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大阪は日本型ポピュリズム社会実験中 維新の改革で半数の公立高校が統廃合の危機に

大阪は日本型ポピュリズムの実験室だ。そんな大阪で半数の公立高校が統廃合の危機にある。民意で選ばれた政策の結果なので「選挙による選択」といえるが大阪府庁では激震が走っているそうだ。なぜそうなったのか。わかりやすく落ち着いて解説してゆく。

わかりやすい選挙の結果なので維新を罵倒して疲弊する必要などない。

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産経新聞が「「これほどとは…」公立高で70校の定員割れ 激震の大阪府教育庁、私学無償化策の波紋」という記事を書いてる。SNSのXでも評判になった記事なので既に読んだという人も多いのではないだろうか。

  • 府内の公立高校の約半数に当たる70校が定員割れとなった
  • 3年定員割れになると統廃合の検討対象となるため府庁では激震が走っている
  • 教育無償化により私立高校へ行きたい人が増えた結果と考えられている

ではなぜこんなことになったのか。

大阪は米の集積地だっった。商人の力が強く民間主導で繊維産業が造られた。繊維を扱う商社が発展すると同時に製造業の技術はやがて家電に波及してゆく。

ところが繊維産業の中間工程が中国に流出すると繊維産業全体が崩壊した。さらに少子高齢化や節約志向などによって国内の家電産業が成り立たなくなり中国・台湾・韓国などのメーカーに置き換わってゆく。こうして大阪は没落していった。自動車産業はリーマンショックなどを乗り越えたため名古屋はこの没落を(今の所はだが)免れた。

この状況に対処するためには「稼ぐ力を回復させ」「節約や効率化も推進する」必要がある。ところが、バブル崩壊後の日本では「稼ぐ力を回復させる」議論は行われず人件費削減だけが経営効率化の処方箋と考えられるようになった。もともと再構築を意味するリストラが人員削減と非正規雇用への置き換えを意味するようになったのはそのためである。この過度な効率化思考を「デフレマインド」と呼んでいるが本来は経済用語の使用を避け「縮み思考」などと表現すべきだった。

維新はこうしたデフレマインド(縮み思考)を背景にして生まれた政党だ。既存の公共インフラを無駄なものだと考えている。だが国民もまたデフレマインドが支配的だった背景にした時代しか知らなおため若年層ほど維新を熱心に応援する傾向にある。

一方で「稼ぐ力」に関しての知見は驚くほど貧弱である。そもそも国が儲けるためのインフラ作りをしていた時代を知らないためだ。埋立地にカジノを誘致しインフラ整備に国の資金を注ぎ込めば土地が高く売れるのではないかという発想が生まれた。1970年代の日本列島改造計画にバブル期のスキーリゾート計画を混ぜたような計画だった。

この需要喚起策はおそらくデフレ時代であればある程度の意味を持ったのかもしれない。だがアメリカで信用過剰供給が起きる一方で世界の供給網は不安定化するようになった。これは悪性インフレの発生要件である。日本では少子高齢化による労働力供給の制約が起きる。つまり建設業者の人手が足りなくなり資材も高騰した。時代はデフレからインフレに転換していたのである。

庶民感覚で政治を批判している人たちの何人かにこの話をぶつけてみたのだが理解できた人はいなかった。日本人はマクロ経済的な構造には興味がないようだ。政権批判に忙しく理解できないトピックはスルーされる。

もともと立地に無理があったこともあり(地盤地下が深刻でメタンガスが噴出し引火事故も起きている)計画は破綻しかけているが、おそらく維新の執行部は構造的な問題を総括できていないしおそらくそのつもりもない。そもそも日本人が経済の俯瞰に興味がないと考えると維新が何も総括しない理由が説明できる。

維新は選挙資金を候補者に提供しない政党なので議員には実業出身の経営者も多いと聞く。つまり経営者目線は持っているはずだ。ところが維新のいう「経営」とは国の仕組みをうまく利用して稼ぐというような感覚である。奈良県五條市では知事と地元議員がメガソーラー計画で揉めているがこれも「公有地を使って売電で儲ければいいのではないか」という庶民的実業感情に基づいたものだろう。

逆に和歌山県のような産業のない地域では「土建産業を儲けさせるために地震の備えという理由で簡単な仕事をばらまく」という政治が行われている。これが二階俊博元幹事長の力の源泉になっており自民党の縄張りということになっている。地震の備えは結構だがそれが国家的な収入を生むことはない。

国全体の収益構造をアップさせる仕組みは誰か偉い人が考えるであろうというのが庶民感覚である。

仮に国家的経営という視線があれば「地域の根幹人材を支えるために教育行政はどうあるべきか」と発想していたはずだが、今回の場当たり的な教育無償化とその帰結の議論を呼んでもそうした声は全く聞かれない。だから府庁は単に「激震が走っただけ」で慌てている。つまりプランがないのだ。

中南米のポピュリズム政治はお祭り騒ぎのバラマキが特徴だが日本のポピュリズムにはそのような雰囲気はない。有権者はおそらく「賢い選択」をしていると自覚しているだろう。ただその賢さは「大きな構造について考えても仕方がない」「生まれた時から成長などしていないのだからその範囲でなんとかするしかない」という限定的な経験に基づいている。生まれた時から収入は伸びていないのだからその中で生き残るためには無駄な支出をできるだけ減らしてゆかなければならない。

いずれにせよ、これは選挙の結果なので粛々と受け入れるべきということになる。大騒ぎしていまさら「維新が悪い」と言ってみたところで単に疲れるだけである。構造を整理しそれを他人と共有すれば未来に生かすことができるのだろうが、それも嫌なら諦めて受け入れるしかない。

なお今回は大阪だけの問題なので大阪以外の人は「ふーんそうなのか」で済ませることができる。大阪の自己責任だと突き放すのもいいだろう。

ただこれが国政に及ぶと話は別だ。維新の改革にはセーフティネット改革案も含まれている。維新の政策だから全部ダメというのも考えものだが「壊した後はどうするんですか?」ということだけは聞いておいたほうがいいと思う。おそらく後になって「考えてませんでした」となる可能性が高い。そもそも今の日本の政治には国家経営戦略的名前のついたプランこそ乱立気味だが、戦略そのものに興味がある政治家がいない。国全体から経営的思考が失われつつあるのである。大阪の事例はそれをわかりやすく具現化しているに過ぎない。

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