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噛み合わないSNSの議論 日本語が読めない日本人が増えているらしい

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AbemaTVで「学生の国語力が落ちている」という特集をやっていた。この中に出てきたテストを見て「ああそうだったのか」と納得した。長い文章が読めないのではと思っていたのだが文章自体が理解できない人が増えているらしい。

プレゼンテーションを聞くと日本語が理解できる人と理解できない人の間に格差が広がっておりお互いに意思疎通が困難になっている。日本語が読めない人にはその自覚がなく従って「投資」や「キャリア形成」のような複雑な問題は理解できない。そしてその問題を本人の努力だけで克服することは難しい。

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プレゼンテーションの最初に簡単なテストがでてくる。内容は動画を見ていただくと良いと思う。概要だけを書くと文章からキーワードだけを拾い読みしている人たちがいるそうだ。このためキーワードを同じにして因果関係を変えても内容が変わったことに気が付かない人がいるそうだ。

中学生の正答率は57%だったが大人にテストをしても同じような苦手意識を持つ人は少なくないそうだ。

この傾向は近年始まったわけではなく大人でもこの問題が解けない人がいるという。大人には日本語試験などないのだから自分が日本語を読めていないと自覚していない人が大勢存在することになる。

日本語が読める人は劣悪な家庭環境下でも教科書や本などを使って自己学習ができる。このプレゼンテーションでは成田兄弟の事例が出てくる。つまり劣悪な環境から自らを救い出すことができる。だが両親が忙しすぎたり、忙しくなくても「親自らが日本語が読めない」場合には日本語が読めない子供が発見されないことになってしまう。

さらに別のプレゼンテーションにも深刻な問題が提起されていた。西村ひろゆき氏は「大人は主観と客観を区別できるようになるべきだ」と主張する。「それってあなたの感想ですよね」というのは「主観ではなく客観的に議論をしましょう」という意味だというのだ。

このプレゼンテーションの中に女性モデルの方が出てくるのだが彼女は「主観と客観(感想)」の違いが理解できていないようで話が全く噛み合っていなかった。彼女はお子さんがいらっしゃるそうだ。

西村氏は「大学を卒業するためには主観と客観が区別できている必要がある」と主張する。だが、実際にQuoraなどで議論を主催していると(大学を卒業したまたは在学中である人でも)この区別がつかない人は大勢いる。Quoraでもこのプレゼンテーションに関する回答を書いたのだがコメント欄に「事実と意見を区別できる高校一年生は47.9%」だったと書いてきた人がいた。出典は2018年のPISA調査だそうだ。コメントした人はなかなか厳しい数字だと書いている。

このためこのプレゼンテーションの議論は「主観と客観を区別できるべきだ」という主張を理解できている人とそれが理解できない人に分かれていた。理解できない人は「なんか冷たい切り離した言い方ですよね」と反発するだけに終わる。だから最後まで議論が噛み合わないのだ。

この2つのプレゼンテーションから「そもそも日本語が理解出来ない親もとに生まれた子供は日本語が理解できないまま大人になる」可能性が高いということがわかる。日本語が読めないの質は様々だがSNSの議論は「闇鍋」のようなものである。つまり自分が議論している相手が何が理解できていないのかがさっぱりわからない。

  1. そもそも単文が理解できない人がいる
  2. 単文が理解できても複文の理論構成が理解できない人がいる
  3. また複数段落の理論構成ができない人もいる
  4. 理論構成以前に主観と客観・意見と事実が区別できない人も混じっている

西村ひろゆき氏は「大学を卒業するような(普通の学力レベルの)人は主観と客観が理解できて当然だろう」と考えている。国語力調査でも日本語が読める人はこのテストは何らかの冗談か悪質な引っ掛け問題であると感じるようだ。つまり彼らは「書いてあるんだから当然読めるだろう」と期待し、相手が理解できないと「怠慢だ」と怒り出すことになる。

日本の中に本人が克服できない格差が生まれているということがわかる。学力テストは問題を把握しているが実際の教育現場にはフィードバックされない。あるいはフィードバックはされるが先生が忙しすぎて対応できないのかもしれない。

「日本語が読めない部族」と「日本語が読める部族」が分化し日本の強みであった国民皆教育という基盤が崩壊しつつある。

前回、今回の円高に起因する株安について書いた。このときに辛い状況に置かれている人は長い文章を読んでも苦痛を感じるだけだろうと考えて箇条書きを別に付けた。だがおそらくこれは無意味だったんだろうなあと感じた。

とにかく日本円を売ってメキシコペソを買ったりオルカンを買ったりすれば儲かると結論だけを覚えた人に「前提条件が変わった」と言っても無意味だ。例え箇条書きであっても日本語が読めない人にはなんの助けにもならない。むしろ彼らは文章の中の漢字やカタカナを拾い読みして余計混乱するだけであろう。

その意味では日本人に「投資」や「副業による所得確保」のような自己判断による生き残りを求めるのはもう無理なのかもしれない。「〜すれば確実に儲かる」以上の文章が理解できない人たちが大勢いるからである。

彼らはティッカーだらけの情報サイトを見て一喜一憂しヘッドラインだけをみて間違った意思決定を重ねてゆくのだろう。

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Comments

“噛み合わないSNSの議論 日本語が読めない日本人が増えているらしい” への3件のフィードバック

  1. 細長の野望のアバター
    細長の野望

    「大人は主観と客観を区別できるようになるべきだ」という主張は理解できます。しかし、それが区別できても噛み合う議論が出来るとは限らないと思います。ひろゆき氏のSNSでの発言を見るとそう思いますね。おそらく彼は「主観と客観を区別できる」人間だと思いますが、議論を意図的にずらして「論破」する人なので、彼に対して怒る人も多いのだなと思います。
    「日本語が読めない日本人」なのか「日本語が読めないふりをして議論を破壊する日本人」なのかの区別は難しいです。

    1. 議論や民主主義が成り立つためには「ともに社会をよくしよう」という意思が必要ですからね。石丸伸二さんもネット番組(経済系の番組を見ました)で見るときちんと相手の言う事を理解して議論をしてました。つまり技術はあるがインセンティブがないという世代がまず存在します。ところが議論がなくなることでそもそも議論の技術そのものが失われてしまうんですよね。この人たちはひろゆき氏の「それってあなたの感想ですよね」を流行語として捉えています。なので、段階を経るにしたがって状況は悪化していると思いますが、厳密にはこの2つは同じじゃないです。

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