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総選挙を先延ばしする岸田総理は自民党を崩壊させるだろう

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今日のテーマは「岸田総理は自民党を壊滅させるだろう」というものだ。ただしこれは立憲民主党が安定的な政権を形成するだろうと言う予想ではない。むしろ立憲民主党と維新は対消滅する可能性が高い。

つまり我々の選択肢は「このまま現在の政治状況が崩壊する」か「ダラダラと党派間の争いが続くか」ということになる。小選挙区でどちらの政党に投票するかには実はあまり意味がない。

壊滅・崩壊というとドキッとする人もいると思うのだが、何かが壊れれば次の体制が作られるはずだ。その意味では崩壊は早く急激に進んだほうが良いといえるのかもしれない。

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イギリスで総選挙が行われる。BBCの解説を読むとインフレが峠を越したタイミングに当たるそうだ。またイギリスでは「国民の意見を聞いてもらえていない」というフラストレーションが溜まっている。つまり選挙がないことじたいが一つの不満になっていた。選べないと人は不満を持つ。

スナク首相は「安定か変化か」というアジェンダを設定し雨の中で傘もささずに切々と「安定の大切さ」を訴えた。雨まで仕込んだとは思わないが実にしたたかな演出だった。

ところが岸田総理にはこのような総合判断ができない。また自分をどう見せれば国民の共感を呼ぶかもよくわかっておらずひたすらリーダーシップのある首相を演出したがる。

ではなぜ日本国民はなぜ総選挙を求めるのか。

必ずしも国民の間に言語化されたコンセンサスはないようだ。だがおそらく漠然とした政府運営への不満があるものと思われる。当初の不満は2つだった。国民が将来不安を持った状態で「それでも意見を聞いてくれない総理大臣」と言う印象が生まれた。

財政再建を優先するあまり将来の医療費負担と福祉の改悪という悪い未来予想を国民に広く植え付けた。

さらに、強いリーダーシップを強調するあまり岸田総理は国民の頭越しに防衛費の増額を決め増税と結びつけた。ここで「国民の意見を聞いてくれない総理」と言う印象が生まれた。さらに国民の反対をよそに健康保険証を廃止すると言い出したことでこの疑念は確信に変わった。

ところが話はこれだけでは終わらなかった。生活実感が徐々に苦しくなってゆく。実際に実質賃金が上がっておらず個人消費に翳りが見えている。ではこれは岸田総理のせいなのか。必ずしもそうは言い切れない。

実は日本経済には構造的な変化がいくつか起きている。日本は貿易輸出国ではなくなりつつあり円安メリットが得られない。さらに海外で始まったインフレが日本に波及しつつある。これが二極化を引き起こしている。

5月のロイター企業調査で、日本経済がデフレから脱却したかどうか尋ねたところ「すでに脱却している」が27%、「まだ脱却していない」が33%と、企業はデフレ脱却に確信を得られていない状況にあることが分かった。政府によるデフレ脱却宣言がなされた場合、物価・人件費などのコスト上昇を懸念する声が82%に上った。

実は「企業献金に過度に依存する自民党」はこの二極化の「結果」として生じている。地域経済が疲弊してゆく中で政治に依存する企業と地方政治家が増えているはずだが自民党は政治と金の流れを総括していないため現在の自民党国会議員が何に依存しているのかもどうしてこうなったのかも分析できていないはずである。

「自民党はやがて崩壊するだろう」と言う予想はつまり「自民党が寄って立つ経済モデル分析を行わない限り国民政党としては持続し得ないであろう」という意味だ。少なくとも輸出企業の儲けを国民や地方に再配分する政党としての自民党は存続し得なくなっている。そしてこれは総理大臣が誰であろうと起こる。つまり誰が悪いわけでもない。構造的な変化だ。

崩壊しつつある日本経済に最適化していた清和会を潰すと言うのが今回の政治改革の起点になっている。確かに清和会は崩壊したがそれに寄りかかるように存在していた旧竹下派も宏池会も新しい経済ビジョンを提示しない限り崩壊することになる。

岸田総理は既に新しいビジョンの設定に失敗している。「新しい資本主義」が彼の答案だったが誰もそれに納得する人はいなかった。仮にここで旧竹下派を率いる茂木氏が新しいビジョンを提示できなければおそらく自民党には代替提案はないだろうということが周知されることになるだろう。しかしこれは岸田総理が出馬しない状態で総裁選挙を行わない限り見えてこない。あるいは派閥以外のところで新しいビジョンを準備している人がいる可能性もある。

とはいえ旧派閥という意識は残るのだから(宏池会の解散式などには何の意味もない)オール自民党という体制も少なくとも岸田総理の元では作られないだろう。

では野党はどうか。立憲民主党は嫌がらせ政党に堕落した。今回立憲民主党は「パーティーの全面禁止」を掲げているようだ。自民党は企業献金に依存していてそこから脱却できないということがわかっている。自民党がそれにこだわれはこだわるほど無党派は「自民党はやはり国民でなく特定企業を向いている」というイメージを持つようになるだろう。つまり戦略としては必ずしも間違ってはいない。

しかし、これは立憲民主党が「反自民いやがらせ」政党だからこそ成り立つ戦略だ。既に立憲民主党の中に「自分はパーティーをやります」と宣言した幹部議員がいる。本気で廃止するつもりなどないのだ。

維新に至っては「自民党が負ければ公明党だけでは議員の頭数が足りなくなるであろう」という計算のもとに「自民党に閣外協力してもいい」と言い出した。党内からは反対の声が出ている。維新の病状は深刻だ。おそらく自民党中枢の人たちはもうばらまけないということがわかっているが、馬場代表はおそらくそれに気が付いていないのだろう。

安倍・清和会一強という時代が長かったので、全てはこの清和会とどう向き合うかが核になっていた。この核が壊れたことでそこに寄りかかってきた構造が全て倒れつつある。おそらく自立可能なのは明確な支持母体を持つ公明党と共産党だけだろう。

岸田総理の失敗は安倍総理の基本戦略である「何もしないで問題を先送りする」を継承してしまった点にある。つまり次の自民党総裁はこれに代わる新しいビジネスプランを提示しなければならない。この時に国民政党自民党という打ち出しを維持するのであれば、かつてあった「国民経済の復活」を提示する必要がある。

この時に問題になるのは肥大した医療・福祉をどう扱うかだろう。現在の皆保険・皆年金制度はもともと銃後の備え(つまり国家事業としての戦争)として作られ国民経済を背景に成長した。仮に今後「国民経済が成り立たない」とすればその前提が崩れてしまうことになる。

仮にもはやみんなが儲けられる道はないとするならばおそらくほぼ全ての政党は燃えてなくなる。その後はそれぞれの利益代表者が集まって部分的な連合を組むというヨーロッパ型の連立政権にならざるを得ないのかもしれない。国民経済がなくなるとすれば「無党派」という漠然とした塊も存続し得ないからだ。

現在の政治が国民に応えられないのは新しい構造に対応できないからだとすると、全部壊れてしまえば今の状況に合致した新しい体制が自ずと生まれるということになる。「これも何かの始まり」と考えると必ずしも悪いことでもないのかもしれない。

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