日経新聞が「兵庫県知事選SNS分析 斎藤氏擁護の渦、一般層巻き込む」という記事を出している。斎藤元彦再選選挙においてSNSの伝播経路を分析した内容だ。
調査は伝播経路を2つに分けている。1つは立花孝志氏のメッセージの伝わり方でもう1つは斎藤元彦陣営の情報の伝わり方だ。この一環としてクラスタ分析を行っているのだが自民党支持者と「反ワク・陰謀論」には重なりが見られる。
立花孝志氏の情報伝達経路
調査は「保守」を日本保守党系と自民党に分けている。立花孝志氏に反応したのは斎藤元彦支持者と自民党系保守だった。一方で日本保守党系はさほど反応しなかったようである。
一般層は立花孝志氏のアカウントをフォローしておらず自民党支持者を媒介にして情報が広がっていった。
この記事はそれぞれのクラスターを分類して図示しているのだが自民党支持者と「陰謀論・反ワクチン」と呼ばれるクラスターは自民党クラスターと重なっている。つまり自民党を支持している人たちの一部が「陰謀論・反ワク」に汚染されていることになる。
斎藤元彦陣営の情報伝達経路
「#さいとう元知事がんばれ」はこれとは異なる広がり方をしている。当初は斎藤支持者と日本維新の会の支持者の間のエコーチェンバーで広がっているだけだった。10%のアカウントが80%の投稿を出していたそうだ。つまりうちわの盛り上がりに過ぎなかった。
ところが10月31日に兵庫県知事選挙が告示されると「オールドメディア」の露出が減る。結果的に無党派層が「#さいとう元知事がんばれ」を目にするようになった。ここに「アンチコメント」が付くと情報がさらに広がってゆく。
潮目になったのは市長会22名が稲村陣営を支持したあたりだったそうだ。斎藤支持者たちが反発する。ここで意外な事が起きる。斎藤支持者たちが盛り上がり動員が増えると一般の人達も「実際に斎藤元彦氏に支援の輪が広がっている」と感じるようになる。
この人たちは当初テレビで「斎藤氏はパワハラ知事だ」と「知って」いた。ところが露出が減ったことで潮目が変わったと感じる。とはいえ単に傍観していただけで情報発信は抑制的だ。ところが市長会の稲村陣営支援をきっかけに街頭に斎藤支援の輪が広がると「支援者が多い」ことを実感した。これが一般の人の投票行動を変えたことになる。当ブログのコメント欄にもこれを裏付けるレポートが上がっている。
- みんなが斎藤さんを支援しているのだから私もその輪に加わらなければ
と感じた可能性があるということだ。
読み取れること
ここからは「個人の感想」として読み取ったことを書く。
自民党支持者は騙されやすい
安倍支持者はもともとサラリーマン雑誌SPAの保守系論壇などが基礎になっている。小林よしのり氏が連載を始めたのは1992年だった。マンガを使ってわかりやすく「保守界隈」を説明したものが受け入れられた。2000年代に入ると似たような雑誌が複数出てくる。
2009年当時はオバマ大統領と日本の民主党政権の影響で「多様性」がもてはやされておりそれに反発した人たちが中心になって盛り上がる。ここに下野を経験した安倍氏が接触することで現在の形が作られた。安倍総理が二回目の総理大臣になったことでメインストリーム化し現在に至る。
例えば蓮舫氏のような「生意気なオンナ」が上から目線で「二位じゃだめなんですか?」と男性社会を否定するさまなどに強く反発している。おそらくはデジタルツールの使い方に熟達していないノン・デジタルネイティブ世代の人達で一部が陰謀論などに染まったとしてもさほど不思議ではない。
これとは別の保守の塊が出来つつあるということがわかる。旧安倍支持者が高齢化しつつある中で新しい「保守」の塊ができつつあるのかもしれない。周囲をサウンディングする限り、新しい保守派デジタルネイティブから構成され情報の取得にはさほど困らない人たちなのではないかと感じる。
リベラルはノイズに過ぎなかった
一方のリベラルは一般層と混じり合っている。
彼らは今回「反立花」だったのだろうが結果的には単に情報を拡散しただけで終わってしまった。一般に近いため皮肉にも立花氏の言動を一般に露出する手助けをしていることになる。
おそらく重要なのはなぜリベラルがノイズに過ぎなかったの分析だろう。リベラルの訴えがSNSで響かなかったという現象は東京都知事選挙でも見られた。蓮舫陣営は盛り上がっているかに見えたが一般には浸透しなかった。
斎藤陣営ももともとはエコーチェインバーだった。なぜリベラルは一般に伝播せず斎藤陣営は一般に支持が広がったのか。
他人の権利を守るよりも他人の利益を妨害するほうが好きな日本人
そもそも人権とはなんだろうか。それは他人が持っている利益を守ってやる行為だ。これが回り回って自分の権利を守ることにつながるという「協力的」アプローチである。社会成長を通じて利益を最大化しようという生き残り戦略だ。
ところが今回は市長会22名が稲村支持を打ち出した。これが「既得権は稲村氏を支持しているのだろう」という見方を生み出した。稲村さんが自身の退職金を操作し多額の退職金をもらった金の亡者であるという情報も飛び交ったという。レポートはこれを「嘘」とは断言していないがおそらく根拠の乏しい情報という含みで使っている。
つまり「既得権が不当な利益を得ようとしているのだからそれを妨害しなければならない」という気持ちが働いたことになる。日本人特有の「スパイト」気質だ。
結果的に「他人の利益を擁護して住みよい社会を作る」よりも「他人の利益を妨害して縛り合うことによって相対的に自分の持分を上げる」という気持ちが勝ったことになる。成長を信じずゼロサム的世界を生きている日本人が多いことがわかる。特に失われた30年という余裕のない状態を生きておりスパイト気質が強化されているのかもしれない。
いずれにせよ、リベラルにとってはとても不利な環境である。
立憲民主党の「政治とカネ」の問題の追求は一見このスパイト気質に合った戦略のように見える。しかしゴールはあくまでも「他人の権利を妨害することで自分のところに利益を持ってくること」である。政治とカネの問題が解決しても国民の手取りが直接的に増えるわけではない。
知的な人たちが協力戦略を好むのは「縛りあい」が全体を縮小させると知っているからだ。ところがこうした視野を得るためには全体を俯瞰しなければならない。困窮の度合いが高まると視野狭窄が起き「奪い合い」が始まるのだろう。しかし日本人は社会的に統制されているため「縛りあい」で相手の自由を奪うことを好む。
メディアの不作為
今回は選挙告示後に政治報道が減ったことでフェイク情報が相対的に人々の目に触れやすくなった。ここから「選挙期間が始まったらメディアはファクトチェックを一生懸命に行うべきだ」という主張が見られる。しかしながらマスメディアの取り組みは抑制的なものになるのではないか。
民放の目的は広告枠を売ることにある。このためには視聴者の気分を上げてやらなければならない。日本の大衆は「多数派に立ち社会の害悪を批判する」ことに強い関心を持っている。一方で情報の中から「正しいものを見極めて」「主体的に情報判断をする」という意欲は希薄である。そもそも最初からそんな考え方はないと考えたほうが説明がつきやすい。
庶民が貴族・特権階級と対立する社会構造を持つイギリスのBBCは熱心にファクトチェックをやっている。イギリスの庶民はそもそも政治権力を疑っている。日本にそのような文化的素地がないとすると、おそらくファクトチェックは「売れるコンテンツ」にはならず、ファクトチェックをやったとしてもアリバイ的なものに終わってしまうだろう。
むしろ「縛りあい志向」が強いと考えると、SNSは規制の対象となり、その空白を埋めるために新しいフェイク情報が蔓延する可能性も高いと言えるかもしれない。
このフェイク情報をウィルスに例えるとまずデジタルツールの使い方に慣れていない人々に感染し徐々に一般に蔓延することになる。一般有権者は主体的な有権者意識を持たず「多数の一部でありたい」と考えている。ネットの盛り上がりとリアルの動員を演出することで、少数が多数を動員することが可能になるということになる。
一部のネットリテラシの低さと多数派の主体性のなさが合わさりフェイクニュースという病に感染しやすい環境ができているのではないか。オールドメディアは社会を健全に保つための治療薬のような役割を果たすことができるが十分に役割を自覚しているとはいえない。