各社が「定額減税の減税額を給与明細に義務化」と伝えている。自民党・岸田政権も政権末期だなと感じた。だが「なぜ末期と感じるか」を説明するとそれなりの長さの文章になりそうである。
この「きまり」は省令だそうだがあくまでも政権延命を主眼としたものであり著しく公共性に欠ける。そしてそれは言語化されることはないまでもうっすらと国民に「ああ政府はここまで追い込まれているのだ」という印象を与えることになるだろう。
おそらく「罰則がないなら従わなくてもいいや」と考える企業も多いのではないか。
そもそもなぜ我々は「きまり」を守るのか。
それはきまりを守った方が自分達のためになると考えるからだ。「きまり」を破ると罰せられたり社会的な批判を浴びるからという理由で守る人もいるだろうし、高い志を持って「社会の秩序維持のためにはきまりは重要だ」と考える人もいるだろう。
この考え方は次第に自動化され「国は我々のことを考えてきちんとやってくれているのだからきまりは守った方が身のためだ」と感じるようになる。こうした道徳的な考え方はいつも正しいとは限らないのだが大抵の場合は社会をスムーズに運営するのに役立つ。政権は選挙で選ばれたから正統で正当というわけではない。欧米にはない考え方だが「徳」があるからこそ支持されるのである。
これが定着している間、つまり人々が政府の「徳」を信じている間はきまりを守らせるのに苦労しない。だがいったん疑念が生じると歯止めが効かなくなる。これが「徳」を失った状態だ。
今回の定額減税の減税額を給与明細に義務化するという方針はこの「きまりは守った方がいい」という我々の持っている既成概念をぶち壊しにする可能性がある。つまり行政府が持っている(あるいは崩壊寸前だったと考える人もいるだろうが)徳を破壊する。
- そもそも「明細の義務化」は選挙対策であり国民のためのものではないと感じる人が多い。
- 計算式が複雑なので「事務手続きの間違い」が懸念されている。
- システム改修の費用などがいっさい国から支給されない。
- きまりが作られたのが実施直前でありシステム改修・事務手続きの時間が確保できない。
真面目な国民性の日本人はまずは「国が決めたことなんだから」と守ろうとするだろう。だがあまりにも真面目すぎるために「もう対応できない」となると「だったらもういいや」となりかねない。
立法府は「きまり」を作ってそれを行政府に執行するようにと要請すればいい。だが今回は行政が省令で対応するようだ。
行政府に「徳」がなくても国家権力を使って強制力を働かせ秩序を守るという方法もある。
省令を出すと今度はその実効性を担保するために指導や監視を行う必要がある。具体的には明細書を差し出してもらい「定額減税が毎月きちんと明細化されているか」を監視することになるがおそらくそれは無理だろう。
もう一つのやり方に「見せしめ罰則」がある。すべての会社を管理できないのだから特定の違反企業を見つけて見せしめにするというやり方だ。だがそもそもが選挙対策なのだから「自民党の集票のために企業を見せしめにするのか」ということになりかねない。だからおそらく罰則はないだろう。
試しに野党議員の誰かが質問してみればいい。罰則がありますと答弁があった時点で見出しは炎上するはずである。徳を失った政治に天からの助けも人の共感もない。
今回「明細義務化」提案がどこから出たものなのかはよくわからない。だが、行政府が持っている秩序と規範を自ら破壊しているということになる。
国民の無関心を背景にして必ずしも「政権を打倒したい」というような強烈な運動は起こってない。だが、政府自らが統治の妥当性を否定するような動きに出ている上に「これは少し考え直した方がいいのでは?」などという人もいなくなっているようだ。
これまでのような熱い政権崩壊ではなく冷ややかな政権崩壊というユニークさはある。だが、これまでの政権崩壊と同じように一旦始まってしまうとそれを収束させるのはなかなか難しくなってしまうだろう。