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石原慎太郎的なものはこの際徹底的に粛清されなければならない

石原慎太郎氏の記者会見が終わった。見終わってこの人は徹底的に粛清されるべきだなと思った。個人をターゲットにするのも下品なので「的」をつけた。とはいえ、彼が粛清されるべきなのは彼が悪人だったからでは必ずしもない。どちらかといえば無能だからだ。
石原氏は記者会見で「難しすぎてよく分からないけどハンコは押したと思うよ」と主張した。石原氏にしてみれば「豊洲は小さな問題」で関心は薄かったようだ。
当時石原氏は銀行を破綻させており、金儲けのために「オリンピックを招致しよう」と言い出したとも語っている。つまり頭の中にはお金のことしかなかったのだ。
石原氏の置かれていた状況は次のようなものだ。人気者として祭り上げられた社長が誰かの口車に乗せられて金貸しを始めた挙句に失敗し、金策で頭がいっぱいになった。だが会社は既存事業もたくさん抱えている。そこで専務や部長連中とか外部から雇った相談役たちに「ハンコは好きに使っていいよ」といって仕事を任せた。
もちろんよい部長もいただろうがそうでない人もいただろう。「ちょっと金儲けしてやろう」と考えている相談役もいたかもしれないし、老後の不安から天下り先を探していた人もいるかもしれない。だが、自分は責任を取らされることはない。他人のハンコを使うのだ。もうやりたい放題だろう。
小池都知事も指摘するように、これは「コーポレートガバナンス」の問題だということが分かる。東京都は議会と都民に対してエージェントと呼ばれる立場にある。エージェントは専門性を持っているので「情報の非対称」が生まれる。これを制御するのがコーポレートガバナンスだ。
企業統治に詳しい人などはエンロン事件などを引き合いにコーポレートガバナンスの失敗について語ることができるはずだ。エンロンはエネルギーや通信など専門性の高い事業を手がけていた。よい成績を収めていたように見えたのだが、実際には会計をごまかしていた。だが事業が複雑すぎて出資者にはその全容が見えなかったのである。
エンロンやワールドコムの事件を受けて、アメリカでは企業倫理を徹底させたり、罰則を強化したりする動きがあった。株式市場の透明性が損なわれるのを恐れたのだろう。
エンロンと豊洲の問題の共通点は何だろうか。それは専門性が高くて「常識」だけでは判断ができないという点である。現在のプロジェクトは複数の高い技術の集積なのでこういう問題がよく起きる。ここで意思決定に穴があると「誰もが責任を取らないし取れない」という状態が生まれるのだろう。
とはいえ「仕方がないね」では済まされないので、エクセキューター(実行者)のトップ(企業ではCEOと呼ばれる)が責任を取ることになる。つまり、CEOは複数の専門技術をオーケストレーションする専門職でならなければならないのだ。
そのように考えると、石原慎太郎氏というのは古い日本型のリーダーということになる。かつてのリーダーは常識(都民の良識)で判断をしていれば務まったのだろう。石原氏は会見の中で何回も「科学の最高権威が豊洲を推薦している」などと言っていた。かつては確かに「だいたい常識で考えると正解が一つしかない」という世界だったのかもしれないが、現在は「確率(プロバビリティ)」の世界なので、動いてゆく状況をにらみながらそのときに必要な判断をしてゆくことが求められる。
現在の官庁組織がこうした部門横断的なプロジェクトに対応できないと。官庁は自分の持ち場に手を突っ込まれることを嫌うのだが、こうしたやり方では問題は複合的なプロジェクトは解決しない。だから国も都も複雑なプロジェクトのハンドリングに失敗し続けている。
都民や国民の税金を湯水のように使えて、失敗してもなんとかなる時代であれば石原さんのような指導者でもよかったのだろう。しかし、現在は一つの失敗が取り返しの付かない損出を生むことも多い。つまり石原さんのような指導者は政治の現場からも企業からも一掃される必要があるのだ。
石原さんが失敗したのは、彼のウヨクのマインドセットのせいだ。「最高権威の専門家は豊洲を安全といっている」と主張していたが、多分彼の周りにいる人の意見しか耳に入っていないのだろう。濱渦さんのことはいまだに信頼しているようだ。ウヨクは多様な意見を集約することができない。情報の重み付けを外的な構造に依存しているように聞こえた。その構造は内的に序列付けられていて固定的である。
だがその内的世界は実は外からくる情報に操作されている。「自分が意思決定に関わっていないはず」の豊洲移転を「ぜひ進めるべきだ」という信念を持ってしまっているのがその証拠だ。外から入ってきた情報が信念体系を作っているのだが、それを自分が元から持っていたものだと錯誤しており、なおかついったんできた信念を疑うことができない。
石原さんは、構造が絶えず動き、多様な価値観が錯綜するような動的なプロジェクトは扱えなかったのだろう。だが根拠のない自信を持っている。石原さんは不得意な複合プロジェクトを自ら発案してその後の状況をさらに混乱させた。それがオリンピックだ。
さて、まとめると次のようになる。

  • 現在のプロジェクトは専門性の集積である。
  • 100%確かな事実はなくすべての事象は確率的に捉えられる。つまり一回裁可したら終わりというものではない。
  • トップリーダーは情報が非対称な中でプロジェクトをまとめてステークスホルダー(特に出資者)に説明する責任がある。
  • ゆえにリーダーはこうした動的な複雑さを扱うことができる専門家でなければならない。

東京都はこうした変化に対応できないままで複雑なプロジェクトをいくつも抱えてしまった。銀行の設立には失敗し、魚市場も作れず、オリンピックの予算は青天井で膨張した。確かに石原さんが悪いというわけではないし「みんなで責任を取れば」という気持ちも分からないではない。であれば何もやるべきではなかった。つまり東京都は専門知識を動員して複雑なプロジェクトを動かすことができない組織なのだから、そういう複雑なことは言い出すべきではなかったのだ。
特にオリンピックは銀行の失敗をカバーするためにお金儲けの手段として提唱されたことが明らかになった。しかし所詮は「金持ちのビジネス」でさらなる出費と混乱が予想される。今すぐ返上すべきだろう。
もうこうしたことが起こらないように石原さんは見せしめとして厳しく罰せられる必要がある。運が悪かったと言われればそうなのかもしれないが、身を賭して社会に奉公するのが愛国者というものではないだろうか。


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