つくづく恐ろしい時代になったものだと感じる。
かつて日米同盟が持っていた力は完全に失われた。支持率向上を狙って魔力にあやかろうとした岸田総理だが、「国賓待遇」という事実とは異なる説明をしたことが逆効果になりつつある。空港に出迎えたのがエマニュエル駐日大使だけだったこともありアメリカ側の待遇が必ずしも良いものではないということが露呈してしまったのだ。
官邸のSNS投稿には歩くATMやカモネギといった言葉が溢れている。またテレビも「支持率の低い総理が何しに行ったのだろう」と冷めた見方に終始していた。英語でスピーチを準備していることも冷ややかに伝えられ「パフォーマンスで支持率が回復するほど甘くない」という批判も見られる。
アメリカ合衆国はかつてのような超大国とは見做されなくなっており日米同盟の存在感も低下している。そんな中で日本共産党の志位委員長だけが日米同盟の深化に反対し続けている。日本を支配する絶対的な存在と感じているからこそ敵愾心を燃やし続けている。だが、おそらく現代人には既に理解不能なメンタリティだろう。
なおタイトルの「完全崩壊」は「はい論破」や「エビデンスはあるんですか」のようなネットスラングである。この言葉を使った意味は文章の最後に説明する。
マスコミによると岸田総理大臣は「国賓待遇」で訪米中ということになっている。安倍政権時代まで日本ではアメリカとの関係が盤石になれば支持率が向上するはずだと思われていた。だがどうも様子がおかしい。
第一に「国賓待遇」という表現はSNSでは既に「嘘」扱いされている。アメリカでは単なる訪問と表現されているという情報に直接触れることができる。また、空港に出迎えたのはエマニュエル駐日大使だけだったなどと指摘されている。事前に国賓待遇ですよと強調したために却って「何だこの程度なのか」ということになってしまった。
また自衛隊の米軍との統合やAUKUSへの参加が明らかになるにつれてアメリカと日本の格の違いも意識されるようになった。アメリカ大統領が来日する際には米軍基地に降り立つのが通例になっている。これは日本が占領された当時の国家の格の関係が維持されていることを表す。自国が統治できない地域から入ってくるアメリカの大統領を恭しく出迎えるのは大臣級の人たちである。一方で日本側のカウンターパートは地域本社レベルにすぎない。世界を地域本社に分割して管理しているアメリカにとって日本は格下の地域本社のパートナーでありアメリカ本国ではない。
岸田総理が対等なパートナーシップとリーダーシップを強調すればするほどそのチグハグさが強調されてしまう。むしろ日本人が見たくないと考えている大国からの凋落が印象付けられてしまうのだ。
このため、ワイドショーの見方も極めて冷淡だ。彼らが見たいのは世界で活躍する大谷翔平選手であり冷遇されている岸田総理ではない。
TBSの「ひるおび」では政権擁護のポジションをとる傾向が強い田崎史郎氏が「そもそも岸田さんは信頼されていないですからねえ」とバッサリと訪米を斬っていた。取材源としての政権は擁護するが「もう終わり」とみなした人にに対する評価は極めて冷たい人だ。そのほかのコメンテータたちも「この2名(岸田氏とバイデン氏)がこの先も指導者であるかどうかはわからないですからね」などといっていた。例えば今回は日本製鉄のUSスチールの買収問題は議題に上がらないものと見られている。相手が聞きたくないことはそもそも言わない方針なのである。対等なパートナーではない。
テレビ朝日でもメジャートピックは「バイデン大統領のスピーチライターを雇って英語のスピーチの練習をしている」というものだった。こちらでも田崎史郎氏は政権代表として重用されている。田崎氏はスピーチも訪米もたんなるパフォーマンス(発表会)と看破している。
「岸田総理の周辺は、支持率アップにつながればという期待感がある。だからといって、これで支持率アップにつながるかといったら、僕はそんなに簡単じゃないと思うんだけれども。岸田総理への不信感は、国民に染み付いたものがある。何か外交のパフォーマンスで塗り替えることは、難しいと思う」
第一にアメリカは日本のATMとして利用されているという表現が多い。中にはカモがネギを背負っているイラストな土を使う人もいて「お金目当ての訪問である」という認識の人が多いようだ。日米同盟が日本の命運を決めるというかつてあった真剣な評価は減りつつあり代わりに「せいぜいカモられないように頑張ってください」という冷ややかなものが多い。
日米同盟への期待感が薄らいでくると当然そのカウンターも力を失う。「対米従属外交」という評価は減りつつあるようだ。いわゆる左派リベラルというカテゴリーの人たちがSNSでは死に耐えつつあることがわかる。平成・令和期には「左派性を出すと嫌われる」という認識が広がったため、そもそも左派的なポジションをとる人も減っているようだ。
逆にエマニュエル駐日大使が民主党の価値観(人権重視)を押し出すことが「左派的である」として嫌われている。岸田総理は「財務省の手先」という評価があるが同じように「人権派の手先=リベラル」という評価がある。もはや保守がアメリカを支援するという構図はない。
これまでの東西冷戦を背景とした右派・左派という構図は漠然と残っているもののその実態はまるで煙のようにあやふやなものになっている。岸田総理もエマニュエル駐日大使も「左派的」とみられておりこれまでの政治的理解がまるで成り立たない。
政治にあまり興味がない人たちの感覚も煙のようになっている。読売新聞のアンケートを読むと「中国の台頭を背景に我が国の安全保障について懸念を示している人が多い」ことになっている。だから日米同盟を支え負担を受け入れましょうと読売新聞は言いたいのだろう。
だが、実際の反応を見るとどうもそうではないようだ。不安を感じているなら負担を増やす議論をすべきだが負担について聞かれると「それには反対だ」という人が増える。つまり何となく不安なだけで、実際の脅威についてさほど真剣に考えているわけではない。おそらく有権者は「では具体的にはどうすればいいと思いますか?」と聞かれれば「さあ私には難しいことはわかりません」「負担はしたくありません」というだろう。
そもそも「真実」や「事実」に対する扱い方も変わってきている。
冒頭に使った「完全崩壊」や「論破」という言葉をネットでよく目にするようになった。かつてはとても屈辱的な言葉だった。事実が重んじられていたからだ。だが、最近ではそうでもなくなっている。これは物事を真剣に捉えた用語ではない。むしろ自分にはあまり関係がない物事を受け流す(スルー)するために使われる言葉になっている。嫌な情報は風のように流してしまえばなかったことになる。
アメリカに対する畏怖心も信頼も薄れておりなおかつ日本が地域大国という自負も消えている。むしろ自国の地位の凋落について真剣に考えると「自分が惨めになる」と考える人も多いだろう。今回の訪米も地域大国から凋落した日本のありのままの姿でありできれば見たくないという人が多いはずだ。経済大国だった時代の日本はアメリカの貿易摩擦批判と真剣に戦っていた。
依然自分達を大きく見せたいという願望は空気のようにふわふわと残っている。代わりに持て囃されるようになったのが「世界で活躍する大谷翔平選手」である。ワイドショーはしがみつくように大谷報道を扱い続けている。ついに「速報 大谷選手が水谷一平通訳の不在について語る!」という報道がトップに来るようになった。だが扱い方はむしろ環境音楽のようなものだ。つまり「何となくアガる気分になるニュース」を浴びたいと人々は感じているのだ。
さらに中国や韓国など日本人が「下」に見ている国が今回の動きに反発すると、ようやくそれが話題になる。かつて彼らが見下していた国について語るのはいまだに心地がいいのかもしれない。時々、昔使っていた自分の匂いが染み付いた安全毛布が欲しくなる。
そんななか、日本共産党だけが昔ながらの「自民党は新しい戦前に向けてまっしぐらだ!」という姿勢を貫いており、むしろ伝統芸として国で保護すべきなのではないかという気さえする。日本共産党だけはアメリカ合衆国を打倒すべき帝国と考えていることがわかる。
と同時に日本共産党が支持されなくなった理由もわかる。見たいものと見たくないものが混在する現代社会において情報はふわふわと流れてゆくべきものである。だが、日本共産党はそこから固定した理論を抜き出そうとしている。絶対に変わらない真実があるはずという姿勢そのものが受け入れられなくなりつつあることがわかる。
時代は大きく変わっている。