今回のロシアとウクライナの問題を見ているとロシア・ウクライナの両国がお互いに保証を求めていることがわかる。だがこの「保証」がどんなものなのかと言うのが誰にもわからない。ここでは国民性をヒントにしてその保証がどんなものなのかを考えて見たい。
今回のキーワードは不確実性回避傾向である。実は日本人も不確実性回避傾向が強いのでロシア人をこの側面から理解するのは難しくない。
ホフステードの6次元解析というツールがある。社会的な文化傾向がわかるというマネジメント指標である。この比較を見てまず驚くのはロシアとウクライナの指標がそれほど違わないと言う点である。社会文化的には極めて似たような状態にある。これにベラルーシを加えてもさほど違いはない。紛れもなく歴史が似通った兄弟民族だとううことがわかる。
この三民族は社会文化傾向という意味ではほぼ同列に語ることができる。第一の傾向は強い不確実性回避傾向である。これは日本人と非常によく似ている。流動的な状況には長い間耐えることができない。日本の場合には海に囲まれているという安心感がありあまり不安定さを感じていないのだが、ロシア・ウクライナ・ベラルーシはお互いに国境線を接しているため一度不安を感じるとずっと不安なままということになる。
次に実はウクライナもそれほど民主的な社会ではないということがわかる。ロシアと同じように集団性が高く権力者の地位が高く不確実性に弱い。民主主義で常に議論が求められるという社会にはあまり適していない。大統領には強いリーダーシップが求められるため「死ぬまで戦え」と命じられればその通りに国民が動くという社会である。今回、多くの日本人はウクライナは民主主義のために戦っているはずなのになぜ国民を先頭に巻き込むのだろうと戸惑っているのだが、実は国民性に理由がある。
こうした人たちが保証を求めるとき、その保証は絶対的なものでなければならない。おそらく壁を作ってお互いの行き来をなくすくらいのことでなければ安心はしないだろう。日本人も実は意見が異なる他人と共存することは望まない。それと同じことである。
さらに集団性が高く上の人が言ったことは絶対だと感じる傾向もある。民族という集団が重要視されるのはロシアもウクライナも同じである。力が強いものは絶対なので強いものに取り込まれたくないという気持ちも強いのではないかと思う。ロシアは強い力でウクライナを押さえつけようとする。逆にウクライナの側は一度取り込まれてしまうと頭が上がらなくなると考えるため別の強い力に頼ろうとする。ベラルーシも一度はヨーロッパに接近したがうまくゆかず結局取り込まれる道を選んでしまった。こうなるとベラルーシはロシアに「頭が上がらなくなる」はずだ。
こうした環境で仮に何か間違ったことがあっても下士官から将校への異議申し立てのようなことは起こらないだろう。つまり、上が戦争に突き進んでゆけば誰も逆らうことはできないということになる。
今回のロシアの話を見ていると日本との類似点がかなり多く見つかる。実は日本も絶対的な補償を求めて西側世界とぶつかったことがある。クリミア侵攻からアメリカと対立し始め経済制裁を受ける。それでも侵攻を止めることができずついにウクライナに侵攻した。経済制裁で追い詰められた結果の選択が「真珠湾」だ。仮に日本ルートに入るとなんらかの破局的なシナリオから泥沼の総力戦に遷移することになるだろう。
日本が不確実性を解消したのはアメリカに押さえつけられても滅ぼされなかったからである。こうなると逆に何があってもアメリカがいる限り安心だという認識が広がる。不確実性回避傾向は未来よりも過去を重要視する傾向でもある。仮にロシアが西側世界に頭を押さえつけられても滅ぼされなかったという認識をすればおそらくロシアは安心するのだろう。だが、ロシアには核兵器があり誰もロシアの頭を押さえつけることはできない。こうなると壁を作ってロシアをどこか外に置いておくというのが唯一現実的な選択肢になる。この時にベラルーシとウクライナが壁のどちら側に属するのかはわからないのだが、西側が取り込んでしまうと「絶対的な保証」を提供しなければならなくなるだろう。
同じような権威主義に見える中国にはこうした不確実性回避傾向がない。丁々発止のやり取りをしながらそれでも絶対的な安全保障を求めないのは中国が不確実性の扱いに慣れているからなのである。