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共産党が支持されなくなると思う理由

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立憲民主党は違和感を持って共産党に入れていた人たちの票を吸収するだろうというツイートを見つけた。こういうツイートをみると多分都市部でリベラル的な思想を持ちながら生活している人はリベラルについてあまりよく理解していないんだろうなと思う。

確かに、個人的には立憲民主党ができると共産党の票は減ると思う。安心して入れられる反保守の政党ができるからである。しかし、理由は異なる。多くの人は共産主義に違和感があるからだと考えているのだと思うが、共産主義に反感を持っている人は減っていると思う。なぜならば護憲としての共産党の態度は一貫しているからである。

しかしながら、政党とは何だろうか。

都心部では政党とは党首や有名議員と政党そのものが持っているイメージのことである。イメージは人によって異なるのだろう。共産党といえばあるいは不可触賎民のようなイメージが持たれているかもしれない。

ところが、地方においては事情が異なる。それは市議会議員などの最寄りの議員なのである。彼らは事務所や連絡所などを持っている。これは銀行で言う所のATMみたいなものである。では何を引き出すのか。

個人的な経験と都市部に住んでいる人たちの話を合わせると、どうやら都市の人たちは政治家との関わりがあまりないようである。多分、地方自治レベルの「お困りごと」があまりないからではないかと考えられる。例えば港区役所や各支所で「話が通じないな」と思って困ったことはないが、千葉市役所ではそういうことがしょっちゅう起こる。なぜならば「東京に出るほど才覚もなく地元企業に就職するほどのやる気もない」ような人たちが市役所に吹き溜まるからだ。高齢の職員はかつて汚職がまん延していた時代を引きずっているのでもはや回復不能なレベルだし、若い人たちはやる気だけがあったりする。だからいちいち議員に相談するようなことが増えるのである。

さらに地方にゆくと基本的インフラすらままならないというところもあるだろうから、生活と政治が密接に結びついている。水道を引くのに長い時間がかかったという記憶を持っている地域もあるだろう。東京の都市部に住んでいて「道路の舗装が剥がれているのでなんとかしなければならない」とか「木の枝がぼっきり折れているが誰も手当てしない」などと感じたことがある人はほぼいないはずだ。地方ではそういうことが起こるが都心ではそのようなことは起こらない。

実は共産党にはあまり議員事務所がない。なぜならばそもそも議員があまりいないからである。にもかかわらず熱心な人たちが市議会を傍聴に訪れたりしている。一度、意を決して共産党の議員のところに話を聞きに行ったことがある。80歳くらいのおじいさんだったがマルクス主義について熱心に語られた。「再生産のための余暇理論」などと聞かされても今の政治課題は解決しない。

もともとノンポリ学生なのでマルクスには興味がない。だから彼にしてみれば「無知蒙昧な若者」ということになる。しかし、こちらから例えば正社員が今や特権階級であり、高齢者は株を持っているのだから資本家になりますよねなどと言っても話が通じない。若い頃に熱心に当時のマルクス主義について学んだためにその当時のままで時代認識が止まってしまっているのだろう。加えて、彼らは実経験から政治を学んでいるわけではなく、イギリス人が図書館で考えたことをテンプレートにして現実世界を当てはめているだけだ。ゆえに状況が変わると全く対処できなくなってしまうわけである。

そもそも接点が少ない上に、わざわざ訪ねて行くとこういう人たちに捕まることになる。ゆえに共産党が自分たちのルートから新しい信者を獲得する可能性はほとんどない。日本人は知識を組織の中に暗黙的に蓄える。この場合の知識とは「マルクス主義から離れられないおじいさん」のことだ。

ちなみにこういうことは自民党と公明党でも見られる。自民党の支持者の人は例えば商店街のおじさんとか建設業の人たちなので、よそ者が入ってくることを想定していない。よく自民党の投票数は変わらないというのだがこれは当然だろう。よそもの(つまり浮動票とか無党派層)を受け入れる土壌も意欲もない。また政権公約についても理解しておらず中央から言われたことをオウムのように繰り返すだけである。2009年選挙の時は「良い公共事業」理論をまくしたてていた。どこに行っても同じような調子だったので「麻生理論」だったのではないかと思われる。今でも安倍首相が無表情で文章を読んでいることがあるが、あれはテレビの向こうの有権者に訴えているわけではないと思う。だが支持者たちはあれを理解しないで丸暗記して有権者に訴えるのだ。

公明党も支持母体は創価学会なので新しい人が入り込む余地はない。比較的世代交代には成功しているのだそうだが、それでも若い人たちはそれほど政治には熱心ではないという。面倒なので創価学会の人と政治の話をしたことはない。彼らは非政治・非宗教的な活動を通じて引き込もうとする。目的は信者獲得だからだ。もし彼らと話をすれば聖教新聞の受け売りが始まるはずだ。

変な言い方なのだが、自民党・共産党・公明党は保守政党である。支持母体が閉鎖的で新しいアイディアを受け入れようなどとは考えないからである。それでも自民党は議員数が多いので、議員事務所とか講演会連絡窓口などは比較的容易に見つけることができる。しかしながら、新しいアイディアは受け入れないのでいずれ衰退してゆくだろう。勝手に消えてくれればいいが、自民党は周囲を巻き込むかもしれない。

民進党は地方オフィスを持っている。加えて支持母体が脆弱なので比較的無党派層でも入りやすかった。加えて、地方には市民団体系の事務所がある。独自に議員を出しているのだが国政には窓口がないのでいわゆるリベラル系の議員たちとの連携がある。つまり直営店とフランチャイズがある状態になっている。

さらに、立憲民主党はSNSを通じていわゆる「市民」と呼ばれる人たちとコミュニケーションをする通路を獲得した。今後民進党の地方組織がどこにゆくのかはわからないが、これが立憲民主党にくることがあれば、それも窓口になるだろう。立憲民主党は「SNSを使った大衆扇動」ないしは「SNSを使っての訴えかけ」について学習過程にある。大方の人たちはデモに参加しても何も変わらないと諦めてしまったようだが、主催者たちは手応えを感じたようだ。

学習するということは、背後に意欲があり、ゆえにこれから伸びる可能性があるということになる。

ただし、この推論は支持者が伸びることがすなわち政党の伸長に役に立つという推論に基づいている。もしテレビによる大衆扇動(いわゆるポピュリズムと言われているもの)が役に立つとすれば、そちらの方が手っ取り早い。

ただしこちらについては有権者に学習効果が働いているようだ。まず民主党がテレビにより扇動し、これを維新が真似、最後には希望の党(というより小池百合子さんだが)が「選挙はテレビが勝手にやってくれる」と言い放った。この一連の流れは、大衆は利用されているだけで問題解決には役に立たないと学習させるには十分なのではないかと考えられる。

例えば維新の党は大阪都心部では離反されているようだ。国政レベルでは情報から遠そうな泉州でしか勝ち残っていないからである。ポピュリズムを政治に使っても政権が取れれば良いという考え方はあるだろうが、一旦手を染めたら次々と買収手法を考案しないと政権を保つことはできないということになる。

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