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中空構造 日本の政治家が公職選挙法を変えられないワケ

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先日Xで「なぜ公職選挙法を変えられないのか?」という疑問を見つけた。日本人がこの手のルールを変えられないというのは当たり前のことなのだが、反応をいただいたので整理しておくことにする。「昭和の常識」として今はもう忘れられているのかもしれない。

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1980年第二「中空構造日本の深層」という本が出版された。書いたのは河合隼雄という心理学者だ。松岡正剛の千夜千冊に書評がある。この千夜千冊にロラン・バルトが引き合いに出されている。ロラン・バルトも「表徴の帝国」で東京の中心には何もない空間(皇居のこと)があると看破している。

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例えば日本人は神社で拝むが「中に何があるのか」に興味を持つ人は多くない。実は何もなく鏡が置いてあり人は自分の姿を見ている。つまり自分自身を拝んでいる。さらに神社には教典がない。つまり日本人は何も信じるものがないという特異な宗教を信仰している。このように「表徴の帝国」にいう「表徴」は徹底的な意味の排除である。

政治権力においてこれを具現化した存在が天皇である。天皇は元々日本の土地の所有権を全て持った権力者だった。この制度を「公地公民制度」という。つまり天皇こそが「公」だった。

だがこれは少しおかしい。

一人の人間(私)である天皇が「公」になれるはずはない。このため日本の天皇は徹底的に権力から遠ざけられていた。それどころかあらゆる穢れから遠ざけられ太陽に当たることすら許されない存在となった。これは「意味」を徹底的に排除するというロラン・バルトの指摘に整合する。ちなみにこの表徴から「聖性」を取り除いたのがGHQが作った現行憲法である。「聖性」があるとそれが利用されかねないと考えたのだろう。「象徴」という言葉に置き換えれて現在の憲法に組み込まれているが、アメリカ人はそこに何らなかの根拠が必要であると誤解してしまい「国民の総意による信認」を置いた。だが、日本中どこを探しても国民の総意の実態などを見つけることはできない。

ではこれがなぜ公職選挙法と関係するのか。

日本人は「中央に何もないこと(虚・NULL)」をおくことで周囲を安定させた。藤原氏から始まり鎌倉・足利・徳川などの幕府を作った人たちは土地の管理権を中心とした身分序列を全く権限がなくなった天皇から分けてもらうという形で日本の統治を進めることになる。この過程で日本人は自分達仲間で話し合って序列を作るという力を失っていった。

例えば今回の公職選挙法の問題はこのように構造化することができる。

日本の選挙制度は選挙カーや戸別訪問の規制によって選挙を一般有権者から遠ざけてきた。しかしながら分配ができなくなると「自分達は政治とは関係がない」という冷笑的な人たちが増えてゆく。YouTubeなどのSNSが台頭するとこうした人たちが政治に冷笑的な圧力をかけるようになると同時に選挙を使ったお金儲けを始める。

政治が力を取り戻すためには政治家たちが協力して再び政治と有権者のつながり(エンゲージメント)を高めるべきだろう。

しかし自己統治ができない日本人はこの取り組みが始められない。例えば、政治と金の問題で自民党は疑心暗鬼に駆られている。

  • 企業献金をなくしてしまうと連合などの団体に支られている野党に有利になるかもしれないと考えるため企業献金については触れたくない。
  • 政治資金の流れが透明化されると自分達の派閥がライバルたちを出し抜こうと行ってきた数々のあくどい工作が白日の元にさらされるためこれも実行できない。
  • 会計の責任を連座制にすると今まで犠牲を強いてきた秘書や会計責任者が自分達を陥れようとするかもしれないから連座制に踏み切れない。

このように政治家たちは冷笑化する有権者よりも自分達のスタッフやライバルを脅威と感じて身動きが取れない状態にある。こうして日本の政治は日々「誰も中央に置かない」ための無為な努力を続け、メディアはこの様子を連日のように政治報道の本質として伝えている。もちろん有権者も国政の主役にはなれない。国民にできることはSNSで日々政治を監視し政治家を世論によって縛り上げることだけだ。

さらに冷笑的な政治集団が実際に自分達に襲いかかってきても玉木雄一郎代表のように「どうか自分達の候補に1票を入れてください」と主張したり、音喜多駿氏のように(左派リベラルを支えてきたような市民団体を指して)札幌が全ての原因になっていると主張してしまう。

日本人が自浄作用をはたらせるのは実は非常に簡単である。一旦休戦をして自分達全体(つまり「公」)にとって何がベネフィットになるかを考えればいいのだ。簡単なことだ。だがその簡単なことが日本人にはできない。

さらにここからなぜ日本人が現代日本の統治原理である憲法改正を実現できないかもわかる。

日本人は憲法の意味を骨抜きにすること(中空化)は得意だが、決して統治原理そのものを変更するために協力することはできない。

このように日本人が考える「公」は意味(統治権限)がない虚であり、公について語る人はこの「虚」が持つ神聖な力を利用して相手から搾取したい人たちである。このような人たちが憲法を本気で考えるとあの悪夢のような自民党の憲法草案が出来上がる。

中空理論は「なぜ日本がそうなったのか」は説明できないもののさまざまな現象を説明する上では非常に有効だ。

今回意外だったのは昭和ではある程度常識化していたこの中空構造があまり語られなくなっているという点だった。あまり語られなくなってはいるが、昨今の政治言論を見ている限り今もまだこの「決して権力構造の確信に触れることができない」というある種の呪いのような状態に自らを進んで差し出していることがわかる。

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