ざっくり解説 時々深掘り

「憲法で教育無償化を」と叫ぶ人たち

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いろいろごちゃごちゃと書いたのだが、教育が無償化されると、実質的にすべての教育は国営化されて「国鉄化」するんだろうなあと思った。


安倍首相が改憲して教育を無償化したいといっているそうだ。もともとは維新の提案であり、与野党協力体制をアピールして「国民の合意を得られた」という空気を作りたいのだろう。無料に反対する人は誰もいないわけで「改憲への拒否反応」が弱まる可能性はある。これは憲法第9条改正に対する拒否反応を弱めるのかもしれない。
しかし、これほどまでに空虚な政治的提案というものを見たことがない。それは何のために教育を受けるのかという議論がないままに「タダ」という言葉だけが先行しているからだ。
一般のレベルでは人々は競争に優位に立つために教育を受ける。教育は投資なのだ。教育無償化を喜びそうな人は「これでお金がないからといって脱落することはなくなる」と一安心するかもしれないが、競争社会を生きている人は「無料で誰にでも手に入れられるものは競争には役に立たちそうにない」ことを知っている。つまり無料で受けられるものには実は大した価値はない。
それにも増して教育の無償化は実は教育を荒廃させる可能性がある。実際に教育にかかる予算は削減傾向にある一方で、保護者の要求は際限なく高まりつつある。つまり無償化に伴って「共有地化」が起こる可能性があるのだ。共有地化はフリーライダーを増やす働きがある。すると誰も維持管理を行わなくなり荒廃する可能性があるわけである。実際には保護者のボランティアに頼って地域教育を維持しようという動きもある。主婦労働は無償だと考えられているため、介護や教育に「動員」されかねない。ちなみに家族が社会を支えるべきだという考え方も改憲に組み入れられている。
では教育の無償化は悪いことなのだろうか。
いわゆる「無償化」が成功している国は、社会が教育コストを支えるのだという意識のある社会だ。つまり「無償化」ではなく「社会化」である。納税者が教育費用を負担しているのだ。加えて日本は国債発行残高が高く、極めて納税者意識が低いという現実もある。負担はしたくないが受益はしたいという人たちが多い。「憲法による無償教育」はこのような人たちにあらぬ幻想をふりまくことになるだろう。
さらに国には「国家に忠誠を誓わせて一部の政治家に都合のよい思想を持った人たちを大量に生産しよう」という目論見があるようだ。こうした動きを支持する人が多いのは、主婦や子供などは年長の男に従うべきだという搾取思考が根深いからだろう。つまり、無償教育は余剰の教育資金を持たない国民を洗脳する装置になりかねないという危険性がある。
つまりこれは「国民を無償教育という罠に閉じ込めて都合よく搾取しようという政府の企みだ」と考えることもできるし、左派の人たちはその線で反対するのではないかと考えられる。「無料で戦争教育するのだろう」という批判はすでに行われているようだ。しかし、それすらも希望的観測というより他ない。それは、教育を受けた人たちが「戦争する意欲がある」ということを前提にしているからである。戦争は中国と戦うことではなく、企業戦士として死ぬまで働くことかもしれない。
意思がある人たちは無償でない教育を受けることになるだろうが(多分国内にはその機会はないかもしれない)意思のない人たちは国が吹き込んだ知識をそのまま丸暗記し「やることはやったからあとはなんとかしてくれ」と集団に望みをかけつつ、弱い人たちを罵倒するような未来が待っているのではないだろうか。大量の指示待ちくんが量産されるというような未来が見えてしまうのだ。
教育無償化の議論に欠けているのは、誰が社会を切りひらき、どのような貢献をするのかという意思だということが言える。