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中居正広氏の問題が泥沼化 TBSは対応を約束するもフジテレビは対応できず

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中居正広氏を巡るテレビの対応が泥沼化している。経営方針が刷新できず昭和から脱却できないフジテレビはますます追い込まれている。一方、過去に苦い経験をしているTBSは「一定の対応」を約束した。TBSは過去にワイドショー全廃に追い込まれた歴史的経緯がありそれなりの社内体制ができているようだ。

この件はそもそも「政治・時事系」で扱うのはいかがなものかという意見が出そうな気がする。例えばTBSの対応を見ても報道特集のような「硬派な」番組では扱われず「サンデージャポン」での取り扱いとなった。太田光氏は治外法権的な扱いをされており「社としての姿勢」と「彼個人の姿勢」を切り離すことができる。

SNS時代のテレビ局のありかたと国民の知る権利という意味では「言論系」の話題ではあるものの旧世代型のメディアには偏見があるのではないかとも感じる。テレビはSNSの政治・時事言論をまだまだ下に見ているのかもしれない。

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何が起きたのか

第一に「何が起きたのか」がよくわかっていない。トラックが3つある。

1つが渡邊渚さんの問題。スポーツ紙報道によるとフジテレビの渡邊渚アナウンサーは2023年6月に体調を崩したことになっている。その後も無理を重ねたが徐々に体調を崩してゆき、番組出演が出来なくなり退社を余儀なくされている。渡邊渚さんはフリーになり写真集を出版し再出発する。この問題は当初女性週刊誌で「フジテレビは女性アナウンサーを働かせすぎている」というコンテクストで扱われている。

2つ目が松本人志さんの問題。週刊誌報道から裁判に発展している。松本さんは当初「戦います」と宣言したが、その後不利な情報が積み重なったと見られ訴訟を取り下げている。金銭のやり取りはなかったとされており実際に何が起きたのかはよくわかっていない。

3つ目が中居正広さんの問題。最初に報じたのは2024年12月の女性セブンだったようだ。女性セブンが問題を取り上げると文春がこれを引用し被害者女性(X子さんとされている)とフジテレビ幹部にまつわる報道を始めた。

なぜ泥沼化しつつあるのか

この問題が泥沼化した直接のきっかけは中居正広氏が1月9日に発信した「芸能活動が続けられることになりました」という「謝罪声明」だった。おそらく「先方様からお許しをいただいた」ことで番組出演とコマーシャル活動に関する障壁はなくなりましたという「内輪向け」の文章だったのだろう。つまりコンプライアンス上の心配はなくなったという意味合いだ。

しかしこれを世間に公表してしまったことで「中居サイドが勝手に決めるのはいかがなものか」という空気が広がった。当ブログもこのラインで1本記事を書いている。

あの文章はおそらく「業界向け」のお知らせだったのだろうが、SNS時代には関しの対象になっている。

SNSに監視される存在になったテレビ報道

中居さん側の稚拙な声明に拍車をかけたのがテレビ局の報道姿勢だった。当初テレビ局は中居さんの声明を一方的に流すことで問題は解決済みだという印象を与えたかったようだ。しかしそのおずおずとした対応から「本当にこれで解決するのかなあ」疑問視していた様子も伺える。

現在日本の政治・時事言論はXとYahooニュースのコメント欄の群衆の声が中心になっている。Yahooニュースのコメント欄では連日この問題がトップで取り上げられている。

SNSに最もビビッドに対応したのがTBSだった。まず日比麻音子アナウンサーが金曜日に「私達は報道を続けます」コメントを発表した。さらに膳場貴子さんがサンデー・モーニングで同じ文章を読み、吉原安美アナウンサーがサンデージャポンで同じ声明を出している。

ジャニーズ問題で反省の意思を見せていた「硬派(あるいはリベラル左翼系の)報道番組」は内容を伝えることはなかった。ジャニーズ問題のときも「文春が伝えていただけなのでスキャンダル扱いしていた」と反省していたが、今回も同じように「なんだ芸能ネタか」と考えている可能性がある。唯一の例外がサンデージャポンだった。

サンデージャポンは報道の治外法権的な「別棟」扱いであり、この話題を扱いやすかったのだろう。30分にわたって問題を取り扱っており公益通報の問題と位置づけている。発言者は会社の姿勢に責任を持たないお笑いタレントであり社としての発言ではないという体裁を取ることもできる。太田光さんが番組の編成にどの程度の裁量を持っているかは不明である。また他の政治・時事系のコメンテータを兼任する人たちは単に厳しい表情をして見せることしかできなかった。

兵庫県知事選挙を通じてSNSは監視されるべきだとしてきたテレビ局だが、自浄作用のなさが仇となり実際にはSNSから監視される対象になっていることがわかる。

たかがSNSの群衆の声じゃないか……

この問題を見ているとSNSのまとまりのない群衆の声がテレビ報道をドライブしていることがわかる。モデレーションも対話もないSNSの声にどの程度の正当性が認められるのかと疑問視する人もいるのではないか。

しかしながら、テレビ局が一貫した報道指針を持っていないことこそが問題なのではないかと感じる。仮にテレビ局が「公益通報者の権利を守る」というイデオロギーを持っていたならばそれなりの社内体制(内部)と報道指針(外部)が設計されていたはずだ。つまり「ある目的を達成するために組織や制度をどうするか」というデザイン思考のアプローチが取れていたはずである。

日本人はこの「デザイン思考」が極めて苦手だ。代わりに「世間がそれをどう捉えるか」を気にする傾向がある。結果的に議論はまとまらず「烏合の衆」が生み出す「空気」が議論の行方を左右する。

こうした空気には論理はないのだから、報道機関側が「責任編集制」を敷くのは難しいだろう。そもそも一貫した方針が決められない。

時代から取り残されつつあるフジテレビ

おそらくTBSが「人権第一」の報道姿勢と内部体制を整えることはないだろう。しかし、TBSは過去の失敗などを踏まえつつ「それなりの体制」を整えて自社と問題の切り離しをある程度組織的に行うことができている。太田光氏という「別棟」を持っているのも良かった。

それに比べるとフジテレビはかなり悲惨な状況に陥っている。「面白くなければテレビではない」を経営方針として掲げていたフジテレビは時代とともに「面白ければなんでもいい」という社に変わっていったようだ。その後視聴率が伸び悩み大規模なリストラも行われている。東洋経済の「キー局決算に見る放送業界「史上最悪の危機」」によるとフジテレビだけが次世代の経営方針を打ち出せていないようだ。

そもそもそのようなリーダーシップのない会社が社員の行動指針や報道指針など打ち出せるはずもない。結果的に数字を取れるタレントを持っている人が評価されるという状況に陥ってしまった。

東京スポーツはなんの説明もなく佐々木恭子アナウンサーと犬塚弁護士の名前を出している。事情を知らない人には「なんのことだかさっぱり」だろうがSNSを見ている人はある程度事情を察するという状況になっている。つまりテレビはもはや情報の第一ソースではなくなっているということが言える。

番組終了後、Xではワイドナショーがトレンド入り。「すでに発表しているコメント読んで終わりか」「佐々木アナと犬塚弁護士がさらっと消えた」などという声が寄せられている。

中居正広「ワイドナショー」特集も佐々木恭子アナ&犬塚弁護士は欠席 SNSで反響(東スポ)

なぜ責任編集性が重要なのか

最後に「なぜ責任編集性が重要なのか」について考えたい。これはテレビだけではなくネットにも言えることだ。アメリカ合衆国ではXがファクトチェックを放棄した。イーロン・マスク氏がトランプ政権に近づくと、Facebookなどを運営するMeta社もこの方針に追従した。

一方の日本はまた違った現状を抱える。政治報道・時事報道・芸能・情報バラエティの区別がなく各社とも同じようなタレントに依存している。彼らが問題を起こすたびに「会社全体」の報道姿勢が問われることになる。仮に各番組が責任編集制を導入していれば会社の中で情報の多様性が確保され「フジテレビが」「テレビ局全体が」報道を抑制しているという批判を払拭できたことだろう。

これを擬似的に行っているのがTBSのサンデージャポンだった。しかし「なんとなく治外法権で自由な感じ」を打ち出すのがせいぜいで制度的な責任編集制にはなりそうにない。

ただしこのやり方では必ずしも「虚偽情報の拡散」を防ぐことはできない。責任編集制が採用されると「誰の情報を信じるか」という問題はすべて受け手に降りかかってくる。

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