な打開策に飛びつき、最後には自滅した。
現在の状況は戦前に似ている。とはいっても、安倍首相が日本を戦争に導くというわけではない。日本には国防に関する主権がない。アメリカは中国との全面対立を望まないだろうし、世界第二位と第三位の経済大国を戦争させることもないだろう。
現在の主戦場は終わりの見えないデフレ状態、進む高齢化、増え続ける社会保障費などだ。経済はグローバル化しており一国の経済政策で解決することはできない。政党は問題を解決できないのだから、問題を先送りするか相手を非難して罵り合うだけになってしまう。
これを打開するために「アベノミクス」対策が打たれたのだが、これが決定的な打開策なのか、軍部の暴走に近いものなのかはまだ分からない。日銀が国債を買い受けてくれるという画期的なプランであり「いくらでも」借金ができるのだが、どこまでできるのかも、山がいつ崩れるのかも予測はできない。さらに豊富な年金資金で株価をつり上げているのだが、株式市場は乱高下を続けており、いくら損をしたのかも分からないのだ。
戦前の軍部はアメリカと敵対して勝てる見込みのない戦いに突入していった。議会と政党は内輪もめを繰り返し、ただ傍観しているだけだった。今度の「敵」はグローバル金融市場だ。野党はなんら解決策を打ち出さずに、身内の論理で「純化闘争」を行っている。
学校でいうところの先生である主権者はただそれを傍観しているだけなのである。

改革政党の末路

バブル崩壊後、多くの政党が改革を訴えてきたが、金融危機対策は行われず、財政バランスも改善しなかった。政治家は考え方で結びつくよりも「好き嫌い」を優先させて離合集散を繰り返した。また、国民も改革を継続的に支持しなかった。
日本の無党派層は「嫉妬の感情」によって政権交代に関与してきた。その端緒になったのが1993年の政権交代だ。バブル期に土地や株の値段が上がると、その分け前に預かろうという政治家が増えた。1988年年にリクルート事件が起こり多くの政治家が関与していることが分かると、国民の政治不信が加速した。同じ年に消費税が導入され、翌年に施行された。
国民は当然「自分たちには負担を押しつけるくせに、自分たちは良い思いをしている」と感じる。この「ズルい」という感覚が1990年代に政治を動かす大きな原動力になる。
この流れで出てきたのが、小選挙区制の導入と政治資金規制などの「政治改革運動」だった。バブルが崩壊すると政治改革への期待はさらに高まったが、宮沢首相は自民党の議員をまとめることができなかった。これに反発した小沢一郎と羽田孜が宮沢内閣倒閣に動き、自民党が分裂した。
守旧派になった自民党は選挙で敗北し、1993年に8党連立による細川内閣が誕生し、小選挙区導入と政治資金規制を決めた。しかし、細川首相が「国民福祉税」として消費税を増税する方針を打ち出したことから国民の反発を受け、そのまま瓦解した。
細川内閣の後継は羽田内閣だった。10党1会派による連立だった。しかし、一部に社会党はずしの動きがあったため反発した社会党が離脱した。羽田内閣は少数与党内閣になり、新予算の成立を待って64日で瓦解した。
1994年4月、羽田内閣で統一会派からはずされた社会党と小沢一郎と反目していた新党さきがけが自民党と組んで、社会党の党首を総理大臣に頂く村山政権を成立させた。この「自社さ」の枠組みは1998年の橋本内閣まで続いた。しかし、政権与党となった村山社会党は原発政策、日米安保、自衛隊を肯定する発言を行ったため支持者の離反を招き分裂騒動が起きた。一部の議員は民主党に流れ、社会党は社会民主党に名前を変えた。
この時代はバブルが崩壊直後にあたる。もし早目に手を打っていれば慢性的なデフレ状態には陥らなかったかもしれない。しかし、国民は政治改革に夢中でバブル処理を早くやれという声は上がらなかった。諸政党が乱立し思い切った金融改革は行えなかった。
小選挙区制で少数政党は成立しにくくなったが、社会が複雑になったので有権者の政治的意見は多様化したのだ。このため、諸派が乱立し連立政権を組む過渡的状況が生まれた。民主党が多様な政治的見解の寄せ集めなのは、そのころの名残だ。
当時、特に目立っていたのは「小沢一郎が好きか嫌いか」という理由による離合集散だ。
小沢一郎はもともと、大きな政府主義の田中派に属しており、竹下政権では消費税導入に尽力した。その後、政治改革がブームになると「改革派」「新自由主義者」を自称するようになった。諸派が集ってできた新進党の党首に就任するも党内グループの反発を招き離脱して自由党を設立した。その後、自民党への復党を画策するものの断られ、民主党に接近した。民主党では「地方重視・雇用重視(つまり大きな政府)」へと転向し、民主党2009年マニフェスト(財政裏付けのないバラマキ政策)へとつながった。民主党政権末期に野田政権が消費税増税を決定すると反発して離党した。その後、左派に接近し日本未来の党と合併する。それでも党の勢力は盛り上がらず、政党を維持できない状態にまで追い込まれた。そこで、反核・反原発勢力に支えられて当選した山本太郎参議院議員が入党し、左派政党の党首になった。
これまで何度も「改革」が求められてきたのに、改革政党は長続きしない。これは国民が「改革」を望んでいないのだと考えないと説明がつかない。

擬似大統領制のススメ

2015年8月30日に国会前で大規模な安保法案反対の集会が開かれた。主催者発表による参加者は12万人だった。野党の党首が4人(民主・共産・社民・生活)が集ったが、必ずしも野党の支持率増加には結びついていない。過去にも盛り上がったデモはあった。2012年に代々木公園に反原発を訴える17万人が集ったのだ。しかし、運動はそのまま失速し、政治状況に影響を与えることはなかった。デモに参加することで達成感が得られたのだろうが、有権者のコミットメントを促す仕組みがなかったのだ。
このような可視化された無党派層は、支持率低下に苦しむ野党にとっては垂涎の的だ。しかし、無党派層の政治参加を促すのは至難の技で継続的な支持獲得に成功した政党はない。
過去、無党派が政治に参加したルートは一つしかなかった。それは「改革」を通じて風を起す事だ。しかし、実際には人々は改革を支持しているのではない。自分たちを出し抜いて儲けようとしている集団に対して、罰を与えるために反対勢力を応援するのだ。罰せられた相手が苦しむのを見ることには社会的報酬があるのだろう。負のコミットメントはあるが、長続きしない。
しかし、有権者が正のコミットメントを持ちたくても、現在の選挙制度はそれを許さない。
現在の選挙制度には問題がある。そもそも小選挙区制で選択肢が少ない上に、有権者が地元の議員を応援してもその議員の主張が必ずしも受け入れられるとは限らないのだ。自民党にはTPP賛成派の議員もいれば、反対派の議員もいる。数の上では反対派が多いのだが(反対議員連盟には240名の参加者がいた)トップが賛成の方針を決めるとそれに従わざるをえなくなった。民主党の中にも護憲派と改憲派がおり、どちらが優勢になるかはそのときの党内情勢次第だ。それぞれに純化運動があり党が割れかねない状態が持続している。
普段から政治的な意見を政治家にとどけるという手はある。しかし、政治家にとっては「個人のご意見」に過ぎない。たいした達成感は得られないのだ。社会的なコミットメントがなければ、継続的な政治参加は望めない。
そこで、有権者が直接党首を選ぶように仕組みを変えてみてはどうだろうか。党首候補者は常にツイッターなどを通じて自分の意見を主張し、これをフォローする仕組みを作る。党首選に参加したい有権者は1000円程度の年会費を支払い一人一票で党首を選ぶ。1000円(あるいは100円でもいいのだが)という負担のないコミットメントは大きなコミットメントにつながる。これをフットインザドアと呼ぶ。
これはAKB48総選挙の仕組みと同じだ。「党首」を選ぶ過程を通じて、政策のセンターを選ぶのだ。野党はプロダクションのようなものだ。AKBも同じように複数のプロダクションの集まりである。バラバラに唱っていたのでは今のようなプレゼンスを得ることはできなかっただろう。
この方法を使えば、野党再編は必要なくなる。AKBを応援するのに指原莉乃がどこのプロダクションに所属しているかを気にする人はいない。
無党派の政治参加が増えて野党連合が議会の多数派になれば、行政府の長を選ぶ擬似大統領制が憲法改正なしで実現するだろう。
現代の政党は幅広い総合デパート型でないと生き残りができない。すると政策の差は縮まり、同じような政党が複数できることになる。で、あれば何らかのイノベーションを起こしてプロセスを改善するしかない。直接の投票で有権者の声を政策に繁栄できる仕組みができれば、優位性を獲得することができるだろう。

民主党はやっぱりバカなのか

ツイッターを見ていたら「民主党を解党して、自民党に代わりうる政党を作るべきだ」という民主党議員のつぶやきを見つけた。バカなのではないか、と思った。


自民党と政権交代するためには、自民党とは違うポジションを見つけなければならない。自民党とはどのような政党なのだろうか。
自民党はもともと親米・自由主義の政党だった。田仲角栄の時代に社会党の支持者を取り込むために「大きな政府」領域に進出した。大きな政府とは手厚い福祉と公共事業の実施だ。さらに、権力闘争の過程で利権を持った勢力を駆逐するために、大きな政府政策を維持したまま(つまり福祉を削らずに)小さな政府路線(つまり道路・郵政の民営化と派遣の拡大)を取った。
野党時代にネット右翼層を取り込んだ。ネット右翼層は中国や韓国が経済的に日本に追いつきつつあることに焦っているのだが、見下したり否定することで相対的な日本の国力の低下を直視することを避けている。ネット右翼は、一言で言えば「政治的な正しさと複雑さ」に疲れた層だ。彼らは「日銀の独立性」や「立憲主義」といった制限をなくせば、心配事は消えると思っている。
民主党は時々の自民党の対抗軸が堆積してできた政党なのだが、自民党そのものが揺れ動いていたので、同じように矛盾を抱えた政党になった。
自民党政治を支えているのは国民の「変わりたくない」「面倒なことには関わりたくない」という気持ちだ。安倍首相の人気を支えているのは「面倒なことは考えなくてもいい」というあけすけなメッセージなのだ。
現在焦点になっている集団的自衛権の問題について語るのは意味がない。日本政府には軍事に関する支配権がないので、国会で議論するだけムダだ。日本政府は予算をいくら与えるかという権限はあるが、軍事外交方針に自己決定権はない。これをを取戻すためにはアメリカと向き合う必要があるが、日本の政治家にそのような度胸があるとは思えない。与野党含めて軍事的な主権がないことを「見ないフリ」をしているし、国民もそれを黙認している。
政界地図
政党にとってのブルーオーシャンは残っている。一つは国家に庇護してもらうことを諦めてグローバルな自由競争社会への適応を目指す領域だ。自由主義領域(あるいは小さな政府領域)と言ってもよい。しかし、その為には国民を説得する必要がある。大阪系の維新はその領域を狙っているように見える。
もう一つは、非正規の人たちを取り込んで「自分たちの問題に向き合うべきだ」と説得する方法である。しかし、この層の一部は「偉大な国家や民族」という幻想に浸ることで自分を満足させている。また、ある一部は経済的な不満や将来への不安を直視しないで、別の形で政府が間違っていることを証明したがっており、それが反原発運動や戦争反対運動の原動力になっている。どちらも、不満や不安をぶつけやすい相手に投影しているに過ぎない。この層を取り込むためには、政治運動に参加してもらわなければならないが、まず現実の問題を直視するように説得するところからはじめなくてはならない。
現在、政治家も国民も「見て見ぬ振り」をしている。相手に変われという前に目を見開いて目の前の状況を直視するべきだ。それができるまでは何度解党しても国民の支持を得ることはできないだろう。
民主党は寄せ集めの部品でできた時計のようなものだ。それを壊しても組立て直しても、動かない時計ができるだけだろう。