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日本は平和国家でも尊敬される国でもない

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文脈について考えている。昨日今日と「稲田大臣を辞任に追い込め」と言う声が蔓延しているが、ちょい待てよと言いたい。議論が国内の文脈だけで形成されているように思えるからだ。
稲田大臣が辞任させられそうになっているのは虚偽(政府はいつものように虚偽ではないと言い張っているが)の答弁をしていたからだ。戦闘行為があり、自衛隊が「戦闘行為があった」と報告しているのにそれを曲げて衝突だと言った上で、「だって戦闘行為だったというと憲法第九条に触れるでしょ」と言っているのである。
個人的にはネトウヨ系議員が嫌いなので「滅びろ」などと思うわけだが、実は虚言壁のある大臣の辞任などどうでもいいことなのである。
南スーダンでは政府系と反政府系が内戦を起こしている。民族的な対立が背景なのだが、どちらも似通った牧畜系民族らしい。もともと他人の土地に入って家畜を奪ったりすることが「名誉だ」とされているというような荒っぽい気風もあったという。だが、北にいるアラブ人が国を支配していたので、対立は表面化しなかった。
欧米諸国は南スーダンを独立させることで現地の石油資源を利権化しようと思ったのだろうが、現地政府を制御できなくなった。欧米からの武器が利権化し、それを使って他民族を脅かし始めた。二番目に大きい民族が反政府化して争っている。意活動がエスカレートし、政府軍が市民を虐殺したり略奪すると言うような行為が始まった。政府軍がテロ化しているともいえる。
虐殺されることを恐れた人たちはウガンダやエチオピアに逃れることになった。親を亡くして一人で歩いてきた子供も多く、孤児も問題になっているという。南スーダンは人口1000万人ほどの国なのだが難民の数は100万人を越えた。アメリカはさすがにこれはまずいと思ったのか国連に訴えて武器の流入を禁止しようとした。それに反対したのが利権にこだわっていると思われる国々で、日本を含む8カ国が決議を棄権して廃案に追い込んだ。
日本が安保法制の議論で揺れている同じ時期に、南スーダンは難民であふれていた。それを推進している現地政府に協力してインフラなどを作っているのが安倍首相だ。「衝突があるからといっておめおめと撤退した国はない」などと答弁していた。
憲法第九条擁護に回るにせよ、国力の回復を追及するせよ、日本はこの虐殺に間接的にコミットしているという事実を認めなければならない。日本は平和国家ではない。憲法第九条をいただく国でございますと言ってみたところで、民族浄化に関心がなく現地利権の確保を許容している内向きな国なのである。今でも「憲法第九条を守れ」などというお勉強会が各地で開かれていると思うのだが、それは単に自分たちが血を見なければいいというご都合主義でしかないし、ユニセフにちょっとばかりの寄付をしても(それ自体はよいことだが)免罪されると言うものでもない。マスコミがやらないから知らなかったと言うかもしれないが朝日新聞が継続的にレポートをしているので調べる気になればいくらでも調べられる。
ではそれは右派の勝利なのか。「日本は世界で尊敬されるために平和維持活動に従事している」などとはとてもいえない。少なくとも南スーダンで起きていることは世界の平和とは何の関係もない。ただ、自国の利益を守りたいという野心にしか過ぎない。もちろん国益は重要だが、だからといって100万人単位の難民は正当化できない。現地人の犠牲はやむをえないと言う議論は成り立たないのだ。さらに駄目押しは尊敬する軍隊自衛隊に土木工事をやらせていることだ。自衛隊は何でも屋ではないのだ。
制度上はさらに面倒な可能性が浮かび上がった。これを問う地上の危機だと思っている人がどれくらいいるかは分からないのだが、現地で自衛隊が暴走しても内閣はそれを止められないだろう。「そもそも報告書すらまともに読んでもらえない」ということを認知したはずだ。危機を感じながら本体から支援が得られない優秀な組織がどのように暴走するかというのは組織論としてはよく研究されている課題だ。
自分は安倍首相を信任していないから関係ないという人がいるかもしれないのだが関係ない。安倍首相は民主的に選ばれた首相だ。民進党も市民団体も国内での政治闘争にしか興味がないので、稲田防衛大臣の首を取ることにしか興味がない。、「南スーダンの難民をどうしたら止められるのか」という議論はしていない。難民を受け入れるとか国際的に支援すると言うのは嫌というのはまだわかるが、加害者になっているのである。
稲田大臣が答弁するときにはその後ろに現地の兵士にレイプされる女性と親を政府軍に殺されて何日間もあてどなく歩く子供の写真を掲げるべきだろう。その中で辞任させずいつまでも言葉遊びを続けさせるべきだ。
その上で、日本がいまだに法治国家なのか、憲法第九条が守られているのかなどということを議論すればいいと思う。私たちは一人ひとりが何に手を染めているのかを直視するべきだ。


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