ホフステードの文化ディメンジョンをRでクラスター分析した。関数はkmeansを使い、クラスターを12に分類した。ホフステードは現在6要素を持っているのだが、今回は「長期的視点」と「耽溺」を除いた。どの要素を取るかによって結果は違ってくるだろう。
今回は「民主主義・権威主義社会」を分類しているので、まず権威と個人主義を軸にして2つに分けた。個人主義的な社会を民主主義社会とし、権力格差が大きく集団主義が大きい社会を権威主義社会と定義する。
権威主義社会はリスク回避傾向をもとに2つに分かれた。リスクを嫌う傾向がある社会とリスクを取る社会だ。インドとアフリカはリスク回避傾向が低い一方でアラブ社会やラテン社会(スペインおよびその影響を受けた中南米諸国)はリスク回避傾向が高い。ラテン社会でもコロンビアとメキシコは権力格差が非常に大きい権力社会だということが言える。
一方で民主主義社会は競争的か共助的かで2つに分類できた。もう一つの指標はリスク回避傾向が高いかどうかだ。この二軸で4象限が作れる。フランス(およびベルギー)とフィンランドを1つにまとめることができる。違いは個人主義の度合いだ。指標を見ると、フランスは一般的に考えられているような「個人の自由」のある社会ではないのだ。
日本はイタリア、ドイツ、ハンガリーと同じグループに入るのだが、このチームは偏差が大きい。ある意味「その他」チームと言える。日本は集団主義だと言われることが多いのだが、中庸な国だ。それよりもリスク回避傾向が大きく、競争が激しい点に特徴がある。
民主主義という点で見ると「個人のがんばりを反映する」か「助け合いをよしとするか」という指標があり、新しい挑戦をよしとするか、それとも危険を回避したがるかという点があることになる。
それじゃあ日本にはどんな民主主義が向いているのか
というわけで、日本の国柄とか民主主義とかを考えている。これまでいろいろ好き勝手に書いてきて、国の文化を他国と比べたら日本にふさわしい民主主義の形が見つかるのではないかと思った。そこでホフステードの最新版データをダウンロードしてきて、Rでクラスター解析してみた。クラスターの数は7つ。といっても難しいことは何もない。kmeansという関数をくぐらせるだけである。これが妥当な方式かどうかは分からないのだが、余興としては面白そうだ。
7つのグループを作ったのだが、スロバキアが単独でグループを形成したために6グループになった。指標は左から、1.権力格差が大きいか、2.個人主義かどうか、3.競争が激しいか、4.リスクを避けたがるかということになっている。
第一のグループは権力格差が低い個人主義国だ。特徴は共助の精神が旺盛で居心地の良さを求めるという点。左派・リベラルの人が憧れる国が並んでいる。オランダもワークシェアリングと同一労働・同一賃金などで有名だ。北欧の人たちが「とりあえず思いついたことを試してみよう」と考えるのに比較して、オランダ人はやや慎重らしい。
次の国々は個人主義ともいえないし権力格差もそこそこという国だった。割と慎重な人たちが多い。そして「居心地の良さを求めるかどうか」という点に関しては差が大きい。福祉にお金をかけそうな国が上位になるように並べた。こういう国は多党制民主主義があっているのではないかと思う。
日本はこのグループに入る。日本で民主主義がそこそこ根付いたのは偶然ではないということになる。日本は島国だが「大陸民主主義型」とした。イギリスが含まれていないからだ。このグループにはフランスが含まれるが、フランスは二大政党制だそうだ。なお12分類すると、このグループは解体し、日本はドイツやイタリアと同一の一群を形成する。フランスベルギーなどと独立したグループを形成した。
次の国々は権力格差が大きく集団主義の国。リスク回避傾向にはばらつきがある。競争的かどうかという点では中位だ。アフリカ、中国、インド、ASEANのいくつかの国が含まれる。ホフステードはアフリカを東西にざっくり分けているので、サブサハラの国はすべてこの中に入った。どうラベリングしていいか分からなかったので「開発途上国」としたのだが、Developingの綴りを間違えた。インドは世界最大の民主主義国として知られている。
意外とここに入る国が多かった。アラブ圏、ロシア、中南米の国、トルコが入る。この中で「まともな民主主義」国はウルグアイしかない。中南米はうまくやっていると思う。現在テロが蔓延している地域なのだが、意外なことに韓国、タイ、ポルトガルが含まれている。「民主主義が失敗して軍隊が介入しました」というのが時々ニュースになるが、すべてここに含まれているのだ。調べてみるとポルトガルも軍政を経験しているそうだ。
基本的にこういう国では民主主義は無理なんだろうなあと思う。特徴は権力格差が大きく集団性が高いところだ。リスクも避けたい傾向があるらしい。
なぜか日本人が憧れてやまない国々。明治政府はドイツ型の憲法を導入したし、現在の政府はアメリカ製の憲法を押し付けられた。個人主義が強く上から押さえつけられるのを嫌がる傾向がある。北欧型との違いは、競争するのか共助で行くのかという点だろう。こういう国では個人が自己主張するのでコンペティションが成り立つのだろう。スイスが入っているのはおかしいと思う人がいるだろうが、ホフステードはスイスを2つにわけている。これは平均値を取ったもの。
最後はどっち付かずの国々。ウラル民族のフィンランドとイランなどが入る。個人主義の度合いが低いことでここにまとまったようだ。イランを除いて権力格差が大きくない。
最後に色分けした。現在の世界は、中ロ(時々イスラム)・欧米が対立している構造を持っているのだが、この色分けでいうと、薄いブルーと緑・茶色、青、赤国家の対立ということが言えるだろう。
ちなみに、クラスターを12に分離するとグルーピングが変わった。
- バングラディシュと南米の一部(大コロンビア地域)
- ドイツ・イタリア・日本(日独伊三国同盟)+ハンガリー
- 北欧
- 中国・インド・マレーシア・フィリピン
- アフリカ・香港・インドネシア・ジャマイカ・シンガポール・ベトナム
- アングロサクソン諸国
- アラブ・アルゼンチン・ブラジル・イラン・スペイン・トルコ
- ブルガリア・南米の一部(太平洋岸)・韓国・スロベニア・台湾・タイ
- フランス・ベルギー・ポーランド
- スロバキア
- ギリシャ・ポルトガル・ルーマニア・セルビア・スリナム・ウルグアイ
日本人はなぜ合理的に考えられないのか、中東ではなぜ民主主義がなりたたないのか
よく「日本人は合理的に物事を考えられない」と言われる。それはなぜなのだろうか。
例えば、アメリカ人は次のように行動する。
- ゴールを決める。
- ゴールを立てる道筋(仮説)を立てる。
- ゴールを達成するためにはどのようなコストがかかり、どのような効果が得られるかを決める。
- ある点で行動を検証し、説明がつかないことが出てくれば仮説に戻る。
ところが日本人はそうは考えない。仮説に都合の悪いところが出てくると、解釈を変えてしまうのだ。では、なぜ解釈を変えるのか。それは、日本人がアメリカ人とは異なる点に基礎を置いているからだと考えられる。
- 所属する団体を決める。
- 所属する団体での立ち位置を決める。
- 所属する団体の立場が正しくなるような論理を選び、解釈する。
- 状況がおかしくなると、論理を変えるか、解釈を変える。
その意味では日本人は別の要素に基礎を置いているのであって、デタラメに動いているのではないことが分かる。よくアメリカ人は「日本人は意思決定が遅い」と嘆く(実際に英語ではそういう記事がいくらでもある)のだが、これは日本人が「新しい要素によって、所属集団と自分の立ち位置」が変動するのを恐れるからだ。そこで「自分が知っていて」かつ「成功することが分かっている」論理を採用したがる。新しい仮説の導入は日本人にとってリスクが高いのである。一方で、論理は所属を正当化する結論が大切なのであって、その成立過程というものにはそれほど関心が払われない。
日本人は「流れ着いたもの」を使うことには長けているが、合意しながら根本原理を作ることは苦手だといえる。例えば、日本人が憲法を一から作れないのはそこに原因がある。そもそも作れないし、解釈の余地がないものにたいして「リスク」を感じるのだ。そのため、重要になればなるほど判断を避ける傾向にある。
日本人は根本にある仮説を無視する傾向にある。このため、こうした一連の概念をあまり峻別しない。事実(ファクト)と理論・仮説(セオリー)
- 情報(インフォメーション)とデータ
- 危険性(リスク)とコスト
にも関わらず関係性に関する概念は発達していて、言語化しなくても正しく判断することができる。
これが分かるのは、他者と比較しているからである。もちろん、一人ひとりの日本人が「仮説ベース」の思考ができないわけではない。海外で勉強するような機会があれば、すんなりと受け入れることができる。ただ、集団になってしまうと、非論理的な意思決定に傾くことが多い。
日本人は非論理的だが、それでも民主主義を許容できないほどでもない。ところが民主主義が許容できない文化圏がある。それが中東地域である。このように書くと「中東を差別しているのではないか」という批判がありそうだ。民主主義が優れた制度だという仮定に立った批判だろう。
例えばサウジアラビアは権力格差が強い。日本人はアラブ圏ほど権力格差が大きくないので上から押さえつけられると反発してしまうのだが、サウジアラビアの人は「好きにやっていいよ」などと言われると不安に思うだろう。つまり、目上の人たちが明確に支持を与えてくれないと不安になってしまうということを意味する。一方で集団性が強く、人々は自分がどの部族のどの階層に属しているかということを明確に意識して暮らしている。さらにリスクを避ける傾向にある。
同じ傾向はイラクにもある。個人の意見をすりあわせて、仮説を立ててとりあえず前に進むということが日本人以上に難しいだろうことが予想される。同じイスラム圏でもトルコやイランのような非アラブ圏はここまでは極端ではない。
それではアラブ圏は未開なのかという議論が生まれるわけだが、アラブ圏は未開というわけではない。単に意思決定の方法が民主主義国家とは大きく異なっているということは言える。そこに無理矢理民主主義をインストールしようとして起ったのが、イラクの混乱だと考えられる。
アメリカは日本を占領するときにかなり研究を行ったようだ。そのため日本の国情を考慮し天皇制を廃止した完全な共和制国家にはしなかった。集団主義が根付いていることを知っていたのだろうと考えられる。
しかしながら、1990年代の日本人はあまり自分たちのことを理解していなかったのではないかと考えられる。小選挙区制は、仮説をもとにして勝ち負けを決めるという制度だ。そもそも文字で書いた約束事に解釈の余地がなくなるのを嫌うのだから、仮説そのものが曖昧になるのは当たり前の話だ。さらに、負けた人たちは意思決定に関われなくなるので、党派対立そのものが目的化してしまうのだろう。
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ラテンアメリカ諸国、国民性と民主主義
ラテンアメリカはすべてスペイン語圏で、似たり寄ったりの人たちが住んでいるんだろうと思っていたのだが、地域によってかなり様相が異なるようだ。面白そうなので、手元にあるホフステードの指標などを調べてみた。
人種構成
南部の温帯地域ほど白人比率が高い。唯一の例外はコスタリカだが、他の地域では混血に分類される人が白人としてカウントされているらしい。その他にもともといたインディオの人たちが病気で壊滅してしまったという事情もあるそうだ。コスタリカは高度な民主主義を享受している。
その他、ウルグアイとパラグアイなんて同じようなものなのだろうと思っていたのだが、人種構成はかなり違っている。ウルグアイはかなり民主主義の盛んな国(日本より民主化度数が高い)なのだが、それでも軍政を体験しているそうだ。
一般的に白人度合いが高いほど、民主主義も発展しているという傾向がありそうだ。
権力格差
一般的に権力格差はそこそこ高い。日本より平等指向の国はアルゼンチンくらいなようだ。民主主義が機能不全を起こしているベネズエラは突出して高い。エクアドルもやや高め。どちらも産油国であり、OPECに加盟している。
ブラジルは官僚主義の国だが、アルゼンチンはそれほどでもなさそうだ。その意味ではアルゼンチンとコスタリカが例外なのかもしれないのだが、その違いがなぜ生まれたのかはよく分からない。人種や文化というよりは、社会構造によって違いがでる指標なのかもしれない。
個人主義の度合い
個人主義の度合いが強いのは白人が多い国だ。原住民の人たちの個人主義の度合いは低めなのだろう。この個人主義という観点だけが人種とリンクしている。
唯一の例外はメキシコだ。白人の割合はそれほど多くない。メキシコは権力格差も大きい。あまり民主的な国家とも言えないようだ。
男性的社会
男性指向というのはなかなか分かりにくい指標だ。「24時間戦えますか」というのが男性指向の極端な例だ。日本はこの指標がきわめて高い国である。逆にみんなで助け合ったり、居心地のよさを求めたりするのが女性的社会である。日本でどんなにがんばっても社会で子供を育てて行こうとならないのは、日本人が母性的な優しさを持たないからだと言える。
ここではメキシコ、コロンビア、ベネズエラが割と男性的な社会だといえる。同じ産油国でもエクアドルとベネズエラでは全く事情が異なっている。
歴史的な経緯といった、複雑な条件が違いを作るのだろうとしか説明ができない。
まとめ
同じようにスペインやポルトガルに支配されていたのに、国によって文化は全く異なる。なかには、内戦でめちゃくちゃになった国(ニカラグア)と比較的民主主義がうまく機能している国(コスタリカ)が隣り合っている地域もある。中米地域と南米北部はそれぞれ一つの国を作っていた時代があるのだが、長続きしなかった理由がよくわかる。文化がバラバラだと国としてまとまることが難しいのだろう。
北米のアメリカ合衆国はキリスト教徒民主主義を基本理念としてまとまっているという印象があるのだが、中南米もキリスト教とスペイン語を基盤としているわけで、共通基盤があるからといって、統一性が作られるというものでもないようだ。北米は比較的平坦で行き来が楽なのだが、中南米は行き来が難しそうである。一体的な市場が作られなかったという点も、統一を阻んでいるのかもしれない。
個人主義と民主主義の関係
前回までのエントリーでは「日本には個人の契約に基づく民主主義が成り立たない」という嘆きについて考えた。確かに、西洋流の民主主義は個人の契約に基づいて運用されるように見えるのだが、日本では別の行動原理が働いているのではないかと考えた。
そもそも、民主主義は個人主義社会でないと成り立たないのか、疑問に思ったので実際に調べてみた。
ホフステードの個人主義指数と民主主義ランキングをプロットした。最近まで日本は「完全な民主主義国家」だったのだが、安倍政権ができてからランキングを落として「欠陥のある民主主義」に転落した。日本語版のWikipediaは2014年版なのだが、英語版は2015年版だ。もっとも、それほど嘆くことでもなさそうだ。最近テロが頻発するフランスも順位を落としている。合格ラインは8なので、日本はぎりぎり当落線上にいる。
結果は一目瞭然だ。民主主義と個人主義の間には相関がありそうである。だが、これだけではちょっと弱い。コスタリカ・台湾・韓国などの国で民主主義が成立していることが説明できないのだ。
ということで、今度は権力格差について調べてみた。数値が高いほど権力格差が高い。また権力格差が大きくても民主的な社会と非民主的な社会に拡散することが分かる。ここでも日本は中位である。たとえばアメリカ人は権威を振りかざされると怒りだす。アメリカが権力格差の小さな社会だからだ。権力格差も民主主義と関係がありそうだ。当然、負の相関である。
ということで、二つを単純に足して(100-権力格差)+個人主義と民主主義指数を比べた。
依然相関があるようだが、グラフの左の方は相関が薄くなる。イランがアウトライヤーになっているので、相関は弓なりだ。この図を見ると、日本は平均線上にあることになる。
このグラフは2つの要素の合成になっているので、質を表すために権力指向と個人主義指向をプロットした上でグループ分け(kmeans)してみた。日本はオレンジ色グループに入る。
特に後進的なグループということはなく、ベルギー、フランス、スペインなども入っている。その他の国はインド、台湾、ブラジル、トルコなど。ちなみにフランスは多党連立型だそうで、アングロサクソン流の二大政党政治ではない。スペインは全国政党の他に多数の地方政党がある。ベルギーはそもそも全国的なまとまりがなく、最近では首相が出せない事態に陥ったばかりだ。ブラジルも多党型らしい。
日本は自民党による政権維持が長く続いたが、長い間複数派閥による非公式の(つまり選挙によらない)派閥政治の時代が長く続いていた。こう考えてみると、日本が小選挙区二大政党制を指向したのは「気の迷い」だったしか言いようがない。
もちろん、今回はたまたま入手可能だった数字を当てはめてみただけなので「科学的でない」という批判もあるのだろうが、それでも思い込みたっぷりで作られた「国柄」に陶酔するよりも多くの洞察を与えてくれる。また、日本はそれほど特殊な国ではないということが分かるのではないか。