もともと土地の不正取得疑惑だと考えられてきた瑞穂の国小学院の問題。Twitter上ではこれまでさまざまな論点が出てきた。これを思いつくままに並べてみた。
国民感情と政権の監視
憲法改正、第9条の強引な骨抜き、社会保障の実質的な改悪、TPPでの公約破棄など様々な問題が指摘される政権が本筋では全く支持率に影響を与えなかったのに、ワイドショーネタにしかすぎないようなこの問題が大騒ぎになるのはなぜか。
違法性は全くないということになりそうなのだが、これが有権者にどのような影響を与えるのか。
なぜ既存のマスコミはフリーの物書きに掻き回されることになったのか。これは健全な民主主義の維持にとって良いことなのか。それとも既存のジャーナリズムが責任を果たしていないからなのか。もし役割を果たしていないとすればそれはなぜなのか。経済的な悪化が理由なのかそれとも他に理由があるのか。もともと問題を「発見」した朝日新聞はこれをどうハンドリングするつもりだったのか。
信条の自由と社会投資
愛国教育や教育勅語を教える幼稚園や小学校を作ってもいいのか。キリスト教や仏教の私立学校が許容されるならば許されるのか。それとも憲法違反の恐れの強い教育勅語は教育から排除されるべきなのか。排除されるとしたらそれはどのような根拠に基づくべきか。問題のある教育に公的な支援をしてもよいのか。よいとしたらそれはどういう根拠に基づくのか。
役所(大阪府と国)はどうして籠池理事長の「詐欺まがい」の補助金申請を見抜けなかったのか。横の連絡が取れていなかったのか。それとも知っていて見逃したのか。こうした行為は教育界に蔓延しているのではないか。
公平性
籠池理事長が学院内に神社を作ろうとしたのはなぜか。宗教法人に税制上の優遇を見越したからなのか。それは公平なことなのか。
小学校を作るにあたって大阪府が規制緩和し、借金があっても学校が作れるようにしたのは妥当だったのか。規制緩和は政権が特定の有権者の利益誘導になっているのではないか。イノベーションを促進するために規制緩和は重要だが、それが阻害される恐れはないのか。それは社会の公平な発展を阻害するのではないか。松井知事や橋下元知事には責任はあるのか。あるとしたらどういう責任なのか。
格安の土地の賃借や売買は法律に触れているのか、それとも合法だが倫理的に不当だっただけなのか。それは国民の利益という観点から妥当だったのか。かつても土地売買をめぐる優遇はあったはずだが、今回の件とかつての土地売買は同じ種類のものなのか。それとも著しく違っているのか。
私人だから参考人招致しないと言っていたのに、総理が侮辱されたから証人喚問だと息巻くのは公平性の点から問題はないのか。で、あれば公人である元理財局長などを招致しないのはなぜか。そもそも学校がなくなったら失うものはなくなるわけで、何の身分保障もしないのに籠池理事長が黙ってくれると考えたのはどうしてか。見込みが甘かったのではないか。
売り手と買い手。何故10億円の国有地が前例なき手法で実質200万円で払い下げられたのか。買い手の籠池氏の証人喚問だけ迅速に決め、売り手の当時の理財局長招致を認めない自民、公明。「総理が侮辱」されたと判断する人だけ証人喚問はおかしい。https://t.co/sO4I5EHZLA
— 蓮舫・れんほう@民進党 (@renho_sha) 2017年3月17日
組織の知識(ナレッジ)マネジメントと組織のリスク管理
何でも記録を残したがる役所がこの件に関しては一切記録を残してとされるのはなぜか。持っていて隠しているのか。それとも非公式のネットワークで非公式のコミュニケーションが行われているだけなのか。もしそうだとしたらその利点と弱点は何か。小学校を作るにあたって行われた数々の役人の便宜は誰かの指示で行われたのか、それとも忖度によるものなのか。忖度だとすれば、なぜ忖度する文化が作られたのか。それは安倍首相が作り出した空気だったのか、それとももともと役人文化にあったものなのか。
通常は「靴を舐めてもおのれの出世を願う人間は表裏があって信用できない」という経験則が働いて、どれほどおべんちゃらを使っても、ストレートにそれが自己利益の増大をもたらすことはないのですが、マイレージシステムでは買い物をすればポイントがたまる仕組みと同じで、忠誠の真贋は問われません。
— 内田樹 (@levinassien) 2017年3月17日
豊洲、南スーダンなど「持っている記録を廃棄した」とか「忘れた」というのが流行のようになっているが、これは民主主義にどのような害をもたらすのか。害があるとすればどうすれば防ぐことができるのか。
陸自に隠蔽を指示したとされる統幕背広は、最終的に自分たちが持っていたと言って公表したんですよね。だから、彼らが隠蔽しようとしたのは日報ではなくて、陸自が廃棄したとしていた日報を実は持っていたという事実。そもそも陸自が日報を保管しながら廃棄したと虚偽の不開示決定をしたのはなぜか?
— 布施祐仁 (@yujinfuse) 2017年3月17日
Twitterが発達してコンテクストを限定した発言はできなくなっているはずなのに、仲間内で文脈をを作って情報統制しようとするのはなぜなのか。文脈が崩れてしまった時のリスクとは何か。それはどのような帰結を招くのか。
政治への支援
法的な違反がないにもかかわらず、安倍家や稲田家が籠池家との付き合いや資金援助を隠そうとするのはどうしてなのか。日本会議や右翼人脈と安倍内閣の強い関係は公知にもかかわらず一般にこうした印象がつくのを恐れているだけなのか。それとも別の理由があるのか。こうした「右翼人脈」と安倍政権や大阪の政権(維新政権)が強い結びつきを持っているのはなぜか。思想的に共鳴したのか、他にめぼしい支援団体を見つけられなかったからなのか。もしそうだとしたらそれはなぜか。こうした右翼系団体は昔と同じなのか、それとも違っているのか。違っているとしたらどうしてその違いが生まれたのか。
籠池さんと政治家たちは「愛国的な思想」で親密に結びついていたはずなのに、世間が批判的な論調になった途端に彼らが「転向」してしまったのはなぜか。もともと愛国的な動機はなかったのか、それとも社会に打ち出す自信がないだけなのか。