イスラエルの国連大使が国連憲章をシュレッダーにかけるパフォーマンスを行った。直接の原因はパレスチナの国連加盟を求める総会決議への反対表明だ。だがこの強い苛立ちの背景にはアメリカ合衆国の煮え切らない態度があるものと思われる。イスラエル政府はアメリカに当たり散らす代わりに国連で逆ギレしてみせた。
なぜこんなことになったのか。かつてアメリカは世界にルールやスタンダードを設定する側だった。だからアメリカは覇権国家と言われた。ところが現在のアメリカは実情に合わせてスタンダードを変化させようとしている。だが変化に対応できるほど柔軟ではない。
するとなぜアメリカはスタンダードを提示できなくなったのかということが気になる。調べてみた。
もちろん、今回の件についてイスラエルにも原因はある。そもそも最初に仕掛けたハマスが悪いと指摘する人もいるだろう。だが、それでもイスラエルはアメリカの支援なしには自国防衛ができない国なのだからアメリカが基準を示せばどちらかに落ち着くことだろう。
イスラエルに絶対的な支援を約束するか民主主義の守護者としてイスラエルへの支援を打ち切れば良い。つまりどちらかに決めれば良いのだ。良いことか悪いことかを気にすることはない。覇権国家が決めたことが「良いこと」になる。
ところがバイデン政権はイスラエルから送られてくるメッセージをさまざまに解釈しアメリカの基準を操作するようになった。
国務省は「おそらくイスラエルでは国際人道法違反にあたるようなことが行われている」としながらも「材料が揃わないので認定まではできない」という報告書を提出した。このためイスラエルの戦時内閣は「限定的なラファ侵攻」を続けている。バイデン大統領が「全面侵攻は容認しない」と宣言しているためである。単なる言葉遊びの類であり結果的にアメリカ合衆国はイスラエルのパレスチナ全域での人道犯罪を許容したことになってしまった。
ではなぜアメリカは明確なメッセージが送れないのか。バイデン政権が弱腰なのか。
リーマンショックによって多くのアメリカの中流階級が仕事を突然失うなどの悲劇に見舞われた。中間層は「ある日自分達が積み上げてきたものが突然壊れてしまうかもしれない」というトラウマを経験した人も多かった。では「リーマンショック」が没落の原因なのか。
実はアメリカ合衆国では50年にわたり格差が拡大し続けている。具体的にはワーキングクラスと呼ばれる働く階層が縮小しそれが資産家に転移するという構造がある。一方で低所得層の取り分はそれほど変わっていない。ピューリサーチセンターが調査している。
中間所得層の数はそれほど減っているとは思えない。1971年は61%が中間所得層だったが2021年には50%になっている。変化としてはわずかだ。むしろ不安の方が大きかったのかもしれない。リーマンショック後に政権を獲得したオバマ大統領は低所得の人たちの債務を整理したり支援をしたりした。しかしながら格差の拡大と所得の転移はおさまらなかった。また、低所得の人たちの負債を政府に転移させることはできたが富裕層に応分の負担を求めることもやらなかった。
オバマ政権の次のトランプ政権は中間所得層の不満を外に転移させることに成功した。富裕層には負担を求めず「中間層が没落したのは不法移民と左翼社会主義者のせいである」として分断を煽ったのである。白人を中心とした中間所得層はこの物語に強く共感した。今でも白人は差別されていると感じている人が大勢いてトランプ支持の大きな原動力になっている。
しかしトランプ氏の説明にはさすがに無理がある。そこでビジネスマンの中には「(自分のように)良いビジネスマンもいるが左派社会主義者と組んで国を滅ぼそうとしているディプステートと呼ばれる人たちがいる」という物語が提示された。滅ぼされるべきはディプステートであって自分達のような良いビジネスマンではないということだ。この物語が共感されやすいのは搾取されている中間所得層が「いつかは自分も美しいがわの世界に行けるかもしれない」という望みを持ち続けることができるからである。搾取される中間層もまた美しい物語にしがみついている。
合衆国政府が低所得者・中間所得者の負債をかなり軽減させたことで今のアメリカは高金利に強い状況になっている。ところが実際には再び家計の負担は再び増え始めている。Bloombergの記事の最後にあるグラフを見るとわかりやすい。まず、2008年ごろにピークがある。家を買うためのローンがかなりの割合を占めていた。ここから政府への転移が始まり家計の借金は急激に減ってゆく。さらにコロナ禍でさらに負担が減った。バイデン政権が各種補助金を潤沢に供給したためと思われる。これが2022年ごろだった。
ところがここから急激なインフレが始まっている。悪いインフレは供給制約(エネルギーと労働力)と過剰な信用供給によって引き起こされる。さらに、そこからさらに家計の借金が増え始めた。リーマンショック以前の状態よりは低い状態が続いているがやはりアメリカ人には「豊かになっていつかは富裕層になりたい」という人が多いのだろう。
バイデン政権は富裕層から離反されるような政策を打ち出すことはできない。富裕層にはユダヤ系が多いことからイスラエルを見離せない。とはいえ学生など社会階層を上昇したい人たちはそもそも最初から多額の借金を背負っているうえに「頑張って勉強をして社会に出たからといって親世代のような安定した仕事は見つけられないかもしれない」という不満も抱えている。だがやはり「消費は善」というアメリカ社会に育っているため消費意欲は旺盛だ。
全米の大学で起きた反イスラエル・親パレスチナの抗議運動には人種間対立という構図があるがそればかりではない。実はアメリカの大学は富裕層から多額の献金を受けている。この富裕層に対する反発を持っている人たちが大勢いて「寄付金の透明化」を求める声がある。
まとめると次のようになる。かつてのアメリカ合衆国は多数派を占める中間層の価値観を提示することで同盟国に確固たるスタンダードを示してきた。ところが中間層が揺らいでしまったために明確なスタンダードが示せなくなった。富裕層と一般国民を同時に満足させるような物語が提供できない。これがアメリカの国際的地位を低下させる要因の一つになっている。
国連総会ではパレスチナの加盟を要求する決議が行われたがアメリカは安保理において何度でもパレスチナの国家承認をブロックするものと考えられている。おそらくこの姿勢は国際的な批判の対象になるだろうが、アメリカ国内にあるうっすらとした富裕層に対する敵意を増幅させることにもなるだろう。