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安倍首相が掴んだ民意の正体は何だったのか

今回の衆議院選挙の結果についてTwitterを見ていると「日本の民主主義は死んだ」とか「こんな愚民に投票権をもたせてはいけない」などという怨嗟の声が渦巻いている。しかしながら自民党の大勝こそが日本の民意なのだと思う。では、その民意というのは何だったのかが気になるところである。

第一に日本の選挙の特徴は投票率が53.6%だったという点だ。前回とあまり変わらず大きなイシューがなければ投票率が上がらないということを意味している。大きなイシューとは「選挙に参加して劣等なものを排除する」という競争意識である。つまりこれは二人に一人が政策そのものに興味がないということを意味している。だから自民党としては明確な論点を作らず選挙を行った方がよいということになる。今回の選挙は「大義なき解散」などと言われたのだが、大義がない方が都合がよかった。

選挙にいかないのは民主主義の否定だなどというのだが、実際には放任か白紙委任という民意であると考えられる。つまり、何があっても責任は取らないから好きにしてくれということである。

次に挙げられる特徴は、国民は常に不安にさせておいた方が良いということである。これは産経新聞のアンケートをみるとよくわかった。彼らは加計森友問題の責任は果たされており、北朝鮮は制裁すべきであると考えている。しかし、消費増税が良いことなのかや、原子力発電所がどうなるかについても意見が二分する。つまり、現状を追認し明白な悪を叩くことには興味があるが、実は経済やエネルギー政策などについては迷っている。さらに景気がよくなったと思いますかという問いには「思わない」と答えている人が多い。

もちろん産経新聞を読んでいる人だけが自民党支持者ではないだろうが、必ずしも景気が良くなったから自民党を応援しているわけではなく、これ以上悪くなるのを避けたいという気持ちが強いのではないだろうか。

マズローの欲求五段階仮説というものがある。マズローはお腹がいっぱいになると人は高度の満足を求めるようになると考えた。人間の欲求に高低差をつけるのは如何なものかという批判はあるが、ある意味正論を含んでいる。

もし国民が自分の生活に自信を持つと今度は「筋の通った」政治を求めるようになるだろう。国民が筋の通った政治を求めてしまうと、安倍政権には都合が悪い。やっていることは国家権力の私物化だからである。だから、政治についてあまり考えさせず、興味を持ったとしても常に不安にしておくのが良い。だから、老後について完全に保証するのはよくないし、正社員にするのも考えものである。契約社員などの非正規として明日がよくわからない状態で働かせておいて、死なない程度の年金を与えるのが、自民党にとって合理的な政策ということになる。後の福祉政策や労働政策は切り捨てるべきなのだ。

この「筋を持った政治」がいわゆるリベラル思想である。マズローがいうところの「高度な欲求」だ。アメリカではリベラルな政治を民主党が担い、防衛本能に根ざした政治を共和党が担っている。共和党はもともと自分たちが成長するのを政府が妨げてはいけないという主義の政党だったが、ブッシュ後の民主党政権時代に変質し、ついにはトランプが代表するポピュリズム政党になった。これはリベラルの人たちが「政治を私物化」し、白人をのけ者にしようとしたという被害者意識に根付いているかもしれない。日本の民主党政権も同じような働きをした。つまり「改革」などと「かっこいいこと」をいって政治をやらせると「なにか大変なことが起こる」という単純化と被害者意識だ。

アメリカの選挙で赤と青の地図を見たことがある人がいるかもしれない。民主党と共和党で分かれているのだが、両岸にはリベラルな民主党地域が広がっており内陸部には共和党地域が広がる。アメリカ両海岸の人たちはオバマ政権のやっていることが理解できたのでそれほど恐怖心は持たなかった。しかし、内陸部の人たちはオバマが何をやっているか理解できず、被害者意識だけを募らせたのだろう。

オバマ政権の時代は、ちょうどリチャード・フロリダが都市と多様性の著作を出していた時期なので、繁栄する都市の人たちは変化を楽しみその果実を享受することができた。しかしながら内陸部の人たちは「ただ置いて行かれる」と感じてしまったのだ。

では、日本の「民主党地域」はどんな場所なのだろうか。今回は小選挙区で自民党以外の政党を選んだ地域を見て行きたい。特に立憲民主党は「日本で立憲主義が徹底されること」を目指している。これは「単に食べて行けるだけではなく、政治においても正義がなされることを望んでいる」ということになるだろう。

そこで、ネットにあった選挙区を区分けした白地図を党ごとに色分けをしてみた。かなり露骨に先進地域が分かる。なお確認はしたが間違いがあるかもしれないので、このサイトの引用は避けていただきたい。使ってもらっても構わないが間違いを含んでいるかもしれない。

まずは愛知県だ。愛知県は緑色の希望の党が豊田市を中心に広がっており、その近隣には無所属が勝った地域がある。豊田市の候補はもちろんトヨタの労組が押している候補者だった。さらに名古屋市の一部には立憲民主党が勝った地域がある。つまり、その他の地域が、自民党に期待する地域だということになる。

ここからわかるのは、トヨタのような優良企業があると人は団結し、さらに筋の通った政治を求めるということである。つまり、日本にトヨタのような安定した企業を作ってしまうと自民党にとっては不利なのである。ここから日本人が求めているのはアメリカのような変化ではなくさきの見通しということになるのではないだろうか。次は神奈川県である。こちらには日産自動車があるのだが、どういうわけか労働組合にはそれほどのプレゼンスはないようである。こちらは横浜の郊外と鎌倉市、藤沢市にかけて立憲民主党と無所属が勝った地域がある。ちなみに無所属で勝ったのは江田憲司さんだ。こうした地域は経済的に余裕があり家を建てられるような人たちが住んでいるのではないだろうか。つまり横浜市でもいわゆる「私鉄沿線」は非自民の人が多いということである。この地域には東京に通勤している人が多いものと思われる。ここも先進地域のようだ。川崎市北部では希望の党が勝っている。

ちなみに関東南部で固まって非自民党地域があるのはここだけである。後の例外は船橋市(野田佳彦)と旧大宮市(枝野幸男)である。

千葉市の中心部も非自民党地区だったが、候補者が希望の党に「寝返り」自民党に惜敗した。千葉市には美浜区という東京に通う人たちが集まる高層マンションが集まった区域があるのだが、多分この地域を中心に「小池さんは信用できない」という批判が多かったのではないだろうか。いずれにせよ不安定化するとリベラル地域は減るのである。一方、中央区には大手の地元企業がある。今回自民党候補者は逆に得票数を伸ばしていた。不安になると自民党への依存が増えるのだろう。

ここから少しばかり見えてくるのは、自民党への依存は必ずしも経済指標と連動しているのではなく、先の見込みに関連しているのではないかという仮説である。つまり、不安を煽れば煽るほど自民党にとっては有利なのではないだろうか。

さて、ここまで「裕福な地域ほど立憲民主党と無所属が勝つ可能性がある」という乱暴な仮説を立ててみたのだが、これは東京でも成り立っている。違っているのは都心部であっても立憲民主党が強かったという点である。この地域はかなり所得が高い人でないと住めない。さらに渋谷区、世田谷区北部などでも勝っている。武蔵野市も東京に近くやや高級と見なされている。ここでは菅直人氏が勝っている。

緑が一つだけあるがここで勝ったのは長島昭久さんだ。かなり保守寄りの人で近郊エリアでは保守の人のほうが勝てるということなのではないかと思われる。

ここから神奈川県を振り返ると、東京のように経済が安定している地域とのつながりが多い地域はリベラル化しやすいということだ。が東京の東部には自民党地域が広がっている。かなり露骨に大企業や優良企業ほど非自民化しやすいということがわかる。

どうしてこのようなことが起こるのかはわからないが、旧来型の製造業やサービス業大手が強い地域では終身雇用が比較的に守られているのではないかと考えられる。すると、自民党型の政治にしがみつく必要がないので変化に傾きやすいという仮説が立てられる。

もちろん、都市部は浮動票が多いという仮説も成り立つ。しかし、浮動票は東京全体に広がっているはずだ。「草の根リベラルが正義を貫くために立憲民主党を応援した」という仮説はどうも立てにくい。そういう側面もあったかもしれないが、安定している地域ほど自民党に依存しなくても済むと考えたほうがわかりやすいのである。

日本の特徴は地域の経済圏ではなく、企業がリベラルさを支えているということである。日本ではリベラルさに耐えられる企業は東京の都心と愛知県の東部(つまりトヨタ自動車のことである)以外には残っていないのではないかと考えられる。例えばパナソニックはかつては裾野の広い会社だったのだろうが、大阪で大したプレゼンスはない。

大阪では京都に近い二地域で非自民が勝っており、南部(堺市の南と和泉地域)では維新の党が勝っている。都市があまりにも貧しくなってしまうとポピュリズムに走るのではないかと考えられるが、日本人はポピュリストの無責任な約束にはかなり慎重な立場を示すようだ。泉南地域以外では維新の党に騙される人はおらず、従って支持は広がらなかった。

多分、日本人が抱えているのは「漠然とした不安」だ。特に目立った問題があるというわけではないがなんとなく不安なので政治について考えたくないか、変化を起こして欲しくないと考えるのだ。こうした不安は若年層の方が強く、従って若年層の方が自民党支持率が高い。高齢である程度経済力がある人は「立憲民主党のような贅沢」を支持する余裕があると考えられるわけである。

こうした行為を「しがみつき」と呼びたい。しがみつきが起こるのは変化に対する恐怖心なので改革という言葉を使ってもいいが「誰か他の人が変わるのであなたは変わらなくてもよい」というメッセージにする必要がある。もはや変革に疲れているので、これ以上「変わって下さい」などとは言ってはいけないのだ。

しかしながら、このためには犠牲になる地域が出てくる。つまりゴミ箱のようにして矛盾を捨てる必要がある地域があるのである。不安が具体化すると今度は離反が起こる。今回、非都市型で自民党から離反したのが原発を抱えて「第二の福島」になりかねない新潟県と基地を抱える沖縄県である。不安が具現化すると今度は自民党に対する拒絶意識が出てくる。

つまり、自民党は国民が勝手に漠然とした不安を抱えている限りは政権政党でいられるということになる。ゆえに日本人は全体として財政再建が進まないし、企業が新陳代謝を起こすことがない政治を洗濯している。つまり、民意は社会の緩慢な死を選んでいるのだ。

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