ざっくり解説 時々深掘り

羽田空港事故とダイハツ事件 日本に蔓延する「現場に安全対策を押し付ける」失敗とその弊害

【訂正】羽田空港事件では「やっぱり誘導装置は作動していなかった」とする報道が出ている。この記事は「誤誘導装置が作動していた」が「管制官は気がついていなかった」ことを前提に書いているが、当局の発表とマスコミ報道は以前かなり混乱しているようだ。

当局と当事者が管理責任を追求されることに敏感になっており事故原因調査に支障が出かねないという本稿のラインを修正するものではないが情報が更新されたためここに追記しておく。


羽田空港の事故について調べていると「原因の究明」の他に「現場のキャパ問題」があることがわかる。原因究明に重きをおく今の調査方法では管制官が悪いのか海上保安庁が悪いのかという過失配分にばかりが注目されることとなり「キャパの問題」は置き去りにされるだろう。

実は同じような問題がダイハツにもあった。こちらも「現場がズルをしていました、ごめんなさい」と総括されたと言う事例である。ダイハツ事件ではトヨタのトップがヒーローのように扱われており「これからトヨタイズムをしっかり叩き込みます」という総括になっている。そんなことを考えていると今度は「海上保安庁側も忙しすぎた」と言う報道が出てきた。

安全・安心を支えている使命感の強い人たちが押しつぶされようとしているのではないか。そんな危機感を覚える。こうした人たちは使命感が強い故に大きな声を上げることはない。ある日突然ペシャンコに押しつぶされてしまう。

マネジメントが責任を取らず全ては現場の中間管理職に押し付けられるという図式は日本社会では既に常識になっているようだ。日本では敗軍の将ほど兵について語りたがる。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






まず読売新聞の「海保機長、衝突事故の前日に中国公船警戒で7時間飛行…運輸安全委は当時の健康状態確認へ」という記事をご紹介したい。事故の直前に1700キロメートルを往復し中国公船に対応していた。読売新聞は「いやこれくらいのことは日常茶飯事なのですよ」とする海上保安庁幹部のコメントを掲載している。だが、実際に事故が起きているではないですか、と言いたくなる。「今まで問題が起きなかった」ことと「問題がない」ことは厳密には異なる。

ある海保幹部は「直前の勤務状況が過重だったことはなく、心身とも健康に問題はなかった」と話す。

おそらく羽田空港側も「管制官の仕事量は適正だった」と言うのだろうが、実際には人を張り付けて誤誘導装置を監視させる。内心「ああやはり業務量に無理があったのだな」と言うことはわかっているはずである。

事故前の報道で空港の「グラハン」と呼ばれている人たちが足りていないことはわかっていた。今回イレギュラーな対応が続いたことで駐機スポットで事故が起きている。おそらくこれまでもギリギリで対応をしておりそれが「イレギュラー処理」で溢れることでかなり危険な状態になっていることがわかる。これも「なぜグラハンスタッフが注意しなかったんだ」とのバッシングにつながりかねないが、ポイントはおそらくそこではないだろう。

事故調査は「誰が悪かったのか」が議論されることが多く「そもそも業務量が適正だったのか」と言う問題は置き去りにされる傾向がある。だが実際の現場の安全・安心は一人ひとりの業務量にかかっている。この一人ひとりの安全がつぶれた時にカタストロフィックな事故が起きかねない。

羽田の管制官は積み上がる業務量にも白旗を上げることができなかった。頑張ってこなすしかない。一方で海上保安庁の業務もおそらく多忙だったのだろう。

同じような事例がダイハツにもあった。生産技術を優遇する体制で検査体制が犠牲になっていた。検査は「絶対にパスするだろう」という前提で行われていたために長い時間かけて不正が蔓延した。

ダイハツのケースでは度々現場から管理職にたいしてなんとかしてくれと言う声は上がっていた。その声は全て無視された。管理職にはいい人が多く「なんでも相談してくれ」と言ってくれる。ただ単にいい人なので相談しても「で、何が問題なの?」と言われるだけだったそうである。だが、スポンサーを気にする大手メディアはこのようなことはいっさい伝えてくれない。ネットでは大して注目されず過去の案件として流されてしまう。

ダイハツの検査係と管制官には共通点がある。現場でチェック機能を担っており「安全の最後の砦」である。だが彼らは経営者ではないので自分達のリソースを自分達で配分できない。このため潜在的な問題が起きたとしても気づかれにくいというのも共通点だ。

同じような境遇の人たちを探したところ宝塚の事例が思い浮かんだ。7年生に負荷がかかっていた。新人の取りまとめ役として実質的に管理職の役割を押し付けられていたがリソース管理はさせてもらえなかった。そもそもアーティストとして扱ってもらえず「生徒」呼ばわりされており契約上は労働者ですらない請負であった。7年生の世代は「もう続けられない」としてやめてしまい残った数名に過労死レベルをはるかに超える負荷がかかっていた。これが今宝塚全体の問題となっている。華やかな舞台の裏は単なるブラック企業だったわけだ。

ダイハツにはプロジェクトマネージャーがいなかったことがわかっており検査官が最後の砦だった。同じように宝塚はこの7年生が最後の砦になっていた。そして一人が精神的に追い詰められて極端な解決策を選んだことで全体の風評が崩壊した。ただその後の報道経緯を見ると「現場の最後の砦」の重要さが語られることはない。むしろ管理職と組織を守る報道が繰り返され「現場が悪かった」と言うことでを終わってしまうケースが多い。

こうした使い潰されて崩壊しそうな現場は他にもある。それが学校だ。先生は児童や生徒を管理しなければならないがルールを決めたりリソースを配分する権限を持たないと言う意味で「名ばかり管理職」化している。ずるい先生は逃げてしまうのだが、真面目な先生ほど真剣に取り組む傾向にあり使い潰されてゆく。結果的に精神的に追い詰められる先生の数は公立の学校だけで6000人に達しており20代の増加率が高い。若い人ほど逃げ遅れてしまうのだ。学校予算が削られ保護者の要求ばかりが増えてゆき年々悪化の傾向だ。

このように考えると今後の羽田空港事故においては次の点がチェックポイントになるのではないか。

  • グラウンドハンドリングと呼ばれる地上スタッフが足りていなかったことはわかっているが、そのほかの安全に関わるスタッフの業務が過剰になっていなかったか?
  • 政治は我が国の安全を守る人たちの処遇に配慮してくれているのか?
  • 経営管理する人たちと現場の間に断層はなかったか?
  • 仮に経営やマネジメントに問題があった場合事故調査委員会はそれを第三者的目線でチェックできる体制になっているか?

いずれも「誰が悪い」という犯人探しでは見つけることができない課題である。まずマスコミが犯人探しをやめて課題抽出型の報道に切り替えてくれることを切に望みたい。おそらくマスコミが課題抽出をしない限り政治がこの問題を認知することはないだろう。

企業では人材不足が深刻になっている。中でも正社員が不足していると言う。経営者たちは国や学校がきちんと人材育成教育をすべきだと声高に主張するが、実は企業が正社員層を使い潰しているだけなのではないか。無能な将軍ほど負け戦を兵隊のせいにしたがる。敗軍の将兵を語らず(敗軍の将は兵隊の資質について語るべきではない)と言う古くからの格言がこの国では忘れ去られているのかもしれない。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|







Comments

“羽田空港事故とダイハツ事件 日本に蔓延する「現場に安全対策を押し付ける」失敗とその弊害” への2件のフィードバック

  1. 警察忘れてるよ。

    ちなみに、声があがらないのではなくあげられないのです。
    保守義務違反で検挙されます。

  2. 百合子のアバター
    百合子

    人命に係る部署なんだけどさ、サービス残ばかりだとか、休日出勤サービス出勤法定代休やっと、年休は毎年ドブとかで待遇がとんでもない事になっていて、辞めるのはまだマシ、精神的疾患多数、たまに自殺があるんだけど上は全く改善しようとはしないんだよね。
    で、いつもマスコミの格好のネタだし、マスコミが叩くと言い掛かりの苦情が殺到して業務支障が出るし採用もブラック通り越してるもんだから大不調。定員割れを定員減で乗り切ろうとする始末です。
    政府の無能無責任ぶりを指摘したいところですが、クレーマーの声ばかりを拾うマスコミ、直接的には国民に伝わらない現状と税金泥棒と叫びゴミの様に扱い、アゴで使う事を国民が選択している以上、遅かれ早かれ現行制度は破綻すると思います。
    人命に係る部署が破綻するんです。
    国民は覚悟してください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です