男性のボトムの流行と盛衰

0007手元にある写真を見ながら街の流行を調べてみた。なお、写真だけをピックアップするといかにも傾向がわかるような気がするが、これは恣意的に選んでいるからである。例えばこの写真はダメージジーンズが流行っていたような記憶がある2005年のものだが、ダメージジーンズを履いているのは中央の1名だけだ。
たいていの人は無自覚に服装を選んでいて全体で見ても傾向はわからない。故にこのような写真を統計的に処理してもこれといった結果は得られないのではないかと思う。メーカー側から見たジーンズの変遷はジッパーのメーカーYKKがまとめている。
また、遠景で見ているとディテールはほとんど目につかない。全体のシェイプが重要なのではないかと思える。男性ファッションの場合、ボトムがシェイプを決める重要な要素になっている。

ブーツカット

00062005年から2006年というと、バブル時代からあまり動きのなかった紳士服がいよいよスリム化に向かっていた時代。3つボタンのスーツが淘汰されはじめていた。ジーンズではDolce & Gabbanaがダメージジーンズなどを積極的に採用していたころであるが、手元の写真をみると目立つのはブーツカットだった。多分、メインストリームに対抗するカウンターの位置付けなのではないかと思える。ジーンズのローライズ化が進行したが、この当時は「お尻が見えるようなジーンズは変だ」と思っていた。ローライズがメインストリーム化したのでジーンズ=Levi’sという図式が崩れた。元記事は残っていないのだが、Levi’sの売り上げはピーク時から半減したという2009年の記事が残っている。
なお、日本のナショナルブランドは2013年までにすべて消滅してしまったそうだ。表向きは様々な形のパンツが履かれているわけだが、足元で起こっているのは急激な価格破壊である。つまり、多くの人々は990円でジーンズを手に入れることができるようになったせいで、高価なジーンズを履かなくなってしまったわけである。

スリムジーンズ

0003時代が飛んで2010年ごろになると、スリム化がかなり進行していたようだ。スーツのスリム化が完成して、今でもビジネスシーンでは細いスタイルが見られる。同時にカジュアルもスリム化した。一時はかなり極端なところにまで行ったよだ。
なぜスリム化が進行したのかはよくわからなかった。Diorのブラックジーンズがきっかけではないかと書いてある記事を発見した。ローライズ化とスリム化が同時に進行したようだ。
ブログは次のように分析している。
このジーンズ(Diorのこと)の何がかっこいいのかというと、一つはその黒と白のコントラストですが、 もう一つは時代背景的なものです。ブラックデニムが出る前はドルチェ&ガッバーナのクラッシュジーンズや ナインバーナインのグランジデニムが人気で、ジーンズのシルエットも骨太で男らしく、 着こなしもシャツをタックアウト、ストリート系の影響がまだまだ強かったのですね。 そこに白シャツをタンクイン、クールな細身のシルエット、長めの裾を女子高生の ルーズソックスのように弛ませて履くというスタイルのディオールオムが登場し、 多くの男性がそのスタイリッシュさに新鮮さを感じ惹かれていったわけです。 その後モード系ファッションに傾倒する人が激増したのは皆さんご存知の通りであります。
つまり、無骨な感じが時代を席巻したので揺り戻しとして「きれいめな格好」が席巻したというのだ。ここではクラッシュジーンズと呼ばれているようだが英語ではdestroyed jeansというそうである。もともとは太いパンツだったようだが、のちにスリム化が進行し、今でもコレクションで散見される。Pinterestの画像を集めてみた。
この後くらいからスウェット素材を使ったジーンズが発売されるようになる。DIESELではJOGG Jeansと呼ばれている。2011年の発売なのだそうだ。
ユニクロもジョガージーンズというものを出しており、ジーンズというよりレギンスみたいな扱いになっている。ウエストもゴム入りなのだそうだ。タイトできれいな格好はしたいが、ジーンズに5万円以上は出せないし、きつい思いもしたくないという気分になりジャージのような素材が好まれることになったというわけである。

ワイドパンツ

0005当初は「全体にスリム化が進行したのでカウンターとしてワイド化も進行した」と書いたのだが、スリムの項目の観察が正しいとすると、これは前の残滓ということになる。
すでに数としては少数派だったようだが、極端な形にふれていたようだ。
最後の写真は2013年だ。極端なスリムは銀座からは消えていた。この写真の人たちは韓国語を話していた。よくジーンズメーカーのカタログでみる形なのだが、日本人はこれほど素直にはデザイナーの提案したスタイルを真似しないのではないだろうか。
「女子受け」という言葉があり、極端なものは定着しない運命にあるようだ。
面白いことに2010年ごろはモードがスリムだったわけだが、2016年のMen’s Non-noなどを読むとワイドパンツがモード系ということになっている。好みが逆転したことになる。

ストレートジーンズ

0001ストレートジーンズ。普通に選択されるはずのタイプだが、なんとなく「普通すぎる」と感じられる時代があったようだ。そこで帽子を使ったスタイルを撮影していた。このようなスタイルはクラッシックな雰囲気をもっており古びないように思われる。
しかし、写真をみるとこの形はなくならない。ほとんどの人がとりあえず選んでいる形でもあるので、これがこなれるととてもおしゃれな人に見える。

外国人

0002面白いことに欧州系の外国人はこうした流行には乗っていないようだった。このことからパンツの太さに関する流行は日本独自のものではないかと思われる。
自分なりに似合うスタイルというのがあるようなのだが、それは当然のことながら人それぞれ異なっている。

クロップド

0004実は2013年ごろまでくるぶしが見えるほどの丈はあまり観察できなかった。この年に何があったのかは不明だが、こういう写真がいくつかあった。独身というよりは子供連ればかりだったので奥さん発の流行だったのかもしれない。
2015年、2016年現在でも「クロップドパンツの着こなしはどうするべきか」というような記事を目にする。

デフレとアパレル不況の共通点

安倍首相はことあるごとに日本はデフレから脱却しつつあるとうそぶいている。しかし、その統計には中古市場は含まれていない。実際の自分たちの暮らしを見ていると、その割合はわずかかもしれないが、確実に中古市場への依存が広まっている。
それではどのような業態で中古市場へのシフトが進んでいるのだろうか。

  • 毎年のように新しい製品が出る。
  • モノの価値が情報によって支えられている。

例えばパソコンは毎年新しい製品が出る。かつては処理速度が早くなっていたのだが、最近では省エネで競っている。また洋服の場合は毎年新しい型が出て古いものは着られなくなることになっている。だが、去年の古いセーターを今年着ることは可能だし、古くなったパソコンでも昔こなしていた用事ができなくなるわけではないし、私たちがやりたいことが毎年高速化してゆくわけでもない。
メーカーは価値を高めるために情報を小出しにしているのだが、長い間をかけて消費者は情報を蓄積してゆく。それゆえにメーカーは消費者より速い速度で情報を蓄積しなければならない。
製品にまつわる情報にはいくつかのものがある。

  • 製品に関する情報 – これはメーカー側でも蓄積できる。しかし、いったん流した情報は忘却されない。
  • 価格に関する情報 – かつては消費者側は知らなかったがIT機器の発達で消費者の知るところとなった。
  • ユーザーの情報 – これはメーカーでは作ることができないので、お金を出して集める必要がある。

三番目の情報は価格形成に大きな影響を与えている。服は所属や地位を表すシグナルになっているが、その意味合いは他人との関係できまる。例えば、みんながユニクロを着ていればユニクロが恥ずかしくなくなり、その価値はネットワーク効果で決まる。これを日本語では「空気」と呼んでいる。
ユーザーが作る空気は複雑から単純へ、高価から安価へと流れるようだ。これを高い位置に戻すためには外からの刺激を加える必要があるようである。だが、メーカーは情報を足す事はできても、忘却させる事はできない。
価値は情報によって作られているということなのだが、消費者は情報を使って何を伝達しているのだろうか。衣服や車の場合には所属欲求だと考えられる。同じものを持っているということを確認しつつ、その中で序列の確認が行われている。序列を決めるのは「センス」という曖昧な基準なので、これが無効だということになれば、情報としての価値は失われる。
この所属を確認するための情報交換はは置き換えられつつある。例えば一つはSNSを使ったゲームのような純粋な情報だ。所属欲求を満たして、序列を作るために面倒な「モノ」を媒介にする必要はなくなりつつある。もう一つは場所と時間だ。ショッピングモールで買い物をする場所は閑散としているのに、レストラン街は満員だったりする。また、インテリアショップに併設されたカフェも人気だ。どちらも一人で利用するというより、仲間と時間や場所を共有するために利用されているのだろう。
「モノからの逃避」が進んでおり、抽象化が進行しているとも言える。
冒頭の政府統計の話に戻ると、新品の製品だけに着目しても、デフレなのかそうでないのかという事はよくわからなくなりつつある。正確な統計のためには中古品市場を加え、情報流通にも着目しなければならない。しかし、旧来型の消費者像に凝り固まった頭で、こうした新しい物価統計を組み立てるのはなかなか難しいのではないだろうか。
さらに重要なのは、人々がそもそも「消費者」ではなく、モノを媒介した社会のためにモノを利用しているという視点だろう。消費者は消費者ではないのだから、メーカーはメーカーではない。どちらかといえば社会化という通貨を発行していると考えた方が良さそうだ。
例えばアパレルメーカーはファッション雑誌や店頭に通貨を流しているのだが、通貨発行のコストは無視して良いほど低いので、モノが売れなくなったからという理由で通貨の発行を増やす。すると結果的に通貨の信認は失われてデフレが進行してしまうのだ。それは情報が持つ効果そのものが失われるからである。
これはデフレと共通するところがあるように思える。中央銀行は経済を活性化させるために通貨の発行を増やした。これは実は富を増やしているということにはならず、富を伝える媒介(すなわち情報)を増やしている。1つの中央銀行が情報の供給を増やすと、他の中央銀行も情報を増やす必要がある。いったん出された情報を回収することはできない。そこでピケティのように富裕税を取って市場から情報を回収するというようなアイディアが出されている。

パルコがなくなる

「パルコがなくなる」ということでセールをやっている。そこで商品券をもらった。カードのポイント交換なのだが、2000円ごとに500円のおまけが付いてくるので「お得だろう」というのだ。
というわけで、最近ここをよく覗くのだが、なぜパルコがなくなるのかということがなんとなくわかった。
周囲には駐車場が少ない。この界隈は車社会化が進んでいるので街の中心部に出てくるのは却って大変なのだ。日経新聞が分析している通り、駐車場不足が街の過疎化を進展させているのは間違いがないだろう。流行っているのは駅から歩いて5分圏内にあるそごうと駐車場がふんだんにある幕張のAEONと南船橋のららぽーとだ。
しかし、問題はそればかりではなさそうだ。品揃えが壊滅的に少ない。男性服の売り場は4階に集まっているのだが、定番品(無地のシャツかボーダー Tシャツといったもの)か、一昔前のロックシンガー(細身でシワの入った黒いパンツに、赤や黒などを合わせたりする)が着そうなものしかない。例外としてTakeo Kikuchiが入っているのだが、値段が高いので誰もいない。それとは別にWEGOと古着屋があるのだが、その一角はそれなりに賑わっていた。
ロック兄の好みそうなブランドはいくつかある。背景を調べてみたら、たいていが糸問屋がブランドに乗り出したものだった。一昔前は同じようなデザインで品物を作れば飛ぶように売れた時代があったのだろう。現在では約半分が売れ残るそうだ。
デザインというものが死んでしまったのだなということがわかる。デザインが成立するためにはある程度の多様性が必要なのだが、多様性を演出しようとするとある程度の売り場面積が必要だ。この近所だと南船橋にららぽーと程度の品揃えが要求されるのだろう。
ららぽーと並みの品揃えができないと「一番売れそうなやつ」に照準を合わせる必要があるわけだが、それが定番商品か栄町(東京でいえば歌舞伎町をうら寂しくした感じ)だったのだなあと思った。つまり、水商売の男性向けのショップになってしまったわけである。こういう人たちが参考にしているのはSafariらしく、店頭にはSafariが飾ってある店が多かった。毎回同じようなコーディネートしか並んでいない雑誌だが、あれが今なんだなあと改めて思った。
客層を見ていると、男性の服装はシンプル化しているらしい。最近の若者(とはいえデートコースになっっているので、そこそこモテそうな人しかこない)はさらにスタイルがよくなっており背も高いのでこうい格好が似合っている。ただ、ファッションとしては面白くはないだろうなあとは思った。
女子だけの買い物客はスマホとにらめっこしていた。コーディネートを調べているのかなあとも思ったのだが、もしかしたらZOZOあたりで値段をチェックしているのかもしれない。定番品が多いのでどこで買っても一緒なのだろう。でも、もし定番だったら一番安いのはユニクロだろう。まあ、パルコにはユニクロはないのだが。
お客が服を選ぶ目線はシビアになっている。限られた予算の中で失敗しない服を選ぶ必要があるのだろう。それはよく売れている商品かシンプルなものということになる。つまり、店頭から多様化が消失しているだけでなく顧客の側からも多様性はなくなっているのかもしれない。
最近の人はスタイルがよいので、いろいろなファッションが楽しめていいなあなどと思うのだが、選択肢があまりにも少ない。色も選べないし、形も決まったものしかない。年齢を重ねるとさまざまなスタイルを試せなくなってゆくので、もったいない話だなあと思う。
img_0511-1さて、このようにファッションの砂漠化しているパルコだがレストラン街だけは盛り上がっていた。ファストフードのチェーン店かラーメン屋しかない地方都市にしては多様な料理が食べられるとみなされているのかもしれないし、ウィンドーショッピングしてから料理を楽しむというのが定番のデートコースなのかもしれない。
日経新聞の記事はアウットレットショップを競合と見ていたわけだが、本当は街中心部にでかけることがイベントになっているのかもしれない。
個人的にはパルコで一番行きたい店はスタバだった。うまれてはじめてコーヒーにクリームをトッピングしてみた。

ファッション雑誌はいらない – オンラインの現状

先日、ファッション雑誌には足りないものがあり、ネットには新しい可能性があるだろうと書いた。まあ、理屈としてはわかるのだが、実際を調べてみた。
「私をまとめる」という機能はないが、スタイルごとに情報をまとめるくらいはできるようになっている。多分、スマホ世代で「雑誌でしかファッション情報を取らない」という人がいれば、かなりの情報弱者だろう。ファッション雑誌が、読者モデルのスター化を進めたり、中高年を相手にしなければならない事情がよく分かる。ファッション情報の提供という意味ではすでに遅れた存在なのだ。

WEAR : 参考になる人を見つける

zozost
ZOZO Townのメールマガジンにショップスタッフのコーディネートが出ている。身長や体重の記述があるので、似ている属性のスタッフさえ探せれば参考になるかもしれない。実際にはWEARのシステムを使っているようだ。
スタイルはタグ付けされており、気に入ったスタイルを探すこともできる。ちなみに大人カジュアルを検索するとこんな感じになる。ショップ現場の情報なので雑誌編集者のバイアスが入っておらず、生の声に近いと言えるかもしれない。一方でデザイナーが新しいスタイルを提案したいと考えても、現場が納得しなければ導入は難しいだろう。ファッションは却って保守化しそうだ。
各コーディネートはアイテムに結びついているので、どのような着方がされているのかを勉強することもできる。性質上、購入前情報の提供が主眼になっているが、購買後の研究にも使える。
プロのモデルとの一番の違いはポーズのバリエーションが少ないことなのだが、洋服とはあまり関係がない。

Lookbook

lookbookこのWEARの元になっていると思われるものがLookbookだ。こちらは消費主体の発信になっているのだが、長く続けている人はポートフォリオをまとめたい写真家などのようだ。
Lookbookはポートフォリオ形式だ。見せたいのはその人らしさであって洋服ではない。WEARには目に線が入った人がいるのだが(日本人は目が特定されると魂が抜かれると考えているのかもしれない)Lookbookにはそれは見られない。
日本人の参加者もいるのだが、活動はあまり活発ではないようだ。

Lookbook : スタイルを探す

explore
Lookbookはしばらく見ないうちにかなり進化していた。中でも面白そうなのが「Explore」機能だ。どのような仕組みで選ばれているかはわからないが、トレンドになったタグやタイトルが集められている。このため、スタイルやトレンドに合わせて服を選ぶことができる。例えば「Yogaをやりに行くときにはどういう格好がよいのか」ということが探せる
日本のサイトはどうしても「服を売りたい」という視点で作られるのだが、Lookbookは自分を表現するということがテーマだ。だから、服はそのための道具の扱いである。
日本人がどうしてLookbookのようなサイトが作れないのかという仮説はいくつかある。一つ目の仮説は専門性のサイロ化が進みやすいという供給側の事情だ。次の仮説は同調傾向が強く「私らしさ」を打ち出すよりは「みんなと同じものを着て安心したい」という傾向が強いからかもしれない。二番目の仮説を取ると「売れ筋」のような企画に人気が集まり、私らしさを打ち出す企画には人気がないことが予想される。

プロはどう発想をまとめてゆくのか

ファッションデザインは西洋の考え方がデファクトスタンダードになっている。『ファッションデザイナーの世界』を読むと、どのようにコレクションを作るのかがよく分かる。概念の説明ではなく具体的な資料が多いので、グラフィックデザインを扱いた人は一度は目を通しておくべきかもしれない。
デザイナーはコレクションを作る前にテーマを決める。そのテーマを想起する写真素材を集めてボードを作る。そして、その世界観を実現できる素材を探して、最終的にスタイルを決めてゆく。
ファッションデザイナーを扱ったテレビドラマなどで天才デザイナーがいきなり着想を得てサラサラと白い紙にペンを走らせるようなシーンが出てくるが、何の準備もなしに着想できる人などいないのだ。
仮にいたとしてもその人は現在のデザインシーンでは活躍できないだろう。ファッションの世界は分業化が進んでいて、着想したものをインドや中国のスタッフに伝えなければならない。日本人はクリエイティブを演奏家のように考える傾向があるが、実際にはオーケストラの指揮者に近い。
pinterest以前にも紹介した通りコレクションボードを作って共有するのはとても簡単になっている。ピンタレストというサービスがあり、ネットにある写真をピン留めして整理してくれるのだ。新しい素材を発見するのも簡単で、機械が自動的にお勧めを教えてくれる。ビジュアルデザインを扱う人で知らない人はいないと思うのだが、トレンドを扱う事務方の人の中には知らない人もいるかもしれない。
このボードは「昭和の懐かしいもの」というタイトルをつけた。面白半分のコレクションだが、こうしたコレクションであっても招来何かの役に立つかもしれない。役に立たないとしても眺めているだけで楽しい。

まとめ

ファッションデザインだけでなく、雑誌は情報整理の最先端ではなくなりつつある。キーになりそうな要素はいくつかある。

  • より多くの人が提供できる。(集合知)
  • 集合知が定型化されていて、タグ付けができる。
  • タグ付けされた(データが情報になった)ものを、個人が整理できる(マイページ)
  • データが評価される。(フィードバック)
  • 評価に基づいてデータが自動的に収集される。

ネットは相互学習のプロセスなのだということがよく分かる。この相互学習のことをインターラクティブと呼んでいるのだ。
 

ファッション雑誌にはないが大切なもの

fashion久々に洋服を探す機会があり、昔作った簡単なシステムを再稼働した。3年分くらいのコーディネートを貯めたもので、アイテムごとに並べたり、スタイルごとに並べたりできるようになっている。
スタイルは帽子やショートパンツといったアイテムを核にしたものもあれば、テーパードパンツというシェイプを核にしたものもある。何がスタイルを構成するのかを厳密に分けることは難しい。
ファッションショーの構成の仕方を書いた本などを読むと、あるテーマがあり、それを核にして素材、色、シェイプを構成したのがコレクションだということになっている。デザイナーは、すぐさま服の設計には取り掛からず、テーマに沿った写真素材を集めたコレクションボードを作成してゆく。しかし、コンシューマーレベルではそこまではできない。市場に出回っている服から過去に提案されたスタイルを選ぶことになる。
今回使ったシステムは、ネットで見つけたファッション写真などが組み合わさっている。大抵はこれはいいと思った写真をクリップしておいて再利用するのだ。クリッピングにはPinterestが使える。
だがPinterestには「私に似合う物」と「私に似合わないもの」がない。そこで、実際に試した自分の写真がコレクションしてある。
非情に面倒なシステムだが(少なくとも毎日写真を撮影して加工するのは面倒くさい)一旦作ると、かなり長い間利用することができる。ある意味財産になるんだなあと思った。こんな面倒な仕組みを作ったのは、ファッション雑誌に不満を持っていたからだ。読んでもなんだかよくわからないのだ。
fashion2ファッション雑誌にいくつかの機能がある。1つはトレンドを紹介する機能だ。旧来のファッション雑誌では主流だった考えかたかもしれない。しかし、トレンドがばらけてファストファッションが流行すると、組み合わせについての記事が見られるようになった。これは服にあまりお金をかけられない若い男性向けの雑誌に多い。一方で、男性ファッション雑誌の読者は高齢化していて、かつての腕時計や車のような感覚でラグジュアリアイテムを扱うカタログ雑誌的なものも増えつつある。
つまりファッション雑誌には、トレンド、組み合わせ、カタログという3つの要素がある。ところが、そこに出てくる登場人物は痩せすぎているか、成功した感じの人(日本人が考える成功した人とはショーン・Kのような白人とのハーフのガッチリした男性だ)しかいない。
ユニクロのルックブックですら、身長180cm超えの男性が出てくるので、自分で着てもその通りにならないばかりか「あれ、違っているぞ」ということになる。ユニクロはジーンズを売りたいので足のきれいな男女がモデルが多く採用されている。だから、同じように着ても満足感は得られないのだ。
鏡を見て自分を把握すればよいとは思うのだが、これはなかなか難しい。どうしても細かな点に不満を持ってしまう。その上、なかなか自分の傾向を客観的・体系的に覚えることは難しい。多分、コーディネーターになるためには、体系的にさまざまな要素を記憶する能力が求められるのだと思うが、訓練していない人には無理だろう。自分を知らないのに体系を作らなければならないのだが、そもそも何が体系を作るかもわからない。一方で、ある程度時間が経てば客観視はできるようになる。
そもそも成功した体系は一見するとつまらなく見える。自分の体型にあっていてなんなく着こなせてしまうのでつまらなく思えてしまうようだ。実際にはそれが「似合っている」ということなのだが、どうしても「それより上」を目指してしまう。何がそれより上なのかというとスタイルのよいファッションモデルのそれなのだ。
基礎のスタイルができれば、そこにトレンドを足して行けばよい。トレンドはファッション雑誌に載っているので、好きなだけみてから新しいトレンドに挑戦すれば良いのではないかと思う。
ファッション雑誌にないものは「私」なのだが、より細かに見てゆくと、体系のようなものが足りないことがわかる。そもそも雑誌なので、情報の体系化は消費者に任されている。私を核にしてデータを体系化し、情報に加工する過程が足りないのではないかと考えられる。