ざっくり解説 時々深掘り

いつのまにか植民地化した日本の国内経済 賃金上昇に大きな格差

日本経済を見ていて「なぜ誰も暴動を起こさないのか」と思うことがある。意外とこの国の統治はうまくいっているのかもしれない。働いても働いても報われないと思っている人が多いはずだが置かれている状況を変えようとまで思う人は多くない。あるいはインドのカースト制度のように「生まれ持ったカルマのせいだ」と運命を受容している人が多いのかもしれない。「自己責任」とは便利な言葉である。

日本はデフレから脱却しインフレ状態に入った。このため低成長時代には目立たなかった国内格差が誰の目にも明らかなものになりつつある。これを誤魔化すのが今の政治に課せられたミッションになっている。政府が説明をすればするほど国民が混乱するのはそのためである。

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共同通信が「中小、大手との賃金差額が3倍に 春闘、13日が集中回答日」という記事を出している。なかなか思いきった素材を提供したなと感じる。

産業別労働組合が中小の製造業と大企業を比べている。50代には顕著な差はないが30代の賃金の伸びには大きな差がある。これが「3倍」の根拠である。大企業は徐々に賃金が上昇しているが中小企業は伸びていない。JAMはこれを「デフレ経済では大企業が下請けに高い負担を強いてきた」からだとしている。結果的に犠牲になっているのはこれからの日本経済を支えるであろう中堅どころの労働者たちである。

日本の製造業はバブル崩壊以降少子高齢化で伸び悩む国内市場に見切りをつけて海外に生産拠点を移している。売上の多くは海外市場に依存しており投資も海外に行なわれる。国家としては債権成熟国入りしたが国内産業と市場がその恩恵を受け取ることはない。

ここまではこれまでの議論で観察してきた。

今回の小さなエピソードはこの「二部制経済仮説」に新しい視点を加える。海外事業を展開しているのかあるいは国内市場に向いているのかはよくわからない。だが企業が収益を上げるためには出来るだけコストを下げなければならないという気持ちは引き続き強く働いているのだろう。そのコストを中小企業に押し付けているということがわかる。おそらくこの構造はデフレを抜けても続くのではないかと思う。

分かりやすく「植民地構造」と書いているが、別に外国に支配されているというわけではない。日本人が日本人を搾取するという構造になっている。一部経済が二部経済を搾取している。だがこれまではその構造が明らかになることはなかった。理由は3つある。

  • 低成長のため差分が目立たなかった。
  • さらに安倍政権はアベノミクスを使い負担の議論を先送りしていた。

コロナ禍とウクライナショックをきっかけに生じたインフレはこの2つの前提条件を破壊した。岸田総理の役割はこの状況変化をどう国民に納得させるかにある。

また固定概念をなかなか変えることができないという事情もある。

  • 日本経済は1つであるという信じ込みがある。

これは高度経済成長期が国内で一律に進んだことで生まれた刷り込みだ。日本経済は国家統制の計画経済だった時期が長かったため高度経済成長も「計画」であるように説明されていた。

植民地的経済による「搾取」という言葉に過敏に反応するのは搾取されている側ではなく搾取されている側だろう。身分性があるわけではなく個人の選択の結果として「所属先」が決まってしまうため認めたくないという人が多いはずだ。自己責任によって置かれる場所が変わるという神話は支配には好都合である。

NHKの報道は満額回答が続く大企業を横目に中小企業には恩恵が行き渡っていない点までは認めている。だが心理的な障壁があり「働く人の「納得感」を伴った賃上げが実現できるかどうかが、今後も課題となりそうです。」とまとめてしまっている。

搾取する側はむしろ「そんなことは当然だ」と考えるようになる。身分制社会ではよくあることだ。インドの場合はこれが発展し「遅れた民族は前世で悪いことをしたのだろうから支配されて当然だ」というカースト制度に発展している。

日経新聞は少子化対策について社説で「負担増の議論から逃げるな」と言っている。中には「負担増の議論から逃げるのは亡国の発想である」と主張する記事まであるのだが決して「企業が応分の負担をすべきだ」という人はいない。彼らは日本経済を支えているのだから恩恵を受けるのは当然である。面倒な負担の議論は恩恵を受ける人たちの間では勝手に話し合えばいいというのが彼らの視点である。

これまでの政府批判は「あなたたちは搾取されています、立ち上がりなさい」と煽り立てるようなものが多かった。ところがそのメッセージには大抵続きがある。「運動には時間とお金がかかります。まずは新聞(という名前の政治パンフレット)を買って我々の政治運動を支えなさい」となる。つまり多くの解放運動は搾取されている人を別の搾取に転移させているに過ぎない。そもそも奴隷の家に行って「あなたたちは搾取されていますからどこかにお逃げなさい」と言ったところで、彼らがそれを理解することはないのだろうし逃げたとしても自立して生活することはできないだろう。別の構造に依存するだけである。

むしろ重要なのはこの一部経済・二部経済という構造が誰の目にも明らかになりつつあるという点にある。このため政治のメッセージが混乱している。

政治家は大企業や既得権益層(つまり主に高齢者のことだ)に代わって国民の説得を託された。この要請に応えるべく岸田総理は「実質的な負担増はない」という幻のスキームを発明した。だが所詮は負担増議論なので「詳細については後日検討します」とごまかし続けている。国民民主党の玉木代表はこの議論がわかっていて「岸田総理は隠さずに国民負担の議論をすべきだ」と言っている。一方で事情がよくわかっていない維新は「全部老人に押し付けてしまえばいいのだ」として議論をかき混ぜている。読売新聞はこう書いている。

支援金制度の創設を盛り込んだ「子ども・子育て支援法などの改正案」は月内に衆院で審議入りする見通しだ。岸田首相は国会の質疑で野党議員の要求を受け、審議入り前に具体的な制度設計を示す考えを示したが、全容は明らかになっていない。

この説明に行き詰まった時に都合よく出てきたのが「政治とカネ」の問題だ。岸田政権の支持率は下げ止まった。だが安倍派・清和会を表に出したことで自民党全体の支持率が落ちている。このまま財源論に突入すると火だるまになりかねなかった岸田総理はこのポップアップイベントを使って炎を別のところに移すことに成功したが今度は自民党が焼け落ちそうになっている。比較的穏健なNHKでさえ自民党の支持率は20%台(それでも3割近い数字ではあるが)に落ちている。自民党の党員は3%減少したそうだ。岸田総理は火事の中で自分を守るために防火服を着て火の粉を周りに振り撒いている。迷惑な話である。

金融経済の説明もすでに破綻しかけている。インフレの恩恵を受けて成長を始めたセクターと恩恵が受けられていないセクターがある。日銀は産業構造までは変えられないのでこの状況をどうすることもできないが従来の経済政策からは脱却したい。

植田総裁は「足元には弱い数字も見られる」とはしているものの「全体の状況はよくなっている」と言っている。ただしその表現は年初よりも後退したものとなった。植田総裁は二部経済を取るかそれを切り捨てて一部経済を優先するかの判断を迫られている。その結果は18日・19日の会合の後にでてくることになるだろう。

鈴木財務大臣に至っては日銀総裁が「今はインフレ状態にある」と宣言しているにもかかわらず「デフレから脱却したとまでは認識していない」と言っている。岸田政権は一部経済に支えられているが選挙のために数に勝る二部経済を意識していることがわかる。国内経済を切り捨ててきましたとも言えないのだから「千載一遇のチャンスではあるがまだまだ油断はできない」としか説明ができない。

アメリカの政治もかつてはこのような状態にあった。大統領選挙で勝つためには大口献金をあ集めなければならない。だが有権者の多くはこうした恩恵を受けることができない「その他大勢」だ、この状況を逆転してしまったのがトランプ氏だ。「ディープスロート」や「一部の人たち」が政治をコントロールしていると主張し個人献金に支えられた選挙キャンペーンを続けている。圧倒的な国民人気に支えられててついには豊富な選挙資金を持つ共和党の全国組織を手中に収めている。バイデン大統領も小口献金に依存しているためかなりポピュリズム色の強い政策を発信している。バイデン大統領の2025年度予算には富裕層増税が盛り込まれている。

日本でもこうした過激な動きが広がるのかあるいは現在の政治とカネの問題のように小さな悪者叩きで満足して終わるのかはよくわからない。民主主義は常に構造の逆転の危険性を孕んでいる。

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