「森友疑獄」で分かったこと分からないこと

森友学園の瑞穂の国安倍晋三記念小学院の事件を見ていて、今までの観測にずれがあった点を修正しておきたい。






今まで、安倍政権が崩れるのは年金や消費税など庶民のお財布に直接手を突っ込んだときだと思っていた。日本人は自分に関係があることとないことを明確に分けていて、自分の財布が傷まない限り政治には関心を持たないだろうと予想したからだ。

しかし、庶民のお財布とあまり関係がなさそうな森友学園の件はちょっとした騒ぎになっているのをみてちょっと考えが変わった。この件が直ちに政権を打倒することにはならないだろうが、今までよりもダメージは大きかったのではないかと思う。問題なのは、これが庶民の財布とは全く関係がないということである。

例えば安保法制や防衛などの問題が支持率の低下につながることはなかった。また、自民党議員の一部が憲法改正に伴い「日本人から基本的人権を剥奪すべき」というような強硬な主張を持っていることもあまり知られているとはいえない。問題が大きすぎてよく分からないし、憲法みたいに難しいことは自分たちに関係ないと思っている人が多いからだろう。

同じような理由で金融政策も関心は高くない。「ゼロ金利って私たちの暮らしには関係ないですよね」というような人が多いのではないだろうか。だから、金融政策が失敗しても政権にはたいしたダメージにはならない。

「誰かの損得」に関わる問題も意外と大きな影響を与えない。保育所を作って「得をするのは」若いママたちだという認識があるので高齢者の関心は高くない。ブラック企業や過労死の問題も「かわいそうで運が悪い人たち」の話なので放置したからといって直ちに支持率に影響があるわけではない。「損をするのは私ではない」ということなのだろう。

だが、土地の問題になると「誰が儲けた」とか「誰が不正を働いたのか」ということが関心の的になる。自分たちには関係がない話のはずなのだが、日本が一丸となって「ムラ化」してしまうのだ。豊洲の事例をみても日本人の土地に対する強い関心が分かるのだが、ではなぜそうなるのかというのはよく分からないというほかない。

森友学園の件から分かるのはこれだけではない。「誰かが得をしたのに挨拶もおすそ分けもない」というのはとても嫌われる行為であるということが分かる。これに非倫理的な行動が絡むと「許せない」という気分が働くようだ。日本人は誰かがズルをして得をするくらいなら自分の儲けをすべて捨ててでも懲罰行動に走りたいという傾向がとても強いといわれているのだが、これが裏付けられる。

大企業を優遇しても誰も怒らないのは、大企業からのおすそ分けを期待するからだろう。自分たちは強くて大きいものの一部だという認識があるので「大企業だけが得をする」とは考えないのだ。天下りがあまり非難されないのは、天下った人たちがおとなしくしているからだろう。官僚は決して表で「俺の後ろには文部科学省が付いているんだ」などということは言わないので目立たない。

森友学園が叩かれているのはよく知られた企業ではない(つまり自分たちに恩恵がありそうにない)にもかかわらずいろいろなところで「俺は安倍とダチなんだぜ」といいまわっていたからだろう。

集団で損得を考え、絶対的な利益ではなく相対的な利益を気にするというという点では多分韓国などと共通するところが多いと思うのだが、一番大きな違いは権力をそれほど怖がっていないという点だろう。村長(むらおさ)はムラの総意で成り立っている存在で、ムラの倫理にそむくような行為までは許可されていない。韓国の場合には権力の座にいる間はちやほやしてもらえるが、そこから降りたととたんに粛清が始まる。

このことから日本人は「自分たちだけが損をする」という状況、言い換えれば「誰かが抜け駆けして得をする」ということだけに異常に反応しているのではないかと考えられる。

Google Recommendation Advertisement



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です