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大人たちも議論ができない 自民党の憲法改正議論が錯綜

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どうやら日本語が理解できない人が増えているらしいと言う記事を書いた。確かに嘆かわしい限りなのだが「国の上の方の人たちがしっかり議論してくれれば別にいいのではないか」という気もする。

だが、実は国の上の方の人たちも議論ができなくなっている。

憲法改正の議論が混乱している。一体何のために議論しているのかを確認しないままで各論を議論し始めてしまい収拾がつかなくなっているようだ。

日本は上から下まで議論ができない国になってしまった。

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時事通信の「緊急集会「重要な権能」 自民、参院配慮で大筋合意」という記事を読んで頭を抱えた。おかしなことが書いてあるのだが時事通信の記者の文章が上手なためにおかしいと気が付かない。

自民党は2日、憲法改正発議に向けたワーキングチームの会合を開き、憲法54条が定める参院の「緊急集会」について、「参院の重要な権能」だとする見解で大筋合意した。

緊急集会「重要な権能」 自民、参院配慮で大筋合意

同チームが策定する文書では、緊急集会を「現行憲法下での唯一の緊急事態条項」と位置付ける。改憲による議員任期延長を見据え、今後議論を深めるべき論点として「選挙困難事態」の条件や、衆院解散後の前議員の身分復活の是非を盛り込む見通しだ。

緊急集会「重要な権能」 自民、参院配慮で大筋合意

一体何が矛盾するのか。

国会の憲法審査会が提案する緊急事態条項は「有事に議会がないと困る」という前提で議論が進んでいる。議会がなくなると困るから緊急事態条項を作り衆議院の会期を延長するという建付けだ。

だが現行憲法はすでにこの事態に備えている。意外とよくできた憲法なのである。

現行憲法の工夫は参議院選挙を2グループに分けるというものだ。こうする議員の半数は国会に残れる。だから参議院の緊急集会が認められたということはわざわざ緊急事態条項は必要ないと認めたことになる。

ここで議論は終了となるはずだ。

だが記事は緊急事態条項については引き続き議論すると言っている。

ではなぜこのようなわけのわからない決着になったのか。

自民党・国民民主党・維新は「憲法改正を諦めると保守から見放される」という気持ちを持っている。岸田総理大臣も安倍総理を支持していた保守の気持ちを繋ぎ止めたい。

保守は憲法九条を変えてほしいと考えているが、これは公明党の反発によって実現が難しい。そこで「自然災害を持ち出せば文句はいえまい」とばかりに緊急事態条項を先に通すことにした。この時点で保守の期待と国会の行動にはズレが生じている。

ところがこれは参議院に都合が悪い。国民の政治不信の高まりから「衆議院のクローンに過ぎない参議院をなくせば歳費が浮くのではないか」という議論がある。参議院には衆議院のバックアップと言う機能がありこれが参議院が必要だという根拠になっている。

今回の憲法改正草案は参議院と言う利権を潰しかねないのだ。

そもそも保守が憲法改正にこだわり始めたのかはよくわからないが、とにかく憲法改正は保守の悲願ということになっている。

岸総理は(形式的には)日米同盟を対等な同盟にした。だが、これを実務上確かなものにするためには自衛隊の国軍化(憲法改正)も成し遂げなければならない。安保闘争の高まりから岸総理は退陣を余儀なくされた。孫である安倍晋三総理はこの経緯を自覚していた。「自衛隊の国軍化」は保守の悲願と位置づけられるようになった。

だが、長年議論をしている間「そもそもなぜ憲法改正がやりたいのか」という目的意識は曖昧になっていったようだ。そのかわりに「とにかく何が何でも憲法改正をやらなければ」と改正自体が自己目的化していった。結果的に「簡単なものから通しましょう」ということになったがその簡単なものすら行き詰まりつつある。

ではこれは野党の勝利なのか。野党の議論も錯綜している。緊急事態条項に関しては「緊急事態条項は戦争への一本道だ」という感情的な反論が見られる。劣化した左派ではここまで噛み砕かなければ運動体が維持できなかったのだろう。

右派と左派には共通した特徴がある。「政治運動」が「存在意義・人格」と結びついている。半数の日本人は主観と客観が区別できないのだから人格と結びついた政治運動は妥協が難しくなる。議論をすればするほど問題解決が難しくなるのはこのためだろう。

この政治運動と存在意義が結びついた事例は他にも存在する。それが政権交代の自己目的化である。

立憲民主党の中に「保守派を取り込んで政権交代を目指そう」という声がある。実に不思議な議論だ。この議論は高度経済成長期が終わったバブル時期からバブル崩壊時期に源流がある。

当時、保守対左派と言う構図(55年体制)を解体し保守同士で政権交代を目指すべきという考え方があった。それを主導していたのが小沢一郎氏だ。だが単独では政権が取れないので経営者団体と労働組合を抱き込んだ運動体を作ろうとした。この連携は成功し小沢一郎氏は政権交代に成功する。これが細川政権と羽田政権だった。

当時はまだ組合の影響力が強かった。つまり、多くの支持母体を確保は政権交代の前提条件だった。だがこの前提条件は今は成り立たない。

砂粒化した無党派層が有権者の主流になっている。だが小沢一郎氏はとにかく「保守から組合までを合わせた運動体を作ろう」としている。そのため野田佳彦から赤松広隆までの「幅広い」勢力を結集した政権交代を訴えている。

小沢一郎氏の動きからは「とにかく何が何でも政権交代をするのだ」という主張は見える。それが彼の存在理由(レゾンデートル)なのだろう。だが、政権交代をして一体何がしたいのかはさっぱり見えてこない。

このように日本の政治運動は「目的設定」を行なわないままとにかく各論が進んでゆき「好き嫌い」と「自分たちの存在意義(レゾンデートル)をかけたメンツ」によって混乱すると言う特徴がある。

前回のエントリーでは「日本語が読めない人たちが増えていて議論が難しくなっている」と書いた。だがそればかりではなく「そもそも目的がはっきりしない議論」も横行している。だから結果的に日本の政治議論は騒ぎばかりが大きくなり何もまとまらないのである。

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