柴山文科大臣の「教育勅語」発言から日本の保守の劣化について考えている。前回は教育勅語が出来損ないの思想体系であり、保守を名乗るならば教育勅語を否定すべきであると書いた。ところがこれが出来損ないであると断じるためにはいくつか考えなければならない点がある。
第一に考えるべきなのは、なぜ教育勅語が二段構えになっているかという点である。反ネトウヨの人たちからは「天皇崇拝につながるので全体として捉えるべきである」という主張が聞かれるのだが、やはり読んでみると前半と後半の二段構えになっている。最初の部分では儒教からコピペしたらしい「徳」が羅列され、それが天皇家のために命を投げ出しなさいという行動規範につながる。そこから、次になぜ最初が儒教なのだろうかという問題が出てくる。
この疑問を転がしていると、そもそも国家が精神的な支柱を必要とするのはどうしてなのかという疑問が出てくる。日本人であれば「みんなが仲良くなる自然な共同体にわざわざ精神的支柱を持ち込むのはなぜか不自然だ」と感じるのではないか。例えば仲良し家族ではお父さんが無理やりに家族の決まりを作る必要はない。みんなが自然と和気藹々となれるからである。逆にお父さんが無理やり「日曜日には家族みんなで出かけること」のような決まりを言い出す家には「何かあるに違いない」と感じるはずである。つまり、お父さんは嫌われているのである。
だが、国家や文明圏というのはたいていそれを支える精神的支柱を持っている。ヨーロッパの民主主義社会はキリスト教を支柱としており、中東にはイスラム教を支柱とする社会が広がる。中華文明の基礎にある支柱は儒教秩序である。だが、日本にはそれが見当たらないのである。
日本を文明圏として捉えると、日本文明は神道文化圏であると定義されることが多い。神道の特徴は中心教義がないということである。天皇家は自分たちの神社は持っていたがこれが他の家の宗教を飲み込むことはなかった。
明治維新期の日本政府がキリスト教のような背骨を求めたように、大和朝廷も外国と交流を通して「国には宗教が必要である」ということを学んでゆく。
寺という言葉があり日本語では「じ」か「てら」と発音する。「じ」は中国由来だが、「てら」はなんとなく固有語らしき響きがある。仏教は外来宗教なので「てら」は別の概念を意味していてもよさそうだが、これが仏教意外で使われていたという痕跡はない。
朝鮮語では寺を절(cheol)というようだ。このチョルが日本語風に発音されて「てら」と読まれるようになったのではないかと唱える人がいる。日本人の中には朝鮮から文化を輸入したということを認めたくない人たちが大勢いて「定説はない」ことになっており、インドから直接入れたという人もいるが証拠はない状態である。いずれにせよ「てら」という言葉は、寺を導入する時に日本に入ってきた外来語であり、朝鮮語の読みをそのまま入れた可能性が高い。
日本(倭国)は当時朝鮮半島南部の国と接触があった。特に鉄の輸入は軍事的に大変重要だったので、わざわざ海を渡り朝鮮南部から鉄を持ってきていた。朝鮮半島南部の経営を巡って百済・新羅と対立する。やがて百済と外交を行って新羅に対立するようになった。百済は軍事的支援を求めて倭国に度々使節を送り、軍事的支援の見返りとして仏教と寺院建立の技術を提供するようになった。こうして仏教は周辺技術を伴って日本に伝来する。
百済は中国南部にあった南朝の王朝との交流があり仏教もそこから輸入したようである。当時の中国は国家を挙げて仏教を崇拝していた。中国はインドから仏教を学んだ。仏教は儒教が広まる前の東洋圏の最新モードだったわけである。
寺という漢字にはもともと宗教的な意味はなく「役人が侍う場所」という意味の漢字だったそうである。また、仏教は教会を統一しなかったので、いくかの仏典がバラバラに残った。聖天はあるがキリスト教会のような統一聖書は作らなかった。このため、国家が仏教を捨てた大陸部では仏教は衰退してしまう。
日本では国家宗教を何にするかが豪族同士の派閥争いに利用されることになる。旧来の神々を奉る物部氏と仏教という先進技術を使った蘇我氏の争いが起きた。そして、蘇我氏が勝利することにより仏教は国家の宗教になってゆく。日本で最初に建てられた飛鳥寺は蘇我氏の氏寺だった。やがて、国中に国分寺が作られるようになる。仏法を通じて天皇中心とする統治と国の安寧を広げようとしたのである。
中国や朝鮮半島では王朝の簒奪が起こるとそれまでの宗教的秩序を破壊する必要があった。だから仏教は迫害されるようになる。なぜ儒教だけが残ったのかはわからないが、寺のような宗教的権威がなく、国家秩序に組み入れやすかったからではないかと思われる。代わりに国家が試験で選抜した官吏が儒教教義について論争するというような体裁がとられる。宗教組織が国家権力を簒奪するような危険が儒教にはなかったが朝鮮では内輪化した教義論争となり最終的には国が滅びることになる。儒学者は国民教育の重要性を理解しなかったので国力が上がらなかったからである。
しかし日本の精神的支柱は全く別の道をたどる。天皇家は自分たちの宗教を捨てなかったし、従来の宗教と仏教を区別せず「混交させる」ことにした。儒教が仏教を駆逐することもなかった。つまり全部をごちゃ混ぜにしてしまった。これは日本人が本当の精神的支柱を持っているか、そもそも必要としていなかったことを意味している。やがて天皇家を中心とした社会は崩壊するのだが、かといって天皇家が権力を簒奪されることもなかった。なんとなく取り入れた精神をなんとなく形骸化するのが日本式なのである。
もちろん、日本にもオリジナルの精神文化を作ろうという動きはあったが、江戸時代になってからである。これを国学というそうだ。戦国時代に落ち着いて日本人の精神性について議論できなかったことはわかるのだが、それ以前にも日本固有の背骨となる宗教体系を作ろうという関心はなかったことになる。
やがて、国学は復古神道につながってゆくのだが、復古神道は日本の伝統を復活させることはできなかった。神道はバラバラの神々の固有の信仰群であり統一した文字も口伝による教義すらもなかったからではないかと思われる。だから、教育勅語には儒教の徳を「なんとなく羅列した」ような徳目しか並べられなかったことになるし、これを天皇家の治世と直接的に結びつけることはできなかった。伊勢神宮の教義を持ってくることもできたのだろうが、これは国家統一の精神的支柱としては利用されてこなかったし、そもそもこれを国家の精神的な支柱にしようなどと考える人すらいなかった。
根がないものが固有性を主張すると相手を否定さざるをえなくなる。これは、もうお馴染みになった図式である。つまり、他者の否定に走るしかなくなるわけだ。復古神道の場合それは廃仏毀釈運動だった。国家は西洋との対抗上「固有の宗教」を作る必要性を感じ「神道から仏教的要素をなくす」という意味合いで廃仏毀釈運動を推進したのだが民間ではそうは受け取られず暴動に発展し数年で収まった。
だが、それでも仏教は残った。神道は死を穢れとして扱うので葬式だけは仏教で行う人が多かったためではないだろうか。その意味では靖国神社が英霊を扱うのは例外的である。靖国神社はこの「死は穢れ」という問題を「戦死した人たちの遺骨を別にする」という処理をしている。前回ご紹介した伊勢神宮からきた靖国神社の小堀宮司の「天皇は遺骨を見て回っているだけ」という発言は実は「そういう穢れたものはどうでもよい」と考える神道の伝統に則っている。しかし、国のために死んだら、面倒な葬儀は行わずに「きれいになった霊」だけがみんな一つの何かになってなんとなく靖国に集まってくるというのも考えてみればずいぶん乱暴な教義だ。
この「私をなくしてもっと大きなもの(公)」になるという概念自体は大陸的集団主義から見た公共の概念なのだが、実際の日本人は公をこうは捉えない。日本人はできあがった公からいかに村の私的な利益を引き出せるかということを考えると同時に、みんなでワイワイ騒げば個人の責任は追求されないと想定する。第二次世界大戦のようなおおごとも突き詰めて行くと最終意思決定者がいないのはそのためである。公は何かを成し遂げるための目標ではなく、責任逃れのための手段なのだ。このため英霊は「指揮官が配下の兵士の死の責任を問われない」ための装置としてのみ機能し、やがてそれゆえに非難されることになる。
最終的に日本は国家を守るための精神的支柱を作らないままで帝国建設に突き進んだので、帝国の意義を新しく獲得した領土に伝えることができなかった。現在の大相撲協会の「村社会の理屈」が外(マスコミ)に説明できないのによく似ている。国内での議論も行われず、GHQにも否定された上に、当の保守の人たちにも「なぜ負けたのか」とか「何が足りなかったのか」という議論はやらなかった。そもそも日本人にはそういったことを突き詰めて考える習慣はない。あるとしたら冒頭の「嫌われているお父さん」が個人理想の日曜日を作るために子供達の行動を制限して「週末はみんなでデパートに出かける」と決める時くらいである。そしてお父さんが考える日曜日はたいていつまらない。つまり、日本人にとって決まりごとのある集団はそもそも不自然でつまらないものなのである。
現在の国の中心教義は当時のアメリカで流行っていた民主主義でありその根本思想は天賦人権である。これはキリスト教から宗教臭さを取り除いた人工宗教だが、実によくできている。日本人は神道も仏教もキリスト教も民主主義もなんとなく取り入れて、都合のよいところを取り出して使っている。突き詰めて考えないのが自然な状態なので、別にこれでも構わないわけである。
このことから、「日本が統一された固有の宗教的世界観を提示できなかった」から日本人が劣っていると考えるべきではないと思う。統一された宗教的世界観が作られなかったのは日本が利権を中心にした小さな村社会の連合体だったからだろう。村社会は血縁制約がある家族や氏族よりは大きくなれるが、人工的な理想で利権社会を拡張するほどは大きくなれない。つまり、所有概念を外した「パブリック」も、個人や私(これはつまり私的利権のことだ)を超越した「公」も必要がなかったのだ。
日本人は他人を説得する価値体系を提示できないので村を超えて結びつくことはできない。しかし村社会は相互監視と牽制による「永遠に勝者がない」状態である。真正保守がやってきたのは他派閥を支える利権組織を壊して保守本流を弱体化させることだった。だが、それに代わる中心教義はないので破壊にばかり目がいってしまう。もともと自民党がやってきたのは憲法を形骸化させてなんとなく崩してゆくことだったのだがこれは日本人には受け入れやすかった。だから、現在の真正保守(いわゆる安倍トモの人たち)がやろうとしている天賦人権の否定は現在の廃仏毀釈運動なのである。
いわゆる保守と言われる人たちは「天賦人権」も気に入らない。だが、それの代替になる統治理念としての統一された世界観も提示できない。多くの人がそれに気がつき問題点を口々に指摘すると、彼らは結局沈黙を守るしかない。だが、自分たちに何が欠落しているかということには気づけないために、壊れたテープレコーダーのように同じ間違いを繰り返すことになる。だから、真正保守の人たちと議論をすると「特にやりたいことはないが権力を集中させたいし、とにかく憲法を変えたい」という中身のない議論に収斂してゆくしかない。その中心教義は「国家という大きなものを引き合いに出せば私物化も目立たないだろう」くらいのものである。
ところが、これを迎え撃つ側の人たちも「天賦人権」が単なる教義であるという前提が受け入れられないのでうまく防衛ができない。一億人を超える巨大国家という化け物のような共同体が運営されるためには人工的に作った背骨が必要である。そして人工的な背骨を維持するためには不断の改良と人々の信仰による支えが必要だということが飲み込めない人が多いのではないかと思う。