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国家としての背骨がないのに日本はなぜ崩壊しなかったのか

先日来、柴山新文部科学大臣の教育勅語発言について考えている。教育勅語にはこれといった哲学がないと書いた。にもかかわらずこれを持ち出すのはどうしてだろうというわけである。もともと日本人は国家を作る上で背骨となる信条を持たず、外来概念で代用してきたと分析した。だが、なぜそれで済んだのかということについてはあまり考えなかった。

この「教育勅語はどうとでも取れる」という危険性を認識している人は多い。が、それは天皇のための人殺しに利用されたという文脈でのことである。Twitterを読んでいたら「天皇の直接発言としては唯一のもの」であり、立憲主義の外側にあったという分析が流れてきた。これが明治天皇の孫の世代に悪用された。

ところがこれを統治の側から見た分析はない。つまり、どうとでも取れるということは「柴山という民主主義否定戦前反動主義勢力が明治天皇の威を借りてよからぬことを画策している」と捉えることもできるわけだ。例えば、国民から熱烈に支持されたはずの過去の大統領さえ有罪判決を受けて収監されるような韓国では確実にそのように利用されるだろうし、民主主義の裏打ちのない中国でも同じようなことが起こるだろう。大陸の国では「教条」が真剣に受け止められるからこういうことが起こる。

日本でこのような運動が起こらないのは、日本人が基本的に優しいからなのだが、同時に表面的な権力や原理原則にはあまりこだわらないからであるといえる。だから、平和憲法も「なんとなく解釈すれば」アメリカ軍についていっても良いということになるし、柴山大臣もなんとなくTwitterで叩かれる程度で済んでいるのだ。

柴山新文部科学大臣は多分教育勅語を真剣に読んだことがないのだろう。態度の変遷を見ていてるとそれがわかる。騒ぎが起きたあと、柴山さんは具体的な条文を上げて「どこに普遍性があるのか」を一度たりとも説明していないようだ。また、支持者たちが条文を挙げて柴山発言を擁護することもなかった。唯一見たのは産経新聞の擁護論だったのだが、共産党の悪口が書いてあるだけだった。曰く「バカをバカというやつがバカ」という中学生レベルの文章だった。この程度の気軽さで多くの人を戦争に巻き込んだ教育勅語を語れるほど軽い人が文部科学大臣に就任したということに恐ろしさと滑稽さを感じる。

現代の国家の背骨は民主主義である。民主主義は人工的に作られた信仰なので、これを守ってゆくためには不断の行動と信仰が必要になる。だが、これは国家レベルのことである。実際の日本人はもっと小さな共同体に住んでいて、国家レベルの取り決めをあまり真剣に捉えない。だから、押し付ける方も気軽にいろいろ言いやすいのだろう。

今教育勅語に反対している人の中には「教育勅語にはいざとなったら天皇のために死んでくれ」という文言が入っているのであろうと考えている人がいるのではないかと思う。だが、実際に書かれた文章にそのような文字はない。ただそれを読んでみても何が言いたいのかはよくわからない。「はっきりした定訳はない」のだそうだ。高橋源一郎のいったように「ぶっちゃけ戦争が起きたときには天皇のために戦ってください」という意味だったのかもしれないのだが、そうでなかったかもしれない。

教育勅語が出された4年後に日清戦争が起こるのだが、これは総力戦ではなかった。「国民全体が戦争に駆り出される」というような状態はその時の日本にはなかった。

むしろ、日本は国民に主権があるのではなく君主制の国であるということを強調しているように思える。つまり、背景にあったのはアメリカやフランスの影響を受けた共和主義者とドイツやイギリスのような君主制主義者の間の駆け引きである可能性が高い。

高橋源一郎の訳は、作られた当時の状況とこれが悪用された二つの時期をごっちゃにしている可能性がある。これが意図的なものなのかそれともそうでないのかはわからない。しかし、どうとでも取れるということは高橋訳が間違いとも言えないということになる。結果として「天皇のために死ね」という文脈で使われている実績があるからだ。だから柴山さんをその線で攻撃しても間違いとは言えないのだ。権力者が柴山さんや自民党政権に「反動勢力」のレッテルを貼って追い落とすというところまでは行かないが、民間で「自民党とそれを支援する秘密組織は国民を戦場に送ろうとしている」と騒ぎになる程度には曖昧で危険な文章だったということになる。それを軽々に持ち出した程度に柴山大臣は軽い大臣であり、その人が今後1年は文部科学行政を司ることになる。

教育勅語の曖昧さが悪用につながったことは間違いがない。普通の軍隊であれば、自分たちの兵隊を大量に殺してしまえば責任を取らなければならない。ところが、誰も責任を取りたくないので撤退したことを「転戦」のように言い換えたり、兵隊を無残に見捨てることを「英霊化する」と言い換えた。その一環として国民は天皇のいうことに従うべきだと主張したのであろう。だが昭和天皇に直接命令をしていただいたわけではない。明治天皇の過去の曖昧な発言を持ち出して「学校でそう教えてきたでしょ」と言えばよかったのである。

昭和天皇は報告を受けて不快感を表明したり、逆に善戦したことを喜んだりしていたようであるが、戦争に主体的に関わったわけではない。やれば主体的に戦争を指導できたのか、それとも無理だったのかということも今となってはよくわからない。

教育勅語が作られた時代と昭和15年ごろでは何が違っていたのかを考えるのは面白い。明治維新は個人的につながった武士が起こした革命である。この明治維新の支え手たちは元勲という50人に満たない私的なネットワークを持っていた。最後の元老と呼ばれた西園寺公望が亡くなるのは昭和15年だったそうだ。この頃日本には様々な変化が起きていた。中国大陸へのなし崩し的な進行と軍事衝突が始まり第二次世界大戦に突入してゆく時期なのである。議会制民主主義もこの頃に崩壊する。二大政党制に疲れ果てた議会は大政翼賛会を作りそのまま戦争を容認するようになった。

つまり、日本は外来的な立憲君主制の憲法を保持しつつも、実際には村によって支えられるという二重性を最初から持っていた。これが崩壊すると集団思考に陥り中心核を持たないままで戦争に突入していったということになる。

同じことが戦後の日本でも起きている。日本で戦後政治の中枢を担ったのは、多分民主主義憲法ではなかった。敗戦処理を知っている一部の官僚あがりの政治家たちだったのだろう。彼らは吉田茂を中心として「吉田学校」を作り、政策は池田勇人に引き継がれた。例えば宮沢喜一はサンフランシスコ講和条約に参加し池田勇人の勧めで政治家になった。この宮沢が最後の自民党単独政権の首相だったのだが、金権政治に耐えられず政権を失い、細川政権が誕生する。そして、現在ではこうした戦後政治の担い手は格段に長生きした中曽根康弘だけになっている。中曽根は今年100歳になったそうだ。

この時にバブル経済が壊れて「日本はなんとかして変わらなければならない」というような空気が蔓延するのだが、誰もどう変わっていいかというプランを提示できなかった。最終的には自民党の「公共事業頼みの政治が悪い」ということになり民主党政権ができるのだが、相手を避難して政権を取っただけの民主党は何もできなかった。民主党の光景政党は未だに背骨となるような信条を提示できておらず分裂したまま国民の指示を失った。結局残ったのは保守本流を破壊し民主党勢力が自滅して残った自民党保守傍流だけになってしまった。

とはいえ、自民党も背骨となるような国家観は打ち出せていない。安倍首相が憲法を改正したいのは「みっともない憲法だった」とおじいちゃんとその友達たちが言っていたというだけの理由である。自分で具体案を出したが誰からも賛同してもらえなかった。そこで「今国会で具体案をお示しする」と言っていたのに、たたき台を作って出すに止めてはどうかと言われると「最初からそう思っていた」というように返答をした(東京新聞)という。また最初に公明党に提示すると言っていたのだが、公明党が巻き込み事故を恐れて「関わりたくない」というと「自民党としての案を出す」と言っていることがコロコロと変わっている。具体的にやりたいこともなければ、それを押し通すための戦略すら持っていないのである。

教育勅語はどうとでも取れるがゆえに暴走して多くの国民を死に追いやった。だが、安倍内閣はその危険性を全く認識していない。現在は、妥協してでも憲法を変えたという実績を作りたいと焦っている。妥協の末に出来上がるのは多分どうとでも取れる憲法だろう。最初に悪意がなかったとしても、それはやがて誰かの失敗を隠蔽するために利用されることになるのだろう。

ただ、これがどう転ぶのかはわからない。背景に背骨のなさを支える非公式の村組織があれば大したことにはならないだろうし、それがなくなった時には集団思考に陥り暴走を始めるだろう。

こうした憲法の瞑想の影では経済危機が迫っている。日銀の金融緩和策は利子が上がると破綻してしまう可能性がある。日銀の利子払いが爆発的に増えて行き、最終的には通貨が信任を失うからである。経済界が慌てないのはこれまでアベノミクスが実質的な効果を挙げていない上に、日本経済が高齢化により弱体化することを見越しているからだろう。しかしIMFからはアベノミクスを見直して効果が出る政策を打ち出すべきだ(AFP)と言われており、今後何かが起きた時にはもう打ち出せるマクロ政策はないだろうと予測(ロイター)されている。

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