- 1960年の安保改正を目前にアメリカ側が日本側に核持ち込みを容認するように求めてきた。
- 日本側が密約によってアメリカの依頼に応じていたことがアメリカ側の行政文書で分かった。
- 政府は核密約に対して曖昧な態度を取り続けているが逆に非核三原則解除の議論もなかったことにされている。
- 周辺国で核兵器の脅威が高まる中、この問題は「部屋の中の象」になってしまっており、我が国の安全保障を語る上で大きな弊害になっている。
共同通信が「核密約、米側意図を了承 日本政府、圧力かわせず」という記事を配信した。1960年安保改定を前に核の持ち込みを容認し検査しないように米軍から日本に求められたもので日本がそれに応じていたことがわかった。
これまで核密約は存在が噂されていたものの政府はその存在を明らかにしてこなかった。民主党政権下でも調査されたが外務省が存在を明らかにすることはなかった。共同通信の調べては外務省幹部が極秘に密約を引き継いでいたことがわかっている。つまり、政府・政権が変わってもその存在が正直に明かされることはなかったということになる。
国民は直接政治に関与することはできないので選挙によって政権を選ぶ。が、外務省幹部たちはその政権の求めに対して曖昧な発言を繰り返しており密約は民主主義の根幹に関わる大きな問題であると言える。
日本とアメリカの関係は戦後に生じた歪さを克服できていない。日本が独立する際に米軍は日米合同委員会が作られ外交ルートによらず直接要求を伝えることができるようになっている。つまり日本には日本政府=アメリカ国務省とは別に日本政府=米軍という二つの交渉ルートがあるという不健全な状態が続く。
しかしながら日本人には「そうはいってもこれまで通りに米軍に守ってもらった方が安上がりである」という気持ちがあり、考えるのが面倒な核密約の存在はなかったことにしたいと考える人が多いのではないかと思う。
ただしこの「なかったことにしたい」という気持ちは反対側にも作用している。
例えば、高市早苗氏は総裁選などで「アメリカのミサイルを日本に配備すべきだ」などと主張している。中国・ロシア・北朝鮮が核兵器への依存度を高めているためアメリカの核の傘をより強固なものにすべきだという議論だ。我が国の安全保障を考えるとやはり考えないわけにはいかない問題だ。
だが、皮肉なことにこの議論も日本ではなかったことにされることが多い。
岸信介総理大臣のもとで曖昧な密約を結んでしまったことで、非核三原則をめぐる議論は「みんなそれがあることに気がついているのに気がつかないふりをする」という異様なものになっている。
これを「部屋の中の像」という。ただしこの部屋の中の像は極めて滑稽だ。日本側は頑なにその存在を認めていないが、アメリカの公文書を見ればそこにきちんと記録として残っているのである。