Twiterでは安倍首相が疑念を持たれないためには籠池理事長を参考人招致すべきだという声がある。しかしそれは無理だと思う。そんなことをしたら自民党そのものの自己否定になってしまうからだ。
自民党はある意味宗教政党だ。明文化された教義はない。では自民党は何を崇拝しているのだろうか。これをテレビやソーシャルメディアで知るのは難しいのではないだろうか。
ちょっと前に地元の市議会議員に話を聞きに行ったことがある。自民党の現役の先生は相手してくれなかったのだが、先代が話をしてくれた。きっと暇だったのだろう。千葉市は東京圏から家を求めてやってきた人に土地を売って潤った歴史があり、不動産売買は政治家の大きな利権だった。
それでも売れ残るような評価額が低い土地は市に買い取らせた。例えばゴミ処理場とかモノレールの基地などは浸水しやすい場所にある。もともと地元の人たちは高台に住んでいて、川沿いの田んぼに耕作にでかけていた。火山灰が降り積もってできた土地なので、水に削られた谷があるのだ。そこを造成して住宅地にした上で「〜台」という名前をつけて売るのだが、それでも浸水するところが出てくる。公共工事で治水対策をし、それでもどうしようもないところはできるだけ高い金で市に買わせるのだ。「いかに知恵を絞って高く土地を買い取らせるかが腕の見せどころだった」そうである。
先代はこれを「自慢げに」話していた。高度経済成長期なので国や地方自治体にはお金があり、人口も増えていたので将来の税収に困ることもなかった。自民党はイデオロギーベースの政党ではなく既得権を持った利権集団の集まりなのでこういうことが「自慢」になるのだろう。おじさんがバブルを自慢するのと同じようなメンタリティなのかもしれない。
つまり、自民党の宗教は高度経済成長だったということになる。
こうしたマインドセットはその後も変わらなかった。民主党が政権を取り「公共事業はいけないことだ」という雰囲気になった時にも、自民党の人は、みな判で押したように「公共事業にはいい公共事業もある」などと言っていた。その調子は「政治なんか知らない素人のあんたに教えてやろう」というような調子だった。同じような顔の人をソルトレイクシティで見たことがある。モルモン教徒の人も「お前は無知だから神の道を知らないのだ」と言っていた。
かつての成功を懐かしむ気持ちもなんとなくわからなくもないのだが、自民党が推していた市長が収賄容疑で逮捕された時期だった。それでも公共事業と土地を回して潤うことを否定されるのが許せなかったのだろう。土地への強い執着がわかる。
そう考えると、森友学園が自民党議員に働きかけて土地を安く手に入れるなどということは、別に今までもあったことなのだろう。そもそも土地の取得に違法性がないということからわかるように、いろいろな制度は自民党に都合よく作られているはずだし、そこから政治家にキックバックするというのもそれほど珍しいことではないのではないだろうか。
森友学園の話を「倫理的でない」とか「違法ではないが不適当」と認めることは、共産党がマルクスが間違っていたと認めるのと同じようなものだ。これに群がっておいしい思いをした人もいるはずで、つまり国民も一方的に犠牲者とは言えないということになる。
だが、これはかなり悲劇的な状況だ。自民党はもともと高度経済成長期に最適化した政党なのだから、その存在意義も失われたということだ。そこで新しい教義を作ろうとした結果が戦前回帰だったのだ。既存の高度経済成長という宗教に取って代わったのが森友学園に代表される狂った宗教だ。
しかし、自民党だけを責める訳にも行かない。そもそも日本そのものが高度経済成長に代わる価値を見つけることができなかった。だからいまだにありもしない教義にしがみつかざるをえない。民主党は自民党の公共事業という宗教を否定したが、それに代わる宗教を見つけられなかった。いまだに原発のない国という宗教を教義に加えるかどうかで逡巡しているようだ。
それでは新しく自民党が見つけた宗教は何なのだろうか。それは「公」を語りつつ人々を従わせて搾取するというのがその教義だ。
政府の言い分では「学校は公共性が高いから」という理由で土地売却を急いだということになっているが、実際には国有財産の私物化と個人的な滅茶苦茶な価値の押し付けを「公共性が高い」と堂々と宣言しているにすぎない。かつての古い自民党が公共事業を推進していた時には、曲がりなりにも地域が発展するという名目があった訳だが、自民党の考える「公」はここまで劣化した。自民党は新しい憲法でこの「公」が個人の人権を凌駕すると言っているのだが、彼らが言う「公」とは実際には仲間内の利益でしかないわけで、その意味でも「国家の略奪」を堂々と宣言していることになる。
それでも日本人は民主党の失敗を懲りており「まがい物でもいいから宗教に頼って生きていたい」と考えているのだろう。