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リーダーシップ不在の国

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安倍首相がトランプ大統領と「防衛費1枠を打ち破る」と密約したのではないかというニュースが飛び込んできた。このニュースを見てつくづく残念に思うと同時に、戦後の民主主義教育はこの国からリーダーシップというものを破壊してしまったのだなあと思った。
安倍首相がこれほど嫌われるのは、すべてを密約で決めてしまうからだろう。今まで周りが大切に守ってきた約束を破ることで「自分は強いリーダーだ」ということを誇示しようとしているのではないかと思う。オバマ大統領との間では「北朝鮮からミサイルが飛んできたら日本が守ってやる」と大見栄を切りその後安保法制を巡る大混乱が起きた。
このマインドセットを想像するのは難しくない。「ママがだめ」といったことをやって強がる子供にみられる心理状態だ。大人がなにかが分からない人は、ママに反抗することで「僕ってもう大人だもんね」という実感を得る。こうした経験は誰でもあるかもしれない。
では、人はどうして大人になるのか。責任を取らされる立場になることで「大人って責任を取る人なんだな」ということを学ぶわけだ。「ママがダメっていうからやらない」のではない。それがどのような結果を生むかということを考えて(あるいは考えざるを得なくなって)選択することを学ぶわけである。
ということは安倍首相は「責任を取る」ことを学ばないで大人になったのではないかと考えられる。かといって戦後の民主主義社会にはリーダーのロールモデルがないので、それを外から学ぶ機会もなかった。
安倍首相は嘘をついて安保法制を通したので、日本はかなり悲惨なことになっている。周囲の大反対を押し切って派兵した南スーダンに自衛隊を駐留させておく前提条件は崩れている。しかし安倍首相は失敗を認められないので南スーダンからの撤退を言い出せない。そのため部下たちに「南スーダンは戦争状態ではない」という嘘をつかせている。
こういってしまった以上、日本は南スーダンの和平実現のための枠組みには加わることができない。世界中の国々が南スーダンの失敗を認めているのだが、日本はこの大人の会議には加わることができないのだ。たいした理由はない。安倍首相が大人になれていないからだ。
こういう人ほどリーダーについて語りたがる。石原慎太郎がそうだったが、責任を取ることを考えていないほど気軽にリーダーシップについて語ることができるのだろう。安倍首相もいろいろと力強い約束をしてくれているが、守られたものは何もない。保育園政策を力強く推進するといっていたが、すでに悲惨な統計が出ることが分かっているので「6月までに新しい約束」を取りまとめるのだそうだ。
保育園生活一つとっても責任感のある担当者ほどつぶされてしまうだろうということが容易に予想できてしまう。反対に「政府がなにもしないんだから、目の前で泣いているお父さんお母さんがいても私のせいじゃない」し「そういう政府を選んでいるのは有権者なのだから自業自得だ」と考えたほうが楽だからだ。
悲しいのはリーダーシップのロールモデルが存在しないために、有権者も無責任な約束や子供みたいな蛮勇が「リーダーシップではないのか」と錯誤してしまうことだろう。石原慎太郎が高齢者に熱烈に支持されていたことから分かるように、大人でも何がリーダーなのかが分からない人が多いのだ。


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