実にくだらないどうでもいい話なのだが「安倍政権はどうして人気があるのか」について考えた。これだけいろいろな問題が噴出しているにもかかわらずそれほど支持率は落ちていない。ということは安倍政権は有権者が欲しがる何か大切なものを提供しているのだと思ったのである。
とはいえ個人的には安倍政権が嫌いなので答えが見つからない。そこでなんとはなしにTwitterを眺めていたら面白い記事を見つけた。官僚は土木技術に疎くめちゃくちゃな答弁をしているのだが、野党も同じように何も理解していないという記事である。その記事では「土地の値引きありきで評価額を下げるためにゴミの量を定義した」と指摘していた。
まあおかしな話なのだが、わからなくもない。答えがわからなくなった受験生が問題を書き換えてしまうみたいなものだからだ。正解があるのだが既存の法律を当てはめると正解に導けない。であれば現実を変えてしまえば良いのである。この時、妙に詳しい知識を持っていると教科書が書き換えられないから現場の技術に詳しい人は排除されてしまうのだろう。
官僚というのは東大を出た頭の良い人たちだが、自分の頭で考えることはできない。いわば永遠の受験生だ。受験生は現場で汗を流したりしないから土地評価の実務を知らないし、組織をまとめるためにリーダーシップを勉強したりもしない。いわゆる東大脳とはできるだけ多く正解を暗記することに特化した才能だ。政治的な正解もはっきりしていて、安倍晋三の関わった学校なのだから絶対に認可しなければならない。だが財務状況はめちゃくちゃだし、法律上も値引きできそうにない。使える法律を総動員して導き出した結果が「ゴミの量を捏造して値引きする」ことだったのだろう。実に理にかなっている。
この筆者によると今では評価された時価というわけのわからない概念まで登場しているそうである。時価とはその時の市場価格であり、評価額とは税の算出などのために用いられる標準的な値段のことで「評価された時価」という概念はありえないのだそうだ。だが彼らは頭がいいのでこういう概念が創造できてしまう。実務をやっていたら罪悪感を感じていたかもしれない。
官僚はただの受験生ではなく、先生を操って問題を書き換えることができる受験生だ。なにせ先生は何も知らないのだから、正解を囁いてあげればいいのだ。そうやって問題を書き換えると絶対に100点が取れる。受験生にとっては理想的な環境ができあがあることになる。つまり官僚の目的は問題を解決することではなくテストで100点を取り続けることなのだ。
このことから安倍首相が官僚に人気がある理由がわかる。安倍首相は正解を与えることで官僚を安心させていたのではないだろうか。もしあなたが受験生で問題を解いたのに正解がわからないとしたらどうするかということを考えてみればいい。きっと怒り出すことだろう。官僚の信条はこれに近いのではないか。また、問題を解いている時に「この問題の正解は倫理的か」などということを考えるだろうか。もしそんなことを考え始めたら問題を解く時間がなくなり100点は取れなくなる。
明治期には西洋が正解でありとりあえず西洋の真似をするのが成功への近道だった。戦争では大陸に進出して植民地を作るのが正解になり、一度挫折するものの、今度はアメリカについて行って民主主義というものをありがたがるのが正解ということになった。つまりその時のモデルを「ノートを書き写すように」何も考えずにコピペするのが成功の秘訣だったことになる。この頂点に君臨するのが東京大学だ。
その意味ではB層と官僚は似ている。「政治的知能が低い」人たちは日本民族は素晴らしいという単純な正解を信じるが、官僚はもっと複雑な正解を信じているのである。問題の程度が違うだけなのではないだろうか。
日本全体は一度正解がわからなくなった時期がある。とりあえずものを売る(あるいは買う)のが正解だという時期があり、そのあと土地さえ売り買いすれば儲かるという時代があった。しかしみんなが効率的に正解を追い求めた結果土地・資産バブルが起こり、それが弾けてしまった。このあと、日本人はいきなり「正解を自分で考えなければならない」という自己責任の時代を迎える。自主的な民主主義を経験したことがなかった日本人には自分たちで正解を見つけるということが耐えられなかった。100点が取れない。それは日本人にとっては悪夢なのだ。
この頂点が民主党政権で「自分で考えろ」と国民と官僚に強制した。生まれた時から正解を指示されるのになれていた官僚組織はそれに耐えられなかったのかもしれないし、あの民主党政権のことだから官僚に「正解を教えろ」と迫ったのかもしれない。そこに地震と原発災害が追い打ちをかけた。津波が全てを押し流し国土が汚染される。こうした異常事態には正解なんかありえない。100点が取れない。どうしよう。
安倍首相が行ったことは実はそれほど多くないことになる。国民には「今まで通りで大丈夫」と保証し、官僚には「俺の友達を優遇すれば悪いようにはしない」と言ってやったのだ。こうすることでお互いに話し合うことなく、心ゆくまで正解が追求できる。また100点が取れる。官僚は頭が良いので「すぐに正解を理解し」て「現実を曲げることで法律にも触れず、政権にも逆らわず」という方法を見つけたのではないだろうか。それが森友学園が支出できる金額を答えとし、そこに法律で決まった式を当てはめることだったのだ。
となるとあとは国民が今回の一連の顛末をどう見るかということだが、一番簡単なのは「問題が起きたのはたまたま運が悪かった」か「一部の不心得者がおりちょっとした間違いを犯した」と理解した上で、今回の出来事をなかったことにすることだということになる。もしそれでも不具合が起きるなら、今度は「安倍が間違っていた」ということにすればいい。すべて元どおり。
この見立てが正しいかはわからないが、もし正解だとすれば日本人は自分で自分の正解を導き出す必要がある民主主義というものを信じていないことになる。何が正解かを自分で考えるという悪夢のような事態を避けるためなら、喜んで民主主義を破壊するのではないだろうか。