ざっくり解説 時々深掘り

フィクションとしての民主主義

先日来、教育勅語から「背骨のない日本」というお話をしている。今回はここから延長して民主主義や天賦人権はよくできたお話にすぎないという話をする。ここでいう話というのは「つくりごと」というような意味である。つまり、全部嘘かもしれないということだ。

保守を自称する人の中には西洋流の民主主義は日本には合わないというようなことを言う人がいる。なかでも片山さつきの「自民党は天賦人権は採用しない」という主張が有名だ。片山は天から人権が与えられたと考えると国民は努力をしなくなるから自民党の憲法草案では採用しなかったと主張した。一般的にこれは単なる妄言と捉えられている。

だが、がまんしてこの発言を噛んでいると、二つの疑問が出てくる。では日本本来の背骨になる主張とは何だったのかという問題と、そもそも天賦人権が唯一の正解なのかという問題である。

前者は柴山文部科学大臣の教育勅語発言でかなり明確になったと思う。教育勅語は徳を唄っているのだがこれは日本が中国から取り入れた外来の背骨に過ぎない。日本の儒教の流れを確認すると度々抑圧された形跡がある。観念論に走りがちな儒教を嫌う統治者が度々現れたからである。後段の私は公のために存在するというのもなんとなく大陸風ではあるが、実践された形跡がない。むしろ、公というカモフラージュの下で個人の失敗を隠蔽したり私腹を肥やすために使われているように感じられる。西洋流の民主主義が気に入らないという人は東洋流の哲学もうまく理解できておらず、さらに日本古来の哲学を見つけることもできない。結局「自分の好きなようにやらせろ」と言っているに過ぎない。

ここにある感覚は自分探しに似ている。いろいろなメイクに疲れた人が「ありのままの私が一番良いのではないか」と考えるようなものだ。だが、実際に化粧をなくしてみるととても外は歩けそうにない。ここで正常な感覚を持っている人は「そもそも本当の私」などというものは存在せず、周りに合わせて外見に氣を配るのが本当の私なのだということに気がつく。が、その現実を直視できない人は「これは本当に本当の私ではない」と考え始めるのかもしれない。

自民党の場合は下野した後で政策の見直しをせず、憲法改正案を整備し始めた。そこで彼らが得たのは「国民が天賦人権で甘やかされたから間違った判断をした」という結論だった。つまり、下野を他人のせいにして自分たちの現実を直視しなかったのである。今の自民党がまともな人権意識を持っている人たちをイラつかせているのは、政権の中枢にいる人たちがこうした感覚を抱えているからである。

そもそも天賦人権は努力なしで得られるものなのかと考えると、面白いことに気がつく。もともと天賦人権はヨーロッパのキリスト教市民にのみ与えられたものであった。植民地の住民には天賦人権はなく人間以下の存在として扱われた。彼らに自治権が認められるようになったのは第二次世界体制後のことなのである。そのあとも人権は拡張されてゆく。今度は国内のマイノリティにも同じ権利を認めるべきだとなった。女性は男性と同じように扱われるべきだということになり、最近では同性愛の人にも異性愛者と同じように家庭を持つ権利を与えるべきだとなっている。これではきりがない。

片山さつきは「天賦人権を認めてしまうと国民は何もしなくなる」と言っているのだが、これは明らかに間違いである。人権のゴールは蜃気楼のように後退してゆき決して達成されることがない天国の扉のようなものである。もし天賦人権が「そもそも神様から与えられた権利であり努力しなくても獲得されるべき」なのなら、こんなことが起こるはずはない。

神様が世界を天賦人権のある状態で創造したならこんなことになっているはずはないと考えると、天賦人権とはつまり人間が作り出したよくできたお話ということになる。むしろ、人権は経済成長の副作用のようなものだ。人々は社会が豊かになると豊かさを追求する権利を求めるようになる。そしてこの拡張について行ける国だけが民主主義国家を名乗り続けられるということになる。日本人の好きな言葉でいうとこれは「人権道」なのである。

彼らがあの悪名高い自民党憲法草案を作った時、政権を失っていた自民党は国民に対するルサンチマンで満ち満ちていた。さらに改憲派の人たちはそもそも「自分たちの関われなかった憲法はみっともない」と考えていた人たちであり、長い間傍流としてラベリングされていた恨みが表出していたにすぎない。つまり、自民党は現実への対応能力を失くしたがゆえに「人権道」に息切れを起こした。そして、ありもしない「お化粧をしなくてもきれいなはずの本当の私」を探し始めたのだろう。

日本は外に向かって開かれていた時にはその時々に流行していた背骨をお化粧として採用してきた。外を出歩く時には着飾りたいと考える。そして内向化が始まるとそれが形骸化されるというサイクルをたどっている。つまりコンビニくらいにしかゆかなくなるのでだんだん化粧がおざなりになってゆく。

百済と交流があった時代には仏教が取り入れられたわけだが、やがて日本で製鉄ができるようになるとこうしたつながりがなくなった。その後、天皇を中心とした時代は終わりその頃作られた氏族制度や官僚制はゆっくりと形骸化してゆく。前回ご紹介した「日本には日本にしかない国学というものがある」と考え始めた時代は江戸時代の中期以降だったわけだが、戦後の混乱の回復期が終わり停滞期が始まった時期に合致する。現在は日本が経済成長について行けなくなった時期にあたり、そこでまた「民主主義の形骸化」の動きが出てきたと言える。人権は経済成長に伴う権利意識の拡張なのだと考えると、それについて行けなくなった人たちが否定したがるのは当然といえるだろう。

これまで「日本には背骨がない」と主張してきたのだが、実は背骨がないのは当たり前のことなのかもしれない。もともと社会や国家に背骨となるものがあるわけではなく、日々の努力によって背骨を維持しており、それをさらに強くしてゆく過程そのものが民主主義なのである。民主主義と人権意識の安定は極めて動的な概念であり、これを静的に捉えた上で「天賦人権など認めると国家が停滞してしまう」などと考える人は、そもそも民主主義平和憲法について語る資格はない。

ただ、日本全体が内向化しているわけではないのではないだろうか。日本は世界第3位の経済大国として世界に開かれている。ただ、世襲ばかりになり、かといって村社会による柔軟な調整もできなくなった人たちだけが、勝手に内向いているだけである。

一度作り出された国家を背骨がない状態で維持することはできない。多分、憲法改正に執着する自民党の一部の人たちはこの流れについて行けなくなっているのだろう。これをこのまま存続させておくことは多分日本国民のためにはならないと思う。

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