南スーダンの件がタイムラインに流れてくる。「日本は自衛隊を南スーダンから撤退させて和平のお手伝いをすべきだ」というTweetがあったのでついつい「いや、日本は当事者なんですけど」みたいな引用ツイートをした。あとでなんか聞いたことがある人だなあと思って調べてみたら、布施さんという人で今回の件の「火元」の一人だった。
「この人は状況が分かった上でこういう呟きをしたんだ」と後悔したのだが、同時にちょっと考え込んでしまった。現実的には日本はアメリカと行動を共にすることをやめて独自路線を歩んでいる。南スーダン問題では主要プレイヤーだとすらいえる。そのことを知っている人ですら「和平のお手伝いしてはどうか」と言っている。背景には「日本はアメリカに追随してお手伝いをするくらいの国」という認識があるのだろう。この認識は湾岸戦争のころから一貫して続いている。
皮肉なことにこの認識は左右が共通して持っているように思える。保守の人たちはアメリカの庇護を得ようと必死なのだが、これは「アメリカなしではやっていけない」と言う認識から来ているのだろう。この認識はいささか倒錯している。アメリカに認められるアニキになるためには武器を持たなければならないと考えている。したがって軍隊は嫌だなどとわがままを言う左派が邪魔というような理屈になっている。
日本は地理的に米ロ中に挟まれている。偶然にも世界で一番大きな大国と対峙する位置にある。それと比較して自国が「小さな国だ」と考えるのはまあ不思議ではない。だが、周囲には日本より小さな国もあるにはあるのだが、心理的には無視してきた。
もっとも、日本はそれほど小さな国ではない。第一次世界大戦後には五大国(ドイツ、オーストリアが脱落した)の一員になったのだが、これも偶然ではなく、まとまった人口と国土を抱えた工業国だったからだ。戦前もその程度のプレゼンスはあったわけである。それは戦後も続いている。
いずれにせよ「小さな島国」という自己認識は割と広く行き渡っている。もっとも卑近な例は「日本は意外とすごい」というテレビ番組だ。だが、意外とすごいわけではなく、プレゼンスなりに評価されているにすぎない。固有の民族としてのまとまった歴史があるのでそれなりに独自の伝統が蓄積しているのだが、これも中国と言うやたらに長い歴史を持った国のおかげで過小評価されてしまっている。
この小国意識の結果、テレビでは連日のように安倍首相がトランプ大統領とゴルフできるかということが話題になっている。アメリカの軍事力で領土を安堵してもらいたいいう気持ちの表れだ。
日本人が持っている不安は、実質的な宗主国であるはずのアメリカが形式上は独立国になっているということだ。かつての琉球がそうだったように、アメリカで皇帝が変わるたびに政権が承認されると言うプロセスでもあれば、政権や国民の不安は軽減するかもしれない。だがトランプ大統領は、日本があたかも「ピアカントリー」かのように競争を仕掛けてくる。これが日本人が持っている自己認識と合わないのだ。
日本が現状を正しく認識すれば、日本は独自で外交判断してその判断の結果に対して責任を持つことが求められるという当たり前の結論に達するはずだ。しかし、日本は意思決定するつもりもないし、結果的な責任を受け止める用意もない。あくまでも世界情勢は台風のように「なった」ものであり、その対策をどうしようかという議論に終始する。
安倍政権の発表を「大本営発表」だと騒ぐ人たちがいるのだが、これは2つの意味で間違っている。一つは情報がふんだんにあり、情報統制が不可能だということだ。秘匿はもはや喜劇にしかならない。もう一つはかつての大本営がそれなりの危機意識を持っていたということだ。だから必死で隠したわけである。それに比べて今の政権はカジュアルに嘘をつく。どちらかと言うとテストの点数が悪いことを責められて嘘をつく子供のようである。
多分、今の政権には独立国意識が薄いのだろう。天皇の権威を意識していれば、審議の途中で「早く質問しろよ」などと言ってみたりのびやあくびをするなどということがありえるはずはない。
だが、これは何も政権だけの問題ではない。
南スーダンで起きていることはもう当事者同士の扮装になっている。国としての実態は失われつつあり内戦状態に陥りつつある。つまり日本は紛争の片側について肩入れしていることになる。その実態は隠されているわけではなく日本語で情報を取ることもできる。さらに国連はこれを武力紛争だということを認識しており何度も呼びかけている。
つまり政府が認めるか認めないかということはもうどうでもいいことなのだが、それでも左右両派は「政府の認識がどうだったか」ということにこだわり続けている。当事者として関わるのは嫌だし、この悲惨な現実に関わってしまっているという認識すら持ちたくないからなのだろう。できれば「アメリカに従って仕方なく関与している」と思いたいのだ。
日本がアメリカに追随するだけの小国で、世界には責任がないというのは実はとても居心地がよい自己認識なのだが、もうアメリカや中国はそれを認めてくれない。ある意味では日本はうまく大きくなりすぎた。日本人の自己認識は現状と乖離しており、このままでは不安を払拭することはできないだろう。